週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#201 -’23. かんてんぱぱガーデンを探索し。

2023年09月18日 17時51分23秒 | 長野県の名所旧跡

かんてんぱぱガーデンたんさくして。

1   頂いた案内です。

2  歩いて店舗に入ったのはEASTの一部分のみです。

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4  食事を済ませて外に出た来ました。売店にむかいます。お土産を買い求めます。

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6   エレベーターを利用して二階から一階売店におります。二階のエレベーター脇には授乳室が設けられていました。

7   女性軍は買い物で、私達男性は休憩と「さわやかゼリーの素ライチ味の試食」です。

8   一人一個と指定されてます。

9  美味しく一つだけ頂きました。

10   この先が店舗とレジがあります。

11  我が家が買い求めたものです。

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14   フラワーショップのサンフローラです。

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21   ここからの写真は広域農道を渡った、WESTです。車窓からの写真です。

22   お隣さんのレクサスの車内からです。

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#170 -’22. 北斎館の外構(小布施)

2022年06月28日 06時00分01秒 | 長野県の名所旧跡

今回の旅の目的の一つは小布施の北斎館です。

その前に、二度目の訪問になる岩松院の見学と説明を聴き御朱印を頂きました。

前回訪問した時は、あかり博物館は立ち寄りましたが肝心な北斎館をスルーしておりました。

今とその時の価値観(見学場所の違い)の違いに驚くばかりです。

勿論、北斎館は素晴らしいの一語につきます。

基本、北斎漫画などは別にして、多くの主題を持った連作の作品群は今で言うところの出版物です。その為に多くの物は分業による版画・版木による出版物です。だからと言って価値を減じる積りも、減る事もありません。

長い90歳の生涯で多くの美人画、花鳥画、風景画も手掛けています。掛け軸に装丁されたり絵画として額装されたりしています。

二基の祭り屋台を見学するだけの為に小布施に行った価値は充分あったと思っています。その上、多大な出費の・・・・。

車は小布施町営❓の駐車場に止めました。岩松院での参拝を済ませてこちらに廻りましたので、駐車場もガラガラでした。

今回は、北斎館の周りの写真のみです。

01   NTT  ICC で頂いたリーフレットのからの引用です。

北斎館所蔵の東町祭屋台天井絵「鳳凰」です。(印刷物を撮影です。)

  

1   駐車場からこちらの傾斜を下ると北斎館を半周して入り口に出る事が出来ます。

2   右手の建物は北斎館です。

3   右手のガラス窓が北斎館です。

4   色々の草花が植栽されていました。

 

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11   北斎館の反対側の通路に面したカフェ SAKU  G  です。

12   入り口脇に廻ってきました。葛飾北斎は正に世界の至宝です。

13   広場をぐるっと。

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16   メタセコイアの巨木です。

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「「江戸のアツいお仕事もりだくさん」北斎漫画の力士が言っている通り江戸から馳せ参じる価値充分あります。

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21   入り口の直前もご覧の通りに敷き詰められていました。

22   画狂人と称する偉人に会いに行かれてはいかがですか。

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#168 -’22. 髙井鴻山記念館を訪れて

2022年06月26日 14時54分08秒 | 長野県の名所旧跡

髙井鴻山記念館で頂いたリーフレットから一部引用させて頂きます。

北斎と鴻山 ふたりをめぐる人間模様

 江戸遊学時代に交流のあった画家・葛飾北斎が、鴻山を訪ねて小布施にやって来たのは天保13年(1842年)の秋。80歳を超えた老画家が、はるばる小布施を訪れた理由には諸説あるが、天保の改革の過激な取り締まりを避け、北斎芸術の良き理解者であり、経済的な支援者としても頼もしい鴻山のもとへ、身を寄せたと考えるのが妥当であろう。北斎はその後再三にわたって来訪し、鴻山が提供した「碧い軒」(へきいけん)をアトリエに、数々の肉筆画の傑作や鴻山との合作を残した。鴻山は北斎を師と仰いで尊敬し、北斎は鴻山を「旦那様」と呼び、折り目のある交流が続いたと伝えられている。

つぎは訪問時に頂いた「髙井鴻山記念館」のリーフレットです。

1 ① 第一展示室(文庫蔵)、② ゆう然楼(二階建て日本建築)、③ 第二展示室(屋台蔵)、④ 第三展示室(穀蔵)と庭園などが見どころですが、展示室には撮影禁止の表示がありましたので画像はありません。しかし、第一展示場から日本家屋の『ゆう然楼』に靴を脱いで入りましたが撮影禁止の表示がないので撮影させていただきました。

芸術作品であったとしても、各展示室の作品もフラッシュを焚かなければ撮影可としてほしいものです。

2  北斎とつながる小布施です。

3   三~四ヶ所のお店を覗きましたが、食事できる所は見つかりませんでした。で、持ち帰りお弁当の栗おこわを買って高山記念館に向かいました。裏門にあたる東門から入る形になりました。

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4   赤毛のアンを思い出してしまう栗の小径です。舗道に敷き詰められているレンガタイル風の物は、長方形の木が埋められて舗道を形成していました。年輪が見えますよ。

5   栗の小径の通過した所(写真の後ろ)の右手はレストランでしたが、満員でした。

6   左手が髙山鴻山記念館の東門です。花が咲いている栗の巨木です。

 

7   東門の左右の蔵がある形です。左が屋台蔵で右が穀蔵です。どちらも展示室で中は撮影禁止です。

8   正面入り口脇の文庫蔵です。今も火事は恐ろしいですが、命も財産も奪い取りますから、蔵は重要な建物です。

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10   高価な文化財が町内を練り歩いたのですから、想像するだけで身震いがします。

11   日本家屋に「ゆう然楼」の向かいの壁に絵が貼られていました。

現在の上皇上皇后両陛下のものだと思いますが、植木で裏面が読めませんでした。

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15  ゆう然楼です。

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21   駒つなぎの石です。乗馬して訪れる人が居たのですから流石です。

 

反対側と言うより、東門に対峙していますが、こちら側が正式な入り口です。一旦、出させて頂き写真を撮って来ました。

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#163 -’22. 小布施の北斎館 etc.

2022年06月20日 13時47分42秒 | 長野県の名所旧跡

岩松院の次は 北斎館に行きました。20220618185629

こちらは岩松院で葛飾北斎の八方睨みの鳳凰図を拝見してから本堂内を拝見させて頂きました。本堂側からお庭を撮影するのはOKとの事で高い視線での写真を撮らせて頂きました。9時前に境内は撮影させて頂きました。

小林一茶の有名な句の「「やせ蛙負けるな一茶これにあり」が読まれた池です。

最近は何処に寺社仏閣に行っても御朱印は頂いていませんでした。と、言うのも読経せずに御朱印のみを頂く事がスタンプラリーの感じがしていました。今回は般若心経他読経しませんでしたが、北斎の八方睨みの鳳凰図の図柄のが欲しくて頂きました。読経するか否かは問わずに頂く事で収入にもなりますし、心ばかりの支援にもなるかとの気持ちもあります。

奉拝 令和四年六月十八日 鳳凰 岩松院 との御朱印を頂きました。

北斎館の裏手の町営の駐車場に駐車して表側に廻ってきました。

有名な達磨大師の画です。右わきに細いスレッドから動画を見るものです。

上町と東町のそれはそれは豪華で豊かな芸術性を感じるものでした。素晴らしいの一語です。別スレッドでアップする予定です。

 

髙井鴻山が居たからこそ素晴らしい才能の持ち主の北斎の作品が後世に残ったと思うと素晴らしい方です。自身も芸術家の一端を担っています。(端くれです。)

小布施から一般道を通り利休庵の前を通り白樺湖の脇を通り原村に帰ってきました。原村のたてしな自由農園です。何時もの如く混んでいました。

小布施でランチを頂く事は出来ませんでした。二軒ほどは食堂を閉鎖していましたし、一箇所は団体客のランチで一定の時間まで貸し切りでした。お腹ペコペコになりました。

峠の我が家でお食事です。

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#162 -’22. ここに居ます。

2022年06月20日 13時18分45秒 | 長野県の名所旧跡

我が家を5時半に出発して関越道で岩松院に8時少し過ぎに到着です。手前の駐車場に既に遠い地名のナンバーの車が二台ほど並んでいました。我が家も駐車して9時の開門を待ちました。岩松院と言えば超有名なのが次の三点です。NTTのICCのデジタル画像を拝見してきましたので、早朝に出発した訳です。202206180855039

1   手前の奥の駐車場にも止められましたので車を廻して、境内を参拝されてて頂きました。

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4   北斎の八方睨みの鳳凰図が奉納された時には山門(仁王門)が建立されてなかったと、デジタル画像の中で説明を受けました。

 

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7   広島から改易させられた福島正則霊廟の説明文です。一番奥にあります。

8   寺門の左右にあって、その忿怒 (ふんぬ) の形相で仏敵を払う守護神。ふつう二神一対で、一体は口を開いた阿形 (あぎょう) 、もう一体は口を閉じた吽形 (うんぎょう) とする。金剛力士。

9   仁王さなを可愛いと感じる事は少ないですが、こちらの仁王様は可愛らしい顔立ちです。口を開いた阿形 (あぎょう)

10   体は口を閉じた吽形 (うんぎょう) です。特にこちらが恐れを感じさせない可愛らしい仁王様です。

 

11   正面に見えてきました。

12  仁王門脇から鐘楼を眺めて。

16   本堂側から振り返り仁王門を。花祭りの頃の日没に本堂の鳳凰図を反射で照らす姿を見てみたいものです。光の通り道です。

17   9時少し前ですが、御朱印を頂く順番札が縁起良く一番でした。

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#148 -’22. 「Digital×北斎」特別展 「大鳳凰図転生物語」の開催について

2022年06月09日 15時42分41秒 | 長野県の名所旧跡

NTT 東日本 News Release からの引用です。

「Digital×北斎」特別展 「大鳳凰図転生物語」の開催について
~葛飾北斎の最大の作品 岩松院本堂天井絵「鳳凰図」を300億画素のデジタル技術で再現~

  • 東日本電信電話株式会社(代表取締役社長:井上 福造、以下「NTT東日本」)は6月2日(木)よりNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]にて「Digital×北斎」特別展「大鳳凰図転生物語」を開催いたします。
  • 株式会社NTT ArtTechnology(代表取締役社長:国枝 学、以下「NTT ArtTechnology」)が株式会社アルステクネ(代表取締役社長:久保田 巖、以下「アルステクネ」)と連携してデジタル化を行った葛飾北斎最大の作品、岩松院(長野県・小布施町)※1本堂天井絵「鳳凰図」(八方睨み鳳凰図)を、300億画素のデジタルデータを活用して、実物大で完全に再現する展示を行います。
  • デジタル化の過程で得られた様々な発見についてもご紹介するとともに、それらの発見に基づいて考察・制作した、葛飾北斎が目指していたと思われる「鳳凰図」を、岩松院の本堂を再現した空間の中で体感する作品としてご紹介いたします。

曹洞宗梅洞山岩松院の葛飾北斎筆 八方睨み鳳凰図を300億のデジタル画像でデータ化した物を映像化した物です。まるで岩松院に居るが如くの時・時代と場所を超越した異次元の体験です。

動画でなければその素晴らしさはたいけんできません。東京オペラシティに行きNTT/ICCで体験されるのが一番ですが、少しでも通じればと思い。

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「Digital  ×  北斎【破章】 北斎 VS 広重 美と技術の継承と革新」へとつづきます。

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#322 -’21. 御柱、仮置き場(式年造営御柱祭)

2021年11月01日 19時21分11秒 | 長野県の名所旧跡

諏訪地方にとって七年に一度の大祭、それが御柱祭です。20211101192111

神事であり諏訪神社の上社と下社。

上社本宮前宮

下社の春宮秋宮

上社の御柱を引く時には「めどでこ」が角のように付いていますが、下社の御柱には付いておりません。

これも木落の違いからくるのかもです。

上社での木落は御柱街道を下り20号手前の所ですが、お辞儀をする感覚でした。

良く放映される坂を下り落ちる木落は下社で危ないためか「めどでこ」が付いておりません。

七年に一度の式年造営御柱祭(御柱祭)が来年開催です。

各々の神社の四隅に建つ御柱です。

今回は仮置き場が造営されました。切り出しは本来なら来春のようですが、コロナ禍のためでしょうか。

上社の合計で8本の樫の木ですが、峠の我が家直ぐ近くの御柱街道の出発点より少し標高が上がった地点に今回は仮置き場が造られました。

蓼科湖に向かう為に御柱街道を下り、農業大学校売店の直前の右手側に仮置き場が設置されていました。

通過する時、諏訪神社の神主さんとおぼしき方がお祓いをしていました。

で、蓼科湖で紅葉を堪能したあと、蓼科の山寺近くに在った『たてしな自由農園』ちの店が2016年に移転して原村の店舗と同じような建物になりました。原村より大きい感じでした。昔は、胡散臭い感じがした店舗でしたが、値段は安かったきがします。

ビーナスラインからエコーラインに戻り御柱街道を登ってきました。

1  諏訪地方の氏子の皆様にとっては、七年に一度の大祭の大きさは測り知れません。この大祭を執り行うために、結婚式なども前年にするか翌年にする程の出費と心の支えになるお祀り、お祭りなのです。

2  氏子にとっては本宮一之御柱を引くくじを引き当てる事が悲願です。その栄光の一之御柱です。

3  大社と焼き鏝で刻印されています。

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8  2000年に土地お購入して翌年に別荘が完成しました。その後、最初に開催された山出しの紐をほんの一部分ですが触り曳く事ができました。

さて、来年の本宮の一番の御柱を引き当てる氏子は何処のまちでしょうか?

正確では無いかもしれませんが、だいたいこの辺りと言う事。」

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#158 -’21. 式年造営御柱大祭を来年に控えて

2021年06月17日 13時29分04秒 | 長野県の名所旧跡

今年は令和三年です。

来年は令和四年で、七年(6年毎)に一度の諏訪地区の大祭、式年造営大柱祭です。

御柱を上社の本宮と前宮、下社の春宮と秋宮に16本を山だし、木落などを経て建て御柱を行います。悲しい事ですが、御柱を四隅に立てる建てるための神事に当たる建て御柱で前回と前々回で死者が出ている。木落での勇壮な神事で死者が出そうな感じがしますが。実際は建て御柱の際に悲しい出来事が発生しています。命綱を付けるなりしてほしいと切にねがいます。

諏訪地区の氏子さんにとっては結婚式を避けてまで、御柱祭りにかける意気込みは凄い物があります。このお祭りの為に散財も厭いません。

御柱街道脇に前々回ぐらいから山引きの案内などの看板が設置されています。

 

 

峠の我が家で夕食を頂く時に、ニュースで御柱祭のモミの木の本目立て(選定)が行われた事がニュースになっていた。

 

 

 

夕食後に、庭の木々を写すために駐車場用の探照灯を点けてみました。

 

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#331 -’20. 大降り蹲「随月泉」@笹離宮

2020年10月03日 07時34分51秒 | 長野県の名所旧跡

今年は特別に入園無料で開放されています。

西洋的な庭園ではありませんが、侘び 寂びをご理解いただける年齢層の方や日本的な植物、特に笹に興味のある方にとっては最高の場所です。

今年と言っても、開園しているのは今月末迄です。

寒さ厳しくなる、八ヶ岳西麓です。

興味のある方は是非、今月中に。

今回は小堀遠州公の作庭技法による  大降り蹲「随月泉」です。

説明文は笹離宮のHPの植物園エリアから引用させて頂きました。

大降り蹲「随月泉」

降り蹲は地面を一段掘ったところに蹲を置くことで、そこから見上げて広く庭園を見る視点を与えた、小堀遠州公の作庭工法です。「随月泉」は世界最大の降り蹲であり、中心には蹲に見立てて、大きな水盤が据えられています。この水盤は約300年ほど前に、九州で臼として使われたものを天地を逆にして、水盤に加工したものです。

 

1  説明文の高札が立っているところにQRコードが印刷されています。スマホで読み取ると説明文を読み取ることも、読み上げてもくれます。

2  九州で使われていた石臼のようです。穀物類を挽く挽臼でしょうか?それともお餅を搗く、石臼でしょうか?生まれ育った我が家の裏のお宅では珍しい石で出来た臼で餅つきをしていました。蒸籠で蒸かしたもち米が木臼より冷えるのが早いので大変そうでした。こちらは多分、粉にするための挽臼かと思いながら拝見しました。でも、素敵な発想ですよね。

3  中央の球体の一部をなす所から水がでてきます。その水が周りに水盤から流れ落ちて水琴窟のような音を奏でていました。

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5  水面に月が映り、人影を追うが如くに見えるそうです。先日は中秋の名月でしたが、夜半にお邪魔することは叶いませんから、風流の極みに接することはできません。

6  中央部分が円柱状に穴が開いておりそこから水がほとばしり出てきます。サイフォンのと如く取水面の流れの水面と連動して上下している感じです。

こちらの大降り蹲「随月泉」を拝見したときに頭に浮かんだのが、金沢の兼六園にお邪魔したときの庭園でした。噴水も動力ではなく大気圧による水面の高低差で水を吹き上げていたような記憶がよみがえりました。

風情はありませんが、最近のゲリラ豪雨の際のマンホールから大量な水が吹き上がる現象と物理的には同じです。

動力を使用しないで、水面の高低差で上げるなど風流ですよね。こちらの隋月泉が同じかは存じ上げていません。

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#326 -’20. 若庵を中心に@笹離宮

2020年09月27日 20時18分58秒 | 長野県の名所旧跡

今回は、笹離宮の箬庵を中心にしてアップします。

わびさびの極地の茶室に向かう茶室と前室が融合したかの如きの佇まいでした。

京都の桂離宮を思い出させる雰囲気を醸し出していました。

どことなく、相通じるところを感じるから不思議です。

それでは内露地の茶室の箬庵(じゃくあん)です。

HPから引用させて戴きます。

茶室「箬庵」は、安井清氏による緻密な計算のもと、さまざまな趣向が盛り込まれた笹離宮の中心です。左右に配された主従二つの席は、いずれも卍型に配された腰掛が特徴的。客が座した際、視線が重なることのないよう配慮した造りになっています。またここにはいっさい戸というものがなく、開放的な空間が造られていることにも安井清氏の茶に対する重いが表れています。正席は、人の対話に最適とされる「方丈」=四畳半の広さに造られ、柱や垂木などに北山杉の磨丸太を用いた空間。一方、従席は正席よりも広めに造られ、表面に黒の斑模様がある錆丸太を用い、空間そのものがおのずと主従の別を表しています

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#322 -’20. 心癒されるわびさびの世界観を醸し出す 『笹離宮』 にお邪魔して(その一)

2020年09月23日 14時39分26秒 | 長野県の名所旧跡

午前10時の時間に合わせて、笹離宮にお邪魔してきました。

コロナ禍の為なのか本来は入場料をとるところ、無料にて入園して笹を愛でる事ができました。(10月末日までです。)

笹離宮(蓼科笹類植物園)で頂いた案内用のパンフレットに次のような事が記載されていました。

令和二年 百二十種に及ぶ笹と、本格的な数寄屋庭園が秘儀きあう

風がゆらす笹と、人の手による

大胆で繊細な数寄屋の美が融合した庭園です。

日常を離れ、心鎮まるひとときをお過ごしください。

笹離宮のHPから一部引用させて頂きます。私の拙いブログでは素晴らしさを遍く伝える事は叶いません。是非HPでご覧いただき素晴らしさと堪能いただければ幸いです。

笹離宮とは笹類専門植物園「笹離宮」とは

雄大な八ヶ岳に抱かれた蓼科高原に位置する「笹離宮」。
笹離宮は、国内および海外の笹類を中心に、100種を超えるクマ笹の仲間を集めた笹類専門の植物園です。これほど多くのクマ笹の仲間を集めた植物園は他に類を見ません。世界一の笹類植物園を目指し、単に笹類の標本植物園にとどまらず、クマ笹の未知なる可能性を引き出し、地域文化に貢献することを目指しています。そして笹・竹を生活に取り入れた「クリーンで、健康で、美しい」21世紀にふさわしい生活スタイル、文化提案を世界に発信するとともに、「共生と共創」を目指していきたいと考えます。
将来、自然と触れ合いながら笹・竹への関心を高めてもらうと同時に地域の方々の、憩いの場となることを目指しています。
園内は「植物園エリア」「外露地」「内露地」の3つのエリアが有機的に結合し、笹の可能性を探求します。

地図をアップしますが、美濃戸口方面から御柱街道を下って来てエコーラインに出る直前を右折してください。看板が出て居ますから注意すれば見落とす事はないとおもいます。この辺りと言う事で。

1  真竹の木賊張の伝統技法に則った門と塀です。匠の技法の素晴らしさに気が付かづに門を潜って入っていってしまいました。

2  コロナ禍ですから、入園者も減りますがその反面このような余分な業務が増えますから大変です。 

 

3  正門の向かい側の工業団地はこんな感じです。

 

4  竹細工と言っても建物や塀などの一部をなす構造物ですが、知らずに目から入っても脳に留まる事無く忘却の彼方に消え去る所でした。京都の竹による構造物などその美しさには心和ませて頂きます。

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6  笹と小砂利の通路を分けているのは日本瓦です。

7  こけら葺きの門なのかは分かりませんでしたが、梅見門(中門)だと思います。

8  説明文の見なければ、気が付きませんでした。

9  オウカンキョウチクの花だそうで、次に咲くのは60年後との事。メイドの土産になりました。

10  竹で出来た半球のドームの中に幼い女の子が中に入りました。同世代のおばあちゃんが掛かりの方に入って良いか許可を頂いていました。お孫さんでしょうか。以外にも簡単にOKがでていました。

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13  こちらが、本来入園料などを払う受付になる清風萬里館です。御柱の綱がある奥にビデオ鑑賞ができ、知識を得る事ができます。苔玉やその他の製品が販売されていました。我が家では入園料の足しになればと思い原村産の蜂蜜を購入しました。

14  シャジンなどが苔玉で売られていました。

15  あと数年後には御柱祭です。

16  我が家が買った森のしずくです。

17  白いシャジンです。

18  入園料の足しにもなりませんが、心ばかりのお買い物です。

19  中近東に旅すると、蜂蜜だけではなく蜂の巣に蜂蜜がビッシリト入った儘の巣が頂けます。凄く美味しいですよ。何度も食べていますが、写真があればゴジツ。

 

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#0220 -’19. 長圓寺の紅葉(その二)

2019年11月18日 21時26分45秒 | 長野県の名所旧跡

最近は観光バスで紅葉を愛でに立ち寄るほどの名所になっている長圓寺です。

今回は陽を浴びて紅葉した木々の葉を鑑賞しましたが、2007年に照明された夜間の紅葉(長円寺)のスレッドはこちらです。

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#0219 -’19. 長圓寺の紅葉(その一)

2019年11月17日 14時52分56秒 | 長野県の名所旧跡

御柱街道ぞいの長圓寺に昨日の朝一番にお伺いして。

既に散り始めて居ましたが、それはそれで絨毯のようで朝日に浴びる木(こ)の葉の紅葉とで綺麗しでした。

 

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#0006 -’19. カゴメ野菜生活ファーム富士見にお邪魔して

2019年05月07日 20時45分21秒 | 長野県の名所旧跡
峠の我が家に到着した日に何度も地元のTVで放送されていた。
カゴメの工場がある事は知っていたがお邪魔した事はなかった。
今回もお邪魔したのは工場見学ではなく、カゴメ野菜生活ファームです。
事前の予約は一切していませんが、何か目新しい物が在ればとお邪魔しました。

カゴメリリースニュースから引用させて頂きます。

カゴメ株式会社( 本社:愛知県 本社:愛知県 名古屋市 代表取締役社長:寺田直行)は、「カゴメ野菜生活ファーム富士見」(長野県諏訪郡富士見町)の営業を4月26日より開始いたします 。「カゴメ野菜生活ファーム富士見」では、八ヶ岳の雄大な自然の中で野菜の収穫や調理を体験でき、レストランでは旬の食材を使った料理が楽しめます。また隣接する当社富士見工場では野菜ジュースの製造工程が見学できできる、まさに“野菜のテーマパーク”です。3月 6日(水)から「カゴメ野菜生活ファーム」の ホームペーム(*1 )において、工場見学ならびに 体験教室の予約受付を開始いたします。

国道20号から左折してカゴメ富士見工場を右に見て通り越して800メートル程先に進むと駐車場やカゴメ野菜生活ファームの建物をが見えます。
至れり尽くせりの案内の方が誘導してくれました。
迷うことなく到着しました。

この看板が目印です。


こちらは手前にある工場です。
要予約ですが、工場見学できます。




























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#230 -’17. 象山地下壕(ぞうざんちかごう)

2017年08月03日 14時13分29秒 | 長野県の名所旧跡
敗戦の色が濃厚になって来たころ、軍部は国体維持と本土決戦に備えて巨大な地下壕を造り始めた。
本土決戦になる事もなく、この地下壕が使用される事態に至らずに敗戦を迎える事になった。
大本営や皇族関係がこの地に移動する事を目指していたようだ。
松代に来た時は、必ず訪問しようと思っていた。
こちらに来てみると、大本営の色合いが薄れているのかなと、感じた次第です。
ウィキペディアの記事はこちらです。
長野市のホームページの松代象山地下壕の説明はこちらを参照してください。

毎年訪れる八月です。
広島&長崎に原爆が投下され終戦を迎えた夏の悲しい歴史です。
終戦自体は戦争が終わり民主主義の国家になったので良い事だと思っています。


悲しい歴史を決して忘れてはいけないとの思いを込めて訪問しました。
入園料も取りませんが、我が家がお邪魔した時は他の方はどなたもお見えになった方はいませんでした。
負の遺産ですが、大切に後世に伝えていくべき所だと思った次第です。

散策マップ信州・松代遊學城下町 から引用させて頂きます。
象山地下壕(ぞうざんちかごう)太平洋戦争の遺跡
第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘のうちに、大本営、政府機関等を松代に移すという計画の下に舞鶴山・皆神山・象山に地下壕を掘削しました。政府機関のなどの移転先としての掘削が進められた象山地下壕は総延長5,853mあり、その内500mを公開しています。
見学時間/9:00~16:00
休壕日/毎月第3火曜日
料金/無料


訪問した日は大変暑い日で、少し離れて代官町駐車場に車を止めてので汗をかきかき入り口の案内所に到着さいた。
すぐ手前には、『松代大本営がわかる もうひとつの歴史館・松代』と言う民間の施設がありました。
こちらに入れば、象山地下壕の駐車も楽だったとおもいました。
時間がタイトでしたから入らずに先を急ぎましたから展示内容はわかりません。


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