週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#251 -’17. 牛にひかれて善光寺まいり

2017年08月22日 20時52分24秒 | 国内旅行
有名な言葉ですから「牛にひかれて善光寺まいり」の言葉は知っていましたが、正確にどんな逸話があり言い伝えられて来たのかは知りませんでした。
下の牛の像があるところは善光寺の案内所です。
そこに書かれている文書と同じものがちらしでありましたのでアップさせて頂きます。
以下は転用です。
『牛にひかれて善光寺まいり
  むかし、善光寺から東に十里、信濃の国小県郡に強欲で信心が薄く、善光寺に一度もお参りしたことのないお婆さんが住んでいました。ある日、川で布をさらしていた所、どこからか一頭の牛が現れ、角に布を引っ掛けて走り出します。そこで慌てたお婆さんは布おしさに取り戻そうと一生懸命に追いかけました。そして気が付いてみるとそこは善光寺。牛の姿は無く、角に引っ掛けられていたはずの布は如来の厨子の前にありました。実は、布をさらった牛は善光寺如来の化身だったのです。その事に気が付いたお婆さんは自分の不信心を悔い、善光寺如来に手を合わせ、以来信心深くなって、善光寺にも度々参詣に訪れ、極楽往生を遂げたとのこと。
 また、お婆さんが住んでいた近くの釈尊寺(布引観音)の寺縁起にもなっています。
      信州 善光寺 』


ヨーロッパなどで銅像の何処かを擦るとご利益があるとの事でピカピカになりますが、牛さんも輝いていました。
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お朝事が済、観光客が来る前のひと時の静寂なのかもしれません。
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山門からの風景です。
こちらは以前から登る事の出来た山門から仁王門側の、そして長野駅方面に向かう参道です。
本堂は真後ろです。
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蓮の濠を越えて大勧進前でお数珠頂戴しました。
一際大きな建物の吹き流しのある所が大勧進です。
蓮の華の沢山咲いていました。
行った事のない極楽浄土が思い浮かびます。
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こんな高い所から善光寺本堂を拝んで良いのか迷いますが、200年以上で初めてとの事で有り難く参拝させて頂きました。
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右手に見えるのが鐘楼です。
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前日、長野に着いてから最初にお邪魔した日本忠霊殿・善光寺史料館が左手に見えます。
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午前九時から特別開放の山門に登ことができると聞いていました。
それでは、権堂の七夕飾りを見てから山門に登積りでおりました。
山門を見上げると、既に登っている方を見かけましたので、我が家も取り急ぎ予定を変更して山門へ。
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#233 -’17. 宿坊・薬王院

2017年08月04日 09時13分28秒 | 国内旅行
今回の坂東札所巡り結願のお礼に向かった善光寺並びに北向観音の旅。
凄く楽しみにしていたのが宿坊での宿泊です。
家内がネット経由で検索した結果第一目標の所に宿泊することはできなかった。
予約できたのが二番目の今回宿泊した薬王院です。

薬王院にご住職が不在との事もあり少し割引きしなければなりませんが、私の想像する宿坊とは大きくことなりました。
お出かけしますので書きかけです。


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#204 -’17. アクアラインを通り海ほたるへ

2017年07月06日 16時58分07秒 | 国内旅行
最後の坂東札所巡礼です。
距離的にも近いので、少し遅く出発しましたが車での朝のラッシュにもろにぶつかります。
でも、以前より良くなってきました。
環状6号の山手通りの下を通る中央環状線C2が大きく貢献してくれています。
海外に旅発つわけではありませんが、羽田空港の脇を通り浮島へ。
湾岸でも羽田空港の所に海底のトンネルがありますが、アクアラインは途中の海ほたる迄海底トンネルです。
その長さたるもの比較の対象ではありません。
それでもこれが出来た事で神奈川から千葉まで来るまで東京湾を廻る必要も無くなり、フェリーに乗る事の無くなりましたからその経済効果は多大です。
高校時代、自転車で房総の富津までキャンプに行き、帰りは金谷から久里浜までフェリーで帰った来たのが思い出されます。

因みに、海底トンネルを抜けて海ほたるへ上がって来たのが午前7時50分でした。
所要時間1時間15分ですから良しとせねばなりません。
最初の休憩です。
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定番の記念撮影ポイントですが、早朝の為か(午前8時少し前)観光客が雨が降ったり止んだりでしたから誰もいませんでした。
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台風一過の好天を信じて、前日に決定して走った来ました。
富士山が見えますし、その右手下には横浜のランドマークであるランドマークタワーが見えました。
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これから向かう橋脚道路がみえます。
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画面左の所にアクアラインのトンネル部分の空気抗の人工島と構造物(風の塔)が白く写っています。
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小さな画面からは分からないかもしれませんが、右手から二隻目の船首の先に東京スカイツリーが見えます。
その左側には中央防波堤の東京ゲートブリッジが写っています。
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海ほたるから千葉県側は橋での走行です。
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千葉県の景色がはっきりと見えてきました。
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木更津側に渡りました。
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東京湾横断道路 製作:東京文映
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#202 -’17. 袋田の滝

2017年07月04日 20時52分59秒 | 国内旅行
茨城県大子町にある国名勝である袋田の滝によってみました。
日輪寺に行く時、それと戻る時の一日に二回も寄ってしましまいた。
一度目は早すぎて、二度目に入場する事ができました。

大子町を太子と勘違いしていました。
大きいと太いを意識する事無くてっきり、大子町をたいしちょうと呼んでいた。
道路標識でだいごまちであることを知ったほどです。
観光案内図に合計三箇所の滝が載っていまいたが、袋田の滝のみでした。
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季節が紫陽花の見頃ですから結構咲いていました。
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JAFの会員の方は是非会員証を持参する事をお勧めします。
この時は、会員証もスマホ内にインストールしたある会員証の両方を持参せず車に置いていったしまいました。
一人50円の割引ですが、何故か残念な気分になってしまった。
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以前は地下道を通って行きませんでしたから、有料もうなずけます。
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今回も観音様の巡礼ですから、トンネル内に在ったこちらの滝見観音様もお詣りしていきました。
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第一観瀑台からの迫力のある袋田の滝です。
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袋田の滝て頂いたパンフレットからの引用です。
『日本三名瀑のひとつであり、高さ120メートル、幅73メートル、四段に落下する事から
別名四度の滝とも呼ばれています。また、一説には西行法師がこの地を訪れた際、「この滝は四季に一度づつきてみなければ、真の風趣はわからない」と
・・・・以下省略。
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#196 -’17. 大谷資料館

2017年06月26日 21時40分21秒 | 国内旅行
日帰りですから、ジャンルを国内旅行にするのが気が引けますが、坂東三十三観音巡礼で其処の観光地や名所・旧跡を可能な限りお邪魔するようにしている。
以前から行きたかった大谷石の採掘場跡。
大谷資料館です。
地下の巨大空間です。
今回大谷観音にお邪魔するなら是非にと思い立ち寄った次第です。

この日は暑い日でした。
駐車場に車を止めるのも木立がある木陰に停めたかったですがありません。
大谷石の採掘跡は大変寒いと家内から言われていたので、半袖の上に羽織る薄手のウインドブレーカーを持参しましたが、着る事はありませんでした。

東京でも昔は地下に下水道が有るわけではありませんから、敷地の外れにU字溝の雨水用&家庭の雑排水の排水溝がありました。(都心部のビルは除きトイレ以外は総て垂れ流しでした。)
生家の敷地の外れは総て、大谷石で囲われていました。
その上は生け垣でした。
それ程、我が家には馴染のある大谷石でした。
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正面に見える露天掘りの跡が刻まれています。
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地下坑内入口の表示のある所からチケットを買って入りますが、この建物を見てがっかりしてしまいました。
道の駅の地ビールの製造工場やレストランなどが素材として大谷石が使われているのに、本家本元の大谷資料館が味気ない佇まいです。
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坑内気温は10℃ですが、体がほてっていたせいか涼しくは感じましたが出てくる迄体が冷える事はありませんでした。
暑い日でなければ、結構寒いかも。
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思った通りの幻想的な素晴らしい地下空間です。
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機械掘りではなく、昔からの手掘りです。
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コンサートなど開催した方達の写真が展示されていました。
その中に大好きでCDも何枚も持っているエンヤの写真がありました。
聴いてみたかったですが、音響効果はどうなのかも気になります。
反響しすぎても問題ですが、大谷石は御影石などと違い音も吸収するところもありますから素晴らしいホールなのかも。
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機械掘りですが、それもこちらの採掘坑では終了しています。
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地下坑入口の建物の一階にある展示物です。
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お土産とカフェのあるロックサイド・マーケットです。
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多分、この看板の写真は撮った方向の、即ちアップサイドダウンです。
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左は家内のベルギーチョコとバニラ、私のはマンゴーとバニラです。
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床も勿論大谷石です。
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#191 -’17. 道の駅 うつのみや ロマンチック村

2017年06月23日 21時44分46秒 | 国内旅行
中禅寺(立木観音)の巡礼を済ませて、次の大谷寺(大谷観音)に向かう途中で立ち寄ったロマンチック村です。
道の駅うつのみやロマンチック村のHPはこちらです。
広さも設備も素晴らしい所です。
滞在型と謳っているだけあり、レストランから宿泊施設まで整っています。

食べ物処も沢山有りますし、買い物を色々できるし遊ぶのも良いかもです。
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再掲です。


広い事広い事、ご近所さんなら一日遊んでいられそうですし、車中泊にも持ってこいかもしれません。
今は道の駅が充実していますから、車中泊にての全国行脚も楽しいかも。
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地ビールの工場もレストランも建物は大谷石で出来ていました。
流石です。
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地ビールの蒸留釜です。
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私が食べていものはカツ丼でしたので、温泉&宿泊施設のある棟ですから一番遠い所かも。
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写真だけですが温室もあるみたいです。
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撮影は総てスマホです。

未だ、子供たちが小さい頃にお邪魔した片品や丸沼高原へスキーに行ったところです。
日光から中禅寺湖を通り、大好きな戦場ヶ原そしてそして金精峠を越えて沼田へドライブしたものでした。
ヘルボップ彗星、百武彗星、その他もろもろの彗星を追っかけてもこの道=日本ロマンチック街道を走ったものです。
冬は金精峠が通行止めになりますが、大好きな道です。
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こちらは私が注文したカツ丼と冷たいうどんです。
美味しかったし量的にも満足でした。
右下にある薬味の下にそばつゆがあります。
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再掲です。


こちらは家内の注文したものです。
天丼と冷たいお蕎麦です。
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再掲です。


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#139 -’17. 西山荘@常陸太田

2017年05月18日 20時59分17秒 | 国内旅行
国営ひたち海浜公園でネモフィラのを見てから坂東三十三観音の札所巡りの途中で立ち寄った西山荘です。

私はお邪魔するまで知りませんでしたが、茨城方面の方には有名な所かと思います。
何しろ徳川光圀(水戸光圀)公の隠居処ですからして。

アップするほどの知識を持ち合わせておりませんので、入園の時に頂いたコピーのまたコピーされた読みにくい公益財団法人徳川ミュージアムからのチラシから引用させて頂きます。
因みに帰る時に入口のチェケット売り場でこちらか尋ねて頂いたものです。


      「西山荘  西山御殿のこと
 幕府より隠居を許された二代藩主光圀公は兄の子、綱枝公を三代藩主とし、自ら水戸城の北に位置する佐竹家ゆかりの常陸太田を隠居の地に定めます。光圀公が元禄四年(1691)五月九日から元禄十三年(1700)十二月六日に亡くなるまでの十年間を過ごされた隠居所・西山荘は「西山御殿」と呼ばれました。
 華美を嫌った光圀公は、隠居の際に諸方から贈られた調度を一切西山荘に持ち込まず、わずかな身の回りの品と修史編纂事業(その書名は、光圀公の没後、綱枝公により『大日本史』と命名されました。)に必要な沢山の書物を運ばせたと伝えられています。領民たちと自ら親しく交流しながら、修史編纂事業に情熱を注ぎ、元禄13年(1700)七十三歳で亡くなりました。
 西山御殿は光圀公の無くなった後も歴代藩主によって大切に保存され、宝永二年(1705)には西山の長屋(御殿に仕えた人々の住居)は江戸の水戸藩駒込別邸に移築されました。しかし文化十四年(1817)野火により西山御殿は焼失します。現在の建物は文政二年(1819)八代藩主により規模を縮小して再建されたものです。現存する御殿の広さは、約百三十九㎡(約四十二坪)ですが、創建当時は現存部分の約三倍の規模でした。
 再建された西山荘には「西山守護」と呼ばれる武士も置かれ、御殿裏に建てられた別棟「守護宅」に居住しました。
 十三代当主圀順公は昭和四十二年(1967)西山荘の建物と土地等を寄附し、公益財団法人徳川ミュージアム(旧・財団法人水府明徳会)を設立されました。周辺の山林を含む約十八万七千㎡(五万七千坪)と保存公開しています。さらに昭和四十九年(1974)、西山荘は茨城県指定史跡となりました。指定面積は約十四万一千(約四万三千坪)です。平成二十年(2008)には徳川ミュージアム(旧・彰考館徳川博物館)の分館として博物館法の登録博物館になりました。



ここから先は有料の徳川ミュージアムが管理する地域になります。
因みに、入園料は一人千円でした。
入園していたのは我が家の二人のみでした。
少し高いと感じましたが、何度も来る所でもないと思い入りました。
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櫟門です。
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簡素ですが光圀公が通られた表道です。
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瓢箪の形をした紅蓮池には赤い蓮の花が咲くとの事。
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こちらでもシャガが咲いていました。
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自然が作った造形の木材は非常に強度が強いと聞いたことがあります。
木の生長の過程で曲がった所を生かして作られた梁。
記憶違いでなければここからの画像は守護宅です。
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守護宅の中のみ入る事が許されたいて、パネルで説明がされていました。
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その守護宅の外観です。
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多分、御文庫かと。
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丸窓のある書斎です。
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正面から左の部屋が書斎で正面が御寝室です。
御文庫を除き屋根は総て茅で葺かれた茅葺屋根です。
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頂いたチラシによると:「屋根は総て茅葺で、棟上に「いちはつ」(別名しばきり)が植えられました。「いちはつ」が植えられたのは、根張りによって屋根の崩れを防ぎ、葉の萎れによって乾燥を測り、注水などにして火災を予防したのだと伝えられています。」
私自身は、全く反対の事を世界遺産になる前の白川郷に宿泊した時聴きました。
それは「茅葺屋根の維持管理の為に、囲炉裏を焚くのだと。」茅を囲炉裏で炊いた木の煙で燻してコーティングする事によって、雑草など草木が生えずに茅の屋根が長持ちするのだと。
その為に、茅葺屋根の維持の為には欠かせない存在だと。
火災の怖さはわかりますが、考え方により180度も対応が異なるのに驚きを感じた。
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日本の茅葺屋根の造りの素晴らしさ、イギリスの藁葺き屋根とは大違いでした。
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玄関です。
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#135 -’17. 西山の里@常陸太田市

2017年05月16日 17時15分14秒 | 国内旅行
ひたち海浜公園でネモヒラを見てから向かったのが、坂東札所巡りの佐竹寺でした。
向かう途中で水戸光圀公の隠居所の道路標識を見つけて、佐竹寺の後の此方に来た次第です。
常陸太田市が整備した素敵な公園とでも言う素敵な場所でした。
「徳川光圀公の隠居処であった西山荘の入口にある休憩施設。」

こちらの西山の里の駐車場に車を止めて奥の西山荘にむかいまいた。

西山荘の前に西山の里・桃源をアップします。
伺ったのは4月28日、GWの直前ですから草花は既に散っていますので悪しからず。
6月には花菖蒲が美しく咲きます。

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池に居る鯉が歩く自分の方に大きな口を開けて寄ってきます。
鯉の餌は50円と大変安いのに買ってあげなかった事が少し心残りです。
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花菖蒲が咲く頃はさぞかし美しい事だろうと思う程です。
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食事した桃源です。
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晏如庵は,光圀公が茶の湯を楽しんでいたという逸話にちなんで建てられた施設だそうです。
10分間の時間をケチり立ち寄らずに来てしまった事が少し残念です。
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先を急ぐ心のゆとりの無さが悔やまれます。
池の先の木立の中の晏如庵です。
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西山の里・桃源がライトアップされた時の写真が飾られていたので一枚。
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#109 -’17. 4月28日のお出かけ(国営ひたち海浜公園ほか)ダイジェスト版

2017年04月28日 22時40分31秒 | 国内旅行
連休直前のお出かけです。
ダイジェスト版と言うか骨子のみ先にアップします。


【国営ひたち海浜公園】
7時半頃に我が家を出発して、最初にひたち海浜公園に行きました。

ネモヒラを見に来ました。


その次の目的は坂東三十三観音の巡礼です。

【第二十二番佐竹寺】
前日から坂東札所巡りの物を準備しての就寝でした。
ネモヒラの次はひたち海浜公園から一番近い佐竹寺です。


【西山荘】
佐竹寺に向かう途中の道路標識の看板に西山荘との文字が。
地名や有名な名所・旧跡などを表示する道路標識にアパートの名前が書かれているとは思わないが何か有名な所かと家内に聞くと。
水戸光圀公の隠居の場所かもと言い出した。
で、家内がガラホでネット検索するとビンゴであった。
私はステアリングを握っていますから不可能です。
佐竹寺の後、少し戻るこちになるが見学して昼食を頂いた。

【第二十三番観音寺】
二十三番の札所は笠間稲荷の在るツツジで有名な笠間です。
家内と私の坂東札所巡りようのご朱印帳しか持参しなかった。
一般的な物を持ってこなかった。
残念な事をしてしまった。
こちらでは、観音寺のを頂いた。

【第二十四番楽法寺】
先達さんに引率された旅行社主催の団体の巡礼さんに遭遇した。
総てのお寺で般若心経などを唱えてくるが、団体さんの近くでは唱えるのを躊躇しそうになる。


本日の予定は終了です。
車のナビでは北関東自動車道の笠間西ICまで戻り、北関東から常磐自動車道に入り東京です。何故かステアリングを握る自分としてはシックリこない。
既に最後の楽法寺に向かう道の道路標識では土浦の地名が表示されていた。
東京に向かう途中の土浦が直進方向に表示されているにも関わらず、戻って北関東自動車道路に入り常磐道では納得できなかった。
それで、一般道を走り北土浦ICから常磐道に入り夕方の通勤ラッシュに捕まり帰り着いたのが午後6時半であった。
充実した一日であった。

後で個別のスレッドでアップ予定です。

帰宅してメールを開くと嬉しい通知が届いていた。
アゼルバイジャンのe-Visa が届いていた
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#283 -’16. 皇帝ナポレオン1世と皇后ジェゼフィーヌの戴冠、絵画と陶板画

2016年11月01日 23時22分45秒 | 国内旅行
大塚美術館の『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠』式の陶板画です。
大塚美術館の元になった絵画はルーヴル美術館に所蔵されている。

作者はダヴィッド・ジャック・ルイだが本来の『皇帝ナポレオン1世と皇帝ジョゼフィーヌの戴冠』はルーヴル美術館に所蔵されている。
同じダヴィッド・ジャックが模写したと言う事で同じ物をルーヴル美術館ベルサイユ宮殿二つ描いているのである。
模写はする場合は原本と違える為に一ヶ所を別に異なる点を設けなければならないと定められていた。
その為に今回アップするヴェルサイユ宮殿の戴冠の間に展示されている二作目の『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠』はルーヴル美術館とも大塚美術館と異なるのである。
その違いは最後に。

大塚国際美術館の陶板画の『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠』です。


皇帝ナポレオン1世は自ら戴冠していて、ローマ法王から冠を授かってはいないのである。
ローマ法王の下(もと)に位置する僕(しもべ)ではないとの事である。
ジョゼフィーヌの冠を授けているのが皇帝ナポレオン1世です。


こちらはヴェルサイユ宮殿にて撮影したものですが、この時はコンデジの性能が今ほど良くなかったので、少しボケていますがご容赦のほど。






何処が違っているか分かりましたか。
ルーヴル美術館とヴェルサイユ宮殿に行った時には見比べるのも良いかも。

因みにルーヴル美術館の前まで行きましたが、時間が無くて入りませんでした。
後日、訪問する積りが延び延びになってしまっています。


ルーヴル美術館とベルサイユ宮殿の『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠』の絵画の違いは、ナポレオンの妹でナポレオンお気に入りの妹(ポーリーヌ)が複製ではピンク色のドレスを着用している事です。
次の説明文はウィキペディアからの引用です。
ボナパルト家の女性達。左からナポレオンの妹3人、カロリーヌ(次女、ミュラの妻)、ポーリーヌ(三女)、エリザ(長女)の順。横にナポレオンの養女でルイの妻でもあるオルタンスが6.の子供の手を持ち、その後ろに兄ジョゼフの妻のジュリーが描かれている

是非、フランスに行ったら違いを確認して下さい。
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#282 -’16. レンブラントの夜警、絵画と陶板画

2016年11月01日 21時46分31秒 | 国内旅行
大塚美術館で撮影したレンブラントの夜警の陶板画とアムステルダム国立美術館蔵の絵画です。
今で言う所の写真屋さん、即ち写真工房と言った感じです。
依頼を受けての絵画の作成です。
その為、レンブラント個人の作成と言うよりレンブラント工房が作成したと言うところが正確のようです。
依頼主にOKを得るために、小さな物(それでも30号位の大きさがありそうです。)をにレンブラントが描きその構図で工房での作成だったとの事。

それでも、光と影のレンブラントです。

大塚美術館の説明文を撮影してきましたのでそちらをご覧ください。


大塚美術館のレンブラントの夜警の陶板画です。



ズームアップした物を。


こちらはオランダ・アムステルダムにあるアムステルダム国立美術館のレンブラントの夜警です。






これは30号程度の小さな今で言う所の見本と言えば良いのでしょうか。
でも、これがレンブラント工房と言うよりレンブラント本人の描いたものの様です。


ガイドさんの受け売りです。
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#281 -’16. 瀬戸大橋(北備讃瀬戸大橋)@与島から

2016年11月01日 17時21分49秒 | 国内旅行
四国から瀬戸大橋を渡り本州に戻ります。
瀬戸大橋の眺望を望めることで与島PAにて休憩です。
ここから見える北備讃瀬戸大橋の形式は吊り橋です。
上は専用自動車道の瀬戸中央自動車道で下がJR本四備讃線が通っています。
その巨大さはレンボ―ブリッジやベイブリッジとは桁違いに大きかったです。

それでは与島からの瀬戸大橋の眺望です。










本四備讃線を通過する電車です。
展望台には、列車の通貨の時刻表がありました。












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#276 -’16. ガイナに見送られて

2016年10月28日 22時09分34秒 | 国内旅行
二日目に宿泊した大山レークホテルのマスコット犬です。
名前はガイナです。
フランスとスペインと小さな国アンドラ公国の国境に聳えるビレネー山脈。

個人的にはフランスと言うよりスペインのバスクなどを想い浮かべてしまう。
スペインのと言ったところ、ホテルの方がフランスのピレネー犬と言っていた。
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昨年の紅葉シーズンに大山レークホテルへケネディー米国駐日大使が来られたみたいです。
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#275 -’16. 四国巡礼と中国地方の旅の車窓からの風景(3日目~4日目)

2016年10月28日 13時45分06秒 | 国内旅行
3日目には大山レークサイドホテルを発ち、今回の主目的の2つ目の足立美術館です。
その夜は玉造温泉に宿泊ですから車での移動はノンビリです。
4日目は佳翠苑皆美を発ち境港へ。
ゲゲゲの鬼太郎で童心にかえり、昼食を食べて一路京都に向かった。
楽しかった旅も此処でお別れです。
色々お世話になりました。

新幹線のぞみに乗って東京駅に到着して、最後はタクシーで自宅に戻りました。


大山レークホテルのピレネー犬に見送られての出発です。
向かうは足立美術館へ。
ナビのゴールは足立美術館です。
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大山を下って来ると前に街並と海か湖か、が見えてきました。
道路標識にタイヤチェーンを付ける場所が表示されています。
山陰での数少ないスキー場で有名な大山です。
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前日は暗くなってから大山レークホテルでした。
ですから大山の雄姿は闇夜に来ててしまいました。
後ろを振り返ると、大山です。
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足立美術館の駐車場に到着です。
安来節演芸館がありました。
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#274 -’16. 四国巡礼と中国地方の旅の車窓からの風景(1~2日目)

2016年10月27日 18時03分27秒 | 国内旅行
一日目。
早朝の東京を新幹線で発ち新神戸へ。
待ち合わせ場所は新神戸です。
前回、神戸に来た時は往きも帰りも飛行機でしたが、今回はのぞみです。
のぞみに乗るのは始めてからもしれません。

四国巡礼&大塚国際美術館と中国地方南北縦断の旅です。
助手席の車窓からニコンデジタル一眼にて撮影したものです。


新幹線では富士山側の席で雪の無い表富士の写真を撮る事ができました。
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新神戸に到着です。改札を出ると既に待っていてくれました。
ふた家族の楽しい旅の始まりです。
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明石海峡大橋を渡り淡路島に入ります。
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サービスエリアに入り明石海峡大橋の雄姿を眺めました。
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本線に戻り四国に向かいます。
淡路島を素通りされてしまうのが問題かも。


鳴門大橋を渡り四国巡礼を5ヶ寺に参拝して本日宿泊の徳島へ。
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徳島ですから阿波踊りです。
欄干にも阿波踊りが描かれています。
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二日目
徳島から鳥取の大山へ。

徳島の宿から鳴門に戻り大塚国際美術館で世界の名画(陶磁器の)を鑑賞して本州に戻ります。
瀬戸大橋を越えて大山に向かいます。


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念願の大塚国際美術館です。
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今度は瀬戸大橋です。
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与島PAで瀬戸大橋観光を済ませて本線に。
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本日の宿泊ホテルの大山レークホテルに向かいました。
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