今は花に囲まれて眠っている。
昨年のお彼岸は、折からの強風に飛ばされそうになりながら帰っていった。治療しなければ半年、積極的治療をしても1年と余命宣告を受けた姉が、「1年間生きたぞ。」とカラ元気を見せたけれど、その2ヶ月後には家族に見守られながら息を引き取った。今年は、花の飾られた墓地で眠っております。
息抜きだからと盆正月、お彼岸には必ず我が家にやって来て、返礼に行くからと言うと「大変だから来なくて良い。」と言う…素直な弟は、真に受けて盆暮れの挨拶も失礼しておりましたけれど、今では嫁ぎ先よりもさらに遠い「山寺」まで墓参りに来なければいけない^^;(姉との年齢差を考えると、あの世行きは同じ頃と信じて疑わなかったのだけれど…。)オッカーには、実兄、従兄はいるけれど、姉は居なかったし、我が姉にも妹は居なかったから、いつの間にか仲良くなって連合軍を組むようになり、今ではオッカーとのおデートコースが「墓参り」というのも情けない。
花や線香を手向けたところで、会話できる訳でもないのだが、「1年でワクチン出来たんだよぉ。人類ってすごいねぇ!」なんてブツブツお墓に向かってオッカーが言葉を掛けている。仲が良かったのは、それぞれが医療従事者であり共通の話題があったということもあるのかも知れないなんて思いながら『おやじぃ』は眺めておりましたよ^^;
生きていればこそ…
「もう何も良いことが無いから早くあの世に行きたい。」とボソリと語る近所の婆さん…「死にたいと言っても、飯は食っているだろう!」と悪態をつく『おやじぃ』である。生きていれば苦しみ半分、楽しみ半分である。「死にたい。」なんて口走るのは、「苦しみの方が多い。」と感じているからに違いない。子どもの頃から叩き込まれた「家」の存続ということを考えると、はてさて今後どうなることやらと考えてしまう。しかしである。数十軒ある集落に「家」の後継者が居るのかと眺めてみると、家族が同居して安泰であるなどというご家庭の実に少ないことよ。我が代、次の代までがせいぜいであって、若い衆たちは結婚を機にアパート暮らし、そして別の場所に家を建てている。田舎においてもそんなライフスタイルが定着しつつあるように思えるのである。「バカバカしい。オラが死んだら後は勝手にせい!」と開き直るしかないようでありますなぁ…。
さて、今日は集落の「総会」の日であります。「士若連」に入ればもう一端の男と思っていた『おやじぃ』も、「ムラ長」の役割が近付いておりますよ。この役を終えたら、ホント、「棺箱」一直線の人生だわ^^; 会計監査をしていたら、また宮城県沖で震度5強の地震、そして、お隣の宮城県では新型コロナ新規感染者が125名ですと…一体いつまで続くのだろう?まぁ、生きていればこそである(笑)