「うどの大木」もいざ鎌倉と馳せ参じ…
我が在所、山形県高畠町から山形上山I.C.間の東北中央道が開通(4月13日)し、ようやく山形・福島・宮城3県の県都が高速道で結ばれました。日曜日、久し振りにオッカーにおデートに誘われて、実家である河北町に義父母を見舞うことに…30年前、結婚したての頃は自家用車で片道1時間30分ほどの道のり、山形・東根間が平成14年に開通して、20分程度時間が短縮され、今回の開通でさらに20分ほどの時間短縮となりました。(オッカーの実家まで50分ほどで行けるようになったのであります。)
「高畠!(夢屋農場長の呼び名)俺に何かあった時は一番に駆けつけろ!」とは、義父との約束であります。そう何かあった時までには、この道路の開通はないと思っておりましたので、感慨もひとしおであります。義父母の衰えは、一年を待たずに進み、いつ何があってもおかしくはない状態であります。
さて、『夢屋農場長』は、早朝から用水路の泥上げに参加し、朝仕事に萌芽し始めた「うど」の遮光栽培に取り組んでおります。(日曜日だというのに^^;)段ボール箱ともみ殻を使った簡易な方法でありますが、いわゆる『おばあちゃんの知恵』に少しだけ改良を加えた手法であります。この「うど」も亡くなった祖母が育てていたものが絶えずに残っているものであり、遺産のお陰で活かされているようなものであります。実家からの帰り道、「イモ天(イオンモール天童店)」に立ち寄り、地場産品の価格調査をしながら、山菜の高値に目を着けた『農場長』でありますが、これまた「取らぬ狸の皮算用」となってしまうかはこれからであります。
「鉢の木」は、北条時頼と佐野源左衛門の物語…確か祖母が受けた修身のお話として聞かされた思い出が微かに残っているのでありますが、農業技術も祖母の見よう見まねが基本ベースから抜けていないような気もする。はてさて、世の動きに逆行するような農法で果たして戦いが挑めるものでしょうかねぇ^^;
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