秋の稔りを眺め、哲学するカエルであります。
外は吹雪であります。雪国の定めではありますが新幹線は運休、朝から除雪車はフル稼働…家に帰ってからも排雪作業…低気圧の影響が収まるまでの約3日間、ただ吹雪をやり過ごすのみであります。雪国の人間は忍耐強いと言われますが、自然の猛威に対して抗ったところで敵わないことを知っているだけであって、そこから逃げ出さないのは、必ず暖かい春が来ると信じているからであります。もしも、吹雪が1ヶ月も続く土地柄ならば、さっさとこの地を捨てているかも知れません^^;
さて、12月17日21時現在、北海道東部海上に958hPaの低気圧…今では、リアルタイムで気象情報が取得できますが、こうした情報が得られなかった頃はどのように対応していたのでありましょうか?「高倉健さん」を追悼すべく映画「八甲田山」DVDを『第2サティアン・テラス』で鑑賞しておりますが、当時(1902年1月25日)北海道上川では観測史上最低の△41℃を記録したとか…まさに青森県八甲田山は死の山と化していたに違いありません。
我が『第3次越冬隊』は、全長30m程の『ロイヤルロード』を確保することが毎日の日課となっておりますが、『第2サティアン』にたどり着けば、室内は2℃前後…体感温度△50℃でかつ簡易な装備で猛吹雪の雪山を彷徨うなど想像するにも忍びない情景であります。
お気楽に北海道函館の地ビールを思い出しております。
「日清戦争」における寒冷地での苦戦、それを教訓として「日露戦争」に向けたさらなる厳寒地での冬季訓練・装備研究が行軍の目的であったとされておりますが、こんな気象条件のときは、暖かい部屋で温々としているのが一番でありますよ。がしかし、夜が明ければ出稼ぎに行くために自家用車の雪を払い、家の前の除雪をしなければならないのですが…。
そうそう、小学生の頃は暴風雪による早期帰宅や臨時休校なんてことがありました。出来れば、出稼ぎ先も暴風雪休業なんてものがあれば助かるんですけれど、皆さん何とか出勤しますからねぇ…やっぱり雪国の人間は忍耐強いというか、愚直というか、そんな結論になってしまうのであります。
さすがに、こう寒いとビールもはかどりませんが、天然冷蔵庫(サティアンに放置しておくだけで、充分に冷え冷えのおビールになっておりますし、食料は凍結予防にクーラーボックスに保管しております^^;)で飲み頃サイン…薪ストーブで暖を取りながら、DVDを鑑賞しているなんて、冬の八甲田山とは全く異次元の世界であります。(私のような軽卒は、一番先に斥候として駆り出され、一番先に凍死しているに違いない^^;)
「あ~ここが『第2サティアン』で良かったよかった。」…何の哲学にも成っていない『夢屋国王』の吹雪のやり過ごし方のひとコマであります。