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その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

今一度せんたく…

2023-12-15 07:52:14 | 転職

水路は続くよどこまでも…♪

テレビドラマから「忠臣蔵」が消え、時代劇も大河か再放送という時代でありますが…飯盛山で自刃した「白虎隊士」の墓を詣で、明治維新という時代の流れに想いを馳せながら眠りについたら夢の中で「せんたく」という言葉が浮かびましたよ。
時代の寵児とも言える「坂本龍馬」の名言に「日本を今一度せんたくいたし申候」という「乙女姉」に書き送った手紙がありますが、どうやら、その後に「事にいたすべきとの神願にて候」と続くことから、「龍馬」自身が決意を固めたというよりも「神さま」にお願いした程度のことらしい(笑)
世の中の中枢にいる訳でもなく、作られた「制度」を利用して生きている『おやじぃ』が、今立っているところは、今年のアルバイトの工事現場…末端まで歩測で150mほどあるでしょうか?しかし、制度上の制限(工事費の上限金額)と諸物価高騰の折り、50mしか先に進めない。誰がどう考えたって、一気に事業を完結させたいと思うはずであるけれど、制度がそれを許さない。「お金」が無い訳でもない…隔年で事業を進めなければいけない制度となっているから、上限金額を守っていると完結までに、さらに4年間の歳月が必要になるのでありますよ。「何かがおかしい。」と考えつつ、『頭の良い人』が考える制度には、それなりの理由があると思う。しかし、理由が思い当たらないのでありますよ。「裏金」は自由に使えるが、「表金」は制度に縛られる。魔訶不思議な世界がそこにある(笑)


「白虎隊士」が眺める方向は…

さて、夢にまで出て来た「せんたく」という言葉…「龍馬」の手紙文では「洗濯」と解釈されているようではあるけれど、「選択」という漢字も思い浮かぶ。「制度」に矛盾を感じながらも、天から交付されるお金をありがたいと思い事業を進めている。無ければ前に進めない…交付金を受けない手はないと考えてしまう。大小の違いはあれど、これもまた現政権を支えるありがたい『利得(お金)』なのかも知れないねぇ…。
はてさて、多くの若者たちが犠牲となってしまった「明治維新」も、湧き上がるエネルギーをどこかに(誰かに)ぶつけ、鎮火させる必要があったのかも知れない。1960年代の「安保闘争」もまた、若者たちのエネルギーのはけ口だったのかも知れない。「然るに今の若者たちは…」などと『おやじぃ』は決して口にしたりはしない。上手に「制度」に乗っかって、「目的」が達成できればそれでよしという気持ちにさえなっている。そんな風な『大人』に育ってしまったのでありますよ。今さら『洗濯』したとしても身に染みついた『色』を洗い流すことなど出来ませんが、『選択』することは可能かも…「右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺…」と龍馬の手紙にはある。国会議員を『選択』することは出来ても、しっかり出来上がった『官僚機構』の『洗濯』は出来そうにありませんけれどね(笑)

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かんくらい(方言)

2023-12-14 09:17:04 | 転職

塩ありませんかぁ~?

スクランブルエッグにフレンチトースト…たまには『シティジジィ』のような朝食もよろしい^^;
がしか~し、スクランブルエッグにはトマトケチャップではなく「塩」が欲しい…残念ながら、テーブルには塩も胡椒もなく、店員さんにお願いするのも気恥ずかしい。まぁまぁ、トーストだから良いけれど、これがご飯だったなら、迷わず「塩」か「醤油」をかけているところである。子どもの頃からの習慣で、身体は塩分を欲している…というか、ご飯を食べるための「塩味」であり、甘い玉子焼きは『おかず』にはならないのでありますよ。『しょっぱい(塩辛い)』味付けのモノに、さらに「醤油」をかけ回す…我が在所では『かんくらい』(塩味だけではなく、辛いものを大量に振りかけて食す者にも使われる。)という方言がありますが、60年間培った食生活は、『おやじぃ』の身体を『かんくらい』の体質に育て上げてくれているのでありますよ(笑)
はて、『かんくらい』の『くらい』は「喰らう」を当てたとして、『かん』とは一体何だろう?「勘」「疳」「感」etc.と「かん」と読む漢字は様々あれど、どうもしっくりこない。『肝・胆(キモ)』といった『苦いモノ』とも考えられるけれど不思議な表現ではある。一般の方からすれば十分『かんくらい』の『おやじぃ』が、さらなる『しょっぱかん』に対して『かんくらい』と言ってのけるのだから際限のないお話ではある^^;


「飯森山」から会津市内を臨む…

さて、自刃した白虎隊士が「お城が燃えている。」と誤認したというお話は、後日の伝聞や創作という説もあるようだ。武士の心の拠り所となる「お城(殿)」が落城するとなれば、戦う意欲も萎えてしまうに違いない。しかし、令和の世になって、「信頼回復のために火の玉となって取り組む。」と語った総理大臣がいらっしゃる。「火の玉」…「激しく闘志を燃やすようすのたとえ」ともされるけれど、『おやじぃ』には大戦中の『進め一億総火の玉だ』という大政翼賛会のスローガンにも思え、闘志よりも『玉砕』への道を突き進む時代錯誤の香りを感じてしまうんだなぁ(笑)
はてさて、「インボイス制度」をよくよく考えてみたら、「免税事業者(売上1,000万円未満)」は納税義務を免れたと好意的に感じていたのだけれど、「中間事業者(課税事業者)」が「免税事業者」からの仕入れ消費税相当分を控除できない分、「中間事業者」が「免税事業者」の分も立て替えて支払うシステムになったのだと今頃になって気付いた次第であります。さすが、『頭の良い人』たちの考えることは凡人とは違っている。「青菜に塩」というたとえもあるけれど、水分(税)が出切るまで『塩(制度)』を振りかけられるに違いない。この場合は『かんくらい』ではなくて『感狂い』が妥当だと思った『おやじぃ』でありますけれどね(笑)

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愛しき日々…

2023-12-13 09:40:36 | 転職

墓前に立ったのは50年ぶりです…

『愛しき日々』は1986年の年末時代劇「白虎隊」の主題歌として使用された小椋佳作詞、堀内孝雄作曲の楽曲であります。会津若松市でのアルバイトは、出発直前にお届け先の地図を渡され、目標物をカーナビに入力したら約2時間の行程が示されました…約束のお時間に間に合わない。(それでも頭の中では1時間半で到着できると踏んでいる…遅延は詫びるしかありませんなぁ^^;)ほぼほぼ約束の時間に到着し、『喜多方ラーメンの旅』と決め込んでいたのだけれど、さすがに『朝ら~』は…軽い朝食を取って、子どもの頃に家族旅行で訪れた「飯森山」に登ってみたのでありますよ。
会津若松市東部の「飯森山」は、白虎隊士19名(一説では6名)の自刃の地として有名でありますが、子どもの頃の感慨が、長男『ポン太郎君』にどう伝わるかなどと考えましてねぇ…。急な石段脇には「スロープコンベアー(動く歩道)」がありまして、記憶と一致しているのでありますが、隊士たちの墓が、鶴ヶ城を臨む形で建てられていたような記憶が違っておりました。杉木立で「お城が見えない。」という記憶は、今では眺望のきく一般墓地となっておりましたけれど…。
子どもの頃には気付かなかった参道の「殺身以成仁」という碑文を見つけ、まずはそれに噛みついている^^; 「少年たちの死を美化してはいけない。」なんてねぇ…。「お城が燃えている。」(これまた創作の可能性もあるようだ。)子どもたちの誤認…むしろ、大人たちの「誤った判断」が少年たちの悲劇を生んだと『おやじぃ』は考えるのでありますが…。


『喜多方ラーメンの旅』は地元飯に…

さて、『城を枕に自刃する。』という考え方を、今の世となって批判したところで始まらない。『短慮軽率』とも違う、わずか15、6歳の少年たちは、戦い(敗戦)に心底疲れ果ててしまったのではないかと『おやじぃ』は思うのであります。だからこそ「殺身以成仁」という碑文に噛みついている。大人たちの都合によって、歴史を書き替える…こうした考え方は、先の大戦まで引き継がれているような気がしてならないのでありますよ。
はてさて、『おやじぃ』の独りよがりの歴史観は別にして、「腹が減っては戦ができぬ。」とばかりに、昼食を探す旅に変わるのでありますが、トラックを返却する必要もあって『地元飯』となってしまいました。学生時代に会津出身の教官から「米沢は会津を裏切った。」とからかわれておりましたが、米沢藩も「奥羽越列藩同盟」により、下越あたりで闘ったことは事実のようであります。(1868年9月には降伏してしまったようではあるけれど…。)『おやじぃ』もまた、あっさりと『喜多方ラーメン』を裏切り、慣れ親しんだ『米沢ラーメン』に寝返ってしまいましたけれど…。人は、その時々の『都合』によって生きている。会津日進館の「ならぬものは ならぬものです。」という教えを素直に受け入れていた少年時代の『愛しき日々』は、どこへいってしまったのかと思うことしきりでありますが(笑)

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当て所のない旅…

2023-12-12 05:54:05 | 転職

米沢市堂森の「前田慶次郎」供養塔だが…

漫画本で有名になった「前田慶次郎利益」は、上杉景勝が越後から会津に移封となった頃に仕官したと伝えられているようですが、どうも史料が少なく、逸話による人物像が先行しているようです。したがって、晩年は、大和国(奈良県)で亡くなったという説や会津、米沢で亡くなったといった具合に諸説あるようですなぁ。
主君を持たない『おやじぃ』は、仮初めの『主君』より「会津若松市に行け。」と下知を受けているのだけれど、出発1時間前の今もお届け先が分からない^^; 『浪々の身』ゆえ、行けと言われれば素直に従いますが、行き先が分からないというのも困りものであります。「敵は本能寺にあり!」などと突然方針変更を告げられても困りますが、取り敢えず『南』に向かうことにしますか(笑)
「大ふへんもの」という旗指物で上杉軍に参戦した「前田慶次郎」の逸話も有名ではあるけれど、これを洒落て『大武辺者』と解釈するか『大不便者』と解釈するかは別にして、はてさて、困った…ここは何処?私は誰?と、また『当て所のない旅』になりそうでありますよ。


お皿には何を盛ってくれるのか…

さて、「武士は食わねど高楊枝」などと武士の高潔さを固持する生き様もありますが、「食い詰め浪人」とも言いますから、やはり食っていけなければ『やさぐれて』しまう。国会議員に世襲議員が多いのも、俗に言う「地盤」「看板」もさることながら『鞄(お金)』という魅力がついて回るからと言えなくもない。今さら『高潔さ』など求めているフシもなく、『旨み』があるのは当然と内心思っているところもある。ほどほどの『旨み』ならば、これを許そうじゃないかなどと『大人』の気構えを見せなければいけないのかも知れない。
はてさて、『旨み』の部分を議員だけと思えば癪にもさわるけれど、『献金(パー券)』をする方もまた、お付き合いすることで何らかの『旨み』を期待している部分もあるはずである。『旨み』を独り占めしたり、『お返し』が一部に偏ってはいけないから、収支を明らかにしておかなければいけないのだろうけれど、『旨み』は隠さないと『旨み』にならないようである。今朝の『おやじぃ』は『当て所のない旅』に出掛け、裏金も『当て所のない旅』に出掛けるのでありましょうか?『当て所のない旅』に出掛けたお金の話を聞いたことがない…どこかで使われているはずではありますが、今まで使われ方が明らかにされたことがないんだよなぁ(笑)

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頭が悪いねぇ…

2023-12-11 09:59:17 | 転職

「がりがり」って「我利我利」だった^^;

「ハレ」の日に餅をつく…農耕文化のひとつかも知れないけれど、今では農家戸数も減少し、田舎でさえ自宅で餅をつくということが少なくなったような気がします。地元集落神社の「年越祭」…かつては35歳までの男子が担っていたのだけれど、いつの頃からか集落役員の仕事となり、そして、コロナ禍により「振る舞い餅」も中止されてしまいました。時を同じくして、『祭り事』を支えきれなくなった年代が集落役員を務める年代となり、無理して再開することも可能ではあったけれど、『次』を担う役員の肩の荷を軽くしてあげるためにも…『おやじぃ』は、「振る舞い餅」を止めることを決断した。
「誰それの代で無くなった。」と言われるよりは、「コロナ禍で飲食行事は中止した。」と言っていた方が気楽である。『おやじぃ』の手で丸めた『取り餅』よりも、市販の小さな鏡餅を配った方が衛生的でもある。こうして『やらないための理由』はいくつでも考えつくのだけれど、『再開するための理由』を探し出すのは難しい…こうして『楽』な方向へと流されていくのでありますよ^^;
一年の無事安全に感謝し、神酒、神饌を『神さま』と共にして、新たな年もまた良い年であることを願う…『宗教色』は排除して、「無事安全に感謝する。」という本質さえ残れば良いじゃ~ないの。その内、「年越祭」自体が煩わしいと思い始める時代が来たりしてねぇ(笑)


敢えて『御本尊』はUpしない^^;

さて、『御神体』か否かは別にして、いつの時代のモノかは別にして、本殿内に「弁財天座像」が鎮座していることは『おやじぃ』も確認し、画像として残しました。(良からぬ輩が現れないように、敢えて画像はUpいたしません^^;)神々(光々)しいはずの社殿内は薄暗く、役員すらも本殿内に「座像」があったかどうかも定かではない記憶…神々しいモノだから、直視したり、画像に残すなどと言うことは『罰当たり』の所業かも知れないねぇ…「うわさ」を打ち消すには証拠も必要だから(笑)
はてさて、そんな神々しいはずの神社の「お賽銭」は僅かであり、これで維持することなど到底叶わないのでありますが、世の中、『キックバック』という集金システムがあることを知る。渦中の某議員は、事前に準備したコピーを読み上げ、再度質問する記者に「頭悪いねぇ。」と発言したとか…『おやじぃ』が期待しているのは、国民を唸らせる、流行語大賞にもノミネートされそうな『お言葉』を待っているのでありますが…いや待て、『頭悪いねぇ。』がノミネートされたりして^^;
『神さま』に願いが叶うようにとお賽銭(浄財)をあげ、『議員さま』に願いが叶うようにと献金(浄財)をあげる…どちらも非課税である。『意識、無意識に関わらず政治資金収支報告書に記載漏れをした議員は直ちに失職となる。』などという条文が加えられたなら、決して手を染めようとは思わないだろうけれど。そんなこと考える『おやじぃ』が『頭悪いねぇ』と言われるわなぁ(笑)

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〇✕のやったこと^^;

2023-12-10 07:43:36 | 転職

上手に隠れ(隠さな)ければ…

電動機械を使っていて、やはり怖いのは「キックバック」…硬いモノにぶつかって、反動ではね返ることであり、むき出しの「刃」が操作者側に飛んでくれば大ケガにもつながりますなぁ…。売上割戻金である『キックバック』も、硬いモノ(正直な人)にぶつかるとはね返ってくるようであり、身に危険が及ぶようである。(いや、割戻金に期待して販促効果が上がれば良し、利得として隠してしまうところがいけないのである^^;)
大物は、決して我が身に災いが起こらないように上手にお金を捌き、いつか大物を夢見る中物(失礼^^;)は、隠し方にあの手この手で右往左往し、小物はそのおこぼれを期待する。「政治資金パーティー収入の一部キックバック問題」…『おやじぃ』は、『中物』たちの答弁に期待しているのでありますよ。かつて流行した「記憶にございません。」…高々この5年間さえ遡れないのかと記憶力を疑われるし、「秘書が勝手にやったこと。」と言えば、今の世の中、自らのガバナンス能力の欠如を露呈することになる。「捜査に影響をあたえてはいけない。」…なるほど、自らの責任には言及せず、他者を慮る配慮が伝わって来る。(なんてことはない。話題を他者にすり替えているだけである^^;)『流行語大賞』にノミネートされるような『キラーフレーズ』が見つからないのかも知れない。「日頃から身を粉にして売上に貢献してくれた私設秘書たちの『モチ代』としたので、遡って正しく申告させます。」なんてぇこともないか…どなたかのセンスのある言葉に期待しております(笑)


食っちまったものは仕方がない…

さて、盗んだお金で奢られたとしても、罪とはならないようである。正当な「政治資金パーティー」で得た収入であるから、正当な手続きを踏んでさえいれば、何も恐れることはないはずなのだけれど、何故か政治資金収支報告書への『記載漏れ』が生じてしまうんだよなぁ…。よく「政治にはお金が掛かる。」と言うけれど、掛かるならかかるなりに記載すれば良い。つまりは書けない『大人の都合』というものがあるに違いない^^;
はてさて、『政治の世界の大物』というものは、見事なお金の捌き方をするはずである。『大物』を目指す『中物・小物』は、それこそ『大物』の捌き方というものを見習えば良いのではないかなんてねぇ…もしも、均等に全国民に『モチ代』として配られたなら誰も文句は言わないはずである。もしかして、『不正である』と騒ぎ立てているのではなく、『不平等である』と文句を言っていたりしてねぇ…コタツの中で、ぬくぬくと暖を取る我が家の『さくらさん♀』ではあるけれど、尻尾だけが外に出ているのよねぇ。尻尾もまた『我が身』ではあるはずだから、上手に隠さないと…「尻尾を隠しなさい。」と優しくコタツに入れてやる『おやじぃ』ではない。お前さんがそこに居るから『おやじぃ』がコタツに入れないのだよ。しかし、彼女は得たポジションを『おやじぃ』に譲ってくれたりしないのだよ(笑)

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うわさの真相…

2023-12-09 09:59:31 | 転職

確かにそんな名前の雑誌もありました^^;

「人の噂も七十五日」などと申しますが、「うわさ話」のその実は、見ても聞いてもいない人が広めてくれることが厄介な点であります。多くの場合、「ポジティブ(良いこと)」なうわさは拡がらず、「ネガティブ(悪いこと)」で無責任なうわさは広まるような気がしますけれどねぇ…。
例えば、画像の一杯のラーメン…『おやじぃ』が美味いと絶賛しても拡がらないが、不味いと言った途端に『あのお店のラーメン(全体)が不味い』というイメージを与えてしまい、食べてもいないのに「不味い」という風聞が広がってしまうような気がする。それは『おやじぃ』の口に合わなかっただけであり、美味しいと感じる方もいらっしゃるはずである。(誤解を生まないために、この塩バターラーメンは美味しかったですよ…『おやじぃ』の主観ではあるが^^;)
「悪いうわさ話」に飛びつくのは、自分に類が及ばないと高を括っているからであり、自分の身に降りかかる火の粉であれば、必死に打ち消しにかかるはずである。ところがギッチョンチョン、必死に打ち消す形相、姿が可笑しいと、また「うわさ話」に拍車が掛かる。人々が話題に飽きてしまうまで、七十五日(ひとつの節)をじっと静観しなさいという教えなのかも知れないけれど、一度刷り込まれてしまったイメージは中々払拭できないものでありますよ(笑)


「幽霊の正体見たり…」

さて、廃屋となってしまった元神官のご自宅から、『集落神社の御神体が出て来た。』…これまた勝手な解釈と「うわさ話」である。ことの真偽を確認するために『おやじぃ調査隊』は、実物を検分に出掛けたのでありますが…。出て来たのは木箱と中に納められた『木の祠』(敢えて画像は公開しません^^;)「神祇伯(しんぎはく)」…神祇(神職)の長官。「資延王(『すけのぶおう』と読むのだろうか?)」…1785年から1819年に「神祇伯」を再任した実在の人物のようである。「勧遷之」…分霊したもの。と解釈できるから、どこぞのご本尊から一旦分霊し、我が集落神社「市杵島姫命(イチキシマヒメ)」を祀るために使われた『モノ』と推測できる。『モノ』と表現するのも、神式的には、本尊が神社に「鎮座」していただき、これからは『昇神』していただいているはずだから、その後は、一時の『道具』『モノ』であるという『おやじぃ』の勝手な解釈である。
はてさて、これを貴重な品物と考えるか否かは、個人の宗教観によるところが大きいからコメントのしようがありませんけれど、郷土の歴史を語る上では貴重な史料ではある…事実、神社の来歴と「資延王」の再任期間は一致しているのだから。そもそも、「市杵島姫」が何故「弁財天」になるんだ?日本書記にも出て来る女神ではあるけれど、仏教の隆盛後、『神仏習合』の結果のようでもある。無責任な『うわさ話』も誰かを傷付けたり、足を引っ張ったりするものでは無かったから良しとしよう…『おやじぃ』一人が、一日半の『ひまだれ(時間の浪費)』した程度だから。まぁまぁ、雑学ネタがまたひとつ増えたことをありがたいと思うことにいたしますよ(笑)

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『秋止符』…遺言

2023-12-08 08:54:05 | 転職

15年間がんばってはみたものの…

『秋止符』は1979年アリスの楽曲。果たして『あの夏』の二人に何が起こったのかは知る由もないのですが…作詞した谷村新司さんも今年10月に亡くなりました。
我が親父も亡くなってから15年目の冬を迎えようとしております。普段の父子はさほど会話を交わさないものであるけれど、亡くなる前の2週間ほどは病室で、あれこれと会話しました。(病状的には回復できる状態だったのだけれど、今では自分の死期を悟ったのではないかと思っている。そして、別の病気で突然この世を去ってしまったのでありますが…。)硬いペーパータオルに書いた覚書と交わした会話が親父の遺言になってしまいましたけれどね。
そんな親父の『遺言』は、ひとつ一つ片づけてきましたけれど、最後に残ったのが『ヒバの木の頭』…伐れとのことであり、その時はさほどの労力でもなかったはずなのですが、地上から眺める庭と仏間から眺める庭の景色が違い、意外とその高さでバランスが取れていると感じたのでありますよ。しかし、『おやじぃ』も身のこなしが怪しくなって来ましてねぇ…遂に、昨日落としてしまいました。これで親父と交わした『遺言』の数々は終わりかなと思っている。
既に親父を乗り越えたと思い込んでいる『おやじぃ』ではありますが、ふと、親父の残した『手紙』をなぞりながら生きてきたのではないかと思い、アリスの『秋止符』を思い出した次第であります(笑)


12月…後片付けの車両で渋滞^^;

さて、突然、降って湧いたような集落神社の『御神体』問題…亡くなった親父からは、「長さ三尺の絵巻物と十六童子を祀っていた。」と聞かされていたのだけれど、元宮司宅から「弁財天座像」が出て来たとのお話に尾ひれがついて、これが『御神体』に違いないと勝手に話を『盛って』くれた方が居る。火消し役の『おやじぃ』は、改めて社殿の中を確認し、『御神体』か否かは別にして、『弁財天像』が鎮座していることを確認しましてねぇ…『御神体派』の説得材料を探すのに一日掛かり。信仰心のあつい方(古老)を納得させるために余計な仕事が増えてしまいましたよ^^;
はてさて、「仏さま」や「神さま」と言うものは、良い方向へ解釈すればよいのだけれど、得てして、『不幸』な出来事が起こると『無沙汰にしたから』とか『余計なモノを持ち込んだから』と負の方向へ意味づけしてしまう方がいらっしゃる。色々な信仰を持つ人々が暮らす集落において、神社仏閣がある場合は…「信仰のための存在ではなく、集落和合の象徴と考える。」そんなことを亡き親父が語っていたことを思い出す。「和」を重んずるべきところを、それ自体が諍い(いさかい)の原因になっては本末転倒…これまた亡き親父からの『遺言』のひとつかも知れない。『なぞり書きで生きているおやじぃ』が、果たして「終止符」を打てるのか…今朝も文字遊びで終わりとしますか(笑)

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かかあ天下とからっ風…

2023-12-07 07:34:52 | 転職

上州名物、牛定食の『からっ皿』ってね^^;

渋川市の伊香保温泉は、勤め人時代に一度訪れているのだけれど、バスの後部座席で酔い潰れ憶えていない。(実に情けなや^^;)と言いますか、当時は東北自動車道と関越自動車道が「北関東道路」で接続していなかったから、足利、桐生、伊勢崎と一般道を延々走り続け、途中に観光地を挟むものだから一日掛けての移動でした。(バスの中で飲んでいるしかなかったと言い訳だけはしておこう。)前日に荷物を積み込み、量と重さは把握していたから、二人一組でエッチラホッチラ運ぶしかないと覚悟決めていたのだけれど、大工さんのお手伝いと『台車』の活躍で、想定2時間の作業時間が1時間で終了できましたよ。三食運転付きのアルバイトが、二食休憩付きの仕事に変ったことから、お昼は名物「上州牛」の牛定食…お肉はどこへ?そりゃ~あなた、『上州名物、かかあ天下とからっ風』で有名な場所でありますから、お肉はあっという間に『からっ皿』でありますよ(笑)
今回もまた石段で有名な温泉街や所縁の「竹下夢二記念館」を見逃しております。汗をかいたのに、温泉に浸かれてもいない。雪の谷川岳から吹き降ろす一陣の風のように、労働者諸君は、伊香保温泉を後にしたのでありますが…。(次の機会があれば、友人『ノロ社長』にも、武芸上達の秘湯があるとウソをついて、温泉に浸かることを進言しよう^^;)


ふと気づいた…山が茶色^^;

さて、何気なく見過ごしてしまいそうですが、山が茶色い…そんなこと冬なのだから当たり前。そうじゃない。日常的に見慣れた山々は、杉の緑、カエデの赤や黄色が混じるのである。つまりは、植林はされずに、クヌギやコナラの山なんだよなぁなんて思った次第。違和感といったものでもありませんが、昆虫たちの『楽園』であろうなどと思った次第であります。そう言えば、『上州名物のかかあ天下』…『かかあ』にとっての『楽園』なのかと考えてみた(笑)
はてさて、「上州(群馬県)は養蚕・絹織が盛んであったから、必然的に女性の方が経済力では上であった。」という説があるようだ。ましてや一般的には亭主を尻に敷く『かかあ』をイメージしてしまうのだけれど、「家のかかあは、天下一の働き者」という本来は誉め言葉のようである。決して女性の『楽園』ではなさそうでありますよ。一般的には『亭主関白』を装ってみても、その実は、オッカーが決定権を握っており、自由気ままに見える夫は、その手のひらの上で体よく転がされているような気もするが…。(むしろ、その方が上手くいくとも思えるし^^;)早朝から運転し、せっせと献上品のお土産を買い込んで、お財布の中は『からっ風』…どこかへ飛んで行かない程度に、タコ糸で操られる『凧オヤジ』のような気がしてまいりましたぞ(笑)

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『じじぃ』もおだてりゃ…

2023-12-06 07:00:00 | 転職

「豚も煽てりゃ木に登る」とは言え…

独り暮らしの老婦人宅で、「杉の高枝切りをしてくれる業者さんを知らないか?」と尋ねられたのだけれど、「今どき高所作業車を借り出し、職人さんを頼んだら数万円の請求になるだろう。」とお応えした。4年程前に一連梯子で届く範囲を『おやじぃ』が伐ってあげたのだけれど、もう届かない。シルバー人材センターに問い合わせたら、高所作業は受け入れていないとの回答だったとのこと。「義を見てせざるは勇なきなり。」と手が届く範囲ならと請け負ってはみたものの…一連梯子では届かず、二連梯子にしがみつきながら作業した結果でありますよ。『おやじぃ』だって、シルバー人材センターに登録できる年齢なのだから、この場合の『勇』は『蛮勇』というヤツでありますよ。「次はやらないよ。」と言いつつ、次に頼まれる時は、依頼者はあの世とやらに行っているかも知れない。『おやじぃ』とて、身体が利かないのであるから登ることはないだろう。しかし『おバカと煙は何とやら』…「恐い」と思っている内はケガはしないなどとも思っている。(もう、止めとけ止めとけ^^;)


お昼は奮発して…

さて、「山羊」と書いて「やぎ」と読む。(何を今さら^^;)「マウンテンゴート(シロイワヤギ)」という急峻な崖を登るヤギがいて、コヤツの蹄の底は登山靴のように岩をしっかり捉えることができるらしい。一方、同じ鯨偶蹄目の「ブタ」はおだてたところで木に登ったところを見たことがない。恐らくご先祖さまは、木に登る必要を感じなかったに違いない。木に登りたくなくても登っている『おやじぃ』の場合は、今日もおだてられ、明日は伊香保温泉まで運転手を務めることになりましたよ。褒めて伸ばすか、おだてて利用するかは別にして、「お金」のためなら法に触れない程度に何でもいたしましょう。登る必要のない『ブタ』と、登りたくなくても登らなければいけない『おやじぃ』…ミンチにならない程度に無理します。話題作りのために安全に心掛けて行ってまいりますよ(笑)

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