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その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

まちがいさがし…

2023-11-25 10:41:17 | 転職

秋田県では「ザッパ汁」というらしい^^;

我が親父は「さんぱ汁」と言っていた。恐らく漢字に直すと『残端汁』というところに落ち着くと思うのだけれど、検索しても『残端』という言葉は出て来ない。『残飯汁』では恐ろしく、寿司店や小料理屋で「アラ汁」として提供されればオシャレではある^^;
子どもの頃は、「血合い」も含めて煮込んでいたような気がするから生臭く、お子ちゃまの口には合わなかったのだけれど、下処理をして煮込めば良い出汁が出て美味しい。昔「ネコちゃんに食べさせるの…。」と言って買い求めた主婦と「これ煮込むと美味しいんですってね。」と言って買い求めた主婦のお話があったような気がする。猫のエサを人間が食べているのか、本当は煮込んで食べるのに、『残端(アラ)』を買い求めることに恥じらいを感じて『猫のエサ』と言ったのかは分からない。昔は『貧乏臭く』感じたお料理も、一旦『市民権』を獲得するとお品書きにも登場するから不思議である。元々、『食』というものは、命をつなぐために貪欲なものだったに違いない。むしろ「ネコちゃん」の方が、小骨もない『フード』を食べさせられているのだから、立場が逆転しているような気もするが…。まぁまぁ、骨にこびりついた肉まで食べ尽くすのだから、『フードロス』に対抗するには至高の料理ではある。ちなみに「ふかひれ」は、その物を利用するために取られるから『アラ』とは呼ばないようである。あはは、お金になるかどうかで評価が変わる(笑)


赤い実も食べたぁ~♪

さて、今朝のお題の『まちがいさがし』…2019年に米津玄師さんの作詞作曲で、菅田将暉さんがリリースした楽曲のようである。『間違い探し』というゲームパズルは、微妙な絵の違いを見つけ出すゲームではあるけれど、脳トレにはすこぶる良いらしい。いずれにせよ『まちがいさがし』の旅を続けたところで、何が『正解』で何が『間違い』だったのかなんて分かるはずもなく、自分自身が『正解』だったと思い込むことで、自分自身を納得させているような気もするけれど…。
はてさて、『まちがいさがし』に似た言葉で『粗探し』という言葉がある。(「アラ汁」の話題から「粗」を強引に引っ張り出すところが素晴らしい^^;)「他人の失敗や欠点をことさらに探し出すこと。」の意味ではあるけれど、人にはそれぞれ『アラ(粗)』があるもので、これを捨て去るか美味しく調理して食べるかは、これまた利用する方によって様々なようでありますよ。「ふかひれ」のヒレが高級料理に使われるから『アラ』とは呼ばないように、高級食材に変わる『粗』は、美味しく調理すると『スクープ』という高級ネタになるらしい。本来は『ネコちゃんのエサ』程度のネタを、人格まで傷つけるような記事に仕上げてしまうのも如何なものか…散々もてはやしてから、一気に下げる得意技。良い部分に目を向け、捨て去る部分は飲み込んでしまうのも『大人の対応』だと思うのだけれど、お金になりそうな話題には飛びついてしまうのよねぇ…ネコは見向きもしないと思うけれど(笑)

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「ろうろう」とは…

2023-11-24 09:18:04 | 転職

「サンシュユ」の実も色付いて…

仕事部屋に閉じこもってアルバイト作業をしていたら、窓際に「シジュウカラ」の訪問を受けました。「シジュウカラ」は留鳥であり、雑食性とのことだから居てもおかしくはない。『おやじぃ』は、虫を中心に食べていると信じ切っていたから、「雪も降るから、そろそろ雪の無い南へと行った方が良いのではないかい。」などと窓越しに余計な心配をしております。最近は、『優しい心』というよりは、小動物を見ていると子や孫を見るような目線になってしまったような気がする。それぞれが『生業』を立てて生きているのだから、年寄りのやはり余計なお世話ではある^^;
そんな『おやじぃ』の夢に『ろうろう』という四文字が出て来た。①「朗々」…音声が澄んでよく通るさま。(子どもの頃の声は響くものである^^;)②「浪々」…さまよい歩くこと。(人生の意味を考える日々もあったっけ^^;)③「朧朧」…おぼろにかすんださま。(最近は、記憶もかすみがち^^;)④「老々」…非常に年老いたさま。(まだ、この域に達する訳にはいかない^^;)と、漢字に直して並べ替えてみたら人生のようにも思えて来た…。英語に直せば「Row! and Row!」…漕げや漕げといったところですかねぇ。幸せという『船着き場』を目指して生きてきて、振り返ってみたら、そこは『三途の川』だったりして(笑)


そろそろ、外仕事も辛いわ…

さて、「日中、人が居ない。」と会議等で繰り返し訴えても、現職で勤めている方にはピンとこないのかも知れない。日中(夜勤であっても)勤めてさえいれば、自分たちよりは若い世代との交流がある訳だから致し方ないのかも知れない。この5年間を振り返っても、お茶飲み友だちを訪れる年寄りたちの姿さえめっきり減ってしまいましたよ。子どもたちは、幼稚園、小学校へと消え、外遊びする姿を見掛けない。中学生は町内1ヶ所の中学校へ通い通学する姿を見掛けるのは朝と夕方だけである。年寄りたちさえ、デーサービスに通い、家に残っているのは自営業者か、少々動けるけれど足(交通手段)のないお年寄りばかり…「防災」などと言われましても、日中に動ける人が居ないのでありますけれどねぇ…。
はてさて、コロナ禍を何とか乗り切り、『以前の日常を』という掛け声は耳にするのだけれど、この5年間で、『やらなければいけないこと。』と『やらなくても済ませられること。』の別が切り分けられるようになった気もする。『しきたり』や『行事』などというものは、その最たるモノではなかろうか?鬱陶しいモノは切り捨てる…これはこれで『便利』ではある。個人や家族の生活を守ることで精一杯なのだから、それはそれで仕方のない時の流れなのかも知れない。「シジュウカラ」の食べ物を心配している余裕などありましたっけ?『田舎街は始終空』ではオチにならないけれど、行きつく先は『ろうろう(朧朧)』と見えてくる気がするのでありますけれどねぇ…笑えない。

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白い蝶のサンバ…

2023-11-23 10:09:16 | 転職

愛と美と豊穣の女神「アフロディテ」…

「あなたに抱かれて わたしは蝶になる~♪」…1970年1月に発売された森山加代子さんの曲の一節をご存じならば、あなたはそれなりのお年頃に違いない(笑)
「コチョウラン」を花を見ながら、「胡蝶」にまつわるお話はないかと検索していたら「胡蝶の夢」という「荘子」の故事がありましたよ。「私(荘子)が蝶の夢を見たのか、蝶が私(荘子)の夢を見ているのか?」…『おやじぃ』が口にすれば、途端に『錯乱』したかと勘違いされだろうけれど、そこはさすがに「荘子」である。「生と死」「大と小」「美と醜」etc.の区別は人間の「知」が生み出した結果であり、見せかけの世界であると喝破するのでありますが…。
しかしである「コチョウラン」の学名P.aphrodite はギリシャ神話に登場する「愛と美と豊穣」の女神アフロディテに由来するらしい。洋の東西を問わず「美」への憧れや関心は高く、花にまで女神を持ち出す始末でありますよ。一方、「ヘクソカズラ」「バッコヤナギ」etc.とご本人の意思とは関係なく『不名誉』な和名をつけられてしまった植物もある。「名前」もまた、この世の仮初めのものであると達観できれば良いのだけれど、一生付きまとうものであり、植物の場合は『子々孫々』まで、その名が引き継がれると思えば『憐れ』と感じてしまうのでありますよ(笑)


今夜も慰労の晩酌会…

さて、集落神社の『御神体』騒ぎ…『おやじぃ』からすれば、「そんな偶像崇拝は止めなはれ。」と一蹴したいところだけれど、『集落の長』とすれば、それぞれの意見は聞くべきだとも思っている。問題なのは『他人からの伝聞』に自分の意見を添えてお話をされる方…実物を見ていないのでありますよ。さすが、アイドル(idol:偶像)…その人や物の本当の姿を知らないのに、勝手にイメージを創り上げてしまう。これもまた『仮初め』のモノに違いないはずなのだけれど…。
はてさて、「白い蝶のサンバ」…題名もさることながら、お子ちゃまの『おやじぃ』には、歌詞の意味がよく分からなかった。(今でも分かっていないかも^^; 愛され弾む女心…作詞は、男の阿久悠さんだもの。)『白い蝶』も『白い蛾』も分類学上は同じ鱗翅目であり、『区別』はつけないのだけれど、接客業の場合は『夜の蝶』などとも表現するから、日中に飛び回る『蝶』には華やかさ、美しさをイメージしているフシもある。吸密するために『花(男)』から『花(男)』へと渡り歩いたとしても、いつかは『花(私)』に来てくれるものと期待しているフシもある。いや、居たいた一か所に居座る『蝶』が…11月22日は「いい夫婦の日」であるから、今日だけは『蝶』とお呼びすることにいたしましょう(笑)

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宝物と『たからもの』

2023-11-22 09:43:06 | 転職

「生活道路」ではありませんが…使う^^;

個人が開設する「米沢方言集」には出て来ない方言に『たからもの』がある。親が子どもに対して使うのだから『宝物(者)』と思いたいのだけれど、大人が子どもに対して𠮟りつけるときに発する言葉だから、『我が愛しき息子よ』と愛情表現している訳ではなく、反対に『無能、道楽、怠け者』と罵っているのでありますよ(笑) 宮城県史や宮城県南地方の方言として掲載があるようだから「伊達家」にちなむ方言なのかも知れない。なぜ『たからもの』が『怠け者』となるのかは分からない。自慢気に飾る『宝物』は、処分すれば「お金」になるかも知れないけれど、手放す訳にもいかず、結局のところ実生活には役に立たないということかしらなどと勝手に解釈しております。
そうそう、JR東日本より『赤字路線』が公表されまして、山形県関連では羽越本線(鶴岡-村上区間)の約49億円を筆頭に、5路線7区間で総額113億円超の赤字のようであります。これに工事不通の陸羽西線と災害不通の米坂線が加わるはずだから、小さな市の一般会計予算を上回るような勢いでありますよ。生活者目線からすれば、地方には無くてはならない『宝物』ではあるけれど、経営陣や利用しない方からすれば『たからもの』的存在かも知れない。「廃線」などという問題が提起されれば、地元では大騒ぎになるかも知れないけれど、赤字額を示されただけでは「へぇ~。」くらいでスルーしてしまう。『地元の大切な足ですから…』などと言っても、その実は利用していないのである。


『お宝』が出て来ましたけれど…

さて、神職だった『安山先生』が亡くなり、その後継者もお亡くなりになって空き家となった家屋…遠方に暮らす関係者は、処分して欲しいとのご意向とお聞きしておりますが。あらまぁ、町の文化財担当者と地元有志が調査をしたら、我が集落にも所縁のありそうな仏像etc.が出て来たようである。「弁財天のご神体かも知れない。地元神社で引き受けられないか?」などと急な話が持ち上がりまして、また聞き情報では埒があかないと当の町担当者に確認してみたら、民俗資料として町で寄贈を受ける予定との返答でありましたよ。(良かったよかった^^;)
はてさて、貴重な『財産』ではあるかも知れないけれど、引き受けるとなれば『無沙汰』にもできますまい。正直なところ『宗教色』を除いたとしても、我が子や孫たちの世代にとっては『お荷物』になるものとの思いが強かったのでありますよ。少子化で『墓じまい』があるとすれば、『神社じまい』『お宮じまい』もアリではないかなどとも考え始めている。(信仰心の強い方が継承するというのであれば、それはそれで良いのでありますが…。)鉄路もお墓も神社も『同列』扱いかい?『無いと困るモノ』…人それぞれではあろうかとは思いますが、いずれも人が支えなければいけないものではある。無くしてしまってからでは、復元は不可能に違いない。『宝物』であるはずの地方路線も『おやじぃ』は何年利用していないのだろう…『おやじぃ』自体が『たからもの』ではあるが(笑)

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ピンコロとヨタヘロ…

2023-11-21 10:29:02 | 転職

「朝定食」は炭水化物の塊である^^;

このところ活動が鈍っているので、その日の『お題』に詰まること度々であります。ましてや、アルバイトの事務集計作業で、終日PCの前で格闘中だから、余計にネタに困ってしまうのであります。そんな中で、今朝は『ヨタヘロ期』…評論家 樋口恵子さんの造語らしいけれど、若い頃から女性問題を論評し続け、90歳を超えてなお意気軒高だから頭が下がる。(とは言え、男性が叩かれるから『おやじぃ』にとっては苦手な存在かも知れない…当然、面識はない^^;)エッセー集である『老~い、どん!』のタイトルだけで笑わせていただきました。(読んではいないけれど^^;)
「ピンピンコロリ」を願いつつ、女性は圧倒的に「ヨタヨタ、ヘロヘロ期」を迎える。なるほど、男どもは三大成人病で意外と簡単に『コロリ』と逝ってしまうのかい。朝から体力増強のために「かけそばと納豆ご飯」の炭水化物攻めだもの、短命であっても仕方がない。問題は、誰しもが迎える『ヨタヘロ期』をどう過ごすかということかも知れない。30代では20代以前の体力が頭に残り、40代では30代の体力をイメージする。実際の動きは別にして、どうやら体力だけは10歳ほど若くサバを読んで記憶しているようなのだけれど、60代に突入して、ハタと体力の衰えを感じるようになりましたよ。50代なら容易に出来たことが、現実には出来なくなっていることに気付いてしまうんですなぁ…若くサバを読み続けられればしめたものでありますが、現実のギャップを感じてオロオロし始める。60代初頭は、『ヨタヘロ期』ではなく『ヨタオロ期』なのかも知れませんぞ(笑)


「色づく」と思えば前向きで…

さて、クロロフィル色素が『減衰』し紅葉、『落葉』すると考えれば、『衰退』をイメージしてしまいますが、「色づく」と思えば、未だ『成長』の途上のような気にもなる。『葉(歯)が落ちる』ことには変わりはないのだけれど…。本来、人生とは『未経験』の連続であるはずなのだけれども、一定の時期までは、肉体的にも精神的にも『成長』しているから感じない『衰え』も、一旦『衰え』を感じ始めると、得体の知れない『不安』が到来するようである。しかし、これも誰しもが通るべき『未経験』の一部でしかないはずなんでありますけれどね。
はてさて、昨夜は区長として「まちづくり懇談会」なるものに出席しましたが、高畠町の出生数も令和5年度は100人を切りそうであるとのお話がありましたよ。『おやじぃ』が30代の頃は400人ほど生まれていたはずなんですけれどねぇ…。『団塊の世代』が後期高齢者に突入すると言われる『2025年問題』…今までの『高齢化社会(高齢者が長生きする・増える)』のとは違う、子どもたちが生まれないことによる『高齢化率上昇社会』に一気に拍車が掛かりそうな気配であります。これまた『未経験ゾーン』への突入であります。20年後、今の『ヨタオロ期』は恐らく『ヨタヘロ期』に至っているに違いない。人は『ピンコロ』を願っても、町が『ピンコロ』という訳にはいかないもの…全国共通で起こる現象には違いないのだけれどね。

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怨霊…怖いこわい^^;

2023-11-20 10:05:20 | 転職

「富山(とみさん)」ではありませんが…

房総半島のお仕事で、ふと「南総里見八犬伝」を思い出しました。江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって書かれた長編小説でありますが、28年の歳月をかけて完結したらしい。鎌田敏夫氏の翻訳本が映画化されたのが1983年のことであり、ストーリーは全く違うのでありますが、共通するのは『玉梓の怨霊』…何故かしら『怨霊』というと女性をイメージしてしまうのでありますが、『日本三大怨霊』として、「菅原道真」「平将門」「崇徳天皇」を上げる方もいらっしゃるから、むしろ、後世に恐れられる『怨念』とは男性の方が強いのかも知れない(笑)
「南総里見八犬伝」で、「伏姫」と神犬「八房」が暮らしたという「富山(とみさん)」は確かに存在し(作品中では「とやま」)、安房里見家の初代「里見義実」(こちらは実在の人かどうかは怪しいらしい。)も存在するのだけれど、史実と伝聞から長編小説としてまとめ上げ、『娯楽』として親しまれているところが素晴らしい。『おやじぃ』の妄想も、こうしてまとめあげることが出来れば大したものであるけれど、そこはほれ、『文才』というものがありませんから^^;
そうそう、今朝のお題は『怨霊』でした。「恨みをもって、生きている者に災いを与える死霊、または生霊」のことではあるけれど、「恨み辛み」など抱え続けていたところで、心の健康には害を与えるだけのようであるから、さっさと忘れることが最良だと思うのでありますけれどね…。


平等に分けていただいております^^;

さて、「恨み」の根源は、理不尽な扱いを受けたということだろうから、何ごとも平等に扱っていただくことを当然と思い込んでいるフシもある。世の中、「平等」かと言えば、保障されているのは「法の下の平等」であって、すべてが平等に扱われている訳ではございません。晩酌の刺身が「一切れ少ない」などと言い始めたら、あっと言う間に『平等』など崩れ去ってしまいますよ。(友人『ノロ社長』はむしろ多くを『おやじぃ』に分け与えてくれる^^;)
はてさて、『おやじぃ』も歳を重ね、財力、体力etc.と当然の如く『差』が生じて来ていると感じているところでありますが、さりとて、それを理不尽な取り扱いとは感じておりません。(恵まれているのかも知れませんなぁ…。)むしろ、何ごとも平等にという風潮の方に嫌気が差しているフシもある。「里見八犬伝」では、「里見義実」が「敵将の首を討ち取ったら伏姫を嫁につかわす。」と言った虚言も『恨み』のひとつになっているようである。そうそう『虚言』に踊らされ、後からツケを払わされる予感がするから、減税も給付金も疑ってかかってしまうのかも知れないねぇ…今の世代のウケを狙って後代にツケを回す。これだと現役世代の『恨み』は募る一方だと思うのだけれど、まさか『怨霊』の域にまで達するとも思えないけれど…しかし、支持率という数字には『怨念』の意味も込められてはいるような気もするが(笑)

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与太郎さんの忘れ物^^;

2023-11-19 07:18:30 | 転職

「軒裏」は宮大工の腕の見せ所でしょう…^^;

由緒ある寺社仏閣を観るのも好きですが、『おやじぃ』の場合は、こうして「軒裏」の木組みを観ることが好きである。わざと見せるように木組みされた『化粧垂木』も実際には上に反っているので、切り出すための材料は約2倍ほど必要なようであります。彫刻士として有名なのは、『左甚五郎』だろうなぁ…ここ千葉県「誕生寺」にも『左甚五郎』作と言われる般若の面があるということを後から知りましたよ。(もうひと足延ばせていたらねぇ…。)
ちなみに『左甚五郎』作と伝えられる作品は、全国各地に散らばっており、伝わっている製作年間は、安土桃山時代から江戸時代後期まで及ぶそうであるから、『〇✕代目左甚五郎』作なのか、稀代の名工を『左甚五郎』と呼ばしめたかは不明なようでありますよ。京都知恩院には『左甚五郎の忘れ傘』というものがあって、「完全無欠な仕上がりは、神さままでも嫉妬する。」とかで、わざと瓦を抜いたり、唐傘を忘れたなどという民話も残っているようであります。こちらは、名工の忘れ物であり、本日は『与太郎さん』の忘れ物のお話でありますよ(笑)


沖縄のオリオンビールがお土産^^;

さて、落語では間抜けな人として『与太郎さん』が登場する。実は、昨日、叔父の葬儀がありまして、葬儀会場の『お知らせ状』を確認した上で出掛けたはずでありますが、開式30分前には到着したはずなのに、駐車場に車が1台も無いのでありますよ。「まさか会場を間違えた?」…大慌てでオッカーに電話で『お知らせ状』を確認してもらったのだけれど場所の間違いはない。恐る恐る建物を一周したら、建物にすっぽり隠れた参列者の車が並んでいたという顛末でありましたとさ。少人数で執り行われる告別式のアルアルなのかなぁ…進入路から一番近い駐車場なのに。遂に「ボケたか?」と自分を疑った珍事でありましたが…。
はてさて、もう一人の『与太郎さん』は友人『ノロ社長』…笑いを取る目的で、本日の『珍事』をご披露したのだけれど、彼の場合は、久し振りに稽古会に出掛け、昼食を取って駐車場に帰ったら『稽古着』を自宅に忘れてしまったというお話。(当然、自宅に戻っても出掛けては稽古も終わる時間だから諦めたとのことでありますが^^;)まぁまぁ『間抜け』と『間抜け』のお話である。完全無欠な『左甚五郎』に対して、『おやじぃ』たちの場合は、物事や金まわりが上手くいかない『左前』のようであるから、初代と二代目の『左与太郎』を名乗ることにいたしましょう。本日は、地区の卓球大会でありますよ…さて、ルールを憶えていたかしら(笑)

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なぜか消えた…?

2023-11-18 08:59:48 | 転職

大ぶりな「カキフライ」も美味しかった^^;

山形の内陸部に暮らす『おやじぃ』が、「生ガキ」を見たのはいつのことだろうか?小学6年生の冬に、叔母に連れられていった東京の洋食屋で「カキフライ」というお品書きを見て、『柿フライ』と誤認していたから、中学生以降であることは確かである。元来、酢の物は苦手だから(食べられない訳ではない。)「酢牡蠣」を美味しいとも感じなかったし、さらには、中った経験もあるから「カキフライ」を口にしたのは大人になってからのことのような気もする。(食の出逢いというものは、人生を豊かにしてくれると思う…少々、大げさではあるけれど^^;)
はて、ならば「カキフライ」の起源は…どうやら明治期には洋食屋のメニューに登場していたようであり、揚げ物好きな日本人は、『何でも』揚げてしまうようである。まさか、「水」を揚げ物にする人は居ないだろうと思っていたら、薄い皮膜に包んで、丁寧に衣を着けて上げた強者もいらっしゃるようである。ただし、イクラや薄い皮膜に覆われた水が漏れると『大爆発』を起こして『消えて』しまうようだから、良い子は真似をしない方か良さそうであります(笑)


何だ?新手の『芸術』かい?

さて、本人も何を撮影したのか分からない画像…筑波山から自宅までの途中に差し込まれていた画像であるから、車窓からの眺めを写したものか、間違って撮影ボタンに触れてしまったのか判然としない。これはこれで、『現代アート』として『消さず』の残しておこう(笑)
はてさて、『おやじぃ』も遂に重い腰を上げて、アルバイトの事務仕事に着手し始めました。順調にデータをコピペして、ソートして、各人の作業時間を集計して行く作業でありますが、支払日が迫っているので久し振りに休憩も取らずにお仕事していたのでありますけれど…夕刻、データがフォルダごと『消えていた』。普段なら大声を発するところでありますが、取り敢えずの成果は印刷していたので後から追入力をすれば何とかなるかと冷静な対応。(大人になったものである^^;)それでも、何故消えたのかが気にかかる。今後のこともあるから外部メモリにバックアップすることも考えたのでありますが、アチコチいじっている内に何とかデータ復元できましたよ。(良かったよかった^^;)『おやじぃ』が慣れ親しんだ旧式PCならば、一日分の作業がすべて無駄になるところでありますよ。こうして世の中便利になっているのよねぇ…『復元』できないのは「人の命」だけかしら?コチラだけはバックアップという訳にはいかないから、大切に取り扱いましょうよ…。

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ガマの油…

2023-11-17 09:25:34 | 転職

餡ドーナツと揚げパンの違いは何?

「年を取ったら甘いモノを…。」友人『ノロ社長』がすすめてくれた「餡ドーナツ」…『おやじぃ』は食べたい気持ち半分、胸やけする心配半分で、結局のところご遠慮申し上げた^^;
はて、ここで『おやじぃ』は考えた…「餡ドーナツ」と「揚げパン」の違いは何なんだろう?「餡ドーナツ」自体は江戸時代には食べられていたという記述があり、「揚げパン」に関しては、1952年に東京大田区の篠原さんという調理師が、パンを油で揚げたのが始まりという記述がある。『おやじぃ』が子どもの頃に食べた「カレーパン」は皮も薄かった…どうやら、ドーナツもパンも「生地」の材料は同じであり、「生地」を発酵させるか否かが両者を分ける境目のような記述もある。美味しく食べていただこうという心遣いは同じこととしておこう。
子どもの頃に給食で出て来た「コぺパン」は、外皮が硬くて嫌う子どもが多かった…中を繰り抜いて食べている輩もいたくらいだから。今の「コぺパン」は柔らかく、イメージは大きく違っている。『保存』を重視したのか、焼き方の技術がそうだったのかは分からない。油で揚げて、砂糖をまぶしただけの「ドーナツ」が甘く美味しく感じられたのだから、「甘さ」に飢えていたのかも知れない。給食に「揚げパン」なんか出て来たら、大人気だったに違いないと思うのでありますけれどね(笑)


車からだから手ブレがひどい^^;

さて、筑波山麓合唱団…筑波山には『四六のガマ』が棲むと言う。実際には、前足の第1指(親指)が痕跡器官となり4本に、後足の親指の外に「番外指」と呼ばれる「瘤」があることから6本に見えるらしいのだけれど、これは筑波山のガマ(ヒキガエル)に限ったことではなく、全国共通のことのようである。「見た目」と『ガマの油売り』の口上が、そうした誤解を生んだらしい^^;
はてさて、名物『ガマの油』は、ヒキガエルの皮膚腺から出る「せんそ」という物質があることは確かではあるけれど、実際には、その成分は使われていないようである。(実際に使われていたら、気色悪いものねぇ^^;)口上では自分のことを『美形の男子』と誤認していた『ガマ』が、鏡張りの部屋で自らの姿の醜さに驚き脂汗を流すらしい…なるほど、自分自身について『事実誤認』していることはママあることではある。『赤っ恥をかく』などと言うけれど、『恥』と気付ければ大したものである。「ドーナツ」と「揚げパン」の見た目、『美醜』という見た目…ひと皮剥いてしまえば、ほぼ骨格は同じである。がしかし、餡の入っていない「餡ドーナツ」があるならばガッカリしてしまうに違いない。問題は中身ですよ…と人は言いますが(笑)

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雄々しい…

2023-11-16 08:51:57 | 転職

「ソテツ」の花言葉らしいのですが…

千葉県の海岸では普通に植栽されている「ソテツ」でありますが、自生地としての北限は宮崎県という説もあるようです。『南国(温暖地)』をイメージさせる植物でありますが、ヤシの木や木性のシダ類とは似てはいても系統的には遠い存在のようであります。
ネタに詰まった時には、花言葉なんぞを持ち出す…「ソテツ」の花言葉は「雄々しい」ということらしい。とは言え、裸子植物の「ソテツ」の花は、胞子による受精だから、花といっても雄株の胞子嚢穂と雌花の大胞子葉ということらしいのだけれど、当然、見たことがありません。葉が落ちた後の樹肌や立ち姿が「雄々しい」という花言葉の由来のようではあるけれど、見た目重視の結果ではあるわなぁ…。見た目は同じような雌株の「ソテツ」に「雄々しい」という花言葉をあしらっても問題にはならないようでありますが、『女々しい』という言葉を使うと、人間社会では差別用語になってしまうようである。同じような見た目言葉でも、相手を傷付けるか否かが問題のようではありますが…。
青空に映える「ソテツ」の葉を見ながら、突然「いじめ」を考え始めた『おやじぃ』であります。


こちらは「牛久大仏」…

さて、どうも「世界一」「日本一」という言葉には弱いようで、台座からの高さ120mの「牛久大仏」も「大仏」としては「世界一」、立像としては「世界6番目」ということらしい。阿弥陀仏の『十二光』を由来として120mとされたとのことではあるけれど、『十二光』…即ち「無量光」「無辺光」「無碍光」etc. 阿弥陀仏の光明も並べ上げても一切分からない。ただ凡人にも分かることは、帰りの圏央道で撮った画像であるから明らかに「逆光」ではある…実に罰当たりな見解ではある。
はてさて、子どもの頃に「大仏さまは男か女か?」と聞かれたことがある。お釈迦様がモデルならば『男』のような気もするが、その時は「男女を超越した存在である。」という回答だったような気がする。某歌劇団の『いじめ問題』…多くの管理者側は「いじめは確認できなかった。」とコメントすることが常のようである。(いじめがあったと発言することで、次に管理監督責任が問われることへの逃げなのかも知れないが…。)今の学校では、他人にされて『不快なこと』は、全て『いじめ』として扱われるから、「いじめが無かった」とすること自体に問題があり、「いじめがあった」と言わせることを前提に取材している気もするけれど…。『男女を超越した世界』であっても、全て横並びということでもありますまい。『優越』を競うところに差別やいじめは存在するような気もするけれど、大仏さま自体は何も答えてくれないのでありますよ…。

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