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その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

腐っても鯛…

2023-11-15 09:49:28 | 転職

こちら「誕生寺」の参道であります…

観光ガイドブックを片手にお仕事をしている訳ではないから、そこに何があるかなんて知らない。時間調整の間に、大きな寺院があったから足を踏み入れてみただけですが、そこは「日蓮聖人」の生誕を記念して建立された「日蓮宗七大本山」のひとつとされる「誕生寺」でありました。
確か危篤の母親を蘇生させたとか、千葉県には日蓮にまつわる伝承が多かったという記憶があるけれど、「鯛の浦(妙の浦)」もそのひとつで、比較的深場を泳ぐ鯛が浅場に根付いているという…日蓮が生誕の際に鯛が現れたとか?現代でも真鯛が群れる現象は科学的には解明されていないらしい。日蓮に限らず、各宗教の開祖が起こした数々の『奇跡』は、後付けの香りが漂うのでありますが、『おやじぃ』の観光地の知識も後付けであり、その地の由緒を調べて出掛けるというよりは、今回のようにたまたま出くわすという『旅』が多いようであります。
立派な「諸堂」も昭和から平成にかけて、『50万人講』なる発願で再興されたものであり、開祖の『教え』というよりも、その後の裾野の広がり…集票、集金力に驚くばかりでありますなぁ。法要塔に抱き着いて「膝を治してください。」などと願をかけている観光客も居たりして、『万人の願い』それそれに耳を傾けていたら、開祖も疲労困憊するに違いない…開祖にすがるのも、それを利用するのもまた『人』でありますよ(笑)


現場の窓から見える景色も…

さて、『山ザル』が海を見るとうれしくなってしまう。透明度が高くて綺麗なんですけれど、南側を望む景色は、日の出や日の入りが見えないような気がする…ちょっと残念な立ち位置ではある^^;
人は、何かの目的を持って『旅』をするのであろうから、海の幸、景色、観光地とその目的が達成できれば満足するに違いない。こちとら、お仕事で出掛けているのだから、空いた時間で景色やグルメを楽しめたら『儲けもの』ですわ…。
はてさて、日蓮が、内乱や侵略(蒙古来襲)を予言できたのも、当時としては情報通であったからという説もある。後に続く人々は『奇跡』や『予言』として、開祖の『神格化』を図っていくものらしい。「衆生済度」を説いたものも、いつの間にやら、死後の世界に浄土に導くというような発想になり、ありがたいといわれる『お経』で救われると勘違いしているフシもある。学生時代にただ通過しただけの土地を45年後に訪れているのも何かの『ご縁』なのかも知れませんなぁ。只々、ペダルを踏んで故郷山形を目指している頃は、何も考えていなかったこの先も、今では、短いこの先を考える年になっている。世の中を考えながら、『腐っても鯛』などと言われるけれど、腐らせてしまうのは後に続く人々なのかも知れないなぁとつくづく感じる『おやじぃ』でありますよ(笑)

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金に糸目…

2023-11-14 09:04:15 | 転職

ちょっと奮発し過ぎですが…

アルバイトに駆り出されたのは千葉県鴨川市だった。確か学生時代にサイクリング車で帰郷した際に通った街…うっすらと海岸線の記憶が蘇りましたけれどね。天津町(現鴨川市)の祭りだったから、7月の末だったに違いない。駐在所で旅館を紹介していただいて、泊ったのはお隣の勝浦市だったような記憶でありますよ。貧乏学生の独り旅だから「お金ある?」といぶかしがられた記憶もあるけれど、お金が無いのは昔も今も変わらない。宿の方が見かねて、お昼用のおにぎりをサービスしてくれた思い出もある。それから45年…立派に成長した?『おやじぃ』は、アルバイトだと言うのに「金目鯛の煮付け」をお昼に食べている。お陰で、アルバイト代が吹っ飛ぶというのにねぇ^^;
「金目鯛」は「キンメダイ」であって、『かねめだい』と読んではいけない。しかし、深海魚のこのお魚は、高級魚で『金目(かねめ)』(値打ちの高いこと)と読んでも間違いはなさそうである。ところで、『金に糸目をつけぬ』と言うけれど、何で「お金」と「糸」が関係するのだろう?「糸目」とは「凧を締める糸」であり、惜しげもなくお金を使って事にあたり、『凧に糸目』を付けないと無制御の状態になることからの例えらしい。(また、別の方向に話が脱線してしまった。)アルバイトの身分で、お昼に「金目鯛の煮付け」では贅沢過ぎるけれど、そうそう経験できることでもないことと、自分のことは優しく許すことにする(笑)


赤、黄色だけでなくこれもまた綺麗…

さて、片道約7時間30分、車中睡眠4時間、実労2時間、食事休憩3時間と出発から24時間の旅となってしまいましたが、山形から房総半島までは確かに遠い。(それでも往復950㎞程度である。)アクアライン、外環回り、圏央道路と3ルートの選択肢があったのだけれど、首都高の混雑を避けたつもりが、むしろ東金道路から海岸にいたる国県道が狭く、これが失敗だったような気もする。しかし、これが『おやじぃ』に『哲学』させる良いきっかけになったんだよなぁ…。
はてさて、内房と外房…『千葉都民』と『千葉県民』の格差を感じた次第であります。山形県の田舎者が何を言う…しかし、外房に至る景色は山形の田舎と変わりない。山形県は『全体』が田舎であるのに対して、千葉県の場合は都市化と田舎の差が大き過ぎる。『県土の均衡ある発展』…某山形県知事が言っていた気もするけれど、山形の場合は、『全てが田舎でも、全体の底上げに努力されている』気がするんですなぁ…決して、『都市化』が幸せのシンボルとして捉えている訳ではありませんけれどね。かつて、亡)浜田幸一さんが、『アクアラインと圏央道をつなぐ』という大構想をぶち上げていたような気もするけれど、ふと頷けてしまった次第であります。いずれにせよ『田舎のねずみ』にとっては、渋滞の中を日々通勤するなんてご遠慮したいことでありますが、『金に糸目』をつけなければ、そんな大構想も実現していたかもねぇ(笑)

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暴走…いや房総^^;

2023-11-13 08:00:00 | 転職

こちらは「日本海」…方向違い^^;

日曜日とは言え、来年の復活を目指す『おやじぃ』は庭木の廃木を切りきざみ、来週には処分場に運べる段取りをつけました。午後からは裏の畑を整理して、半年ぶりで地面が見えた…酷い有り様でありますよ。お陰さまで腰が痛くて堪らない。折角がんばっても、また一週間寝込んでは同じことなんですけれどねぇ…。
こうしてかんばったのは、久し振りに友人『ノロ社長』のお仕事の手伝いが入ったから…このブログがUpされている頃は、千葉県房総半島に足を踏み入れているに違いない。関東でのお仕事は何か月ぶりでしょうかねぇ…昨年は県内や秋田県が主でしたから。『暴走老人』たちの房総半島一泊二日の旅…お土産話で、しばらくの間、ブログネタに困らないかも。
それでは、安全運転で出掛けてきま~す(笑)

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いろはにトホホ^^;

2023-11-12 09:34:15 | 転職

蔵王で「赤」が映えるモミジは…

「紅葉(こうよう)」の代表的な樹として「紅葉(もみじ)」がありますが、秋になって葉の中の「クロロフィル色素」が分解され、一方では「アントシアニン」という色素が合成されることで、赤く色づくとされております。また、「銀杏(いちょう)」では、「クロロフィル」の減少で、元々含まれていた「カルテノイド色素」が目立つようになり黄色くなるらしい。しかし、秋が深まると何故木々が「紅葉(こうよう)」するのかという理由については、仮説はあっても理由は未だ不明なようでありますよ。常緑樹と落葉樹がそれぞれに『色』を成して、目を楽しませてくれる。『当たり前』のことを、さも『当たり前』のように、その日、その年を過ごしておりますけれどね。
はて、他人の庭や山のモミジは綺麗であると鑑賞していれば良いだけですが、これが自宅の庭のモミジとなると状況が一変する。数年ぶりに繁茂したモミジの高枝を数本落としたのだけれど、今度はその枝を切り刻まなければいけない。落葉したその葉っぱも厄介ではある。『庭と女性のお肌は、日々のお手入れが大切』なようでありまして、『若い』と気を抜いていると、後から取り返しがつかなくなるようでありますよ。(失礼^^;)


この「葉」が落ちると雪になる…

さて、来年の『復活』に向けて、庭や畑を少しずつではあるけれど、今頃になって片付けております。考えてみれば、雪で「草」を隠してくれると昨年過信して、春に焼き払うべきところを怠った結果が今の状況になっている。昨年まではイネ科雑草だったものが、お隣の畑の「セイタカアワダチソウ」の『侵略』を受け、畑とは思えないほどに荒れ果ててしまいましたよ。それでも少しずつ刈り倒し、乾燥させて焼き払いを繰り返した結果、何とか耕運できそうな状態まで戻りつつありますけれどね…。(やれば出来るじゃないか^^;)
はてさて、手入れして『当たり前』が、こうして放置してみるとわずか1年で変容してしまうことを経験し、日々継続することの大切さを味わった1年でありますが、何か成果が上がったかと考えると、さすがに見兼ねた長女が『草刈り』を始め、長男も独力で作業を始めたということでありましょうか…いつの日か『おやじぃ』が居なくなったとしても、何とか暮らしていける状態になればしめたものでありますが、やはり『要領』は『おやじぃ』の方が一枚も二枚も上手ではある。そう満足して今年は取りまとめようなどと考えております。『おやじぃ』がやって『当たり前』のことを、今度は自分たちが『当たり前』のことのように取り仕切っていかなければいけない。そうそう、雪国での暮らしの『いろは』を覚え、『トホホ』と嘆く。これまた『当たり前』のように繰り返されるのでありましょうかねぇ(笑)

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四苦八苦とは…

2023-11-11 09:20:12 | 転職

「生きる」ことも大変だわねぇ…

夕食の時に「四苦八苦」という言葉がテレビで流れ、はて?「四苦」とは「八苦」とはと考えてみた。どうやら仏教用語が始まりであり、「四苦」とは「生・老・病・死」であり、これに「愛別離」「怨憎会」「求不得」「五蘊(陰)盛」の四つを加えたものが「八苦」らしい。『四苦(4✕9=36)』+『八苦(8✕9=72』で108の煩悩になるという解説をされる方もいらっしゃるようだけれど、どうやらたまたま数字が一致しただけのようでありますなぁ…。
仏教では、悟りを開いたお釈迦様が「四苦八苦」を説いたとされているようでありますが、これだと「生きること自体が苦しみ」ということになってしまい、どうも収まりが悪過ぎる。『悟り』の境地に至ろうとする高僧の苦しみと生きることを楽しもうという凡人の苦しみを一緒くたに考えるからモヤモヤが残ってしまうようである。今では「四苦八苦」も、「求不得苦」…「求める物が思うように得られない苦しみ」に特化した使われ方がしているようにも思えるから、土台、求めているものが違うのだと思い、今朝は納得することにしましたよ。
秋も深まり『終末』の頃を迎えているはずのトンボに、「この夏は楽しんだかね?(遊んだかね?)」と尋ねるくらいが凡人には似つかわしいのかも知れませんなぁ(笑)


ああ、今夜はビールを切らしてた…

さて、ひと夏放置してしまった庭の掃除も順調に進んでおります。(そう思い込むことにする^^;)今『四苦八苦』しているのは、ヒバとモミジに絡みついた藤の蔓…以前は、白い藤が川辺に咲いていたものだから、実生で出た藤が何色かと興味を持って放置していたのだけれど、花が咲かないのでありますよ。いつもの年なら、根元から伐って抜いて置くのだけれど、ふと考えるに昨年はその作業を怠ったような気がする。この夏、二年目の蔓が太くなり、新梢がさらに伸びてとんでもない有り様に…『藤子』と名付けられた方は、概ね丈夫な方かも知れない。(失礼^^;)
はてさて、こうして堕落(楽)をすると、そのツケが翌年、翌々年に及ぶことを今さらながら痛感しております。自ら招いたはずの『四苦八苦』…遂には残していった亡き親父にまで文句を言い始めるのでありますよ。よくよく考えてみれば、庭木を楽しむ余裕もないことが一因ではあるのだけれど…。「五蘊盛苦」…「五蘊」(人間の肉体と精神)が思いのままにならない苦しみを指すらしい。「そうだよねぇ…懐具合よりも心の余裕が必要よ。」などとご立派なことを述べつつ、やっぱり懐具合が気になる日々の生活ではあるますけれどね(笑)

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大きいことは…

2023-11-10 09:01:29 | 転職

1967年のチョコレートのCMですが…

故)山本直純さんが出演していたテレビコマーシャル「大きいことはいいことだ♪」…他社製品と比較して大きいことを強調、差別化したCMではあるけれど、「大きくすること」=「サービス向上」といった感がある。ジャンボジェット機(ボーイング747)が開発されたのが1969年とのことであるし、当時は高層ビルとして霞が関ビル(地上36階 1970年)の竣工もあったから、文字通り「大きいことはいいこと」だったに違いない^^;
「今年のサンマは小ぶり」という記事を目にして、それでは、一般的なサンマのサイズはと調べてみたのだけれど、通常は2年程度で35㎝程まで成長するとされ、28㎝未満は0歳魚と考えられているフシがある。「小ぶり」という表現自体、他に比べて少し小形であるということだから、どれだけ小さいのかが分からないし、そもそも食卓に上るのは冷凍サンマであり、今年の生サンマにはめぐり逢えていないような気もしますけれど…。エサ不足がサンマの小型化を招いているという説もあるようですが、明確な原因は分かっていないようでありますなぁ…。
「雪囲い作業」も大物の囲いは終えたから、今度は伸び放題となったモミジやヒバの木を整理しようと思っているのだけれど、切り落とした枝に閉口しております…ああ、今度は短く切って処分料がかかるなんてね(笑)


ご近所の独居老人から雪囲いの依頼が…

さて、自宅の庭木さえ、嫌々「雪囲い」をしているというのに、ご近所の婆さんから雪囲いの応援要請が…昨年は、娘夫婦が来てやってくれていたはずであるけれど、子育て等々忙しいに違いない。所詮、1時間程度で終わる作業だから、チョチョイのチョイとやってのけましたけれど、困ったのは「杉の木」の整枝作業…シルバー人材センターに依頼したらしいけれど、高齢者による高所作業はお断りしているらしい。数年前に下枝は伐ってあげたのだけれど、『おやじぃ』もシルバーに登録できる年齢であるから、そろそろご遠慮したいところなのでありますけれどねぇ…『大きくなって、良くないこと』の事例でありますよ^^;
はてさて、「大きくすること」「小さくすること」で、世の中、商品の差別化を図っている訳でありますが、「小さな政府」か「大きな政府」かという問題になると甲乙つけがたいお話となってきますよ。高齢化が進み、担い手が少なくなると『行政』だのみの問題が山積みであり、一方、負担能力はと言えば落ちていくばかり…高齢者の懐具合に合わせたサービス程度に収めるのか、いっそのこと、問題の本質である『樹』を伐ってしまう方が得策か?伐ってしまって、処分するにもお金がまたかかるんだよなぁ…『票』を狙って、負担能力の高い子育て世代に施策を集中しても、いずれ年は取るものでありますからねぇ。「大きいことはいいことだ。」が「年取ることもいいことだ。」という世の中にはならない気がしてきたぞい(笑)

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あって当然…

2023-11-09 08:10:42 | 転職

今度は「ダリア?」とオヤジネタ^^;

子どもの頃に遊んだ「ババ抜き」…今さらながら、何で「ババ」抜きなのかを調べてみた。アメリカでジョーカーが導入されたのは1872年だったらしい。したがって、それ以前は、クイーン(Old Maid)を1枚だけ抜いて数字合わせをしていたらしいのだけれど、結果、クイーンが1枚だけ売れ残る…それで「ばば(婆)かい?(当然、クイーン以外の絵札を抜く『じじ抜き』ルールも存在する。)今では『差別』と噛みつかれそうな発想ではあるけれど、後からゲームによっては『万能札』にもなるジョーカーを加えたところが素晴らしい。ジョーカーも嫌われ役であることに違いはないけれどね^^;
はて、昨日は午後から「停電」…自宅のブレーカーが上がること以外、停電は近くの変圧器にカラスが悪さをして以来だろうか?(東日本大震災の折りにも、送電ルートの違いで停電は免れましたから)当然、あって然るべきものが突然『遮断』されてしまうと不安になるものでありまして、隣家に行って「停電」であることを確認し、電力会社のコールセンターに電話をしたものの「電話が立て込んでいる」というガイダンス放送…広いエリアでの「停電」であると予想をしたところではありますが、今朝ニュースで確認すると7万2300戸に及ぶ停電だったらしい。ふと考えたのは、日中の停電であるから、真夏にエアコンをつけっ放しで外出した場合、閉じ込められたペットはどうなるかしら?ということ。停電騒ぎで「ペット」の心配では暢気すぎるとたしなめられるかも知れませんけれどね(笑)


千葉県への出張が決まりまして…

さて、友人『ノロ社長』のお仕事も復活の兆しをみせ、来週は千葉県内までお仕事の手伝いが入りそうであります。長距離で現場に物件を運んでも成り立つ単価…近隣に物件を製作する所がないのか、安い単価で引き受けているのか少々疑問に思うところでもある。受け手が居るから発注が舞い込むのか、安い単価でも引き受けるから、さらに買いたたかれるのか?これまた『あって当然』と思われている内はよろしいけれど、その内に干上がってしまうのではと他人事ながら心配しておりますが…。
はてさて、『あって当然』のもの…電気、水道、ガスはやはり欠かせない。発電機にペットボトルの水、カセットコンロetc.当座しのぎは出来ても、長期間に渡れば生活が成り立たなくなりますなぁ。『なくてはならないもの』として個人として蓄えるにも限界というものがある。どうやら、我々の頭の中身は『あって当然のこと』として、「災害」というものが抜け落ちているような気もする。そうそうオッカーも『居て当然の人』と思い込んでいる。朝から「ババ抜き」の由来など調べている身分ではないはずである。『あって当然』『居て当然』…「停電」の経験から、その有り難味に手を合わせることにいたしますか(笑)

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綻びを繕う…

2023-11-08 08:49:52 | 転職

「男」もあれば「女」もある結び…

昨日は『まとまった雨』のお陰で、「雪囲い作業」もひと休み。今では、いとも簡単にできる「男結び」ではあるけれど、覚えるまでには時間が掛かった。と言いますか、親父が不慣れな息子に『教える』ということは、イライラが募って宜しくないようであり、『おやじぃ』の場合も、第三者から優しく指導していただき、何とか覚えようとして繰り返し練習をした成果ではある。緩まないための『押さえ所』さえつかめば、さほど難しい手作業ではないのだけれど、その勘所をつかむまでが大変なだけなのでありますよ^^;
毎日が『ひと休み』状態ではあるけれど、結び目の画像を見ながら、ふと「綻びる」という漢字のことを考えてみた。『糸が定まっているはずなのに、何故「ほころび」なのか?』…どうやら「糸」に「旦(たん)」という字の組み合わせから発生した形声文字であり、漢字一つふとつを分解しても「ほころびる」という意味にはたどり着けないらしい。『男女関係の縺れ(もつれ)』『夫婦関係の綻び』などと、「糸」と男女関係にまつわる漢字は様々あれど、『縺れ(複雑にからみあったもの)』をほどくのに嫌気がさして、エイヤっとはさみで切って問題解決とする場合もあれば、『綻び』はその場を取り繕うことで何とかしのぐこともできる…『おやじぃ』の「むすび」もひと冬程度なら解けることもないし、そうして38年間過ごして来たようにも思えるが(笑)


「共白髪」…夫婦そろって長生き

さて、結納品のひとつに「共白髪」というものがあったような気もする。「高砂人形」(翁媼の人形)を若夫婦のために贈る風習のある地域もあると言われますが…。あくまで『願い』のひとつであって、『添い遂げる』ことばかりを良しとも言えない世の中になったような気もする。いやいや、潜在的な嫌気や『綻び』があっても、経済的な理由や世間体という『外圧』で踏み切れなかったという関係もあったかも知れない。
はてさて、「男結び」は結び目も硬く、一度結んでしまうと「解く」ことより「切る」ことを選択した方が手っ取り早い。一方の「女結び」は、結束は緩いかもしれないけれど、解いて再利用も可能ではある。どちらが有効かなどと『結着』をつけようなどとは思わない。その場に合った結び方を選択しているだけなのだから…。庭木も夏に枝振りを楽しみ、約5ヶ月の間は「雪囲い」の下に姿を隠してしまう。したがって、我が親父の場合は『冬の風物詩』として、「雪囲い」の形にもこだわっていたし、結び目の切れ端が『綻びて』開くことに『華』をイメージしていたフシもある。『綻び』さえも楽しむ心の余裕…『おやじぃ』の場合は、一年の遅れを『取り繕う』ことだけに腐心しておりますけれどね…。11月22日は『いい夫婦の日』…取り繕うだけで余裕のない人生ではあったかも(笑)

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まとまった雨…

2023-11-07 08:29:56 | 転職

「タンポポ」の由来は諸説ある…

秋の晴れ間に「雪囲い作業」…最盛期は九つほど囲いモノをしていたのだけれど、年々数を減らし、今年は四つ程度まで絞ろうと思っております。もしも、雪で枝折れしたならば、その樹から切り倒していく。しかし、思いの外折れないものでありまして、何で雪囲いをしてきたのだろうなどとも思い始めております。(雪で潰されてしまうであろう樹種や造りが分かりはじめてきたかも知れない^^;)
今朝は、朝から雨…「雪囲い作業」も一服、少々きしむ身体にお休みを与えるには良い機会でありますよ。ラジオから「今朝は、まとまった雨が降っている。」というアナウンスが流れ、はて「まとまった雨(雪)」とは、どの程度の雨量なのだろうと調べてみたのでありますが、気象庁HPでは「季節予報で少雨(雪)が続いているときに、一時的にせよその状態が緩和されると期待されるときに用いる。」とある…アララ、『おやじぃ』は「まとまった」という表現を、今朝まで『ひとつのかたまりになる』という意味に捉えており、ザーザーほどでは無いにしろ、シトシトでもない程度の雨と思っていたのでありますけれどねぇ。気象庁さんが考えている「まとまった」とは、「決まりがつく」という意味から少なくとも小康状態になることをイメージして使われているようでありますよ。恐らくは、多くの方が勘違いをされているのではないだろうか?などと他人まで巻き込んでおります(笑)


そろそろ「夏日」も終わるようで…

さて、大きな勘違いに気付いた朝に、今は亡き恩人が亡くなる夢(人が二度亡くなる?)夢を見た。そして、息を吹き返した…死後に蘇生する?暇を持て余し、そんな事例はないかと調べてみたのだけれど、日本神話の世界では、イザナギが妻のイザナミを蘇生するお話もあるらしい。現在では「脳死判定」の場合を除き、「心臓、呼吸停止」「瞳孔が開く」ことを死の判定基準としているから、医学が進歩した現在では、24時間の経過を見なくても「死」は確実に訪れているようである。稀に、心拍、呼吸、脳波が停止したにも関わらず、蘇生したという例もあるようではありますけれどね…。
はてさて、『まとまった雨』のお題が、何で『蘇生』のお話に発展してしまうのか…「雪囲い作業」をしながら、今でも木の切り株にけつまづくことがある。そう言えば、子どもの頃には、ここに〇×の樹があって、そこには△□の木があったなどと30年以上も前のことを思い出しております。切り株が残っているのは、それが針葉樹で樹脂によって守られ、朽ちずに残っているからに違いない。今でも「琥珀」の中に閉じ込められた昆虫が発見されたりするからねぇ…『おやじぃ』がいくら切っても、刈っても枝葉見事に再生しますよ。雪程度の重しでは、庭の木々は枯れたりはしないのかも知れない。『まとまった雨』に庭木をまとめて伐るか、少しずつ伐るかを悩み…想い出が蘇ると、また切れなくなってしまうんだなぁ(笑)

 

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「クマ」はどこへ…

2023-11-06 09:18:04 | 転職

果たして「クマ」はどこを目指す?

明治33年(1900年)に『幼年唱歌』に掲載された童謡「金太郎」…クマと相撲をとったと記憶していたのでありますが、1番「くにまたがり おうまのけいこ」であり、2番「けだものあつめて すもうのけいこ」とあるから、クマと相撲をとったというのは、童画(絵本)による記憶のようであります^^;
『坂田金時』という人物も実在したかどうかは疑わしいとされているようでありますから伝説上の人物…しかし、食卓に上る「きんぴらごうぼう」の「きんぴら」とは『坂田金時』の息子『坂田金平』が名前の由来とされている説もあるから驚きである。昔から山でクマに遭遇し、格闘したという豪傑の話題もあったから、どこかで『金太郎』はクマと相撲をとったと思い込んでいたのかも知れない。ほとんどの場合、格闘した豪傑も大ケガを負っているというお話だから、クマと相撲をとるなどということは努々(ゆめゆめ)考えない方が良いようである。
はて、「クマ」が人間の生活域に進出しているのか?、人間が「クマ」の生息環境を脅かしているのか?本来、「クマ」に『生息エリア』という『考え方』があるのかという疑問にぶつかってしまう。川の魚が陸に上がって来たら、進出かも知れませんが、一般的に野生動物を一定のエリア内に閉じ込めようとする考え方自体が誤りなのかも知れない…残念ながら、野生動物の基礎研究に費やされる予算は乏しいと思うのでありますけれどね。


どうぞ「旨さ」を追求してください^^;

さて、山にエサが不足している。人里に『美味しいモノ』があることを知ってしまったetc.「クマ」が市街地にまで出没する現況をそう解説して納得するフシもあるのだけれど、「クマ」だって繁殖する訳だから、特定のエリア内に留めておけば『累代婚(近親婚)』が避けられなくなる訳であって、野生動物からすれば「移動」も種の保存にとっては、重要な行動のような気もするけれど…藪の中に身を潜めながら川を下るのも「移動」のひとつなのかも知れないなどと考えたりもするのですけれどねぇ…。
はてさて、日本人には「居住移転の自由」というものが憲法でも保障されている。「経済(エサ)的」「身体(繁殖)的」「精神的」自由権が保障されている訳でありますが、『田舎の長男・長女』は、憲法では保障されていても「精神的」な圧力で「移動」の自由に制限が加えられてきたようにも思える。(今では、そんな圧力はほぼありませんけれどね。)「クマ」にとっての「精神的自由」というものがあるかどうかは分からない…まぁ、人の出没による静寂な環境が荒らされるということがあるかも知れないけれど。『母子家庭』のクマの親子が『託児所』を見つけに来ていたりして…人間側の勝手な解釈として『共存共栄』などという考え方もあるけれど、「クマ」がそれを望んでいるとも思えない…「居住移転の自由」が保障されているはずの、既に移動できない『おやじぃ』の下らない妄想でありますけれどね(笑)

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