一文字 寅 の 「風菜園(かぜさいえん)」 

「天に星。地に花。人に愛。」 風に乗って、日々の所感を「風菜園」から発信してまいります。

私にとっての博多美人はこの人だった。 ~女優「生田 悦子」

2018年07月17日 23時25分25秒 | キラキラ輝く「女優」

( 生田 悦子 )

 

■2018/7/17(火)

先週13日博多・櫛田神社で集団山見せを見て、14日は小倉で夜を楽しみ

15日に再び山笠の博多に寄ってから関西に戻ってきた。

そして今日17日午前、目にしたYahooニュースで

女優の「生田悦子」さんが、虚血性心不全で

15日に亡くなったことを知った。享年71歳

 

「えっ!?   確か2~3ケ月前に徹子の部屋に出てたけどな・・・」

なぜか平日、代休をとっていた。たまたまTVをつけたら

白髪姿の生田悦子が出たので、久々のTV出演に

驚いたことを強く憶えている。

 

 

福岡市・西新出身の女優「生田悦子」は、小さいときにTV画面で見て

こんな女性(ヒト)をたぶん美人というのではないだろうかと

子供ながらに美人だなと感じたお姉さんだった。

 

欽ちゃんのよせなべトリオとして出演した時は、35歳。

なんでこんなお笑い番組に出てるんだろう?

と違和感を憶えなくもなかったが、

TVに出て姿が見れることが

嬉しかったことを思い出す。

 

そして何よりも強く印象に残っているのが、司会者は誰だったか忘れたが

「私は脱がない。そんな女優が一人くらいいたって

いいじゃないですか」

この潔い言葉に感銘を受けた。たぶん生田悦子は40代だったと思う。

 

何だか 背筋がピンとしてるような心持ちに粋(いき)を感じた。

ただ、こういう女優は、使いづらい女優として

出番を減らしていったに違いない・・・

という想像も難くない。

 

 

もしこんな女性が女将(おかみ)で、カウンターごしに

日本酒を注いでくれたりすると最高この上なく

たぶん空席のできない超人気の酒房

・・・な~んて幻の想像も湧いてくる

 

ともかくも亡くなる直前まで普段通りの生活をされていたとか。

くしくも亡くなった7月15日は、博多山笠の

フィナーレ「追い山」の日

 

追い山(フィナーレ)に合わせ、福岡出身の女優が一人旅立ったと言えなくもない。

 

デビュー出演作は、「命果てる日まで」

命果てる日まで、駆け抜けた潔い人生だったような気がする。

昭和の星がまた一つ・・・ ご冥福をお祈り致します。

 

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(寅)

  



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