ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

世間は広くて狭い?

2007-11-19 20:38:02 | 郷里山形の事
生涯大学で出会ったKさん。郷里が山形と聞いて思わず山形の何処ですか?と聞いてしまった。
本人は庄内地方の生まれですよとの事だった。
小生は山形市の郊外のJR蔵王駅の近くですよと答えたら、Kさんも驚いた様にボクの家内も其処ですよという。
そして同じ「大字」地内だと聞いた。そしたら寺は「○○寺」ですねと聞いたらそうだという。(寺の話をするところなどは田舎の人らしい発想だ
「○○寺」の住職は小生の幼馴染のひとりで、同級生だと説明したらさらに驚かれた。
そして奥さんの実家の辺りを聞いたら、近隣で2軒だけあった医院のうちの一軒の近くだという。
それなら我が家からも5~600m位しか離れていない所だ。
しかし奥様の旧姓を伺ったが、小生には覚えのないお宅のようだった。
お互いに「○○寺」の話が出た奇遇には驚いたのでした。さぞかし帰宅されて奥様と話をされておられると思う。
意外に奥様は我が家の実家の事を知っておられたりもするのかな?などと考えてしまった。

この広い世間も意外に狭いものなのだなと思ったことでした。


山形の秋の風物詩のひとつ「ラ・フランス」だ。甘くて美味しい。今年は娘たちにもお裾分けせずカミさんと食べてしまった。御免ね。

              




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テレカの四半期

2007-11-18 15:51:01 | 独り言
テレホンカードが世に出てから25年になるそうだ。
公衆電話を探してようやく電話を架けようとしたが、小銭がなくて立ち往生した記憶が何回もあった。
それをプリペイドカードとして「テレホンカード」(テレカ)が発行されて、同時に公衆電話もテレカ対応型に変わり随分と便利に使わせてもらった。
企業の宣伝用にも重宝されたこのテレカは、ピーク時には年間4億枚も発行されたそうだ。
しかし携帯電話の普及とともに順次発行枚数も激減している。同時に公衆電話そのものも設置台数が減ってきた。
現在はクオカードや図書カードにお株を奪われている。しかし今でも年間で1480万余枚が発行されている。
「以前の様にギフトの需要は減ったが、主に通話目的で買われている」とNTTは説明している。

このテレカだが根強いファンも多い。愛好家団体「テレカ収集協会」の堀田会長は「新デザインの発行が減り、若者のテレカ離れが進んでいる」と気をもんでいるが「アイドルやコミック、名所旧跡、スポーツ。あらゆるジャンルがあり、誰でも好きな分野が見つけられる」とその魅力を語る。希少カードには100万を超す値段もついたことがあるそうで好事家も多い。

小生も一時はテレカを集めたことがあったが、ボランティア団体が電話代の支払いなどに当てるための寄付に応じたり、病院に入院した際等に随分使ってしまった。
そして今回改めて収集している内から選び出したのが下記の写真のテレカだ。あまり価値のないものであろう。

「郷ひろみと二谷友里恵とのご成婚記念」と「宮沢りえのデビュー当時のリハウス娘」両方とも戴きもの。
 
             

「10数年前にカミさんと訪れた、八尾の「風の盆おどり」の会場で手にいれたも」 

                     

「エリザベス2世号が横浜に寄港した時の記念カード、戴きものだがカード入れに「031」のNOが入っている。」

          

「鬼平犯科帳の新橋演舞場での上演記念。最寄の地下鉄東銀座駅で手に入れた」

                     
             
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大相撲の話から

2007-11-17 20:01:24 | スポーツ一般
今年の大相撲は実に多彩な話題を提供してくれた。
先年から八百長相撲が取沙汰されて久しい、報道した週刊誌を協会が名誉毀損で訴えて争っている。
大相撲に限らず個人対個人が相対するスポーツには、手加減も可能なことから疑惑が生ずるのは止むを得ない。
しかし大相撲にも長い間に絶えず疑惑があったのも確かである。

そして今年に入って横綱の朝青龍問題である。地方巡業を負傷の為に欠場しながら、母国でサッカーに興じていることが判明して出場停止になってしまった。そしてだんまりを決め込み、母国での療養を協会が認めたためにモンゴルへ帰省した。その間判明したのはモンゴルでも有数の実業家として、手広くサイドビジネスを手掛けている朝青龍の姿だった。モンゴルの英雄は今月末には日本に戻るらしいがどんな態度を見せるのだろうか?

さらに時津風部屋の若い力士の暴行死はショッキングな事件だった。「カワイガリ」と称する稽古?の噂は絶えずあったが死亡するまでの「カワイガリ」があったとは今でも信じられない。

11月の九州場所で4連勝に挑んだ我が贔屓の力士の「高見盛」関。相手を一気に土俵際まで押し込んだが、見事な打っちゃりを食い無念の負傷負け。今場所も気合充分にゴリラ張りの胸を叩きながら吼えまくったが無念の休場だった。これで小生もヒートダウン。毎日相撲の放送は見ていない。高見盛の取り組みに懸賞を出していた「永谷園」も懸賞を取り止めた。

相撲界の「八百長」の語源を説いたコラムによると、もともと大阪相撲界では「たにまち」と言はれた贔屓筋が多かった。そして八百屋を営む「八百長」さんという方が相撲界を贔屓して、同時に各相撲部屋やお茶屋さんに野菜を納入して大儲けをしたらしい。そこで相撲界の贔屓筋を「八百長」と呼んだそうだ。だから元々の語源はわざと負ける「八百長相撲」のことではなかったらしい。

しかし江戸の相撲界で有名な横綱「谷風」が、弱くて有名だった「佐野山」という力士が、毎夜毎夜お宮で水コリをして郷里の親の病気回復を祈っていることを知った。そこで名医を手配して、薬代を与えて元気をつけてあげた。それだけでは佐野山の暮らしが立たない。そこで一番負けてやろうと、土俵で一世一代の芝居を打って負けてやった。大喜びした満場の観衆は「佐野山」にご祝儀金を雨あられの如くあたえた。佐野山はそれで借金を返し郷里に帰り米屋になったという。
あとでその相撲が「八百長」と分かった江戸の人達は、「いい話じゃないか、八百長じゃない人情相撲」だと喜んだという。江戸っ子の心意気は「八百長」相撲にも寛大だったらしい。

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大変だ

2007-11-16 20:28:50 | サッカー
サッカー日本代表のオシム監督が、今朝未明急性脳梗塞で倒れて病院に搬送された。
14日は浦和でアジアクラブチャンピオンの決勝戦を観戦。15日はJ1のJ千葉の練習を見ていた。
そして昨夜もサッカーのTV観戦した後に倒れた。忙しい日々を過ごしていたいた様だ。
小生もこのブログに毎月の始めには「オシム語録」を転載して彼の指導振りを評価していた。
川口日本サッカー協会キャプテンは「現段階では長期的な見通うしは何も言えない」としている。
ようやく日本チームの底上げも出来て、2010年南アフリカW杯の予選に向けて動き出している日本チームに暗雲が漂う動きとなってしまった。

一日も早い再復帰を期待しているのは、小生だけではないだろうと思う。

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何とかの一里塚

2007-11-15 20:05:27 | 独り言
昨日は小生の60うん歳の誕生日だった。
早々に2人の娘たちからお祝いのメールをもらった。
そして夜には「孫」からもお祝いの電話があった。「ボクと何歳違うの」との問いに60うん歳違うんだよと説明したがずい分違うんだねとの事だった。その年月の長さが「孫」には想像もつかないだろうと思いました。

そして全く初期段階の前立腺がんで前立腺の摘出手術から一年半が経過した。手術後は3ヶ月毎の検査をしてきたが、前回の9月の検査ではPSAの値が少し上がっていた。その為に今回は2ヶ月後の検査指示があり、やはり昨日の午前に担当医師に検査結果を確認に行きました。結果はPSAの値も前々回並みに下がっており問題なしのご託宣であった。次の検査は手術後丸2年になる2月まで無し。先ずはめでたい、めでたい。

そしてもう直ぐ古希に近い誕生日。「誕生日?冥途への道の一里塚めでたくもありめでたくもなし」こんな聞いた事のある様な言葉を思い浮かべてしまいました。

限りある人生とは分かってはいるのですが、神様どうかもう少し生かして下さいと念じたのでした。

今夜のホロリ
神様、仏様、稲尾様と言はれた、鉄人稲尾投手が亡くなりました。一昨日のゴルフコンペで同じ大分県出身の友人のひとりが、大分県の高校野球予選大会で何と稲尾投手からランニングホーマーを打ったとの昔話を聞きました。非常に残念がっていました。同じ年代の彼の早すぎた訃報は悲しい。 合掌・・・・


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映画「椿三十郎」のこと

2007-11-14 18:25:02 | 映画
黒澤映画の「用心棒」の続篇として「三船敏郎」「仲代達也」主演で発表されたのが45年前。
その映画が今回、「織田裕二」「豊川悦司」のコンビでリメークされて12月に封切りされる。
もちろんキャストは一新されるが、脚本は菊島隆三、小国英雄、黒澤明のオリジナルものを使うそうだ。
元々この映画は「用心棒」のヒットに気を良くした映画会社に強くねだられ、黒澤監督が渋々作った作品だった。
小生は当時、山本周五郎の作品の全集も読んでおり「日日平安」という小編ものが原作であったのを知り、黒澤映画ではどんな風に描かれるのかと興味を持って鑑賞した作品でもある。
「物語はうらぶれた浪人が、たまたま立寄った小藩の汚職事件にからんだ騒動で、若侍達に協力して気転を利かせて解決を図るというものである。」本来の原作は題名の通りひとりの死者も出ない物語だ。
それが映画化される段階になって「10秒間に10人を叩き切る」と映画会社が目論んだ通りに、主人公がバタバタと人を斬らないと話が進まない仕掛けにしてしまったのだ。その為に殺略劇の印象の強い「用心棒」より、さらに10人ほど余計に斬り捨てることになった。

昨日の朝日新聞夕刊の「窓」論説委員室からでは、今回のリメークではより原作に近づけて、主人公の三十郎をインサイドワークの切れ味で難局を切り抜けるリーダーとして描いた方が良かったのではないかと主張している。
物堅い筈の編集委員の方の主張が面白かったので今日はこの映画のことを取上げてみた

確かに時代劇と言へば、バッタバッタと人を斬るのが定番になっている。しかし江戸時代であってもそんなにめったやたらに人は斬っていない筈と市民文化大学の江戸時代の研究者の「大石学」先生は力説する。
この方はNHKの時代劇の時代考証を担当される先生であるが、最近のドラマでも斬るのではなく峰打ちをするように勧めているそうだ。その方がより現実に近かったと言われるのだ。
たしかにせっかくのリメークであれば、より原作に近い形で話を進めた方が、あの有名でショッキングな最後の決闘シーンが活きてきたのではないかと小生も考えた次第である。

どちらにせよ、インターネットで同映画の予告編を見る限りでは、三船、仲代のオリジナル映画のあの重厚さが活かされたのか疑問である。黒澤映画のリメークを手掛けるなら、黒澤映画を超える工夫があっても良かったのではないかとも思った。機会があれば封切り後に鑑賞してみたい。

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疲れました

2007-11-13 19:53:45 | 独り言
今日は年に3回実施している、元の企業の同期会の会員のゴルフコンペ。
前回は何と小生が優勝しているので、今回は世話役に。
何せ同じ年代なので大会直前までは参加者の健康等が気掛かりである。
昨日は2名から突然のドタキャンがあった。腰が痛いためにプレーが無理になったとの弁。ああ・・・・・
急いで組合せの変更をゴルフ場に連絡したり、組合せ表や競馬の投票枠の変更の印刷し直しでテンヤワンヤ。
そして今日は朝の5時起きだった。5時45分に最寄のS氏が迎えに来てくれて出発。
東京都心を走り抜けるのに渋滞もなく何とかスタートの一時間前には到着。
あとは全員が揃うまで幹事は息が抜けない。幸いに時間どうりにスタートが出来た。
空は抜けるような青空、富士山もくっきりと見える暖かい一日で無事コンペも終了できました。
しかし日頃の運動不足、練習不足もたたって本当に疲れてしまった一日でした。スコアーもまあまあで何とか終了。
次回までにはやはり練習も大事と悟った次第です。

同じ企業に入社して以来50年近い付き合いの仲間達の集まりは、実に和気あいあいの雰囲気で楽しい一日でもあります。やはり古希近い仲間たちですが次回の再会を約して別れてきました。

今夜のクスリ
実は通学している千葉県生涯大学校では11月20日に芸能大会があります。
我がクラスのチームでは「花笠音頭」を踊る事に。下の写真は昨日の練習に励んでいる小生です。
楽しそうでしょう。

             
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スポーツは「ドラマ」だ

2007-11-12 17:57:46 | スポーツ一般
昨日のスポーツ放送は実に楽しませてもらった。
まるでドラマのクライマックスを見るような幕切れは、まさにスポーツも「ドラマ」だと思った。

先ずは男子のプロゴルフ。16番までは賞金王争いでトップの谷口徹選手が一打差でリードしていた。しかし17番でB・ジョーンズ選手がバーディーで同スコアーに。しかし最終ホールの18番で「ドラマ」が待っていた。
先に第2打を打ったB・ジョーンズのボールはグリーン左手前のラフへ。そして次の谷口選手はグリーンをわずかに外した右ラフだった。そして360ヤードのドライバーを飛ばしたA・スコット選手はロングの第2打を何と9番のスーパーショットでピン傍へピタリ2オン。
そしてB・ジョーンズ選手は何とパターで第3打を打った。解説席の中嶋選手がパターとは信じられないとの言が終わるや否や何とボールはそのままグリーンを滑るように転がりカップイン。奇跡のイーグルパットだった。追いつめられた谷口選手も8番でチップインイーグルを果敢に狙ったが惜しくも外れてしまった。1打差での逆転優勝を許してしまったのだ。
奇しくも谷口選手が打った場所は、2001年のゴルフW杯でT・ウッズ選手が決勝戦で奇跡のチップインイーグルを決めた処とほぼ同じ処だった。(記念のメモリアルプレートが埋め込んである)

そして中日Dと韓国のSKが優勝を争ったプロ野球アジアシリーズの決勝戦。
予選リーグを3勝して圧倒的な強さを示した相手だったが、中日Dは序盤の劣勢を跳ね返して、5-3とリードしたが8回に2点ホームランで追いつかれてしまった。しかし9回に何と中日Dがかろうじて1点をもぎ取り、日本勢の3連覇を達成した。緒戦の敗戦から立ち直りの逆転優勝で、選手が一勝の大切さを知ったという。
それにしても韓国のチームは力強く逞しい。五輪代表の星野ジャパンも要注意だと思った。

さらに女子ゴルフ、18番ホールまで1打差で首位の佐伯選手が最終ホールで痛恨の池ボチャ。後続の茂木、北田選手とのプレーオフに。早々に佐伯選手が脱落したが、2ホール目で北田選手が優勝をもぎ取った。
彼女はツアーで初優勝した2004年には3勝をマークし、賞金ランク3位を記録した。翌年の2月には宮里選手と組んだワールドカップで優勝するなど、順風満帆のゴルフ人生だった。しかしその後は怪我もありシード落ちの悲哀も味わった。この大会もシード権を懸けた試合だった。首位でスタートした最終日も佐伯選手に首位を奪われての苦しい展開から、見事に逆転優勝を飾ったのだった。今季半ばからけんしょう炎も癒えた25歳の彼女は、若い選手達が競い合う女子ゴルフ界に見事に復活した。


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がん検診のこと

2007-11-12 08:19:40 | 独り言
何故か昨夕からインターネットが、どこかの党首氏の様に「プッツン」してしまいました。
原因は不明。今朝何回かの操作でようやく開通。フレッツ側に何らかの原因では思われる。
そう言へばフレッツTV導入の工事のチラシが入っていたかも。そんな事で昨日分を今朝アップしております。

日本人の死亡率の上位にがんによる死亡が急増している。
内閣府が発表した「がん対策に関する世論調査」によると、がん検診が重要と考えている人が9割以上あるのに「肺がん」「胃がん」「大腸がん」の3大がんの検診を一度も受けたことのない人が半数以上にあがることが分かった。
調査は今年9月、20歳以上の男女3000人を対象に実施した。

検診が「重要と思う」と答えた人は95%あった。
しかし検診を「今まで受けたことがない」との回答が、肺がんで52%、胃がんで46%、大腸がんでも50%に達した。
女性を対象にした、子宮がんでは38%、乳がんで50%が一度も検診を受けていないことが分かった。

国の指針によると、肺がん、胃がん、大腸がんの検診は四十代から毎年受診することが望ましいとされている。
それだけ日本人も欧米化した環境のなかで、がんの罹病率が高まっている証左である。

小生の経験では、大腸がんも前立腺がんも全く偶然の検診で発見されている。そして初期段階の対応で他部位への転移もなく、抗癌剤の服用も一切なしで、その後の定期的な検診でも順調に経過している。

この内閣府の調査を見て、老婆心ながら自身の経験も踏まえ、自分は大丈夫と思わず検診を受けられることをお奨めする。

  
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「成瀬投手」の悔し涙

2007-11-10 17:46:14 | 野球
千葉ロッテMの広報担当者が、日本シリーズ進出を懸けた最後の試合に敗れた「成瀬選手」の悔しい涙のことを書いていた。
2勝2敗で迎えた最終戦、相手は日本ハムFのエース、ダルビッシュ投手。対するは今シーズン16勝1敗と驚異的な成績を残した「成瀬投手」だった。結果は3回3分2を投げて4失点。負け投手となり2007年の千葉ロッテMのシリーズは終了した。試合後は「成瀬選手」はベンチで泣いていた。ただ、下を向いて泣いていたという。何時もは感情を出さない男の涙だった。

クライマックス・シリーズの一週間後に、そろそろ心の傷も癒えていると思い、あの時の涙の訳を聞いたそうだ。
「あの涙ですか、最後の最後に結果を出せなかった悔しさですかね。せっかくシーズンを頑張ったのに、ちょっと点を取られただけで動揺して、そこから崩れてしまった。終わりよければすべて良しという言葉がありますけど、それが出来なかった悔しさですね。最後に自分の弱さがでてしまった」
そう答えながらもなかなか気持の切り替えが出来なかった事をも話した様だ。
あの2死1.2塁。打席に迎えたセギノール。カウント2-3。その7球目、イメージでは低めのチェンジアップの空振り3振だった。しかし球はセンター後方に弾き返された。あと1アウト、あと1球だった。あの場面を踏ん張っていさえすれば・・・・。
夢を見ては、目を覚まし現実をかみ締める日々が続いた。
「まだ駄目でしたね。地元に帰って友達と遊んでいても家に帰っても、どうしても思い出してしまう。みんな、その話題を口にするしね」

ただ、「成瀬投手」には悪い思い出ばかりではない。試合後に先輩がかけて言葉が熱く胸に刻まれている。
西岡選手は「オマエで負けたら仕方がない」と肩を叩いてくれた。清水選手は「ここまで来れたのはオマエのおかげだよ」と笑ってくれた。サブローと福浦の両選手は「ありがとう」とつぶやいてくれた。雲の上の先輩がかけてくれた言葉で、今季の1年間を精一杯投げられた事に対する充実感をかみ締める事が出来た。
今はもう、すがすがしい気持であの試合もいい経験だと思えるようになり、この悔しさを来年にぶつけたいと思えるようになっているそうだ。さらに精神面、技術面、スタミナ面。反省するところは反省して来年以降に活かしたいと決意を語った。
まだまだ22歳、今年のちょっとホロ苦い思いでは封印して、星野ジャパンの日本代表の一員としても頑張って欲しい。

それにしても千葉ロッテMのフアンのひとりとして、今季最高の盛り上げを見せてくれたクライマックス・シリーズを堪能させてくれた事に感謝したい。
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