今朝の朝日新聞「朝日俳壇」から借用。
栃木県壬生町のあらいひとしさん。「どの顔も あとは死ぬだけ 土瓶蒸」とある。
年に1~2度集まるご同輩達の場合、次に集まる時は何人かが欠けるのではと危惧する。
この句は、そんな高齢者が集まる宴会の模様を描いている。何故かシーンとした気持ちで読ませて頂いた。
栃木県壬生町のあらいひとしさん。「どの顔も あとは死ぬだけ 土瓶蒸」とある。
年に1~2度集まるご同輩達の場合、次に集まる時は何人かが欠けるのではと危惧する。
この句は、そんな高齢者が集まる宴会の模様を描いている。何故かシーンとした気持ちで読ませて頂いた。
逆な発想の俳句なりを期待したいです。
100歳までは生きれませんが、そこまで楽しんで生きたいようなそんな句が希望ですが・・・。
高齢者だけの付き合いが多くなったこともあり、この句のが気になりました。
最近、がんと壮絶に戦って死亡された知人があり、小生も「死」と言う言葉に敏感になっています。
前回より少しずつ減って行きます。
欠席理由は色々ですが、本人の体調、家族の看護、孫の結婚式と重なった、経済的な理由など・・・
次回は傘寿の会です。
何名参加出来る事やら・・・・
小生の方も、4月に早めに喜寿の祝いの会が開催。
関東に出てきている小中学持ち上がりの同級生会でしたが、昨年に2名死去。
毎年実施ですが来年は出られない方も・・・・。心配です。