おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

国語審議会-迷走の60年

2008-02-29 23:52:52 | 読んだもの
 安田敏朗さんの「国語審議会-迷走の60年」を読みました。斎藤美奈子さんの「文章読本さん江」を買った時に新刊で出ていて、何となくいっしょに読まないといけない気分になり、買ってしまいました。

 タイトルどおり、国語審議会の60年にわたる歴史が綴られています。著者の安田さんは国語審議会の委員を現在派と歴史派にわけ、この60年はその両派のせめぎ合いだったと書かれています。現在派とは「『国語』が国家の中で遍く通用するものであることと考える人たち」で、歴史派とは「『国語』はその国家の歴史・文化などをあらわすものと考える人たち」と定義されています。

 で、安田さん、全編を見事なくらいこの「現在派と歴史派のせめぎ合い」で説明をつけていらっしゃいます。安田さんのおっしゃりたいことはわからなくもないし、確かにその通りなのかもしれませんが、正直なところ「何もそう何でもかんでもそれで説明しなくても…」って思った部分もあります。

 ただ、そういう主張をあまり深く考えずに読めば、タイトルには“60年”となっていますが、戦前・戦中・戦後の国語審議会、つまりそれは日本国の国語に対する考え方を表す審議会なんですが、そういうのが概観できて、非常に興味深い内容でした。

 この本を読むまでは、国語審議会って『漢字』と『敬語』だけを審議されているのかと思っていましたが、決してそうではなくて、『日本語の舵取り』をしてきた機関です。

 例えば、日本語の表記なんですが、今はこうやって漢字・平仮名・片仮名・アルファベットを混ぜて書いていますが、それが“棒引き”(こうやって→こーやって)とか“カナモジ”(片仮名だけで書く)とか“ローマ字”(ローマ字で書く)とかにしようとする動きがあって、今見ると「それって、ジョークでしょう?」と思ってしまいますが、それを提案されていた委員の方たちはかなり本気だったようで、よくぞ反対意見が通ってくれたと思います。ダッテ、Yappari、こーいうのってへんですよね?

 日本語って当たり前にあるもので、若干使える能力に個人差があるのは認めますが、日本で生まれ日本で育った人間は当然の如く日本語を読んだり書いたりしています。そんななので「何をどうすることがあるの?」と私なんかは思っていますが、いろいろすることがあるんですね。

 この本、なぜか審議会の委員である上田万年博士や時枝誠記博士など錚々たる方たち写真を載せてらして、お名前は存じ上げているけど…って方たちのご尊顔を拝することができ、ちょっと「おぉぅっ」と思ってしまいました。

 
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