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yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2017.10 26日~2日までアルザスとドイツ黒い森を訪ねるツアーに参加

2017年10月25日 | 旅行

 ドイツ、フランス、スイスの国境にアルザスと呼ばれる地域がある。かつてはドイツとフランスで領有が争われた。現在のフランス・ストラスブールはかつてアルザス地方圏の首府だった。
 ストラスブールには気ままな二人旅で2012年に訪ね、2泊した。一時ドイツ領になったこともあり、フランス・ドイツの文化の交流が残されている。
 そのアルザスと接したドイツ側は黒い森シュヴァルツヴァルトと呼ばれている。風光明媚な風景が展開するらしい。
 明日、10月26日から11月2日まで、「アルザスとドイツ黒い森」行程図参照)を訪ねるツアーに参加する。日本の12月の気候らしい。ここ数日は冷え込みぐらいだろうか。寒さ対策を万全にして、昨日、スーツケースを宅配で成田に送った。
 年金暮らしが厳しいので、ビジネスシートはあきらめ、プレミアムエコノミーシートにした。シートは180°にならないが、前後、左右が少し楽になる。
 ノートパソコンを持参し、wifiが使えるところでは旅の様子を送るつもり、ご期待を。
 

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佐伯泰英著「悲愁の剣」は長崎の南蛮貿易にからむ陰謀+南蛮絵師・辰次郎の花魁画・天女図

2017年10月23日 | 斜読

book452 悲愁の剣 佐伯泰英 角川春樹事務所 2001
 長崎を舞台にした本を探して見つけた。実際の舞台は江戸・浅草界わいだが、長崎・出島の南蛮絵師・通吏とおり辰次郎が長崎代官の李次すえつぐ家の没落を解明しようとする展開であり、当時の長崎の海外貿易の利権が解説されるから、長崎を舞台にした本に分類されたようだ。
 物語は、第1章 浅草溜め
第2章 南蛮絵師
第3章 暗闘
第4章 黒い絵
第5章 思慕の人
第6章 浅草瑠理堂
終章 炎上 と展開する。
 ときは享保4年1719年・・8代将軍徳川吉宗の時代・・のころ、浅草寺近くの山谷堀で、27才の辰次郎が頭の車善七を助けたことから話が始まる。善七は命の恩人である辰次郎を、どぶを挟んで花の吉原と隣り合う小屋に案内する。善七たちは町奉行の配下にあり、処刑された罪人の始末、牢内の清掃、汚物処理などを任されていた。・・は士農工商の枠外であり、差別されていたが、反面、同士の結束は強いようだ・・。
 辰次郎は李次家の跡継ぎである茂嘉を、島流しにあった隠岐の島から密かに連れ出していて、李次家取りつぶしの真実を明らかにし、李次家再興を願い出ようと江戸に出てきたところだった。茂嘉は家族が惨殺されたショックで口がきけなくなっていた。辰次郎と茂嘉は、善七の口利きで浅草寺北の銀杏長屋に住むことになった。長屋には植木職人富三が目の見えない娘おしのと住んでいて、おしのと茂嘉はすぐに仲良くなり、笑顔も出るようになった。
 そのころ、長崎は海外貿易ができる唯一の港で、李次家は南蛮貿易で巨万の富を得、長崎奉行を代行するほどの権勢を誇っていた。出島を監理する町年寄を出島乙名と呼ぶそうで、この本では平塚四郎平が登場するが、すでに何者かに殺されている。辰次郎と李次家の長男茂之、四郎平の娘瑠璃は幼なじみであり、瑠璃は辰次郎が好きで結婚の約束をしていた。
 江戸から大村備前守清治が長崎奉行として着任する。大村は南蛮貿易を厳しく制限し始めた・・裏には、幕府が南蛮貿易を手中に収め莫大な利益を手にしようという魂胆があるらしい・・。幕府から要人・・あとで老中久世大和守唯周とわかる・・が長崎に来たおり、大村とともに李次家が接待をしたが、瑠璃も宴席の花となった。久世は瑠璃を側室にしたいと伝えたが、李次家は茂之と瑠璃の結婚を理由にこの申し出を断った。
 長崎奉行たちによる南蛮貿易の制限に、茂之は活路を見いだそうと辰次郎に安南の長崎交易所に手を貸すよう要望する。瑠璃との結婚を夢見ていた辰次郎は、長崎のため茂之の願いを受け入れ、瑠璃と一夜をともにしたあと、阿蘭陀船で密航する。
 間もなく長崎奉行が阿蘭陀船を抜け荷の罪で拿捕する。この知らせが安南の長崎交易所に届き、辰次郎はほとぼりが冷めるまで天竺などを放浪する。もともと剣の腕は確かだったが、異国で戦い方を身につけ、マカオではポルトガル人ジュゼッペ・カスティリオーネから油絵、遠近画法、フレスコ画などの技法を修得する。天竺に戻った辰次郎は抜け荷の罪で李次家の財産が没収され、一家が隠岐に流罪になったのを聞き、密かに帰国、茂之・瑠璃の息子・茂嘉を連れて江戸に向かい、冒頭の頭・善七と出会う。
 銀杏長屋に住むことになった辰次郎は、収入を得るためにおしのをモデルにした南蛮絵を描き、絵師の看板を掲げた。ほどなく吉原の売れっ子の花魁、高尾太夫から花魁道中を南蛮画で描くよう依頼が来る。辰次郎は高さ1間、幅1間半の屏風絵として見事な高尾太夫の花魁道中を仕上げるが、何かが足りない。・・高尾太夫が背負わされた運命の重さに耐える美しさと悲しみの交錯を認めた辰次郎は、見事な花魁道中に黒いつむじ風を書き加える。高尾太夫は本性を描いてくれたと喜び、黒い花魁道中を外から見えるように飾った。これがたいへんな評判になる。
 話が前後するが、辰次郎は李次家没落の真実を明らかにしようと、元長崎目付河原や元長崎奉行大村に会いに行く。その間、何度か襲われ、相手を倒すも、銃で撃たれ深手も負う。傷を癒やしながら高尾太夫の絵を描き上げてしばらく後、老中久世から呼ばれ、面をかぶった側室との淫らな絵を描けと指示される。断ったところ、銀杏長屋に久世の配下が押し込み、茂嘉を誘拐する。やむを得ず、淫らな絵を描き上げる。なんと、側室は惨殺されたはずの瑠璃で、辰次郎を襲った刺客も殺されたはずの瑠璃の父平塚四郎平だったことが露見する。さらに、茂嘉が辰次郎の子だったことも分かる。
 話がまた前後する。善七は死罪になった囚人、吉原で死んだ花魁、の霊を慰める六角形の供養堂を建てる許可が下りたので、辰次郎に天井画を依頼する。辰次郎は6間四方の天井にフレスコ画で天女を描き上げる。天女の顔は瑠璃に似ていた。背景はラピスラズリを用いた青い空で、善七は浅草瑠理堂と名付けた。検分した奉行は天女楽園図に切支丹画の嫌疑をかける。そこに善七の偽手紙で天井画を見に来た久世と側室・瑠璃が登場する。辰次郎は茂嘉を連れて立ち会った。
 辰次郎、瑠璃、茂嘉はどんな結末になるか?。話の展開に気になるところがあるが、長崎における海外貿易の利権にからむ陰謀、浅草界わいや吉原の様子ををからめてよく描き出している。

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2006.2 オリンピックの開発を念頭に、中国・青島で歴史街区保存をテーマにシンポジウム

2017年10月22日 | studywork

2006.2 「青島公開研究会 中国・青島の歴史街区保存を考える」

 2006年2月、中国・青島理工大学を会場として、日本建築学会集住文化小委員会主催の公開研究会「中国・青島の歴史街区の保存を考える」が開催された。これは、平成17年度文部科学省基盤研究(B)(海外)の補助を受け、2005年9月に実施した中国・青島市に残る歴史街区調査の成果に基づく研究報告会である。この調査研究は青島理工大学との共同であり、青島理工大学ではこの研究会を国際学術会議と位置づけ、副学長開会挨拶、青島歴史建築保存協会副会長臨席、青島テレビの取材の盛会になった。
 研究会に先立ち、当日の午前は、まずJ 教授の案内で青島に残る代表的なドイツ建築「康有為故居」「迎賓館」を視察した。初めての参加者には中国のドイツ建築入門編といったところか。
 康有為氏(1858-1927)は、清代末期の学者・政治家として知られ、ヨーロッパの実学を学び、日本の明治維新にならった変法運動をおしすすめ、立憲君主制にもとづく清朝の再興を画策したが成功せず、青島のこの建物で病死した。建物は1899年のドイツ時代につくられ、康有為氏が住んでいたことから1999年に故居として改修、公開された。私も初めての見学で、ドイツ風コロニアル様式に中国様式がミックスしているのがよく分かる(上写真)。
 迎賓館はドイツ時代の総督官邸(1908)であり、ドイツゼツェッションスタイルで中国様式は取り入れられていない(下写真)。建築の対外的な位置づけの差であろう。

 そのあと、本題の調査地である歴史街区「向陽院」に向かい、街区の特徴を私が説明した。この間、歴史建築の保存の意義について青島テレビから取材を受けた。これを機に、保存の動きや少なくとも保存の第1歩となる調査について市民の関心が高まることを期待したい。

 昼食後、青島理工大学学苑賓館2階の大会議室で研究会が開かれた。日本側参加者は8名、中国側参加者は23名余の盛会であった。会場には、歴史街区のうちの7街区の外観立面を1/100スケールで立ち上げた街並み模型、中庭型街区の配置・平面・立面パネルが展示され、研究会を盛り上げた。
 副学長挨拶、私は主旨説明に続いて、2004年9月、2005年3月、同9月の実測調査をもとに作図した街区立面の特性について「青島の歴史街区の外観構成」と題し発表した(下図)。
 次にO先生が2005年9月調査をもとに、街区を分割した中庭型空間構成の特徴と住まい方について「中庭型街区の空間構成」と題し発表(写真)、質疑応答、休憩をはさみ、J 青島理工大学教授「1891-1914における青島の都市計画と都市形成」、C同助教授「中山路歴史建築実測成果」、S同助教授「幼稚園として使われている歴史街区事例」の発表、質疑応答が行われた。青島歴史建築保存協会副会長を始め、歴史街区の意義、保存手法、保全的開発など、活溌な意見交換がなされたが、通訳が入るため気がついたときは6時であった。

 青島は経済解放区として盛んな開発が進んでおり、北京オリンピックではヨット競技会場となるため開発に拍車がかかっている。歴史街区の保存か開発かは緊急課題といえ、今回の研究会で保全的活用の重要性を伝えることができたと感じた。閉会後、学科主任主催の懇親会が開かれ、保全か開発か、議論が続いた。
 翌日に対岸の漁村集落を見て回ったが、漁村は撤去され、大規模な更地整備、高層マンション開発の現状を目の辺りにした。保全的活用提案の重要性を再確認した。

・・・・・・・ 帰国後、T君から感想が届いたので、転載する
中国 青島を訪問して
 私が今回青島に行くきっかけとなったのは、先生が宮津に来られたときの何気ない一言でした。「今度中国・青島に行くんだ、興味があればどうぞ」、屈託のない笑顔でひょうひょうとして海外旅行へ誘う?様子は、10年以上前の卒業した当時の先生そのもので 、妙に懐かしさがこみ上げてきたことを覚えてます。それも手伝って、中国には行ったことがないし、行ってみよう!という気になり、急ぎ先生に「本当にご一緒させていただいてもよろしいですか?」という返事をしました。もちろん快く承諾してくださいました。
 行く前に、先生の研究論文や、各HPで観光情報を出来るだけ集めて調べましたが、青島の情報は本当に少なく、中国のガイドブックを買っても青島はほんの数ページ。また、先生の論文は当然ですが歴史街区に関するものが主であったので、ミクロとマクロが両極端になり、かえって頭の中がごちゃごちゃになってしまいました。要は自分が青島という街に立って何を感じるかが大切なわけで、あまり気にしないでとにかく行ってみようという考えにすぐ切り替えましたが・・・。
 初日は、夜8時位に現地ホテルにチェックイン。すでに到着していた先生達と合流し、夕食をご一緒させていただきました。少し戻りますが、青島の空港に迎えに来てくれたのは、なんと10年以上前、当時私が学生だった時、留学生だったSさんでした。本当に懐かしく感動の再会でした。少しふくよかになられたようで聞けば結婚されて6、7ヶ月のお子さんがいらっしゃるとか。幸せ太りというヤツかも・・・と勝手に想像しました。
 2日目からは本格的に青島の歴史的街区を見学。昨日は夜なので暗くて見えなかった街を見ることが出来ました。一言で言えばかなり都市開発が進んでいて、しかも高層建築物がまるで競い合うように建設されている状況です。ドイツの都市計画のもとに形成された歴史街区は、その都市開発がもうあと何年かで及んでくるであろうという場所にありました。
 歴史は繰り返すといいますが、ここ青島の街並みだけを見れば、1900年当時、ドイツまたはその後日本によっての都市計画がなされ、ドイツ風の街並みがおそらく強引に形成された。そして100年たった今、今度は中国自身の都市開発計画により、歴史的街区を含めた古いものはすべて破壊され、おそらく強引に高層建物群を形成していく。この街は100年位のスパンでこんな方法でしか街を変えていく術を持たないのかもしれない。もしドイツ風の街並みを価値あるものと判断するのであれば、早急に専門家による歴史的街区調査研究をふまえた行政による修繕方法等を含めた都市計画が必要であると感じました。
 歴史街区は、たしかにドイツ軍が強引に都市計画をしき、中国であるのにドイツ風の赤煉瓦屋根にアーチ窓といった建物で形成されています。しかし、そこに住み続けてきた人々の知恵によって、所々に中国のデザインを取り入れた手摺りがあったり、また使い勝手をより良くするために中庭や中廊下という空間を最大限に活用して増築等を行っています。ドイツと中国が融合した大変貴重な様式をつくっているといっても過言ではないでしょう。私はいつも建物の保存を考えるときに思いますが、保存=昔のままの形を残す(あるいは戻す)というのはタブーで、その街、その建物に住み続けてきたということに最大の価値があり、人々が住み続けるために行ってきた手法(その時代時代の変化にあわせて工夫されてきた様子)を、専門家の意見と混ぜて形として残していくことこそが、街並み保存と言えるのではないかと考えます。青島の専門家、行政には、良い仕組みは残して、現代の生活様式にあった住宅、街並みをつくるという気持ちを持って欲しいと思いました。
 また何年かして青島を訪れた時、あの歴史街区が人々に愛され住み続けられていることを心から希望して、私の感想とさせていただきます。

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2017.10 新橋演舞場でスーパー歌舞伎「ワンピース」を観劇、猿之助に代わり右近が大活劇

2017年10月21日 | よしなしごと

2017.10 新橋演舞場でスーパー歌舞伎「ワンピース」を楽しむ 

 歌舞伎座のメイルマガジン歌舞伎人を受信している。だいぶまえに、新橋演舞場でスーパー歌舞伎「ワンピース」公演の予告がでた。間もなく新聞にも一面で広告が出た。新橋演舞場はユニークな公演が多い。「ワンピース」も公演予告を見るかぎり、興味を引くような天外さを感じた。
 チケットweb松竹の前売りは松竹歌舞伎会会員(要年会費)が優先で、一般はなかなかいい席が取れない。前売りチケット取り扱いをいくつか調べたら、手数料などで割高になるがかなり早く購入できるEを見つけた。さっそく花道の真上の3階最前席を購入した。

 One Pieceについてはまったく知識が無かった。ひとつなぎの大秘宝=ワンピースを巡る海洋冒険ロマンの漫画?、アニメ?、映画?で、カミさんは孫の引率で映画を見たそうだ。
 パンフレットによれば、大ヒットマンガ「ONE PIECE」の世界観を市川猿之助が「スーパー歌舞伎Ⅱ」の手法と北川悠仁ゆずの書き下ろし楽曲で描き、新橋演舞場10万人を総立ちさせた初演から2年、キャラクターを追加しさらなる進化を遂げて、帰ってきたそうだ。

 ところが公演が始まって間もなく、猿之助が花道の迫りで衣装を挟まれ、骨折のニュースが流れた。重傷だそうだ。舞台には迫りや回り舞台があり、舞台装置も大がかりで、役者も観客席を走り回ったり、空を飛んだり、迫真の演技をこなしているから、事故も少なくないようだ。回復をお祈りする。猿之助は主役であるルフィを演じていたが、尾上右近が代役になった。観劇の日は尾上右近によるワンピースである。

 物語の第1幕、シャボンディ諸島で海賊のルフィ+麦わら一味が海軍と戦っているうち、散り散りになってしまう。一人になったルフィは、兄エースが処刑されることを知り、単身で助けに向かう。海軍との戦いもスーパー歌舞伎らしい激しい動きが見られたが、圧巻は第2幕の、海底監獄を舞台にした活劇である。舞台奥に10mをこえる滝が設けられ、実際に大量の水が流れ落ちていて、しぶきが1階席前方にまで飛んでいた。あらかじめ1階の前方席にはビニールが配られていて、水しぶきを避けながら観劇していた。

 第3幕は海軍本部に移送されたエースを救う海賊団と海軍との大活劇で、市川右近演じる海賊の首領である白ひげ=エースの父、福士誠治演じるエースが死ぬが、ルフィは麦わら一味との強いきずなを確信し、船出をするところで幕となる。

 大がかりな活劇に+示唆に富んだ台詞で、楽しく観劇できた。ニュースでは、明るい・楽しい・元気が出る話題よりも暗い・つらい・悲しい話題が多い。温泉で気持ちを癒やすのも効果的だが、観劇は手ごろ・手軽に、気分を明るくしてくれる。

 それにしても大掛かりだった。観客をとことん楽しませようとする意気込みを感じる。重ねて、回復をお祈りする。

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グリーニー著「暗殺者の復讐」ではグレイマンがイスラエル首相暗殺を阻止しようと死闘する

2017年10月20日 | 斜読

book451 暗殺者の復讐 マーク・グリーニー 早川書房 2014
グレイマンシリーズの4冊目、1冊目は暗殺者グレイマン、2冊目が暗殺者の鎮魂、3冊目が暗殺者の正義、そして暗殺者の復讐と続いている。暗殺者の復讐の原題はDead Eye(ジェントリーを裏切る工作員の通称)だが、訳者の意訳はいずれも的を射ていると思う。「鎮魂」は殺された命の恩人の家族を助ける物語、「正義」は暗殺を依頼された大統領を法に裁かせ人民を救おうとする展開である。この本では、読み始めでは誰に対する復讐かは分からないが、次第にDead Eyeが怪しいと気づく。

 通称グレイマン=人目に付かない男であるコートランド・ジェントリーはもともとCIAのメンバーで特殊活動部に属していたが、突然、CIAから目撃次第射殺の指令が出た。ジェントリーは、射殺指令を解除してもらい、アメリカでのびのびと暮らしたいと願っているが、1冊目~3冊目では射殺指令は謎のままであり、CIAの目を逃れながら、暗殺の仕事で報酬を得ていた。

 法治社会では暗殺は悪であるが、報道ではテロがしばしば起きているし、暗殺も決して少なくない。グレイマンシリーズを読むと、ジェントリーはp123・・愛するもののため戦うのであり、p170・・邪悪な世界の正義の味方なのであり、暗殺により悪を倒すからp174・・善を行っている、ことになるそうだ。

 この本では、ロシア・マフィアのなかでも危険な大組織の大親分グレゴリー・シドレンコ、通称シドが厳重な警護を敷いている館に、ジェントリーがマイクロライト・プレーン・・小型のグライダーのような飛行機・・に乗って乗り込み、シドを撃ち殺すところから始まる。その様子は、民間企業タウンゼンド・ガヴァメント・サーヴィスの無人機UAVで監視されていた。p166・・タウンゼンドはもとCIA局員による民間企業で、1800年代から政府の汚れ仕事を請け負っていて、今回はジェントリーを見つけ次第射殺の仕事を受けていた。ジェントリーがシドの暗殺を引き受けたことを知り、シドの館を無人機で監視していて、ジェントリーを発見したのである。社長のリーランド・バビットは、ただちにタウンゼンドの独行工作員ラッセル・ウィトロック、通称デッドアイにジェントリーの隠れ家を探すよう指示を出す一方、ニックをリーダーとする8名の暗殺チームを派遣することにした。

 シドの館から逃げ出したジェントリーは、エストニアの首都タリンで隠れ家となるホテルを見つけた。ルーマニアのブカレストでジェントリー捜しの指示を受けた独行工作員ウィトロック=デッドアイは、ジェントリーの資料を熟知していて、ジェントリーの行動が予測でき、タリンに向かってジェントリーのホテルを見つけ出し、真下の部屋にチェックインする。
 ここで不可思議なことが起きる。デッドアイはジェントリーを訪ね、味方だと告げる。そして暗殺チームが襲撃してくる様子をスマホで見せる。さらには襲撃してきた暗殺チームに向かってデッドロックが銃を撃った。ジェントリーはデッドロックとともに暗殺チームを倒したあと、デッドアイと分かれ、ストックホルムに逃れる。

 もう一組、イスラエルの情報機関モサドと特殊作戦課メツァダが登場する。モサド+メツァダは、イスラエル首相への脅威を事前にキャッチし、脅威を取り除くのが任務である。話が飛ぶが、デッドアイはジェントリーになりすまし、ベイルートでイランの情報・国家保安省VEVAKの情報部員と接触してイスラエル首相暗殺を持ちかける。その情報がモサドに流れた。モサドの目標決定官であるルースは、CIAにジェントリーの資料開示を要望したところ、タウンゼンドに案内され、そこで顔認識ソフトウェアがジェントリーらしい男をストックホルムで発見したことを知る。ルースとメンバーはストックホルムに飛び、UAVでジェントリーを見つけ出す。
 一方、デッドアイはイランのVEVAKを信用させるため、ジェントリーのふりをして、南フランスで映画監督ザリーニの暗殺を実行する。

 タウンゼンドは新たな襲撃隊ジャンパー・チームをストックホルムに送る。モサドとジャンパーチームがジェントリーに迫っていることを知ったデッドロックは、ジェントリーが殺されてしまうとイスラエル首相暗殺のカラクリがばれてしまうため、ジェントリーを助けようとストックホルムに向かう。
 ルースは、ストックホルムでジェントリーを密かに監視していた。だから、南フランスでのザリーニ暗殺犯はジェントリーではないと確信する。タウンゼンドの襲撃隊ジャンパーチームもデッドアイの不審な行動に疑問を持つが、命令がジェントリー射殺なのでデッドアイを放免する。

 デッドアイを半ば信じて連絡を取り合っていたジェントリーも、ようやくデッドアイがモサド+メツァダの注意をジェントリーに向けさせ、そのすきにイスラエル首相を暗殺しようとしているらしいことに気づき始めた。ジェントリーはルースと接触し、イスラエル首相が両親の墓参りのためブリュッセルに向かうことを知る。

 ウィットロック=デッドアイはジェントリーになりすましてイスラエル首相の暗殺しようとし、モサド+メツァダが首相暗殺を阻止しようとする、モサドの目標決定官ルースはジェントリーは真の悪人ではないと確信するが、タウンゼンドの襲撃チームがジェントリーを見つけ次第射殺しようとする、ジェントリーは自分になりすましたデッドアイの首相暗殺を阻止しようとする、三つ巴、四つ巴の緊迫した展開は読者を離さない。結末は?、誰のための復讐か?、ジェントリーは無事逃げ切ったのか?。

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