yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2007埼玉設監協主催「卒業設計コンクール」で東京駅を舞台にした働き方提案が最優秀賞

2017年07月14日 | studywork

2007「第7回埼玉卒業設計コンクール」埼玉建築設計監理協会主催

 ・・略・・ 主催は埼玉建築設計監理協会であるが、日本建築学会埼玉支所、埼玉県建設業協会、埼玉住宅検査センターに加え、日本建築家協会JIA埼玉、総合資格学院の協賛、埼玉県、テレビ埼玉の後援を受けるほど幅広い支援を受けており、埼玉卒業設計コンクールの定着ぶりをうかがわせる。これも、埼玉建築設計監理協会のご苦労の賜物である。聞くところによれば、このコンクールで最優秀賞に選ばれた卒業生は、大学院に進んでより建築デザインの研修に励んだり、著名な建築家のもとで実践的な修行を行ったりしているそうだ。埼玉卒業設計コンクールが建築家への登竜門の一つになりつつあることは喜ばしい限りである。
 今年度は以下の25点の作品が9大学から寄せられた。
・・略・・
 審査は公平を期すため、・・略・・ 優秀賞作品候補として3作品、埼玉賞候補として3作品、審査員特別賞候補として3作品を選考し、単純計算でそれぞれの候補作品を絞り込む。次いで、優秀賞候補者、埼玉賞候補者に作品の前でプレゼンテーションを行ってもらい、審査員とのあいだで質疑応答を行ったうえで、特別審査委員が最優秀賞、埼玉賞を各1点選び、単純得票で最優秀賞1作品(残り2作品が優秀賞)、埼玉賞1作品を選考する。
 ところが今年度は優秀賞候補の得票がほどよく分散してしまった。これは優劣がつけがたいほど応募作品のレベルが向上したともいえるが、むしろ、一歩ぬきんでたアイデア、力量を見つけることができなかったというほうが、当を得ている。上記の応募作品のテーマをみても設計意図が分かりにくいように、コンクールの主旨にある「次代を先取りした・・」作品は少なく、現状に対する妥協的解決や個々人の身近な問題への解答、あるいはこれまで繰り返し出されてきたアイデアの焼き直し、社会的な話題に誘発された思いつきなどが大勢を占めた。そのことが得票の分散や決選投票、あるいは審査員から最優秀賞無しの意見が出るなどの結果になったようだ。
 審査会の進行を務める私は審査員の意向を勘案しつつ、主催者と十分協議し、最終的に下記の最優秀賞を2作品(副賞は最優秀賞+優秀賞の折半)、優秀賞1作品、埼玉賞1作品、審査員特別賞候補4作品を選考した。おめでとう。
最優秀賞:Work live Office  および Subako in Urawa
優秀賞:もう一度つながりを求めて
埼玉賞:Subako in Urawa(最優秀賞とダブル受賞)
審査員特別賞:イナバウアーとお花の織り成す緊急時シェルター、Schizo cityスキゾシティ、ヴァルールのような、そこは都会にできた新しい散歩道

 Work live Officeは東京駅を舞台にした新しい働き方の提案である。東京駅に象徴されるサラリーマン達のオフィス街は働くことに特化された街としてつくられ続けてきた。ダークスーツに身を固めたサラリーマンは、しかし、朝早く郊外から満員電車に揺られて出勤し、ささやかな昼食で一日を乗り切り、夜になるとまたまた満員電車で家路につく。たまの花金に居酒屋でうっぷんを晴らしては、定年まで勤勉に働き続ける。こうした働き方への疑問を、働くに楽しむを加えた、あるいは楽しむや自由な生き方と働くが同等の重みを持つ、さらには今風の学生の考えともいえる楽しむに比重がかかった楽しみながら働くライフスタイルの提案である。丸の内側の東京駅は風景として保存し、線路上空から八重洲側の高層ビル街にのびるワークプレイスをデザインしていて、評価を得た。


 Subako in Urawaは最優秀賞と埼玉賞のダブル受賞となった。埼玉賞には、朝霞の自然再生をテーマにしたココロノイバショ、川口の商業施設などを組み込んだマンションをテーマにした重なる町が候補にあがったが、Subako in Urawaのアイデア、力量が群を抜いた。コンセプトの分かりやすさや表現がよく、最優秀賞も獲得した。しかも短期大学なので、2年間の成果が4年制を圧倒したこともあわせ、評価したい。テーマは、浦和に若手アーティストを育てる場所、Subakoの提案である。若い人が集まり、育っていくことが町の持続、あるいは活性化の基本であり、テーマ性も評価された。浦和は古くからの狭小住宅地と新しい再開発高層ビルの2面を持つが、森の広場をデザインし、緑の少ない浦和に潤いの場をも提案していて、これも評価された。

 もう一度つながりを求めては、神宮前を舞台に、刑務所や少年院を出た若者が社会復帰をしていくための厚生施設の提案である。疎外感を感じている初期段階から仲間と活動を共にする中期、町の人と交流する後期を経て、社会に復帰していくプロセスを空間化している。建築計画の確かさや建築技術のレベルは高く、表現も評価された。
 最優秀賞、優秀賞の3作品は、着想、建築計画、建築デザイン、表現に優れた作品であり受賞となったが、卒業設計のテーマを何にしようか考えてこのテーマにした、あるいはこのテーマにふさわしい場所を探してここを設計対象地にした、などのコメントが聞かれるほど、次代を先取りしたテーマでもなく、その土地のもつ場所性、ポテンシャルからテーマが考えられたわけでもない。それだけ学生を取り巻く環境が平穏であり、また彼らに明確な人生像がみえない時代なのかも知れない。中越、インド洋沿岸、玄界島、ジャワ島、能登と身近な災害が続くなか、帰ろう山古志・・や・・緊急時シェルターなど、災害対策、災害復興はもっと追求されてよいテーマであろう。自然復元を意図したココロノ・・、生き物との共生を目指したゆりかごの・・、今回はテーマ化されなかったが農業の持続、高齢社会なども日本が直面してる大きなテーマである。ぜひ、次代を先取りしたテーマに取り組んで欲しいと願っている。

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煎茶を粉にするとエピガロカテキンガレートの吸収がいい、渋みのある冷茶はとてもおいしく熱中症対策にも有効

2017年07月13日 | よしなしごと

 先だって、健康番組で悪玉コレステロール対策が紹介された。私のコレステロール値はまったく問題ない。むしろ善玉コレステロールが高いくらいであるが、念のためメモした。
 悪玉コレステロールの改善には煎茶に含まれるエピガロカテキンガレート、EGCGが有効だそうだ。私のコレステロールが正常なのは、子どもころから煎茶を飲んできたせいかもしれない。
 いまでもだいたい昼食後には煎茶を250ccほど飲むのが習慣になっている。
 ところが通常の入れ方ではエピガロカテキンガレートはあまり抽出されないらしい。鹿児島の茶所では粉茶にして飲んでいて、全員がコレステロールが正常だった。粉茶にすると、煎茶そのものをまるごと飲むことになるから、有効性が高くなる。
 さっそく、電動胡麻すり機で狭山茶を粉状にして試した。すばらしい香りになった。
 粉茶だと水でも溶ける。冷水に粉茶を溶かして飲んだ。渋みがあるが、味わい深い。冷たくてのどごしもいい。
 さっそく散歩のとき、携帯ポットに粉茶を溶かした冷水を入れ、途中で飲んだ。汗だらだらだったが、渋みが効いた冷茶で元気になった。熱中症対策にも良さそうだ。
 お勧めである。

 ついでながら、エピガロカテキンガレートの分子式はC22H18O11だそうだ。化学はすっかり遠のいた。どんな分子構造になっているのか想像もつかない。

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2015年スペインツアーでサグラダ・ファミリアの夜景を見に行き、1994年ツアーの夜景を思い出す

2017年07月12日 | 旅行

スペインを行く49 2015年ツアー12日目 鴨肉コンフィ 地下鉄に乗る サグラダ・ファミリア夜景
 2015年10月31日・土曜、午後7時近く、ピカソ美術館近くでバスに乗り込み、バルセロナ・サンツ駅に戻る。ホテルは駅の真上にあり、ロビーでキーを受け取る。設計者リチャード・ロジャース(1933- イギリス国籍、日本にも作品あり)は宇宙を連想させるデザインにしたそうで、曲線や明るい色調が多用されている。バス・トイレもユニークだが、ユニークすぎて使いにくいところも無くはない。機能性とユニークさの共存を期待したい。それでも今回のツアーでは、部屋の広さ、明るさ、デザイン、眺め、バストイレなど申し分なく、一番気に入った。すでに外は真っ暗だが、かなたにサグラダ・ファミリアらしき建物がぼんやり見える。明朝の眺めが楽しみになった。
 ディナーは午後8時からホテルのレストランでとった。明るく清潔感にあふれたレストランなのに、私たちのグループ以外は数えるほどしかいない。まだバルを楽しんでいる時間かも知れない。前菜にトマトのタルタルソース、メインが鴨肉のコンフィ+洋梨(上写真)、デザートはイチゴとアイスクリームだった。コンフィとはフランス語が語源で、低温で加熱して風味を良くし保存性を高める調理法だそうだ。ピレネー山脈を越えればフランスで、古くから行き来があっただろうし、ボルボン朝はブルボン朝の系譜だからフランスの調理法が広まったのであろう。鴨肉は柔らかくなっていて、おいしかった。赤ワインと相性がいい。

 9時半ごろディナーを終えた。添乗員のOさんが、ライトアップされたサグラダ・ファミリアに案内してくれるという。1994年ツアーでもタクシーを拾って夜景を見に行った。ライトアップではなく工事用の明かりだったが、幻想的なデザインを垣間見ることができた(次頁写真)。それから20年経っている。楽しみである。
 ロビーに集合し、地階まで降りて地下鉄のチケットの買い方を教わる。日本の券売機とは仕組みが違う。当然ながらスペイン語表示で日本語はない。右下に国旗が並んでいるので、英国旗を押して英語を選ぶ。モニターにチケットの種類が並んでいる。1回券、10回券のほかに一日券、二日券もある。行き先の表示はないので戸惑う。Oさんによれば、バルセロナではゾーン制になっていて中心街のほとんどは同一料金だそうだ。日本では行き先ごとに料金が異なるから、まず行き先を探し、それから枚数を選び、料金を入れてチケットを手に入れることになる。Oさんがいなかったらしばらく券売機とにらめっこになったかも知れない。1回券を選び、クレジットカードを挿入してパスワードを押すと、チケットが出てくる。
 改札機にチケットを差し込み、そのまま進もうとしたらOさんがチケットを指さした。日本の改札機では手前でチケットを挿入するとチケットは機械に吸い込まれ、中扉が開き、向こう側でチケットを引き抜くと中扉が閉まる。ところがバルセロナでは、手前でチケットを入れても吸い込まれない。チケットは差し込むだけでそのまま引き抜くと、自動でガラス扉が左右に開き、改札を通ることができる・・パイプ+手動の中扉もあり、これは後日体験した・・。チケットはポケットにしまっておく。ときどき車内検札があり、チケット持っていないと無賃乗車扱いになり高額の罰金を請求されるらしい。スリも多いそうだ。肩下げバッグは前側に下げておいた方が無難である。

 サンツ駅には地下鉄5号線と3号線が通っている。サグラダ・ファミリ駅は5号線である。プラットフォームに降りて列車を待つ。ほどなく入ってきた列車は停止してもドアが自動で開かない。前に並んでいた人が手慣れた様子で、扉の外側についている取っ手を回転させると扉が開いた。内側では押しボタンになっていた。日本でもローカル線で経験した手動の開閉扉であるが、日本では扉の中・外とも押しボタンが多い。郷に入っては郷に従うことだ。

 サンツ駅からサグラダ・ファミリア駅までは乗り換えなし、5駅目である。地上に出ると、通りの向こう側にサグラダ・ファミリアSagrada Familiaが天に向かって伸び上がっていた。ライトアップは10月は23時まで、11月は22時までのはずだが、10時を過ぎて間もないのにライトは消えていた。それでも暗いなかに彫刻を施されて伸び上がる塔は、揺るぎない存在感を感じさせる。1994年の記憶からは想像できないほど工事は進んでいた。
 地下鉄駅はサグラダ・ファミリアの北に位置するらしい。聖堂の東側=北東に回って誕生のファサードを見上げ、南側=南東の栄光のファサードを通り過ぎ、西側=南西で受難のファサードを見る(写真は南からの撮影、受難のファサードの手前)。暗くて塔の先端は見えない。その分、想像力が刺激される。受難のファサードの彫刻は明かりがないため陰影が強調され、イエスはいかにも苦しげである(写真)。一回りして、地下鉄に乗り、11時過ぎにホテルに戻った。
 部屋の窓からおぼろなサグラダ・ファミリアを眺め、バーで買ったビールを傾ける。1994年ツアーでは成田-マドリッド経由-バルセロナで、バルセロナからスペインの旅が始まった。そのときの紀行を持参していたので、ビールを飲みながらパラパラ目を通す。(2015.10現地)

1994年ツアー2日目 サグラダ・ファミリア ガウディ
 1994年3月27日・日曜、サグラダ・ファミリアSagrada Familiaに着いた。予想通り建設工事のさなかで、地面には、資材となる石やらコンクリート・ミキサーやらが置かれ、クレーンが空に伸び、まさに工事現場である(次頁写真)。地図を見ると、旧市街に近い立地で、北東のサルデニャ通り、南東のマリョルカ通り、南西のシシリア通り、北西のプルペンサ通りに囲まれたおよそ130×130mの敷地である。
 ここに12使徒を象徴する12本の塔、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの福音書記者を象徴する4本の塔、聖母マリアとイエスを象徴する塔、計18の塔がそびえ、東正面の生誕のファサード、西正面の受難のファサード、メインとなる南正面の栄光のファサードを備えた聖堂が完成する予定であるが、写真の受難のファサードは後ろの4本の塔の輪郭は分かるものの工事半ばだし、ファサードにいたっては骨格の形が分かるていどで受難のイメージは想像すらできない。

 サグラダ・ファミリアの着工は1882年、最初の建築家が1年を待たず辞任してしまう。意見の不一致が原因といわれるが、思いを込めた建築であれば投げ出すはずがない。意見の不一致は口実で・・無償も理由になるかな?・・、あまりの壮大さに手が出なかったのかも知れない。建築士の資格を取って間もない30才?31才?でこの仕事を引き継いだガウディは、初心に戻って構想を練る。教会に通い、司祭の言葉を聞き、聖書を読み、スケッチを何枚も描き、模型を作り、構想を練り直す。そして、工事が再開された。ただし、サグラダ・ファミリアは信徒の寄付で建設される贖罪教会だったため、資金難で工事はゆっくり進まざるを得なかった。そのため、完成は100年後?、200年後?ともいわれていた。

 工事が始まっておおよそ30年経った1926年6月、ガウディは路面電車に気づかず引かれてしまい、数日後息を引き取ってしまう。サグラダ・ファミリアに没頭して、疲れ切っていたのかも知れない。弟子や職人たちはガウディの言葉、スケッチ、模型を思い出しながら工事を進めた。追い打ちをかけるように、1936~39年にスペイン内戦が起きる。そのときにスケッチや模型のかなりを消失したそうだ。そのため、ガウディの構想の全容は闇の中になってしまう。それでも弟子や職人たちは、わずかなスケッチや模型の断片をもとにしてガウディの構想をイメージし、工事を進めてきた。続く(1994.3現地)

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2004「風土と文化を読む」を分担執筆=環境と共生した真の豊かさの享受へ

2017年07月11日 | studywork

 2004年に、日本建築学会編・シリーズ地球環境建築・専門編 1「地域環境デザインと継承」が彰国社から出版された。
 地域環境を考慮した環境デザインと、まちづくり、コミュニティとの関わりを重視したデザイン、またそれを持続し、継承していくための手法、事例を紹介する内容で、
第I部 地域・自然・地域環境から学ぶ
 第1章 地球・自然のデザインから学ぶ
 第2章 都市・地域の環境を読む
 第3章 都市・地域の地球環境問題
第II部 環境のエコロジカルデザイン
 第4章 エコロジカルデザインの系譜
 第5章 都市と地域の自然環境デザイン
 第6章 都市の熱環境・エネルギーシステムデザイン
 第7章 都市のエコロジカルデザイン
 第8章 田園のエコロジカルデザイン
 第9章 エココミュニティのデザイン
第III部 継承のデザイン
 第10章 建築文化の継承
 第11章 まちづくりの継承
 第12章 次世代への継承
 第13章 環境教育と継承の方法 の構成である。

 私は第2章2.2「風土・文化を読む」を分担執筆した。
書き出しは、
 風土は、文字通りに読めば風と土である。風は、目に見えにくい環境状態を意味し、一般には日照、雨、風、暑い寒いなどの気候条件と考えればよく、土は、生活の展開する舞台に相当した環境条件の意味で、海沿い、平野、傾斜地などの地勢条件と考えればよい。それぞれの土地は、その土地に固有の気候条件と地勢条件が組み合わさり、ほかにはない固有の風土条件をつくりだしている。
 その土地に暮らす人々は、気候なり地勢なり、その土地の風土条件のもとで生活を堆積し、工夫と失敗を積み重ね、固有の生活スタイルを導いてきた。・・略・・ 風土条件の違いが生活スタイルを左右している。とりわけ自然と密接に結びついた生業を営む農山漁村では、風土条件と生活スタイルの関係はさらに直接的である。
 風土条件に適合した生活スタイルは、時代の発展に応じた改良を加えながらもその適合性のゆえに次代に伝承されていった。・・略・・ それは技術の発展や異文化交流の影響を受けながら改良が加えられ、より洗練された生活スタイルに発展し、次の時代へと伝承されていく。これが地域文化である。
 ・・略・・ ある生活スタイルはその土地に固有の地域文化として伝承されていく。地域文化はまさに風土によって生み出されたと言ってよい。つまり、風土は字義通りにはその土地に固有の環境条件をさすが、環境という様態にとどまらず、人々の積み重ねてきた文化をも内包したことばとして理解すべきである。和辻哲郎の「風土」はいまでも示唆に富んだ名著である。
・・本文・略・・
まとめは
 ・・いずれの事例からもうかがえることは、それぞれの土地ではその土地に固有の風土条件を的確に読み取り、その土地ならではの合理的な環境技術を構築しているということ、そのことが、環境と共生した豊かな生活を創出しているということである。そして、豊かな生活であるからこそ、環境技術と生活スタイルは地域文化として受け入れられ、次代に伝承されていくのである。都市は、その土地に固有の風土を切り捨て、代わりに機械の力によって発展を続けた。都市といえども、その土地に固有の風土を読みとり、合理的な環境技術を構築したうえで、機械の力と組み合わせるならば、環境と共生した真の豊かさを享受することができるはずである。その手本はまだ世界各地に健在である。

 関心のある方は「地域環境デザインと継承」を参照されたい。

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2001「地域の活力を生かした住まいづくり」基調講演=住み手と作り手の合意形成が基本

2017年07月10日 | studywork

2001「地域の活力を生かした住まいづくり」 宮代ロータリークラブ・建築士会杉戸支部公開シンポジウム

 2001年9月、埼玉県宮代ロータリークラブ・建築士会杉戸支部主催による公開シンポジウムが開催された。テーマは「地域の活力を生かした住まいづくり」で、パネルディスカッションに先立つ基調講演をおおせつかった。そもそも、かつての住まいづくりは地域に古くから住んでいる棟梁に任せることが一般で、棟梁の方も台風が来たといっては様子を見に来てくれ、改築改修などの小さな工事もきちんと手がけてくれるなど、親子代々のつきあいが続いた。ときには棟梁から古いしきたりを学び、逆に、棟梁に新しいデザインを指南するなど、住み手・作り手のものづくり意識は高かったように思える。それが、近年はずいぶんとさまがわりした。棟梁の古い考えがいやだ、お茶出しが面倒、どんな住まいになるか分からない、・・・、ということで、次第にハウスメーカーに頼んで家づくりをするようになってきた。このまま進むと地域に伝承されてきた棟梁とその技術はどうなるか、この辺がシンポジウムの発端のようである。

 開催趣旨の概要を転載する。「生活習慣の変化、消費構造の変化など、社会構造の変化が急速に進んでいます。それにともない、地域の時代といわれながらも、地域で代々営んできた商店や個人事業者、職人に元気がありません。地域社会の構築には、これらの人々の情熱あふれるエネルギーが欠かせません。いろいろな立場から、住む人も働く人も、技術者も手を合わせ、力を合わせることで本当の地域社会が実現されていきます。そこで今回は、建築の職人さんに焦点をあわせ、地域での仕事や活躍の場を話題に地域の活力を取り戻すにはどうすべきかについて話しあいたいと考えております。」  シンポジウムは、宮代ロータリークラブ・職業奉仕委員会委員長の開会の辞で始まり、宮代ロータリークラブ会長の点鐘、主催者挨拶、宮代町長と埼玉建築士会長の祝辞、点鐘と続き、2時から基調講演、3時からパネルデスカッション、閉会は4時半過ぎになった。 

 あらかじめ趣旨の概略を聞いていたものの、改めて「地域の活力を生かしたすまいづくり」の題を考えるうちに、住まいづくりに地域の活力を生かすとは一体どんな場面になるのだろうか、次第に悩み始めてしまった。個人的に考えをめぐらすのであれば、さまざまな状況、さまざまな道筋を想定していろいろに考えることができるが、基調講演では限られた時間で、聴衆の方々を確実な着陸点におろさなければならない。どこを飛び立ち、どこを通って、どこに着陸するか、考えれば考えるほど難しい題である。「地域の活力を生かした住まいづくり」とは「地域の活力」を生かした「住まいづくり」であり、つまり「地域」の「活力」を「住まいづくり」にどう生かすかが議論の焦点である。・・・・・悩みに悩んだ結果、「地域」「活力」「住まいづくり」について私の見解を述べ、パネルデスカッションのなかで「地域の活力を生かした住まいづくり」について答えを探すことにしようと考えた。司会担当の旧知のT氏に連絡したところそれでよいとのことで、次のような基調講演となった。

 地域とは、毎日の生活を積み重ねている舞台のことである。舞台は背景があり、道具立てがあって構成され、主役が登場して演技がなされる。背景とは、宮代に置き換えれば、遠くの秩父の山並みとそこを源とする荒川流域、あるいは、はるか赤城の山並みに発する利根川流域である。舞台は、これら流域の上に設定され、先人は土地の成り立ちを生かして、低い土地を稲作地に、高い土地を居住地にしてきた。屋敷は、北西から吹きつける季節風をよけるため屋敷林を構え、日当たりにいい南に鑑賞の花木を植え、農作業の場にした。宮代の住まいの形は、背景と舞台の構成から生まれた形であり、いわば地域の文化の表現である。

 稲作を生業とする先人は、住む続けていくための仕組みとして、助け合いを基本とする五人組や雷電講や念仏講を組織した。その片鱗はいまも新築や出産、病気や葬儀のさいの助け合いとして続く。地域とは、環境の成り立ち、住みあう仲間、住まいの形が不即不離に結びつき、文化をなしている土地の状態のことなのである。

  活力とは、生命力を生み出すエネルギーのことであり、中国では気と表す。元気の気であり、気を失うと病気になる。気は陰と陽の相反する気質が互いに引き合い、かつ反発しあい発生すると考えられている。磁石のプラスとマイナスをイメージすると分かりやすい。同じプラスかマイナスを近づけると引き合い、異なったプラスとマイナスは反発する。適度に近づけると、運動を起こす。つまり活力が発生する。もし、どちらかの力が大きすぎれば運動の中心は偏心し、一方が吸収されるか、飛び散らされてしまう。

 地域の暮らしのなかに置き換えれば、古くから蓄積されてきた伝統の様式と未来を予感させる新しいスタイルになろう。伝統の技と新しい技術、古くからのしきたりと自由なライフスタイル、あるいは表、公、ハレと裏、プライバシー、ケの対比に置き換えることもできる。この二つの性質は、互いに相反しながらも、両者が組み合わさることでバランスのとれた躍動が発生する。古いものだけでは統一のとれた重みがあるが、息苦しく、発展が生まれにくい。いつも新しいものがあふれていると、斬新で変化に富むが、焦点が定まらず落ち着きが生まれにくい。
 伝統は長い歴史の成果であり、その過程で取捨選択、切磋琢磨が行われてきており、その意義を引き継ぐべきであろう。そのうえで、創造的な新しい挑戦を積極的に取り入れていく姿勢をもつことが、活力につながっていく。単調になりがちな毎日の暮らしに活力を与える仕組みとして先人が考えたハレの日である人生儀礼や年中行事もその一例にあげることができる。

 住まいとは家族が安息するところであり、家族が暮らしを通して共に成長しあうところである。であるから、住まいづくりとは安息の場、成長の場づくりのことである。安息とはもちろん家族が安らげることであるが、ただ癒されるだけではなく、明日に向かう意欲が蓄積されねばならないし、成長するとは子どもが大きくなることだけではなく、家族が日々、知的にも心的にも成長していくことである。お年寄りのふるまいが自然を尊び社会を敬う心を育て、子どもたちの自由闊達な発想と行動が大人の考えを刺激し、ときには忘れていた素朴な心を取り戻してくれることも少なくない。
 ところで、当然ながら家族は成長とともに変化し、社会も発展変化していく。一方の住まいは一度建てたらなかなか変えることができない。では、ジーと耐え続けるか? それではかえってストレスが生まれ本来の安息も成長も得られない。かといって、生活や社会の変化にあわせ建て替えたり、住み替えていくか? これでは家計が成り立たない。正攻法は、変化を予測した住まい、変化にあわせて変えられる住まいを建てることである。
 家族の生活のスタイルや安息・成長・変化までも見通すには、プロの目が必要である。同時に、住み手と作り手が住まいについてよく話し合い、合意をつくることが欠かせない。地域の環境や伝承されてきている文化、社会の発展や技術の進歩、家族の成長と家族観の変化などをよく理解し、十分受け止められる住まいづくりを目指さなければならない。住まいはカタログから選ぶような商品ではないし、家を求める人は決して消費者ではない。
 以上が基調講演の骨子である。

 引き続き、T氏の司会によるパネルデスカッションに移り、最後に、私がまとめを兼ねて次のアドバイスをし、閉会になった。
①生活が変化し、技術も進歩する。住まいは家族や時代とともに成長を続けるようつくられなければならない。
②作り手はいい仕事を心がける、住み手が自慢できる住まいをつくる。伝統技術や頑固だけでは駄目、常に向上心が欠かせない。
③ 棟梁や設計者、工務店は定期的に住まい診断(健康診断)を行い、適切な維持管理(健康管理)を指導し、必要に応じリフォーム(治療・治癒)をすすめる。
④棟梁や設計者、工務店は気軽に相談できる窓口を用意するとともに、専門家同士で連携して技術交換を行い、住まいづくり、まちづくりのレベルを高める。
⑤まちは住まいの集合である、心地よいまちは町並みを意識した質の高い住まいによってつくられる。町並みをリードする住まいづくりを目指す。
⑥住まいは安全で健康でなければならない、それは地域との共生、地球環境との共生の上に成り立つ。住み手とともに地域・地球を視野に入れた住まいづくりを目指す。

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