2005 今伝えたいトピックス「集住の知恵 循環型社会の原理を読み解く」 建築雑誌 /2005.3記
2001年?のころ、日本建築学会農村計画委員会集住文化小委員会では各地に継承されている多様な集住文化について計画論的視点から比較分析し、地域の環境資産として評価し、集住の知恵として次世代に伝えていこうと、事例を集め、議論を重ねた。
2004年ごろ、成果がまとまり、出版が決まった。建築学会から「今伝えたいトピックス」として投稿を依頼されたので、経過と成果の抜粋を建築雑誌に投稿した。その一部を以下に紹介する。
ばったり
折り畳み式の腰掛けで、上げ下げの時に「バッタリ」と音がすることからの呼称。同様の形式のものは各地で見られ、あげみせ、アゲ床几、アゲ棚、繰り店、アゲ縁、ぶっちょう、ミセなど呼ばれている。京都の町屋にみる「あげみせ」とならび、四国の漁村にみられる「ミセ」や「ぶっちょう」はよく保存されているため、徳島県手羽島で阿波のまちなみ研究会と共催し、「ミセ」と住居、集落が織りなす絶妙の空間構成について現地見学および公開研究交流会を実施した。一般参加も加わり地元の新聞社と放送局の取材を受けるなど強い関心が示された。このキーワードはその経験を基にまとめたものである。
ミセは上ミセ、下ミセの上下二枚に分かれている。上ミセは蔀戸になっており、開けるときは垂木に取り付けられた引掛木に止める。また、下ミセを降ろすと足が自然に降りてきて縁になる。ミセはかつては漁業生活に密着していたもので、漁具の手入れをする作業所や濡れた網の置場として使われていた。その他に縁台として近所付き合いの場所、子供の遊び場などに使われていた。玄関は半間と狭いため大きな荷物の出し入れにも使われていた。また、祭りの際には行商の場を提供していたといわれている。天候にかかわらずこのような多様な使い方を可能にするためか、ミセは深い軒下に配置されている。
上下のミセを閉じれば暴風雨にも耐える頑丈な雨戸として機能する。上下のミセを開け、ガラス戸や障子を開ければミセは部屋の延長となり、居住空間の狭さを補う役割を担っている。また、通りの公的な空間と内側の私的な空間をつなぐ半公的空間を形成しており、人を招きよせるコミュニティースペースとしての役割を果たしている。
築地松
出雲地方では、冬の強い西風から散居の屋敷を守るため、屋敷西側を中心に屋敷林が植えられ始めた。自然堤防上の古い民家ではタブ、シイなど常緑樹が多く見られるが、散居の位置する沖積地は塩分があるため黒松が植えられるようになった。さらに、沖積地の土壌が不安定で喬木は強風で倒れやすく、喬木の日陰により水田の収量に影響が出ることがわかってきた。また黒松の枝葉は燃料としても使える。ということで、黒松は母屋の屋根ほどの高さで剪定されるようになった。この剪定を地元では陰手刈(のうてごり)と呼び、剪定された黒松の屋敷林を築地松と呼んでいる。陰手刈は5年ぐらいごとに専門の職人が行い、築地松は競うように力強い整った形に仕上げられた。まさに用の美の景観が形成されたのである。
成果は、2005年、技報堂出版から「美しく住むかたち 集住の知恵」として刊行された。