2016年5月 京都を歩く ③長建寺~月桂冠~寺田屋~黄桜
石清水八幡宮の男山ケーブル山上駅からケーブルで下る。男山をおよそ1時間かけて一周したことになる。
八幡市駅から京阪本線に乗り、丹波橋を通り過ぎ、中書島駅で降りた。この近くには長建寺、寺田屋、伏見の酒処、御香宮神社などの見どころがある。
駅に置かれていたパンフレットを頼りに北に歩くと、宇治川の支流になる宇治川派流に出る。その左が長建寺があった。山門は2層で、1層の屋根は丸みを帯びた朱塗りの漆喰?で仕上げられていて、竜宮門のつくりである。本尊は辨財天で、京都ではここだけだそうだ。有料で特別公開されていたが、庭先から参拝して長建寺をあとにした。
宇治川派流沿いを歩く。十国舟、三十国船と書かれた舟が観光客を乗せて川下りをしていた。かつて宇治川を経由して大阪と行き来していた名残のようだ。
宇治川派流に架かる弁天橋を渡った先の左手に月桂冠の酒蔵で一部が大倉記念館として公開されている。1階の格子窓のこげ茶色と2階むしこ窓の白漆喰の対比が日本の歴史的な風情を醸し出している。
大倉記念館のなかはごった返していた。人いきれに圧倒され、すぐに外に出る。
続き棟になっている酒蔵を通り過ぎ、左に曲がると月桂冠旧本社を改装した休みどころがある。
旧本社は宇治川の氾濫に備え、1mほど床を上げてあり、外壁も黒漆喰で塗り込めているので、堂々たる存在感である。休みどころは伏見夢百衆が運営していた。名前がいい。
のぞいたら、奥の庭が眺められる席が空いていたので、豊祝・日出盛・鷹取の利き酒セットを注文した。3種3様の味わいがあるが、ちょっと物足りない。しかし、ここで飲み過ぎると足にきてしまう。ぐっとこらえて、外に出る。
少し先の蓬莱橋を渡った先に寺田屋がある(写真)。
寺田屋は宇治川に続く壕川に面した船宿だった。1862年、薩摩藩の急進派が寺田屋に集結し関白九条尚忠や京都所司代の暗殺を図っていたところに阻止しようとした薩摩藩士が乗り込んで斬り合いになった。これが一つ目の寺田屋事件である。
二つ目は、1866年、投宿していた坂本龍馬が伏見奉行所に襲われた。1階で湯を浴びていた妻お龍はいち早く気づき、階段を駆け上がり龍馬に伝える。
龍馬は鉄砲を打ち、2階から飛び降りて、難を逃れた事件である。寺田屋そのものは、1868年の鳥羽伏見の戦いで焼失したが、のちに再建された。
見学ができるが、宿泊もできるため、見学時間はチェックアウト~チェックインまでに制限されている。すでに5時に近く、見学はできないので外観を眺めて次は黄桜に向かった。
商店街を通り、右に折れると黄桜記念館がある。なかには、酒づくりのジオラマやコマーシャルのカッパ、酒づくりの道具などが展示されていた。
ここを見学する人は少ないが、一隅に伏見の名水の蛇口があり、地元の人?が次々と水をポリタンクに詰めていた。伏見は名水にめぐまれ、酒蔵が発展したようだ。
記念館を出ると広場になり、まわりを酒場、商店・土産物店などが囲んでいて、大勢が黄桜を味わいながら盛り上がっていた。仲間入りしたいところだが、予約した夕食時間までさほどの余裕はないので、黄桜をあとにした。