よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

12月例会「旧唐津街道青柳宿を歩く」(福岡県古賀市)

2021-12-09 17:34:56 | ふくおかウォーキング協会

12/4(土)ふくおかウォーキング協会12月の例会は、「旧唐津街道青柳宿を歩く」でした。

実は、私、約10年前、旧唐津街道(若松~唐津城)まで歩きました。青柳宿は、それ以来ですので楽しみです。

集合場所は、JR古賀駅。参加者は、53人でした。

 

9:30 古賀駅スタート。

 

  

花鶴丘団地から今在家工業団地に向かいます。

 

県道504号線に来ました。ここから旧唐津街道です。

 

五所八幡宮(福岡県古賀市)とは、境内にある案内によりますと、神社建立の年代は不詳ですが、今から約1700年前に神功皇后が三韓征伐の際に、龍輿(みこし)を休められた所と伝えられています。

応神天皇・神功皇后・王依姫命・保食神・墨江三前神の五柱を祀っているいることから五所八幡宮と名前がつけられた古い神社です。古より粕屋・宗像三郡の総社であり祈願所と定められ広く

崇拝を集め、沢山の人々が五所の大神様に祈りを捧げてきたそうです。歴代の黒田藩主も参勤交代の時には必ず安全祈願をして江戸に向かったといわれています。

 

境内には、樹齢一千年を超える楠や樫の木等の大樹に覆われ、中でも手水舎前の楠は、こぶがムーミンに似ているだけではなく、赤ちゃんを宿した母のお腹にも似ており、幸せを授かる木とも

いわれています。

 

   

  

 

五所八幡宮から旧唐津街道青柳宿に向かいます。構口(かまえぐち)とは、宿場の出入り口です。

  

青柳宿は、「慶長10年(1605)にお茶屋(本陣)を中心として作られ、以後3期40年かかって広げられました。その後元禄時代初期(17世紀末)に街並みが完成。
総延長444m、100軒前後の家々が軒を連ね、明治時代まで裏糟屋郡の中心地として栄えました。
青柳宿は江戸時代2回、明治時代に1回の大火に見舞われ、現在は鈎の手形往還や西構口に宿場の面影をわずかに残しています。」

10年前は、お茶屋さん跡で黒田藩の宿板を見せてもらいました。

下記は、私の10年前の青柳宿のブログからです。

お茶屋さんの前に昔の佇まいを残している醤油屋さんがあり、中に入るとまるで江戸時代にタイムスリップしたみたいでした。
私は、大きなメーカーの醤油はあまり買いません。どちらかというと、地元の醤油を主に買います。
また、地方に行けば、必ずその地の醤油屋さんを訪ねていきます。値段の割には、美味しいお醤油があります。
これが、楽しみなんです。隠れた醤油コネクターかな?(笑)

  

  

青柳宿からゴールの古賀駅を目指します。

  

11:35 古賀駅にゴールしました。