独り身だった時は
部屋に花を買って飾ることはなかった
パートナーが出来て
共に暮らすようになり
お互いに花を買う機会が多くなった
部屋の空気が変るし
眺めているだけでも
心が豊かになるような気がする
散ってしまう時は
寂しいけどね...
おはようございますZUYAさんです
昨年の秋辺りからどうも自身の生活の流れが妙なことになっているのは、このブログを読み続けてくれている方々ならおわかりだと思います。“ここだ!”と言うターニング・ポイントはわからないのですが、やること成すこと全て“裏目”とまでは行かないまでも、“微妙にズレ”ているわけです
つまりは酷い大怪我したわけでも、生活に著しく支障が出ているわけでもないのですがね。何と言うか“道を間違えている”と言うか、“乗る列車を間違って進んでいる”と言った感じを持っています
そして本来の自分らしい精神の強さを再構築・維持できないまま、あの電話があったわけです。1年の生活の指針としている浅草寺のお御籤でも「良くなるのは後半...」と書かれており、当面は自分らしく受け流そうと思っていますが、年が変っても続いているその奇妙な流れを何とか自分の理解の下に置きたいものだと考えている今日この頃です
にしても幸か不幸か、今回のこの首都圏の大雪のタイミングがZUYAさんの新しい公休日と重なったことは、お天道様がZUYAさんに休息時間を与えてくれたと考えても決して烏滸がましいことではないと思いますよ
さて新しく「認知症&介護」と言うカテゴリーを作り、これから長い戦いになるであろう両親との関係を綴っていこうと思います。ZUYAさんの類まれなる文才を持ってすれば(←自分で言うか!)、同じような不安・悩みを持っている方々の支え・憩いの場に、或いは自分にとっても有意義な場になるのではないかと
格言うZUYAさんは介護問題は初めて扱うジャンルであり、素人同然の考え方しか持っていない。だいたい結婚歴よりも長い期間綴っているブログですが、まさかこのジャンルを書くことになるとは思いも寄りませんでした。幸いなことに当ブログを訪れる方々に介護経験者、又は現在介護中の方々が多くいらっしゃることは大変心強く思っています
「親父、ボケて来ているぞ」、何ヶ月か前からか2人の兄たちとの会話の中で、その言葉が出て来るようになっていました。結婚して以来、基本的には2年に1度は帰省するようにしています。大阪と言う多少遠い距離なので経済的にもそれ位の回数が精一杯なわけです
2年前の2022年の帰省時には両親を連れて滋賀県・信楽方面へドライブしたのも記憶に新しいのですが、その時は微塵にもその傾向すら感じませんでした。そして月に1度は電話を入れ話をしていましたけど、疑問に感じる点は全くありませんでした。「大阪滞在記」を綴っている時にも書きましたが、昨年末29日に長兄から“前日に手術を受けた”と言う電話を貰った時には、何がどうなっているのかわからず頭の中を整理する必要がありました
そして予定していた通りにこの正月三が日は実家に戻り、ZUYAさんだけが滞在を1週間延ばして入院中の父と面会することになったわけですが、その外見は2年前とは大きく変わっていました。何年も前に初期で治療完治したはずの癌が再発しているようです。そしてスタッフから「認知症のキライがあります。退院後のことを考えて介護認定は時間がかかるので、申請を始めておいてください」と言われた時も、初めに頭に思い浮かんだのは「なんで?」でした
大阪滞在中に15分ほどの面会を2回しましたが、先の「大阪滞在記」中にも書きましたが父は典型的な大阪人。普段から会話の端々に冗談が盛り込まれているので、本当にボケているのかユーモアとしてボケているのかが息子であるZUYAさんにもわかりませんでした。それでも認定審査会が“必要ない”と判定すれば不必要になるだろうと、滞在中に申請は済ませておいたわけです。そうそう何度も大阪までは行けないですからね
大阪から戻って来た週の終わりに、父の入院する病院でコロナの院内感染が起こりました。父は非感染だったので直ぐに個室へと移動になりました。そしてその時点では父は「陰性」だったわけです。これは早く退院した方が良いのでは思っていたら、わずか数日後に感染の連絡がありました。どうやらせっかく他人との関わりがない環境にしてもらったのに、病室を抜け出してウロウロしてしまっていたようです
この時になってZUYAさんはようやく、“これってひょっとして...”と感じ始めました。幸いコロナに関しては重症化せず1週間ほどで、ウィルスも身体から抜けました。では退院できるのかと思ったら、どうやら自分で管を抜いたり食事をしないようになってしまっているとのこと。結局再び別の手術を受けることになり、ZUYAさんが3週間と言う短い間で再び大阪に向かったわけです
手術自体は難しいものではなく無事に済んだのですが、看護師曰く“この1ヶ月で認知症が一気に進んでしまった”とのこと。環境の変化が大きいから、自宅に戻れば少しは快復するらしいのですが、もう進行は止められないのでしょう。先週末にようやく退院して自宅に戻りました
先日書きましたが、介護と言うのはフル・スロットルで行ってはいけないものです。介護する側・支援する側も疲れてしまうし、何よりも大事な当の本人(介護される側)の自尊心を忘れてはいけません。しばらくは年老いた母が様子を見ると言うことで、あんまり遠く離れた息子たちがガヤガヤ言うのは止めておこうと言うことになりました
しかし事は起こるものなのです。僅か数日で問題が発生...
「帰宅後、食事を食べない」
そうです(連絡を受けた時点で3日目...)
こんな感じで綴っていこうかと思います。初回なので少々長くなりましたが...
さてZUYAさんは明日から新しい店舗で勤務になります。こちらも前途多難です。何てったって桁違いの赤字店舗ですからね。大袈裟ではなく閉店も時間の問題と言っても過言ではないわけです。週5日の出勤時間は全日同時刻なのは有り難いですが、家から遠い分結局毎朝5時起きとなります
今日は新しい休日2日目。やはり連休だと身体が休まる反面、だらけてしまいます。昨日は雪が降り始める前に夕飯の食材(豚汁や蓮根のキンピラ、イワシの丸干し等々...)や結婚記念日の花などの買い物を済ませ、余った時間は近所の行きつけの蕎麦屋で昼呑み。枝豆とタコの唐揚げ、そして天ぷら蕎麦をビール2本とお酒で流し込みました
ちなみに夕飯の豚汁、考え事をしながら作っていたら20杯分はある...
最後に花を生けた花瓶部分をお見せしましょう。ええいつも通りのヤツです~
今日はもうちょっと充実させようと思います(多分...)
Have A Good Day,Folks!
祖母もそうでした。
とってもしっかりしていたのに(何なら家の中で一番キチンとしていた)
術後はプチパニックだったのか?
管を抜いたり、被害妄想があったりと結構大変でした(´ㅂ`; )
一時的な混乱は時間の経過とともに落ち着きましたが
物忘れが進み、時間や曜日感覚が少しずつずれるようになりました。
仰る通り、介護は先が見えないですね。お母さまもご高齢だと思うので、行政のサポートをMAXに利用されることをお勧めいたします。
私もいずれ喜寿を迎えた母の介護が待ってます。
義母はもう待ったなしの状態なので、もしかしたら近い将来施設にお世話になるかもです。
介護の事を考えだすと止まりませんね(;'∀')
お花素敵ですね。
ホント、あるととても気持ちが明るくなりますよね♪
私も花を買う習慣があるので良く分かります(*´▽`*)
トータル6週間の入院、そして私が会ってからたった3週間のうちにあっと言う間に進んでしまいました
“管抜き”、“被害妄想”は定番のようですね。そして“食事拒否”も...
そう母も高齢なので“老老介護”にはさせたくないのですが、何分子供達は皆東京に...
本当に考えだすと止まりません。明日からの新勤務地の仕事なんかまるっきり頭に入っていないのが事実です
とりあえず...呑みます!
花は飾る時もそうですが、選ぶ時がこれまた楽しい。花に“私を見て~”って言われているように感じますよ、毎度
知らなかった・・・。
実は一昨年亡くなった義父は、食事拒否でどんどん衰弱し、認知症も一気に進みそのまま帰らぬ人となってしまいました(´;ω;`)
H氏はあの食事拒否を見て「まるで生きる事を拒否しているようだ」ととても悲しそうに言ってました。
お父様、お食事少しでもとれるようになるといいです(´;ω;`)
ええとにかく遠距離なので、母からの情報しか得られないのがツラいですけどね(彼女は何とか自分の出来る限りとは思っていますが...やはり高齢ですからね...)。介護認定されたらケアマネージャーも付くので、より多面的な情報が得られるのですが...
みぃさん、ありがとうございます!
お花はいいですよね…。少し心がささくれ立つ日も、お花にフト目がいくと収まる気がします。
いつも心に花束を❤(なんか、こんなのありましたよね)
親の介護問題は…避けて通れませんね😢
ジワジワ来るパターン、突然やってくるパターンとありますがZUYAさんは突然やってきた感じでしょうか。
わたくしの母はジワジワ来てます。かなり心配です。アイカタさんの母はすでにガッツリ介護ですが、昨年に急展開しました。
50代、肩や背中に背負い込む荷物が重い時!
背負い込み方が上手くなりますように🙏
葉月
とにかく(介護に関しては)頑張り過ぎないようにします。ええこれは親孝行とは少し違いますからね
荷物は大丈夫ですよ、アホみたいに暇な店舗ですから搬入・納品もとても少ないので...