Robbie Robertsonが逝き
せっかく上向きかけて来ていた心が
再び...
神奈川県・三崎市にて
こんばんはZUYAさんです
人の死と言うものを、とても敏感に繊細に感じてしまうZUYAさん。数日前のロビー・ロバートソンの死は、再びZUYAさんに色々と考えさせることになりそうです...
そう言えばZUYAさんが初めて「レコーディング」と言うものを経験したのは、21歳かそこらでした。ベースギターで参加していたとあるバンドが、“次はレコーディングをするぞ!”と言いだして、京都の何処のレコーディングスタジオだったと思います。悲しいかな記憶は、どんどん消えていく...
その時レコーディングした曲の中に「The Weight」があることを今夜ふと思い出しました
先週の月曜日だったかな。駅前の串カツ屋でランチ(昼呑み)を済ませて、家に向かって歩いていると視覚障害を持つNさんを見かけました。NさんはZUYAさんに、同行援護従業者養成研修を受けるきっかけを与えてくれた方です
でも、ちょっと呑んだ後だったので声を掛けにくかったのですが、
“いやいや視覚障害のある方に対して、自分の都合よく考えてはいけない。ありのままの姿で向き合うのだ! ”
と意を決して声をかけて短い距離だけでしたが、久々にお手伝いをさせて頂きました。そう言えば初めてNさんにお逢いしたのは、もう何年前になるのだろうか。でも研修を受け資格を取った後もお会いしても、何故かそのことを黙っていました。今回何故か急にそのことをNさんに伝えたくなりました
“Nさんにこうして道で何度も遭遇することが、私に同行援護従業者の資格を取るきっかけを与えてくれました”
Nさんとても喜んでいました。ぜひたまにでもお手伝いをお願いしたいですと仰ってくださいましたよ。う~ん...ZUYAさんの進むべき道は...
長野県小諸市「やまへい」にて①
8月と言うのは、我々に日本人にとっては改めて“日本人であること”を考えさせてくれる(考えさせられる)時期であると思います。広島の原爆、長崎の原爆、そして終戦記念日...
でももう一つ忘れてはならない大きな出来事がありますよね
今から38年前の1985年8月12日に起こった悲劇、「日本航空123便墜落事故」(犠牲者は520名)です。毎年この時期になると必ずこの事故に関して、本やネット等で忘れていた事実や新しくわかった事実を調べることが習慣になっています
現代ではインターネットにより、その事故に関する資料や映像も数多く見ることが出来ます。そしてあの「ブラック・ボックス」に残された圧力隔壁の損傷発生から墜落までの機長達の壮絶な戦いの肉声は、いやぁ...聞いていると辛いですよ
何でも世の中に流出してしまう今の世の中ですが、このブラック・ボックスに関しては世に出たおかげで、機長が最後の最後まで諦めずに必死に操縦を試みたことが知れ渡り、機長自身にも残されたご家族にも、そして搭乗していて亡くなられた乗客・乗員519名(※機長を除く)、更には酷い怪我をしたにも関わらず生存できた4名の方々の心をどれほど癒したことでしょう…
しかし...毎年のことですが、この事故に関してのオカルト的な情報にはうんざりしますよ。ええ、純粋に吐き気がします。もちろん信じるか信じないかは各自の問題なのでしょうが、「アメリカが日航機にミサイルを撃ち込んだ」とか、最高に馬鹿げた「自衛隊が撃墜した」なんて話...
何を信じるかは各個人ですけどね。でも間違いなく言えるのは、
亡くなった人は二度と戻ってこない
と言うことです
被害者の方々
その遺族の方々
全員に祈りを捧げます
さてあと一日頑張ったら、公休日です
Have A Good Night,Folks!
坂本九さんも搭乗されていましたし。
幼い子どもを残して亡くなったお父さんや
小学生の子どもを亡くした親御さんがいて
記事を読むだけで、とんでもない事故が起きてしまったとわかりました。
安らかにお眠りいただきたいです。
でも自分たちの国の歴史に残るようなことは心に刻み付けて生きたいものです
“喉元過ぎれば...”で済む問題と済ませてはいけないことがあると言うことです
あとオカルトやら陰謀論説なんて言う輩はクズです
夏も後半ですね。頑張りましょう~