渋川温泉保科館。長野県茅野市にある60年以上もの老舗の温泉旅館である。
まことに雪の似合う風格のある玄関
昨夜昔のアルバイトを思い出していた時にふとネットで調べてみると『 11月3日をもって廃業(もしく休業) 』とある。こんなに悲しいニュースはなかなかない。ZUYAの中で“何か”が終わってしまった。
ZUYAが初めて保科館のバイトに行ったのは2004年のGW。以来5年の間年末年始、GW時々お盆にお手伝いに行くようになった。そう今年の正月は身重の嫁がいたので東京にいたが去年までは毎年年越しはこの温泉旅館であった。ZUYAは当時大阪の自分の家には寄りつかないようにしていたので(笑)年に数回保科館に行くのは“里帰り”のような感じがしたものだった。
ZUYAはいわゆるリゾートバイトと言うのはこの保科館が初めてだったのだがおそらく何かZUYAを引きつけるものがあったのだろう。市街地(と言うほどでもないが)から車で40分ほど(冬場はバスが途中間でしか走っておらずよく若女将に迎えに来てもらったものだ)の完全に人里はなれた立地でカモシカ、狸等は当たり前の世界だ。
名峰八ケ岳へのアプローチ上にあるため登山客も多く最盛期には200人ほど泊めたこともあるとよく女将さんが話してくれたものだが年々蓼科高原自体も客が減っていたようだ。何年か前に亡くなってしまったこの温泉の調理担当のおじさんが行っていたが、みんなお客を東京から呼ぶために必死に『 中央高速自動車道 』を引っ張り泊り客を見込んでホテルの増改築に投資したがいざ高速が出来てしまうと“東京からわずか2~3時間なのでみんな日帰りで帰ってしまうようになったと言う本末転倒になってしまったらしい。
これは女性用の内風呂
こちらは男性用露天風呂
ZUYAは当初は布団引きか配膳担当であったが従業員の“異動”にともない毎回行く度に仕事が増え女将さんの指導の下鍋やお作りの盛り付けからタイタンを使っての除雪までするようになった。う~ん思い出しているだけで懐かしいなぁ
女将さんの粋な計らいで夜の賄いの時はビールを何本か付けてくれたり時には厨房にカラオケ・ボックスを持ち込んだときもあったなぁ。ZUYAは山の上なので何もすることもないので毎回ギターを持っていっていた。
最後に行ったのは去年のGWかな。この辺りは5月とは言え山の上はまだまだ雪が残っており保科館へ向かう道にも桜が咲いている。もう少し早く保科館の終焉に気付いていれば駆けつけたのだが...悔いが残る。ネット上には再開する可能性もなきにしもあらずとある。ぜひ期待したいものだ
<この場を借りて>
Facebookページ 『 嗚呼、我らが保科館 』
https://www.facebook.com/groups/194031344525884/
元従業員、宿泊経験者、温泉立ち寄り経験者等々ご参加お待ちしております
まことに雪の似合う風格のある玄関
昨夜昔のアルバイトを思い出していた時にふとネットで調べてみると『 11月3日をもって廃業(もしく休業) 』とある。こんなに悲しいニュースはなかなかない。ZUYAの中で“何か”が終わってしまった。
ZUYAが初めて保科館のバイトに行ったのは2004年のGW。以来5年の間年末年始、GW時々お盆にお手伝いに行くようになった。そう今年の正月は身重の嫁がいたので東京にいたが去年までは毎年年越しはこの温泉旅館であった。ZUYAは当時大阪の自分の家には寄りつかないようにしていたので(笑)年に数回保科館に行くのは“里帰り”のような感じがしたものだった。
ZUYAはいわゆるリゾートバイトと言うのはこの保科館が初めてだったのだがおそらく何かZUYAを引きつけるものがあったのだろう。市街地(と言うほどでもないが)から車で40分ほど(冬場はバスが途中間でしか走っておらずよく若女将に迎えに来てもらったものだ)の完全に人里はなれた立地でカモシカ、狸等は当たり前の世界だ。
名峰八ケ岳へのアプローチ上にあるため登山客も多く最盛期には200人ほど泊めたこともあるとよく女将さんが話してくれたものだが年々蓼科高原自体も客が減っていたようだ。何年か前に亡くなってしまったこの温泉の調理担当のおじさんが行っていたが、みんなお客を東京から呼ぶために必死に『 中央高速自動車道 』を引っ張り泊り客を見込んでホテルの増改築に投資したがいざ高速が出来てしまうと“東京からわずか2~3時間なのでみんな日帰りで帰ってしまうようになったと言う本末転倒になってしまったらしい。
これは女性用の内風呂
こちらは男性用露天風呂
ZUYAは当初は布団引きか配膳担当であったが従業員の“異動”にともない毎回行く度に仕事が増え女将さんの指導の下鍋やお作りの盛り付けからタイタンを使っての除雪までするようになった。う~ん思い出しているだけで懐かしいなぁ
女将さんの粋な計らいで夜の賄いの時はビールを何本か付けてくれたり時には厨房にカラオケ・ボックスを持ち込んだときもあったなぁ。ZUYAは山の上なので何もすることもないので毎回ギターを持っていっていた。
最後に行ったのは去年のGWかな。この辺りは5月とは言え山の上はまだまだ雪が残っており保科館へ向かう道にも桜が咲いている。もう少し早く保科館の終焉に気付いていれば駆けつけたのだが...悔いが残る。ネット上には再開する可能性もなきにしもあらずとある。ぜひ期待したいものだ
<この場を借りて>
Facebookページ 『 嗚呼、我らが保科館 』
https://www.facebook.com/groups/194031344525884/
元従業員、宿泊経験者、温泉立ち寄り経験者等々ご参加お待ちしております
しれませんね。
私は2006年5月のGWに一週間バイト
していました。
当時は緊張して殆ど仕事にならず
仲居兼裏方の年配の男性にかなり
どやされていました。
でも調理担当の方はやさしかった
なぁー
帰りは若女将さん?的な方に送って
もらいましたが、もしかして同乗
されてましたかね?
うーーん、たしか井上陽水
の事かなんか話したかもしれません
初めましてなのかな?
かなりの確率でお会いしていますね~(笑)。確か男4人採用された時じゃないですかね?
私はその後も何度も行っているので記憶がごちゃごちゃしておりますが。確かに若女将は陽水大好きでしたからねぇ~
おそらく私とゲーム機とマッサージ・チェアのあるところで缶ビールを飲んだと思われます~
この保科館についてはちょっとブログには書けない事が多々ありまして...もし詳細をお知りになりたい場合はメッセージを送るところからご連絡ください~
あと、個人名の入っているコメントも都合により削除いたします。申し訳ありません。
では私の記憶では
料理担当N村さん
女将の親戚?の年配女性
裏方I井さん
裏方(名前忘れた、辞める時アダルト
雑誌あげましたっ)
大女将さん
ZUYAさん(たしか私より後にきてその
後一緒に茅野駅まで送ってもらった?
)
社長?(たまにみたけどあの広い厨房
の中では見かけなかった)
若女将?(全然一緒に仕事しなかった、
と、 いいますか送ってもらった時初めて
知った)
とっ、まぁこんなキャストだったと
思います。
たぶん私がいた時はその
おばさんは居なかったと
思います。
女将の親戚のおばさんが
思えばI井さんがらみの
話をちらほらしていたので
その様な事だったのかも・・
話の中で覚えているのは
バンの中から足が出ていて
生き返ったと思ったとか
まあとにかく大女将さんが
かわいそうだったですね
追加のお客さんを入れたり
して忙しかったりすると
賄いの時大女将さんに
暴力はなかったですが
台を蹴ったり威圧してました
残念なのはN村さんです
あの方はやさしくて
本当にお世話になりました
今でも思いだすのは
朝出勤すると眠そうに
いゃあ温泉がでなくて
徹夜だったよーーー
って言ってました。
ご冥福をお祈りします。
kuma様の話を読み、大方全て思い出しました。だいたい私は2003年のGWが初回でした(笑)
そうです。“足が見えた”話を大女将がしてましたね。その時はⅠ井のパートナーは確か入院していました。で、近くに住む大女将のお友達が手伝いに来ていましたね。
その通り。Ⅰ井は角刈りは伊達じゃなかったですからね(笑)
N村さんは本当に良い人でしたよ。まさかあの人が立っていた位置で自分が刺身を切ったり鍋を作ったりするとは思いませんでしたよ
メッセージ機能に関しては問い合わせ中です。またよろしければお暇な時にお試しください。返信が来れば修復と言うことで(笑)
今知りたいのは
あの場所と温泉どうなった
かな・・・・・
大女将は元気だろうか・・・
保科館で検索すると
結構あって大女将の写真
も載ってるからびっくりです
私は現在長野在住なので
機会があったら訪ねて
みようかと思います。
おかげさまで長きに渡り保科館の従業員であった方と連絡を取り合っていますので、また何か動きがありましたら“可能な限り”報告したいものです。
門構えはしっかり残っている
のですね、
ちょっと手入れすればと思い
ますがもしかしたら売りに
出ているかもしれませんね
なにかありましたらまた
よろしくお願いいたします
初めまして。
ここ数年年賀状が届かないと思っていたら、ちょっと前に保科館が閉館した事をネットでしりました。
とても残念と言うか、音信普通になってしまいました。
実は私も昭和56年頃半年以上渋川温泉ホテル時代にアルバイトで手伝っていました(大分先輩になっちゃうねw)
その頃は、若女将が運転免許取立てで、休憩時間に良く運転の練習をしに麦草峠や蓼科湖にドライブしてました。
女将さんは茅野周辺の病院へ入院したとか風の頼りに聞いたんだけど、連絡先まではわからず心配です。
うちの娘が小さい頃訪ねただけで、それっきり電話や年賀状だけの連絡のやりとりで、ここ数年はご無沙汰してたんです。
自分がバイトしていた頃は、若女将の姉さん夫婦が居たんだけど、家業を継がずに出てしまい、次女の若女将が手伝っていて、その後結婚したのかどうかも知らないまま現在に至ってしまいました。
話したいことや、聞きたいことも山ほどあるけど、今日はこの辺にしておきます。
縁があれば酒でも一緒に飲みたいですね。