Just A Little Lovin’ / Carmen McRae
女性ジャズボーカルの御三家というと、エラ、サラ、そしてカーメンマクレーだが、何故かマクレーが最初に好きになった。ちょっと甲高い声で、癖のある節回しでとっつき難い感じはしたが、自分は天邪鬼な性格なせいか少し違ったものが好みになることが多い。
最初に聴いたアルバムは、50年代のBy Special RequestやサミーデイビスJr.とのデュエットなどから。そして、ブルーベックと共演したAt Basin Street, In LondonやLive at Sugar Hillなどのライブアルバム。マクレーのライブ物が特に好みであった。
60年代の後半になると同時進行となるが、契約がメインストリームからアトランティックへ移籍するとガラリとアルバムの雰囲気が変る。60年代後半は主流派のジャズは冬の時代。ボーカル陣もご多分に漏れずポップス調のアルバムが作られた時だ。バックは豪華なオーケストラ入りに、曲はビートルズの曲なども多く採り上げられ、ジャズ歌手が歌うヒット曲のカバーアルバムが続いた時期だ。ウェスモンゴメリーのA Day In The Lifeもこの頃のアルバムになる。時代その物がそのようなアルバムを求める時代だったのだろう。
このマクレーのアトランティックでのアルバムもジャズボーカルとは言えないようなアルバムが続いた。好きな女性のファッションが突然変って自分の好みとは違ってしまって、今流行のファッションかもしれないが自分の好みでは?・・・といった感じだった。
それでも一度惚れたマクレーを振る訳にもいかず、このアルバムも当時なけなしの小遣いを叩いて買ったもの。オルガンが目立つソウルフルなアレンジでビートルズナンバーなどを歌ったアルバムだ。アルバムも数多く持っていなかった時、回数だけは良く聴いたがバックのメンバーのクレジットを見ることも無かった。
サドメルの創設時のメンバーは大部分がニューヨークのスタジオミュージシャンだった。ところが、中にはハンクジョーンズやスヌーキーヤングのようにテレビ番組にレギュラー出演し、スタジオワークで毎日引く手あまたであったリチャードデイビスのように経済的に安定しているメンバーもいれば、エディーダニエルスやジミーオーエンスのようにまだ駆け出しの新人達もいた。サドメルでのギャラは一回20ドル。週一回とはいえ、これをレギュラーの仕事にするには少ない金額であった。ジミーオーエンスなどはすぐにメンバーから外れていった。
ペッパーアダムスはサドジョーンズに誘われてリハーサルに参加するようになっても、最初はそもそもビッグバンドに加わるつもりはなかった。この時からすでにコンボで、ソロ活動主体で活動することを希望していた。しかし、一緒にリハーサルに参加していたMarv Holiadayが、ライブ活動が増えるのを希望しておらず参加する機会が減ると、自然にアダムスがレギュラーとなってしまった。サドメル両方の友人となると断れなかったのだろう。アダムスは同じ時期にデュークピアソンのビッグバンドにも加わり、本人の想いとは反対に毎週この2つのビッグバンドへの参加がレギュラー活動になってしまった。
となると、稼ぎの道は別に求めなければならない。アダムスはレギュラーのスタジオワークがある訳でなく、コマーシャルのジングルから映画のサウンドトラック、そしてボーカルのバックまで数多くの仕事をこなす日々となった。予定の記録を細かく残していたアダムスとはいえ、誰のバックの演奏をしたのか記憶があいまいになったものも多くあるようだ。特に、ボーカルのバックとなるとこの頃から歌とバックは別々に録音され、歌にオーバーダビングされることが当たり前になっていた。目の前に歌手がいなければ誰のバックか分からなくなるのも仕方がない。
1970年3月ニューヨークのスタジオにアダムスを含めて5人のメンバーが集まった。セッションリーダーはキングカーチスだったようだが、ジョーニューマンやサドメルで一緒のガーネットブラウンなどもいた。2月にマイアミで録音された歌のバックをこの5人で4曲演奏した。ソロも無くオルガンに合わせた8ビートのソウルフルな演奏だが、この時の演奏がこのマクレーのアルバムのバックであった。
アダムスがこのレコーディングに参加しているのを知って、改めてジャケットを見返すと確かにアダムスのクレジットがあった。いつもは聴き流していたバックに注意して聴き直してもアダムスらしいプレーが分かる部分は無かった。
肝心なマクレーもアトランティックでのスタジオ録音アルバムはこれが最後になる。翌年録音されたアルバムが、先日紹介したケニークラーク&フランシーボランのビッグバンドとの共演”November Girl"。そして、1971年には名盤、The Great American Songbookのライブ録音となる。この頃のマクレーは、スタジオ録音されたアルバムと、普段のライブでの歌は全く違う。
1. Just a Little Lovin' Barry Mann / Cynthia Weil 2:12
2. Something George Harrison 3:07
3. I Thought I Knew You Well Tony Joe White 3:56
4. I Want You Tony Joe White 2:22
5. More Today Than Yesterday Pat Upton 3:06
6. Here, There and Everywhere John Lennon / Paul McCartney 2:36
7. Carry That Weight John Lennon / Paul McCartney 2:48
8. Breakfast in Bed Donnie Fritts / Eddie Hinton 3:18
9. I Love the Life I Live Willie Dixon 2:30
10. What'cha Gonna Do Donnie Fritts 3:35
11. Didn't We Jimmy Webb 3:20
12. Goodbye Joe Laura Nyro 2;36
Carmen McRae (vol)
Jim Dickinson (g,keyboard)
Charlie Freeman (g)
Mike Utley (org,ep)
Tommy McCure (b)
Sammy Creason (ds)
King Curtis (as,ts)
George Dorsey (as)
Pepper Adams (bs)
Garnet Brown (tb)
Joe Newman (tp)
Produced by Arif Mardin
Recorded at Atlantic South Criteria Studio, Miami, Florida on February 16, 1970
Engineer : Ron Albert
女性ジャズボーカルの御三家というと、エラ、サラ、そしてカーメンマクレーだが、何故かマクレーが最初に好きになった。ちょっと甲高い声で、癖のある節回しでとっつき難い感じはしたが、自分は天邪鬼な性格なせいか少し違ったものが好みになることが多い。
最初に聴いたアルバムは、50年代のBy Special RequestやサミーデイビスJr.とのデュエットなどから。そして、ブルーベックと共演したAt Basin Street, In LondonやLive at Sugar Hillなどのライブアルバム。マクレーのライブ物が特に好みであった。
60年代の後半になると同時進行となるが、契約がメインストリームからアトランティックへ移籍するとガラリとアルバムの雰囲気が変る。60年代後半は主流派のジャズは冬の時代。ボーカル陣もご多分に漏れずポップス調のアルバムが作られた時だ。バックは豪華なオーケストラ入りに、曲はビートルズの曲なども多く採り上げられ、ジャズ歌手が歌うヒット曲のカバーアルバムが続いた時期だ。ウェスモンゴメリーのA Day In The Lifeもこの頃のアルバムになる。時代その物がそのようなアルバムを求める時代だったのだろう。
このマクレーのアトランティックでのアルバムもジャズボーカルとは言えないようなアルバムが続いた。好きな女性のファッションが突然変って自分の好みとは違ってしまって、今流行のファッションかもしれないが自分の好みでは?・・・といった感じだった。
それでも一度惚れたマクレーを振る訳にもいかず、このアルバムも当時なけなしの小遣いを叩いて買ったもの。オルガンが目立つソウルフルなアレンジでビートルズナンバーなどを歌ったアルバムだ。アルバムも数多く持っていなかった時、回数だけは良く聴いたがバックのメンバーのクレジットを見ることも無かった。
サドメルの創設時のメンバーは大部分がニューヨークのスタジオミュージシャンだった。ところが、中にはハンクジョーンズやスヌーキーヤングのようにテレビ番組にレギュラー出演し、スタジオワークで毎日引く手あまたであったリチャードデイビスのように経済的に安定しているメンバーもいれば、エディーダニエルスやジミーオーエンスのようにまだ駆け出しの新人達もいた。サドメルでのギャラは一回20ドル。週一回とはいえ、これをレギュラーの仕事にするには少ない金額であった。ジミーオーエンスなどはすぐにメンバーから外れていった。
ペッパーアダムスはサドジョーンズに誘われてリハーサルに参加するようになっても、最初はそもそもビッグバンドに加わるつもりはなかった。この時からすでにコンボで、ソロ活動主体で活動することを希望していた。しかし、一緒にリハーサルに参加していたMarv Holiadayが、ライブ活動が増えるのを希望しておらず参加する機会が減ると、自然にアダムスがレギュラーとなってしまった。サドメル両方の友人となると断れなかったのだろう。アダムスは同じ時期にデュークピアソンのビッグバンドにも加わり、本人の想いとは反対に毎週この2つのビッグバンドへの参加がレギュラー活動になってしまった。
となると、稼ぎの道は別に求めなければならない。アダムスはレギュラーのスタジオワークがある訳でなく、コマーシャルのジングルから映画のサウンドトラック、そしてボーカルのバックまで数多くの仕事をこなす日々となった。予定の記録を細かく残していたアダムスとはいえ、誰のバックの演奏をしたのか記憶があいまいになったものも多くあるようだ。特に、ボーカルのバックとなるとこの頃から歌とバックは別々に録音され、歌にオーバーダビングされることが当たり前になっていた。目の前に歌手がいなければ誰のバックか分からなくなるのも仕方がない。
1970年3月ニューヨークのスタジオにアダムスを含めて5人のメンバーが集まった。セッションリーダーはキングカーチスだったようだが、ジョーニューマンやサドメルで一緒のガーネットブラウンなどもいた。2月にマイアミで録音された歌のバックをこの5人で4曲演奏した。ソロも無くオルガンに合わせた8ビートのソウルフルな演奏だが、この時の演奏がこのマクレーのアルバムのバックであった。
アダムスがこのレコーディングに参加しているのを知って、改めてジャケットを見返すと確かにアダムスのクレジットがあった。いつもは聴き流していたバックに注意して聴き直してもアダムスらしいプレーが分かる部分は無かった。
肝心なマクレーもアトランティックでのスタジオ録音アルバムはこれが最後になる。翌年録音されたアルバムが、先日紹介したケニークラーク&フランシーボランのビッグバンドとの共演”November Girl"。そして、1971年には名盤、The Great American Songbookのライブ録音となる。この頃のマクレーは、スタジオ録音されたアルバムと、普段のライブでの歌は全く違う。
1. Just a Little Lovin' Barry Mann / Cynthia Weil 2:12
2. Something George Harrison 3:07
3. I Thought I Knew You Well Tony Joe White 3:56
4. I Want You Tony Joe White 2:22
5. More Today Than Yesterday Pat Upton 3:06
6. Here, There and Everywhere John Lennon / Paul McCartney 2:36
7. Carry That Weight John Lennon / Paul McCartney 2:48
8. Breakfast in Bed Donnie Fritts / Eddie Hinton 3:18
9. I Love the Life I Live Willie Dixon 2:30
10. What'cha Gonna Do Donnie Fritts 3:35
11. Didn't We Jimmy Webb 3:20
12. Goodbye Joe Laura Nyro 2;36
Carmen McRae (vol)
Jim Dickinson (g,keyboard)
Charlie Freeman (g)
Mike Utley (org,ep)
Tommy McCure (b)
Sammy Creason (ds)
King Curtis (as,ts)
George Dorsey (as)
Pepper Adams (bs)
Garnet Brown (tb)
Joe Newman (tp)
Produced by Arif Mardin
Recorded at Atlantic South Criteria Studio, Miami, Florida on February 16, 1970
Engineer : Ron Albert
ジャスト・ア・リトル・ラヴィン | |
クリエーター情報なし | |
ワーナーミュージック・ジャパン |