A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ペッパーアダムスのラストレコーディングはビッグバンドで・・・

2015-01-30 | PEPPER ADAMS
Suite Mingus / Denny Christianson Big Band

ペッパーアダムスは、ガンの治療を続けながら、演奏ができなくなるまでプレーを続けた。
最後のリーダーアルバムがあれば、最後のレコーディングもある。

サドメル時代は、ビッグバンドのペッパーダムスであったが、サドメルを辞めてからは反対にソリストとしてのアダムスに徹していた。ビッグバンドファンにとっては、ビッグバンドでのアダムスのプレーをアルバムでは聴けなくなったのは寂しかった。ただでさえ、ビッグバンドでバリトンのソロを売りにする、バンドもプレーヤーも少ないので。

サドメルに限らず、ケントンに始まり、ファーガソン、ミンガス、グッドマン、ハンプトン、ヘンダーソン、ピアソン・・・・、他にもアダムスが参加していたビッグバンドは数多い。ソリストになったとはいえ、ビッグバンドをバックにしたアダムス節があってもいいではないか?と思うのは、自分だけでは無かった。

カナダの東海岸の都市モントリオールはニューヨークからは近い。ニューヨークのミュージシャンは、広いアメリカを遠くまでツアーするよりは、気軽にこのモントリオールを訪れ演奏をする。ペッパーアダムスも昔からよくモントリオールを訪れていた。地元のジャズコラムニストLen Dobbinはそのアダムスとは50年代からの知り合いであり、アダムスの良き理解者であった。

地元モントリオールでビッグバンドを立上げたデニークリスチャンソンは活動を始めて3年が経った時、地元のブルーノートでのギグに誰かソロのゲストを招いて演奏をしたいと思った。というのも、ビッグバンドをバックにしたソロアルバムというのも、あるようでなかなか良いアルバムは見つからないと日頃から思っていたからだ。「そんなセットがあってもいいのではないか?」との思いが募り、このレン・ドビンに相談をした。

彼の答えは「選択は簡単だよ。特に君たちの演奏にピッタリなのはペッパーアダムスしかいないよ」というものであった。

その最初の共演が実現できたのは1984年10月。この年、アダムスは脚の怪我でその年の大半を棒に振っていたが、それは復帰直後の事であった。
15日にTony Zanoとのgigの後、シンガポールジャズフェスティバルにワンナイターで飛んで、ニューヨークにトンボ帰りで戻り、一休みしてモントリオールに入りしてリハーサルに臨むという強行軍であった。
そして22日にブルーノートに出演し、翌日には地元のラジオにビッグバンドとスモールグループで出演し、Christiansonの夢は実現した。

ラジオ局での録音↓



長旅の疲れのせいか、最初のリハーサルでのプレーは全くさえず、バンドのメンバーからは「あれがアダムス?」という声も聞かれたが、翌日の聴衆を前にした本番では人が変ったようにいつものプレーに戻ったようだ。初の組み合わせで、練習もそこそこでオーケストラをバックに吹きまくる本物のプレーを目の当たりにしてメンバー達は唖然とした。

この成功で、このセットでアルバムを作ろうという話が具体化するのには大きな障害はなかった。残された課題は曲をどうするか、そしてアダムスの健康状態となった。

というのも翌年3月ガンが発見され治療、療養状態が続いた中でのスケジューリングは大変で、やっとレコーディングがセットされたのは1986年2月になってからであった。

2月は、17日にサドメルの本拠地ビレッジバンガードでは結成20周年の記念イベントが1週間に渡って開かれた。このオープニングに参加したアダムスはゲスト参加し、ボディーアンドソウルでフィーチャーされ、昔懐かしいサドメルファンの喝采を浴びた。その後レコーディングを一件こなしてからのモントリオール入りは、とても病気と闘っているとは思えない行動力であった。

しかし、すでに体調はかなり悪化していた。頭の方も治療の副作用でスキンヘッドとなっていたが、体力の方もスタジオ入りしたアダムスが、自らのバリトンを運ぶにも2、3歩歩いては一呼吸置くといった様相であった。
とてもこの状況でプレーができるのか?と皆は思ったが、一度マウスピースを加えてプレーを始めると、元気な頃のプレーと全く変わりない音が溢れ出てきた。
この録音を聴いても、弱々しさは微塵もない。



曲は、スタンダード曲を中心に何曲も用意された。あとはアダムスが何を気に入るかであった。最初はアダムスもあまり乗らずにリハーサルにも熱が入らなかった。調子が出てきたのは日も変る頃。用意された譜面に、何年か前クリスチャンが一緒にロスで活動していたCurt Bergがミンガスに捧げて作った組曲Mingus Three Hatsがあった。これにはミンガスの曲も含まれている。

ミンガスとなるとアダムスも目の色が変る。アダムスはミンガスのプレーだけでなく、人間性にも惚れ込んだ尊敬すべき人物。即採用でリハーサルもそこそこで演奏はスタートする。

さらに、あとアダムスが興味を示したのはAlf Clausenが作った何曲か。実は、これらの曲はアレンジの雰囲気、音使いを含めてサドメルの初期の曲に実に似ている。アダムスが興味を示したのもうなずける。
そしてスタンダード曲の中ではMy Funny Valentine。これは奥さんへ捧げる曲だったようだ。

という流れで、アルバム2枚分近くが一気に録音を終えたが。最初にアルバムになったのはこの後半の25日の録音からであった。
そして、このアルバムSuite Mingusが生まれた。ジャケットにはSmile Mingusとなっているが、これには何か意味があるのか?

この1986年2月25日がアダムスのラストレコーディングとなった。全編アダムスがフィーチャーされ、アダムスのリーダーアルバムと言っても不思議ではないアルバムとなった。
アダムスが亡くなる7カ月前である。

最高のソリストを目指したアダムスの最後のソロを、アダムスを育てたビッグバンドをバックに聴けるというのは偶然とはいえ最高の置き土産だと思う。
あまり有名ではないが、アダムスファン以外でも、サドメルファンにもお勧めのアルバムだと思う。

その後も、アダムスはプレーを続ける。
6月のJVCフェスティバルではTribute to Harry Carneyのプログラムで舞台へ、さらに7月2日はモントリオールジャズフェスティバルへ。もちろん、デニークリスチャンソンも駆けつけていたが、舞台ではすでに椅子に座っての演奏だった。しかし、一曲目が始まる前からスタンディングオベーションで聴衆は迎えた。
そして、奇しくも、このモントリオールでのステージがアダムスの最後のステージとなる。
アダムスが亡くなる2カ月前。

帰宅後は、治療・療養が続くが、ベッドから起き上がれない日々が続く。でもプレーへの意欲が無くなる事はなかった。
そのような中、8月20日枕元の電話にディジーガレスピーから電話が入る「デンマークにいる盟友のサドジョーンズが亡くなった」との。
同じデトロイト出身でお互い無名の時から一緒にプレーし、一緒にコンビを組んだことも、サドメルの立上げから参画し、サドジョーンズが辞める直前まで行動を供にし、そして同じ時期病と闘っていた親友でもあり、戦友の死であった。
そのショックからか、体調がさらに悪化したのか、31日に予定されていたジャズフェスティバルへの参加はキャンセルされた。

9月に入ると容態はさらに悪化し、24時間の看護体制に入る。その病床を見舞ったのは、サドメルを辞めた時に真っ先に会いに行った親友のRon Marabuto、そしてトミーフラナガン夫妻であった。

そして、9月10日、自宅で安らかに眠りにつく。享年55歳。
本人の希望で、葬式は行われず、遺骨は未亡人によってニューヨークの港に散骨された。

9月28日、トミーフラナガンの音頭で追悼式が営まれたが、エルビンジョーンズ、ジョージムラツ、フランクフォスターといった親友たちに加え、ジェリーマリガン、ゲイリースマリヤン、ロニーキューバーといった多くのバリトンプレーヤーも集まりアダムスの死を悼むプレーを繰り広げた。
多くのバリトン吹きに、生涯まさにプレーに命を懸けたこの生き様は大きな影響を与えたと思う。

アダムスの訃報を載せたニューヨークタイムスの記事の最後の一行、

He is survived by his wife.

が印象的だ。


1.  Lookin' for the Back Door             Alf Clausen 7:13
2.  My Funny Valentine       Lorenz Hart / Richard Rodgers 5:17
3.  Trollin' for Thadpoles               Alf Clausen 9:49
4.  A Pair of Threes                  Alf Clausen 6:21
5.  Mingus -- Three Hats
     Theme/Slop/Theme/Fables of Faubus/Theme/I X Love
                   Curt Berg / Charles Mingus 15:53

Denny Christianson (tp,flh)
Pepper Adams (bs)

Roger Walls (tp)
Ron DiLauro (tp)
Laflèche Doré (tp)
Jocelyn Lapointe (tp)
Patrice DuFour (tb)
Muhammad Abdul Al-Khabyyr (tb)
André Verreault (tb)
Bob Ellis (btb)
Richard Beaudet (ts,cl.fl)
Jean Lebrun (ts,ss,fl,Piccolo)
Pat Vetier (as,cl.fl)
Joe Christie, Jr. (as,ss,cl,fl,Piccolo)
Jean Fréchette (bs,bcl)
Kenny Alexander (p)
Vic Angelillo (b)
Paul Picard (per)
Richard Ring (g)
Pierre Pilon (ds)

Produced by Jim West
Engineer : Ian Terry
Recorded on February 24 & 25, 1986 at Studio Victor, Montreal, Canada

Suite Mingus
クリエーター情報なし
Justin Time Records

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