A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ミンガスの死が、有名プロデューサーの人生を変えたのかも・・・

2017-01-06 | PEPPER ADAMS
Impressions Of Charles Mingus / Teo Maselo

チャールスミンガスが亡くなったのは1979年1月5日であった。それからもう40年近くが経ってしまったが、ミンガスの世界はまだ引き継がれているように思う。

ミンガスの死因は今でも不治の病と言われているゲーリック病、要は筋肉が委縮して最後は呼吸も難しくなるという難病であった。それ故、晩年は車椅子での生活になったが、それでも音楽に対しての創作意欲は衰えず、亡くなる一年前に最後のアルバムを残している。自らプレーはできなくなっていたが、車椅子でスタジオに駆けつけ、陣頭指揮をとっていたといわれている。
そのアルバムが、以前紹介した”Something Like A Bird””Me Myself An Eye”の2枚のアルバムになる。ミンガスとは長年交友があったペッパーアダムスも何を差し置いても、この録音には駆けつけた。

有名なミュージシャンが亡くなると必ずと言ってもいいほど、故人を偲び、またその功績を称えたメモリアルコンサートが開かれる。このミンガスのメモリアルコンサートも、数多くあったと思われるが、その中に亡くなってすぐにセントピータース教会で開かれたコンサートがあった。

ミンガスがやり残した事は多い。ミンガスの良き理解者であったスーミンガス夫人は、それまでの夫君の功績と意志を引き継ぐために新たにレーベルまで作ってミンガスの遺作を世に出すことに努めた。それは今でもミンガスビッグバンドに引き継がれているミンガスDNAの継承の一環だと思う。

このアルバムも、ミンガストリビュート物の一枚だ。
アルバムを作ったのはあのテオマセロ。

テオマセロというと、コロンビア時代のマイルスのプロデューサーとして有名だ。メジャーレーベルのA&Rマンとして、マイルスだけでなく、エリントン、ブルーベック、チャーリーバードなどの大物ミュージシャンを集め彼等のアルバムを次々に作っていた。どれをとっても、いわゆるメジャーレーベル特有のコマーシャリズムに染まったアルバムではなく、ミュージシャン主体の名アルバムを数多く残している。

このテオマセロの経歴を辿れば自らサックスプレーヤーであり、アレンジャーであった。クインシージョーンズのような、プレーヤー、アレンジャー出身のプロデューサーということになる。プロデュース業が忙しくなると、必然的に演奏家としての活動は無くなっていった。

プロデュース業の中で、不遇な生活をおくっていたミンガスを再び表舞台に引き戻したのも実はこのマセロであった。若い頃はプレーヤーとしてミンガスのワークショップに参加していたマセロは、ミンガスに対しては他のミュージシャンのプロデュース以上に様々な想いがあったと思われる。

実は、亡くなった直後に行われた教会で行われたコンサートをセットし、自作の曲を提供したのもこのテオマセロであった。せっかくの曲、アレンジ、そして演奏を録音で残しておきたいと思うのは、多くのアルバムを手掛けたテオマセロにとっては当然の願いであったろう。しかし、アルバム作りに手を上げるレーベルは無かったが、録音はその年の12月にマセロ自身で行われた。

それから4年近く経ってから、このアルバムとなって世に出ることになる。すでにマセロはコロンビアレーベルのプロデューサー職は辞していた。時代は、フュージョン時代の真っ只中。スイングジャーナルでもフュージョンはジャズの正当かといった議論がよく行われていた時代だ。アルバムも売れるアルバムとマニアックなアルバムに二分されていた。そんな時代だったので、マセロのミンガスに対する想い込めたこの演奏をアルバムとして世に出すレーベルがあった。それがHerb Wongが作ったPalo Altoだった。

ここでマセロが選んだ道は、プロデューサーとしてアルバム企画への参画ではなく、あくまでもプレーヤー、そしてアレンジャーとしての自らのミンガスに対する印象の表現としての参加であった。もちろん、それを一緒に演奏するプレーヤーも何の制約も無く選べたのであろう。自分やペッパーアダムス、リーコニッツ、アルコーンのように何10年も前からミンガスと共演したメンバーに加え、当時の新進気鋭のニューヨークの若手のメンバーも集められた。ジャンルもメインストリーム、フュージョンの隔てなく。スタジオワークに長けた者もいれば、ソリストとして活動してるものも。中にはギターの川崎燎もいた。

曲はすべてマセロのオリジナル。スタイルはコンベンショナルなスタイルからフュージョンまで、編成もトリオからビッグバンド編成まで多種多様。ミンガス自身もトラディショナルからフリーまで、その演奏スタイルには壁が無くすべてをミンガスワールドに料理していたが、マセロもその意思を引き継いだのかもしれない。

ペッパーアダムスは主要メンバーとしてセクションワークだけでなくソロも2曲で披露している。
丁度ソリストとして活躍していた時期だが、それから数年してアダムスもこれからという時に病に倒れる。アダムスが最後に録音したアルバムも、奇しくも”Suite Mingus”というミンガスに因んだアルバムであった。

このアルバムを作った後、マセロは再びプレーヤー、アレンジャーとして演奏現場に復帰した。ミンガスの死、そしてこのアルバム作りがマセロの人生においても大きな転機になったようだ。

1. Oops! Mr. Mingus Teo Macero 5:04
2. lory Be! Let the Sund Shine In Teo Macero 9:34
3. Blues for Duke Teo Macero / Mike Moran 4:30
4. Goodbye "MR. Good Bass" Teo Macero 5:09
5. Monk's Funk Teo Macero 7:01
6. Open C Teo Macero 4:33
7. Two Bits and a Piece Teo Macero 6:40
8. Chill Teo Macero 6:04

#1,3
David Liebman (ss)
Pepper Adams (bs)
Bill Evans (ts)
Alex Foster (ts)
Teo Maselo (ts,p)
John Stubblefield (as)
Dick Oatts (as)
Biff Hannon (keyboards)
Ron Davis (b)
Bob DeVos (g)
Jamie Glaser (g)
Kitt Moran (vocals)
Tom Brechtlein (ds)

#5
Mike Nock (Keyboards)
Jorge Dalto (keyboards)
David Liebman (ss)
Dave Valentin (fl)
Marcus Miller (elb)
Buddy Williams (ds)
Ryo Kawasaki (g)
Carole Steele (percussion)

#6
Biff Hannon (keyboards)
Teo Macero (as)
Ryo Kawasaki (g)

#2,4,7,8
David Liebman (ss)
Pepper Adams (bs)
John Stubblefield (as)
Al Cohn (ts)
Lee Konitz (as)
Teo Macero (as)
Britt Woodman (tb)
Eddie Bert (tb)
Don Butterfield (tuba)
Jon Faddis (tp)
Lew Soloff (tp)
Mel Davis (tp)
Ted Curson (tp)
Larry Coryell (g)
Will Lee (elb)
Mike Nock (Keyboards)
Biff Hannon (keyboards)
Rubens Basini (Per)
Alan Swartberger (ds)

Produced by Teo Maselo
Composed & Arranged by Teo Maselo

Engineer : Don Puluse
Recorded at 30 th Street Studio , New York on December 27,1979


Impressions of Charles Mingus
クリエーター情報なし
Teo Records

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