A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ペッパーアダムスはワンホーンフォーマットでスタンダード曲を演奏することは少なかったが・・・

2016-03-14 | PEPPER ADAMS
Pepper Adams Live In Albany

ペッペーアダムスのリーダーアルバムはほぼ紹介し終わったと思う。
一方で、サイドメンで加わったアルバム、バックオーケストラに参加したアルバムはまだ数多く残されている。
落ち葉拾いをする時、まずは大きな目立つものから拾い始める。しかし、綺麗にしようとすると残った小さな葉っぱが気になる。拘り出すと最後は箒で掃き清めないと完璧とはいえないものだ。残りのアダムスの参加したアルバムは持っていないものも多いが、ボチボチ拾い集めながら紹介していこうと思う、完璧に掃き清めることはできなくとも・・・。

一方で、アダムスの活動歴を見ると、サドメルを辞めた後のソリストとして活動期間はレコーディングよりライブ活動が多い。自分のレギュラーグループを持つことはなかったので、バリトン一本を持って各地への単身の旅が多い。必然的に出向いた先でのセッションは地元のミュージシャンとの共演が多くなる。そこでの演奏の中にはプライベート録音された物もあるが、基本は世に出ることは無く一部のファンの中だけで楽しまれたものだ。

最近は、ネットの普及によってこれらのプライベート録音が紹介される機会が多い。そして、音だけでなく映像にも触れる機会も増え、ファンにとっては楽しみが増えた。もちろん、それらの中にはアルバムの形になってリリースされるものある。一時の幻の名盤の発掘の時代を終え、今ではそれらの秘蔵ライブ物の発掘の時代かもしれない。

このアダムスのアルバムも、そんな類のアルバムだ。

1980年というとアダムスのソリストとしての活動に弾みがつき、脂がのった演奏が聴ける時期だ。ソリストとしての活動が実績を残し始めたアダムスのアルバムが続けてグラミー賞の候補にノミネートされた。ヘレンメリルの”Chasin’ The Bird sings Gershwin”と、自己のリーダーアルバム”Reflectory”であったが、それらがこの頃のアダムスの好調ぶり実証している。

正月早々グラミー賞ノミネートの知らせを聞いて、アダムスの日々の活動は一層気合が入っていた。年明け早々市内でのgigで吹き初め、続いて隣のニュージャージーのハッケンサックのクラブ出演、そして久々に故郷のデトロイトでクラブ出演を終えると、今度はフランクフォスターと一緒にサラボーンのバックに加わりフィラデルフィアにミニツアーと、休む間もなく飛び回っていた。

2月に入ると今度はオールバーニーに出向く。同じニューヨーク州といっても、マンハッタンからはハドソン川に沿って200キロ以上北上する、ボストンと同じ位の距離にある地方都市だ。こんな小さな街にもジャズクラブはあった。ダウンタウンのAthletic Clubに一週間出演したが、一緒に演奏したのは地元在住のショー夫妻が参加したピアノトリオであった。

女性ピアニストのリーショーはニューヨークで活動していた時にはバードランドやビレッジバンガードにも出演していたという。そこで多くの有名ミュージシャンと共演した。カウントベイシーオーケストラを聴いてジャズに興味を持ち、オスカーピーターソンのピアノを手本としたというよくスイングするピアノだ。ニューヨークでは、ライオネルハンプトンなど多くのバンドからも誘いも受けたという実力の持ち主だったが、夫君であるスタンショーはこれらの誘いを断って、彼女のピアノはあくまでもトリオフォーマットでの演奏に拘った。

1971年には、夫婦揃ってニューヨークを離れ、このオールバーニーに居を移しそこで活動することになった。そこでは、アダムスに限らず、ニューヨーク時代知り合ったデクスタゴードン、ワーデルグレイ、フランクウェス・フォスター、サドジョーンズなどがこの街を訪れる時には、夫妻がホスト&ホステス役を務めたようだ。付き合ったメンバーを見渡しても、ショー夫妻の拘った演奏の立脚点が見えるような気がする。

このような経歴のショー夫妻のバックに、アダムスも実に乗りに乗ったプレーを繰り広げている。そして、このライブ(アルバム)特徴は、すべてスタンダード曲で占められていることだ。Alone Togetherだけは色々な機会に演奏しているが、アダムスの研究家のカーナーも、これらのスタンダード曲をアダムスが演奏したのはスタジオでもライブでも他のアルバムでは聴くことができないレアものだと絶賛している。

アダムスは自分がリーダーとなったグループではオリジナル曲を中心に演奏するようにしていたが、ここでは、暖かく迎えてくれたショー夫妻に敬意を表してか、お馴染みのスタンダード曲で存分にスイングする演奏を聴かせてくれる。アダムスのプレーだけでなく、ピアノのショーのプレーも女性とは思えないダイナミックな演奏で、これも拾い物だ。
惜しむらくは、録音が今一つであること。この迫力あるプレーがWally Heiderの録音であったら思うのは無い物ねだりかもしれないが。

このライブの後、ニューヨークに戻ったアダムスは3月にリーダーアルバム”The Masters”を録音する。この年に録音されたアルバムというと、この一枚しか聴けなかったが、全盛期のライブ演奏がこのようなに聴けるというのは音は悪くともファンとしては嬉しいものだ。

さて、この記事を書いてピアノのリーショーが気になったので調べてみた。もちろんこのアルバムを聴くまで、聴いた事はおろか名前も知らなかったので。

1926年生まれというのでアダムスより3つ年上、このアルバムを録音した時すでに54歳であった。自分のリーダーアルバムもあるが、皆2000年になってからのもの。年老いてますます盛んに活動したようだと思ったら、昨年まで現役であったようだ。



2014年、88歳を迎えた時は日本では米寿の祝い、ピアニストに相応しくLee's 88 Keysというタイトルでドキュメンタリー映画も作られた。それを祝ってかライブセッションも開かれていた。



2015年のはじめには慢性の肺疾患が原因の合併症で倒れたが、ガンとも戦っていたという。劇的な回復をみせた彼女は酸素ボンベを傍らにリハビリを兼ねてプレーを再開したが、10月25日ホスピスで亡くなった。享年89歳、最長老ともいえる生涯現役女性ピアニストであった。





ペッパーアダムスも、肺癌が発見されてからも憑りつかれたように演奏を続け、体がいうことをきかなくなるまでプレーを続けた生涯現役プレーヤーであった。
何か、この2人の生きざまには共通点を感じる。

1. It Could Happen To You
2. Scrapple From The Apple
3. In A Sentimental MoodAlone Together
4. Secret Love
5. Wrap Your Troubles In Dreams

Pepper Adams (bs)
Lee Shaw (p)
Mike Wicks (b)
Stan Shaw (ds)

Recorded at The Downtown Athletic Club, Albany< New York on Feburary 10, 1980

<table border=0 colspacing=0 cellpadding=0>Live In Albany 1980クリエーター情報なしメーカー情報なし

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