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汚れた天馬、ディープインパクト

 事実の推移を簡単に振り返ると、現地時間で10月1日、日本の競馬ファンの大きな注目を背にフランスの凱旋門賞に挑んだディープインパクト号は同レースで3着に終わり、11日には年内引退と51億円での種牡馬シンジケートを発表する。ところが、その後19日に、フランスでは使用が禁止されている薬物イプラトロピウムが尿から発見され、現在、疑惑の渦中にある。馬は元気であり、秋の天皇賞への出走登録もあったが、これを回避したものの、ジャパンカップには出走の意思を表明している。同号とともに凱旋門賞に挑戦した、池江調教師、武豊騎手は、この問題に関して基本的にノーコメント、JRAはイプラトロピウムが日本での禁止薬物に指定されていないことから、ディープインパクト号の日本での競争出走には問題ない、との立場だ。

 事実関係が明かされていないので、何がどうなっているのか、正確なことは分からないが、今の段階で、思っていることを幾つか書いてみる。

 先ず、凱旋門賞のレースだが、これは、武豊騎手の乗り損ないではないかと思うが、ディープインパクト号の価値を損なうものではなかった。

 ディープインパクトは、珍しく好スタートを切り、馬群の先団、外側につけて、折り合うことが出来た。内に有力なライバルと目されたハリケーンラン、シロッコを見ることができ、アウェイ故に心配された他馬の妨害も受けないポジションが取れた。常識的には、またとない良い展開であり、上手く乗ったとも言えるのだが、いつも追い込んでいる馬がはじめて先行して戸惑った可能性は大いにあると思う。直線に入って追い出され、一時先頭に立つも、いつものような伸びはなく、斤量が3.5キロ軽い3歳馬二頭に差されて3着になった。

 タラ・レバの類であることは承知で言ってみると、せっかく少頭数だったのだし、追い込みに徹していれば、勝てたのではないか。そう思う根拠の一つは、後から訂正されて発表されたレースのタイムが、あのタフな馬場にもかかわらず、2分26秒台と高速馬場の府中並みの時計だったことであり、ディープインパクトは、ハイペースを先行して、早めに抜け出しを図ったことになるからだ。つまり、武騎手はペース判断を誤った可能性がある。テレビ中継で、解説の岡部騎手が直線に入ってから「まだまだ!」と言っていたのが印象に残る。いつもの脚質通りの追い込み競馬をしていれば、かつてのダンシングブレーブのような豪快な快勝が見られたかも知れない。

 しかし、馬の力の評価という点では、同斤量で走っている古馬の全てに先着し、特に、前記のハリケーンラン、シロッコの二頭に先着していることは大きく、同世代の古馬最強との評価が出来る。つまり、馬の能力評価を下げるようなレースではなかった。

 種牡馬としての高い評価は当然だったと思うし、そう考えて、敢えて指摘すると、51億円は安すぎた。

 ディープインパクト号のシンジケートは、8千5百万円で60口、とのことだが、近年の種牡馬の管理技術の進歩から見て、同号は、年間200頭ぐらいの種付けを行うことが期待できる。同馬の父、サンデーサイレンスは200頭ペースだったし、最高記録はダービー馬キングカメハメハの250頭台らしい。サンデーサイレンス並みの3千万円は無理としても、一回2千万円は取れるだろうから、年間の種付け料は40億円、無事に種付けすると2年間で元が取れる(40億円×2年=80億円)。これは、子供がレースに出走するのは3年目からなので、もし、ディープインパクトの子供の出来が冴えなくても、それが判明する前に利が乗っているということになる(もちろん、同馬の健康とか、事故のリスク、種付け能力の不確実性などはあるが)。その後も順調なら、大儲けが続く。

 ディープインパクト号の年内での引退を惜しむ声があるが、賞金2億円かそこらの日本のG1レースを勝つことよりも、レース中の事故や、惨敗によって種牡馬としての評価が下がるリスクを考えると、本当は、もうレースを使いたくない、というくらいが馬主サイドの経済的な本音ではないかと思う。まして、もうシンジケート価格は決まっているのだ。

 すると、何かおかしいことに気付かないか? そう。シンジケート価格が安すぎることと、その中途半端な時期だ。

 ディープインパクトが使用したとされるイプラトロピウムは、日本では流通していないが、喘息の薬であり、呼吸機能を改善する効果がある。また、その後の報道によると、ディープインパクト号は、日本でも喘鳴というほどではないが、呼吸器系のトラブルがあって、呼吸機能を改善する治療を行ったことがある、という。もちろん、少なくともレース後の検査で分かる形で禁止薬物を使ってはいないので、ルール上は問題がない。

 但し、凱旋門賞の3着が薬物問題で取り消されることになると、国際的な評価は下がるだろう。また、イプラトロピウムは日本で禁止薬物ではないというだけで、ディープインパクト号が呼吸器系に弱さを持っていたことや、過去にもこれを治療しながらレースに出走していたことは、同号の評価を大きく下げる可能性のある情報だ。いくらか刺激的な言い方になるが、「ディープインパクト号は、種牡馬としてキズモノなのだ」ということが、現時点では、なにがしか言える。この点は、薬物の投与が陣営の意図的なものであっても(普通はそうだろうが)、フランス競馬界の陰謀(?)であっても、基本的には変わらない。

 この薬物は競争能力には関係がない、との意見もあるが、呼吸機能・心肺機能は馬にとって重要であり、特に、馬が息を止めて走る、最後の直線にどれだけ力を残せるかという点は、馬の酸素摂取能力に大きく関わる。過去に、ディープインパクト号が使ってた薬や行った処置が、同号の競争能力を増進していた可能性も疑われることになる。「馬に罪はない」ので、同馬を悪く言うことははばかられるが、「ディープインパクト号はドーピング馬だった!」という疑いさえも可能だ。もちろん、日本のルールでは問題のない状況で使われていたのだから、これを「悪事」であると批判することは現段階で不当なので、注意しなければならない。

 ディープインパクトに帯同していて、本来なら、事情を説明してしかるべき、池江調教師がこの問題についてコメントしないことは、好ましくないし、不自然だ。彼を口止めできるのは、馬主かJRAということになるが、シンジケートがご破算になることを避けたい馬主サイドから堅く口止めされている、という事情なら、彼の立場は理解できる。ただ、JRAの立場も、国民的な人気のあるディープインパクト号を汚れた存在にはしたくないだろうから、JRAからも、コメントするな、という圧力がかかる可能性はある。

 それにしても、薬物投与の事情については疑問が残る。フランスでは、同国の免許を持った獣医師以外に馬に対する治療行為を行えない。この点で、ディープインパクトが「ハメられた」というフランス人陰謀説が成り立つ余地はあるが、調教師や助手、日本から帯同した獣医などが、レースまでに残存する可能性のある薬物の投与をOKすることは不自然だ。この点については、池江調教師のコメントが求められるところなのだが、どうなっているのか? 最もありそうな状況は、薬の残存期間について、コミュニケーションの問題があって、陣営が勘違いをした、ということだが、どうだろうか。

 フランスの競馬会は、禁止薬物は発見されたが、投与に悪意は無かったと思われるというような、微妙なコメントを発表して調査を続行中だ(それにしても、これしきの調査に、そんなに時間が掛かるものなのか?)。ルール違反なので凱旋門賞の3着は取り消されるが、関係者は処分されないので、日本の競馬に出走することは問題ない、ということであれば、フランスの競馬界にとっても、JRAにとっても、良い落とし所になるが、さて、どうなるのか。

 ともあれ、ディープインパクト号は、弱点が公表される以前に急いで割安にシンジケートされたのであり、株式でいうと、創業者(この場合、馬主)が、重要な経営問題を隠したまま公募価格を決めて、急いで公開して売り抜けようとしている、といった状況に見える。51億円は、一見割安に見えるが、実は、とんでもない割高価格なのかもしれない。

 ファン心理(私はディープインパクトが本当に好きだった)としては、ディープインパクト号の名誉を保ち続けたいという気持ちもあるが、これまで、どのような治療行為をしてきたのか、そして、フランスで何があり、シンジケートの事情がどのようなものだったのか、といった事実が、納得の行くように明らかにされないと、この馬を素直に応援することは出来ない。

 また、競馬サークルが、現在、どの程度閉鎖的なものなのか良く分からないが、マスコミは、今後の取材の都合もあって、ディープインパクト号のこの問題について、厳しく追及していないように見える。この国のジャーナリズムは、一事が万事こんな感じなのだろう。
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