山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

「レミング」公演つれづれ

2013-04-30 19:38:08 | 「レミング」2013
公演が終わって二日目。昨日は死んでいたが立ち上がらなければならない。死んだふりも一日が限界。
立ち上がる前にこの数日を振り返る。・・・公演の意義と反省がチラチラ見えてきた。前へ進むために!
以下は日付を追っての顛末記(ドキュメント。)

■4月26日(金)搬入・舞台仕込み

午前9時半に集合して搬入を開始する。
仮面工房の賀久さんの腰痛が心配だった。痛みを堪えての作業に頭が下がる。仮面の豪さんが電気の配線や舞台仕込みをテキパキと進めてくれる。
客演の桑路さんが髪を脱色して無国籍人となった。彼も仕込みを仕切ってくれ気遣い目配り、大助かりだった。舞台監督のクドシンも先輩たちから大きなことを学んだのではないかと思う。
仕込み作業は順調に進んでいたように見えたが、ゲネプロの時間を押していた。退館時間は午後8時。音響と照明の場当たりテストとなった。

■4月27日(土)ゲネプロ含めて3ステージ

いよいよ公演である。10時会場入りして、1時間後にはゲネプロ。準備に追われる。のんびり肥後時間(時間が遅く流れる)を笑っている場合ではない。駆け足、早送りで会場はバタバタしていた。・・・ゲネプロが終わって、この劇「レミング」を確信した。テラヤマの世界が浮かび上がっている。間違いない!
ゲネプロが終わってロビーに出てみるとお客さんが受付に集まっていた。寺山修司が霊となって並んでいる。彼に捧げる公演である。
マチネ(昼の部)ソワレ(夜の部)とも満席だった。会場は人の体温で包まれる。冗談だと思っていた熊本市長までのご来場。毎日新聞の和田さんも福岡から駆けつけてくれた。お客さんを送り出す時、ご挨拶しなければならない人たちを見落とすほどだった。
終わったら一杯飲みましょう!の声も届かなかった。

■4月28日(日)楽日

昨日に比べれば時間的に余裕はある。10時入りして2時からの開演。音響テストで簡単に汗を流す程度だった。
公演会場でのケータリングはまみちゃんの手作り料理で狭い楽屋は賑わっていた。徹夜しての手作り、彼女は出演、ダンス振付、制作(チケット管理)、メイクまでを幅広く担当していたのだ。負担が大きかった。
仮面工房さんの一場、長台詞のところで飽きさせないものとなっている。妄想の出口さんが見えるようだった。役者の力だ。
稽古で毎日のようにラスト場面が揺れていたが、結果、なんとか固まった。これも出演者全員の力だった。暴力とやさしさの間に立つことが出来たように思う。

公演では出演者たちが自立して事を運べるようになっていた。演出は口を出さないことを心がけていたのだった。ラスト稽古で演出は終わった。
トラブルもあったが、百戦錬磨のキャリア組もいたお陰で乗り切ることも出来た。いちいち動揺していられない。生の舞台は何が起こるかわからない危険さもある。怪我など事故があってはならない。
打ち上げは30人以上が集まり店を借り切る。楽しい一本締めになった。

■4月29日(月)明けてあくる日

死んでいた。生きているのだが演技としては死んでいた。仮死状態だった。
夜、温泉「一休」に行く。ラーメンとオムライスを食べても満腹にならなかった。これは独り言であり食欲に異変が生じた証だった。

■4月30日(火)次へ

今日は劇団員へ目先のスケジュールを送った。
5月1日は道具の返却や河原町秘密基地の道具整理、そして夜は今後の打ち合わせ。
2日は流山児さんがNHK番組で熊本にやって来る。天野天街(少年王者舘)さんも雨傘屋の演出のために熊本に来られており、この日に会おうと約束する。
3日と4日は元劇団員(ましまん)の結婚式(久留米市)とパーティー(熊本市)がある。劇団で余興することに。
5月は公演のための稽古は休止するが、キッズミュージカルの稽古とワークショップは開始する。
さて、と。

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