lizardbrain

だらだらぼちぼち

ハーモニカ注意報な夜をまって(1)

2007年05月29日 22時47分10秒 | 音楽

井上陽水 コンサート2007        5月27日 紀南文化会館


くどいようだが、ワタクシが中学生の頃には、フォークソングと呼ばれるジャンルの音楽が全盛だった。
このジャンルの音楽の歌詞の中に『人生』などという言葉が現れる歌は、メッセージソングと相場が決まっていたのだが、ほぼ同じ時代にこの人が作った、『人生』という言葉を使った唄には、反戦、反体制とかいった、いわゆるメッセージソングとは全く違った視点から展開されていた。

顔の皺が増えていくばかりの、年老いた父、、、、
欠けた湯飲み茶碗でお茶を飲む、父の姿、、、、、
子供と家族のために、年老いた母、、、、、
細い手で漬物石を持ち上げている母、、、、、
その父と母がお茶を飲みながら、
楽しそうに昔話をしている、、、、、、

井上陽水(以後、世間の慣例に従い、単に「陽水」と呼ぶ事にする)がアコギで弾き語る、『人生が二度あれば』を、ナマで聴く事ができたシワワセに比べると、¥8,400のチケット代金など安いものだ。
いや、正直言って、イナカモノにしてみると、ちょっと高いとも思ったのだが
主催者も、口うるさい客筋(おそらくその大半は、オバサンであろう)からその辺の声が出る事を事前に察知していたようで、コンサート告知のチラシに、
わざわざ、
全席指定 ¥8,400 (全国統一料金)
と言い訳しながらプロモ活動をしていたあたりに、イナカモノなりの良心を感じてしまった。

かつて、ワタクシは、洋邦を問わず、超ポップス系というか売れ線の大物アーティストのライヴを敬遠する傾向があった。
だが、ほとんど無理やりに飛行機に乗せられて参戦した、去年のストーンズライヴにブッ飛ばされ、年末の拓郎ライヴでこぶしを振り上げ絶唱し、さらにスティービー・ワンダーに乗せられてニーステップを踏んでいるうちに、いつしかそんなこだわりも消えていった。

そして、ついに、この夜の陽水にたどり着いたのだ。
いやいや、陽水のほうから、こんなイナカ町にやってきたのだ。
当地へは、初上陸である。
当然、立ち見席も出る大盛況となった。

一体どんなライヴになるのやら?
こんだけ世の中にブログが氾濫しているので、ちょいと検索してみれば、最近の陽水ライヴの様子を知る事も出来るはずだったが、小細工、下調べは一切無し。
熱心に陽水のアルバムを買い集めてきたわけではないが、陽水のレパートリーならば、今のワタクシにも何とかこなせると思ったので、初めての陽水ライヴには、真っ白な状態で臨んだ。

予定の開演時刻をちょっと過ぎ、暗転したステージの下手から(今も昔も)デカい図体の男のシルエットがステージセンターに向かって歩いてきた時には、思わず息を呑んだ
生まれて初めてナマで見た陽水は、やたらとデカかった。
ただ、ヘアースタイルは、『氷の世界』のジャケットでおなじみの、スキマスイッチの鍵盤担当者も真っ青の、アフロ風爆発ヘアーではなく、ちょっととんがり気味のオールバックだったが。
時々、特番的音楽番組に登場した時にたびたび目にしていたため、最近の風貌についてはある程度見慣れていたものの、図体のデカさにはちと驚いた。


ここでいきなり話が飛ぶのだが、これは、当夜のセットリストである。
これまでにも、ライヴ終了後に会場のロビーあたりにセットリストが貼り出されたライヴは何度か経験しているが、これまでにワタクシが目にした事があるセットリストは全て、大きめの紙に手書きあるいはプリンター印刷された物だった。


例えば、こんな風に

(綾戸智絵のセットリスト)


だが、さすがは、陽水である
陽水のセットリストは、紙切れではなく、アクリル製か、あるいはマグネット式のでっかいボードが用意されていた。
曲名は、名札のような物をあらかじめ用意していて、自由にはめ込む事ができるようになっている。
しかも、曲名の右端には、その曲が収録されているアルバム名とジャケット写真までが表記されている。
今回の一連のツアーで、使いまわしているのであろうし、曲名をはめ込み式にしているところを見ると、会場によって演奏曲目、演奏順序をフレキシブルに変更しているらしい事がうかがえる。


ライヴに話を戻すと。

ギタリスト1人のバックアップを受けながら、アコギの弾き語り、しかも懐かしき『東へ西へ』で始まったステージだったが、3曲目の『なぜか上海』(この曲は、バンド編成でのオープニング曲だとばかり思い込んでいたので、これをアコギ2本で演るとは思いもしなかった。)の後のMCで、初対面のご挨拶などをこなしながら、独特のテンポとシュールな展開術と、見ているこちらが心配になるようなしぐさで、ボソボソながらもはっきりとした話し方でトークを進めて行く。
なんだか、次に演奏する曲を忘れたかのような口調で、
「次は、何をやりましょうかねぇ、、」
と、陽水が話し出した時に、すかさず後ろの客席から、
「傘がない」
と声が飛んで、
「本当に、そんな曲でよろしいんでしょうか?」
とか言いながら、まんざらでもなさそうに『傘がない』を唄いだした。

良い機会なので、このシーンから、陽水ライヴのステージ進行の裏側を推理してみる。

推理その1
次に演奏する曲をマジで忘れてしまったので、おしゃべりでもしながらそれを思い出そうとしていたらば、客席からリクエストがあったので、これ幸いと予定を変更して、それに答える事にした。
推理その2
陽水の戦略として、本当は、演奏する曲を考えるふりをしながら他の話題でトークするつもりだったのだが、客席からリクエストがあったので、それに答える事にした。
推理その3
いやいや、とんでもない。
実は、最初からここで『傘がない』を唄う予定だったのだが、最近、活発なライヴ活動をしている経験からして、こんな風にして、次に唄う曲を考えるふりをすると、たいていの所でこの曲がリクエストされる可能性が大きい事を事前に察知しての演出だった。

先ほど画像を貼り付けた、曲名の部分を自由にはめ込んでいく事が出来る構造のセットリストを見ると、推理その1が正解である可能性が高いようにも思えるのだが、果たしてどれが正解なのかはわからない。
観客は、陽水の手のひらの上で踊るしかない。
ただ、この時ここでリクエストされたのが『傘がない』だったからそのまま唄ったが、もしも『夢の中へ』をリクエストされていたならば、このアコースティックセットの場面で、それを唄っただろうか?
という疑惑が生じる。
もしも、次の機会があれば、是非とも試してみたいという欲求に駆られてきた。
それとも、どなたかチャレンジしていただきたい。
ワタクシのお願いを真に受けてチャレンジした方がいたならば、その結果を是非ともご報告していただきたい。
ご覧のあて先まで、よろしく。

「今夜は、古い曲ばっかりで新しい曲はありません。」
とか言って笑わせながら、
「傘がないも古い曲ですが、次の曲はもっと古い曲です。」
と、自分の父親のことを話し出した。
陽水の父親が歯医者だった事だとか、陽水自身は歯医者を継ぐべく歯学部受験に挑戦したが浪人し、結局、シンガーの道を進んだ事くらいは、ワタクシ達の世代にとっては当然知っている常識である。
4曲目に、自分の両親の事を唄った、冒頭に挙げた『人生が二度あれば』。
あの当時、こういう愛情を持って両親の事を唄うシンガーも居たのだ。

8曲目の『海へ来なさい』は、自分の子供が生まれた時に、子供のために作った曲らしい。
ワタクシは、この曲が収録されている『スニーカ・ダンサー』というアルバム名には覚えがあるが、この曲に関する記憶が残っていない。
このあたりから、伴奏にキーボードが登場して、陽水も含めたギター2本とキーボードという編成に増殖していく。

確か、この『海へ来なさい』の時だったか、次の『飾りじゃないのよ涙は』の時だったか?
どうリアクションを取れば良いのか、困ってしまう事件が起きた。
キーボードが入って、ようやくビート感が出てきたためか、後ろのほうの客席で手拍子を始めた観客がいた。
この時点で手拍子を打っているのはおそらく一人だったと思うが、その手拍子の音がデカイ、デカイ、、、、、、、
本人は極めて気分良く、力任せに全力で手拍子を打っているらしいのだが、他の観客にとってはなはだ迷惑な事に、その手拍子が全くリズムに合っていない、、、、、
例えリズムに合っていなくても、微笑ましく思えるようなシロモノではないほどに、聴いているだけで三半規管が暴走してしまいそうなリズムのずれ方だった。、
いくら遠慮深いイナカモノの集まりだとは言え、誰かが手拍子を始めるとそれにつられて手拍子を始める人がパラパラと出てくるもんだが、つられて手拍子をしたくても、とてもつきあい切れないようなリズムの乱れ方、、、、、、
しかも、それが一段と大きな音で手拍子を打っているもんだから、別の場所で手拍子をしている人達も、それにつられまいと心を乱しているのだろう、どんどんリズムが乱れて行く、、、、、、
かく言うワタクシも、自慢できるような音感やリズム感は持ち合わせてはいないが、
「誰か、近くに居る人が止めさせてくれないだろうか?」
と、ひたすら祈りながら、ステージに集中しようとしたのだが、それはかなりハードな試練を感じさせてくれる時間であった。
1曲終わるまでが、こんなにも長い時間に感じられた事はかつて無かったと思われる。
出来る事ならば、この大音量のズッコケ手拍子が、ステージの陽水に聴こえていない事を祈るしか、ワタクシに出来ることは残っていなかった
だが、決して手拍子の主の方向を振り返ってはいけない。
ワタクシの席から離れているような感触だったし、狭いイナカ町の事である、万一、振り返ってみるとワタクシの知り合いだったりしたら、さらに悲しくなったであろうから。




(三半規管の調子が戻るまで、次回に続く、、、、、、、)