**5月22日 黒岩涙香の作品の17作目「人外境(にんがいきょう)」を現代文に直したものの連載第41回までを掲載しました。
**新聞「萬朝報」に明治29年(1896年)3月 7日から明治30年(1897年)2月26日まで連載されたもので、作者 アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。
**例によって登場人物は日本人の名前に成って居ます。
**原文が難しい漢字や漢字の当て字を多く使っていること、旧仮名表記なので、現在の漢字や仮名表記に直しました。
**難しい漢字の熟語は読みずらいかも知れませんが、文中に()と《》で読みと意味を記しました。
**人外境(にんがいきょう)のあらすじ (5)
**ジッダから紅海を横切りアフリカのエジプト領スアキに渡り、いよいよアフリカの内地を目指す事となった。
**スアキンからスーダンのハルツームに向かう沙漠で200人の黒人奴隷を連れている奴隷商人の一行に出会う。
**黒人奴隷を家畜の様に扱う奴隷商人に義憤を感じた茂林達は奴隷を解放しようと奴隷商人と戦うことにする。
**奴隷商人の中にどういう訳か與助が混じって居た。
**この「人外境」の話が荒唐無稽な話に思えたので、話の信憑性を確かめるため、リビングストンの「リビングストン探検記」やスタンレーの「暗黒大陸」を読んで見た。リビングストンの探険は1850年代、スタンレーのアフリカ探検は1870年代だった。この「人外境」がかかれたのが1890年代で、小説なので創作した部分も多いと思われるが、「人外境」に書れを連れったているアフリカの実態は「リビングストン探検記」、スタンレーの「暗黒大陸」に書かれている事とあまり変わっていなかった。
155回と長い小説だが1850年代のアフリカの様子が分かる話なので、コロナ騒動で外出自粛とも相まって訳す事にした。
1850年代のアフリカはこれくらいの理解度だったのかと再認識した。
今から150年前のアフリカはこんなだったのかと思う事ばかりだった。
黒岩涙香の「人外境」を読む方は下の
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直接「トシのウォーキング&晴耕雨読」の「人外境」に入る方は、下の青文字「人外境」からお入りください。
www.tosi-w.com/index.php?"
他に、鉄仮面、巌窟王、ああ無情など黒岩涙香の16作品を掲載しています。コロナウェルスで図書館も閉館に成って居ます。ぜひこの際、黒岩涙香の作品を読んで見て下さい。
まだ、噫無情(ああむじょう)を「銀の皿」を盗む話だと思って居る方はぜひ下の青文字「ああ無情」クリックし、お読みください。
今、毎週日曜日の夜、11時からNHKで「レ・ミゼラブル」を放映して居ますが、黒岩涙香のこの「ああ無情」を読んだ方が、映像で見るよりももっと情景が鮮明に目に浮かんで来ます。黒岩涙香の文章の描写力のすごさを感じます。
黒岩涙香の「噫無情」を読む方は下の
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