**4月12日 黒岩涙香の作品の17作目「人外境(にんがいきょう)」を現代文に直したものの連載を開始しました。
**新聞「萬朝報」に明治29年(1896年)3月 7日から明治30年(1897年)2月26日まで連載されたもので、作者 アドルフ・ペローの「黒きビーナス」の訳です。
**例によって登場人物は日本人の名前に成って居ます。
**原文が難しい漢字や漢字の当て字を多く使っていること、旧仮名表記なので、現在の漢字や仮名表記に直しました。
**難しい漢字の熟語は読みずらいかも知れませんが、文中に()と《》で読みと意味を記しました。
**人外境(にんがいきょう)のあらすじ(1)
**芽蘭(ゲラン)男爵夫人がイギリスに帰っている間に夫、芽蘭男爵がアフリカ探検に出発し、生死不明の行方不明になってしまった。世間ではゲラン男爵は死んだものと見做されている。 芽蘭(ゲラン)男爵夫人は心の整理をするため夫男爵が死んだ場所を確認したいと思い、アフリカに行くことにする。
**ゲラン男爵夫人に思いを寄せている三人の紳士に、アフリカに一緒に行き、ゲラン男爵の死を確かめたら、三人の中の誰かと結婚すると宣言し、同行を求めた。 三人の中の二人が同行することを申し出、困難なアフリカ探検に同行することになった。
**この「人外境」の話が荒唐無稽な話に思えたので、話の信憑性を確かめるため、リビングストンの「リビングストン探検記」やスタンレーの「暗黒大陸」を読んで見た。リビングストンの探険は1850年代、スタンレーのアフリカ探検は1870年代だった。この「人外境」がかかれたのが1890年代で、小説なので創作した部分も多いと思われるが、「人外境」に書れているアフリカの実態は「リビングストン探検記」、スタンレーの「暗黒大陸」に書かれている事とあまり変わっていなかった。 155回と長い小説だが1850年代のアフリカの様子が分かる話なので、コロナ騒動で外出自粛とも相まって訳す事にした。 1850年代のアフリカはこれくらいの理解度だったのかと再認識した。 今から150年前のアフリカはこんなだったのかと思う事ばかりだった。
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