goo blog サービス終了のお知らせ 

きのきのTimeees!

スポーツ・音楽・趣味の旅行ネタなど自己満足的に更新してます、少し頭の隅に覚えて頂ければ幸いです。わくのい通信から改名!

平成栃木高校野球史  第26回  県立茂木高校

2020-10-12 16:40:31 | 平成栃木野球史

大正11年に町立茂木実業として開校。

昭和に入り今となっては珍しい組合立茂木公民実業校となり

昭和15年に栃木県立茂木農学校に。昭和23年からは、普通科が置かれ茂木高校となった。

現校名となってから参加している茂木高校の平成の戦いぶりを振り返ります。

 

平成成績   30勝31敗  .492  63校中26位

通算成績   50勝71敗  .413  63校中35位

平成最高成績  ベスト4(H28)

ライバル校!  国学院栃木

昭和での初対戦時は、5-4と勝利したが

平成では、ことごとく上位進出を阻まれている。

学校初のベスト4に入り決勝進出を狙ったがそこでも国栃の壁が立ちはだかった。

翌年は初戦で対戦。リベンジの好機だったが1-2と惜敗してる。

 

平成に入りかつて栃木南を甲子園に導いた小林監督が就任。

成績は一気に上向き隣県の茨城からも生徒が入ってくるようになった。

平成20年からは、9年連続で初戦突破。平成28年に学校初のベスト4入りを果たした。

昭和34年から37年にかけても3回ベスト8入りがあったが

平成は、9年連続初戦突破の間に3回のベスト8入り。二度目の黄金期とも言える。

小林監督が離任しこれから正念場を迎える。

 

 


平成栃木高校野球史  第25回  足尾高校(閉校)

2020-10-11 16:24:50 | 平成栃木野球史

戦後に足尾町立足尾高校として開校。

すぐさま県立となった。銅山の街として栄え人口は一時栃木県内で宇都宮市に次ぐ人口を抱えていたが

銅山が廃坑となり人口は急減。

足尾町は日光市と吸収され、足尾高校も日光高校に吸収される形となった。

すでに廃校となってしまった足尾高校の戦いぶりを振り返ります。

 

平成成績   0勝11敗  .000

通算成績   8勝41敗  .163

ライバル校!  足利高校

平成に対戦はなかったが、唯一2勝しているのが足利高校。

S39とS45いずれも完封勝利。ちなみに地域柄足利は同県でありながら群馬を抜けていった方が早く到着できる。

 

平成の時点ですでに部員不足が慢性化。他部の助っ人を借りて出場するのがやっとという状態だった。

S63に矢板中央に勝利したのが最後。その前は14連敗、その後は11連敗で閉校となった。

学校の最高成績はS45に2勝してベスト8に入ったのが最高だった。

 

 

 

 


平成栃木高校野球史 第24回  県立真岡北陵高校

2020-10-10 16:09:43 | 平成栃木野球史

創立は古く、明治時代に芳賀郡立農林学校として開校。

大正時代に真岡農業となってからは長きにわたって親しまれてきたが

平成7年に真岡北陵高校と校名変更の大転換。現在に至っております。

 

平成成績  11勝31敗  .262  63校中54位

通算成績  22勝73敗  .232  63校中56位

平成最高成績  大会2勝(H16)

ライバル校!  真岡高校

同じ真岡市内の対決は平成に入って2回実現。

初対戦となった平成3年は、真岡農の時代に対戦。コールド負けを喫したが

校名が変わった平成14年は、5-4と勝利。

対戦成績は1勝1敗。

 

最高成績は昭和25年のベスト8。とは言えこの頃は参加校数が少なく2勝してのベスト8だったため

3勝以上したことがない。平成に真岡北陵と改称してからはすでに10勝しており

以前ほどのひ弱な印象はない。毎年部員は少ないが継続は力なり。

開校以来初の3勝目を目指す。

 


平成栃木高校野球史  第23回 栃木県立那須拓陽高校

2020-10-09 21:24:08 | 平成栃木野球史

県央、県南方面の高校が中心だった高校野球において県北は、大田原、烏山、矢板くらいしかなかったが

現在の那須塩原市域の高校で那須農業として初の出場を果たす。

昭和63年に那須農から那須拓陽と校名変更。

平成は、ずっと那須拓陽高校として戦った。

 

平成成績   16勝31敗  .340  63校中43位

通算成績   35勝73敗  .324  63校中47位

平成最高成績  ベスト8(H14)

ライバル校!  足利工業

昭和の頃から対戦が多く、古豪足利工の引き立て役となっていた。

平成14年の躍進時には初戦で勝ち4回戦でも作新を破る金星を挙げた。

H19,H22の対戦では敗れ1勝2敗。

昭和は1勝6敗で通算2勝8敗。昭和で勝利した時は学校の歴史唯一のベスト4進出。

不思議と足利工に勝つと上位進出している。

 

 

勝つときは、あっさりコールドで勝つが自滅して敗れるパターンも多々ある。

自分のペースに持ち込めればといったところか。

1点差ゲームに弱く7連敗中。このあたりを克服していきたいところ。

 

 


栃木平成高校野球史 第22回  私立青藍泰斗(せいらんたいと)高校

2020-10-07 20:58:20 | 平成栃木野球史

明治に旧葛生町内に葛生中学館として創立。

大正の葛生農商、葛生商業を経て昭和23年に葛生高校として高校野球に初参加。

葛生町(くずう)が佐野市となったことから校名も青藍泰斗高校と変更し現在に至っています。

平成2年に学校唯一の甲子園出場を果たしています。

 

平成成績  101勝30敗  .771  63校中4位

通算成績  127勝53敗  .706  63校中5位

平成最高成績  優勝(H2)

ライバル校!  文星芸大付

これだけの高勝率を誇るが文星にはなぜかなかなか勝てない。

昭和63年に初対戦これがコールド負け。

平成3年と12年は決勝で敗れ平成は4連敗。

通算で5連敗となっている。鬼門の文星戦でもう少し勝てていれば甲子園にももう少し出られたかもしれない。

 

 

平成2年に初の決勝進出を果たすと、そのまま初優勝。時代が来るかと思われたが

甲子園で初勝利まであと1人というところからの逆転負け。ここから勝負弱さの歴史が始まってしまった。

平成はその後6回決勝進出するもいずれも敗退し準優勝。

特に平成25年の作新戦は甲子園まであと一人としながらも宇賀神監督が悪夢がよぎってしまったのか

伝令を出してしまい選手が動揺。まさかの逆転負けを喫した。監督が膝を叩いて悔し泣きしていたのが印象的だった。

実力はあるので精神面の鍛錬がテーマ。現在は、宇賀神監督の息子さんが引き継いで指揮をとるが

令和で勝負弱さを返上したい。


栃木平成高校野球史  第21回 県立佐野松桜高校

2020-10-06 20:21:40 | 平成栃木野球史

大正時代に佐野町立佐野商業として創立。

昭和18年に一旦佐野工業となるも昭和21年に佐野市立佐野商業に戻りここで2年参加。

さらに佐野実業と名前を変え1年だけ参加。

佐野高校と統合になったためしばらく参加していなかったが

昭和49年に再度佐野商業として独立したため復活。

平成に入り佐野松陽高校として校名変更。

平成23年には田沼高校との統合に伴い佐野松桜高校となった。

栃木県内では最多の4つの校名で参加している高校です。

 

平成成績  22勝31敗  .415  63校中34位

通算成績  38勝49敗1分  432  63校中32位

平成最高成績  大会3勝(H3)

ライバル校!  作新学院

昭和の時代からことごとく上位進出を阻まれている。

それなりに勝っていた平成前期において3回にわたってベスト8入りを阻まれた。

平成は4連敗。昭和から通算すると8連敗と一度も勝てていない。

 

 

ベスト8入りしたのは昭和に一度だけこれが学校の最高成績となっている。

そこそこ勝ってはいるが、私立に弱いのが上位進出できない原因か。

平成は一度も勝てず。奇をてらった采配でジャイキリを起こしたいところだ。

 


平成栃木高校野球史  第20回  県立今市高校

2020-10-05 22:01:03 | 平成栃木野球史

大正創立の今市高校。現在まで名称変わることなく令和の時代に入りました。

日光市が広域合併する前は今市市の所属でした。

現在は、鬼怒川方面や旧日光市内の学生が集まる日光市の中心的な高校となっています。

 

平成成績  12勝31敗  .279  63校中51位

通算成績  31勝73敗  .298  63校中52位

平成最高成績  大会2勝(H1)

ライバル校!  真岡北陵

平成では2度対戦。H16は敗れたがH19は、延長戦に入る壮絶な打ち合いを11-10で制した。

昭和では一度だけ対戦がありコールド負け。

通算1勝2敗。

 

コンスタントに勝ってはいるが大会2勝が平成元年を最後にないのでなかなか白星が伸びていない。

ホッケー部は全国レベル。立地上部員不足になることは当面なさそうなのでまずは久々の大会2勝を目指したい。野球が得意な子は鹿沼方面や宇都宮方面に流れてしまっているので受け皿になりたいところ。

 


平成栃木高校野球史  第19回  県立矢板高校

2020-10-04 21:40:57 | 平成栃木野球史

創立は古く明治時代。塩谷郡立農林学校として開校。郡立高校と今はない形態の高校だった。

戦後まもなくは矢板農学校だったが、昭和23年から実業系の高校ながら矢板高校とシンプルな校名となり

現在に至っている。

 

平成成績  8勝31敗  .205  63校中57位

通算成績  30勝75敗 .286  63校中54位

平成最高成績  ベスト8(H12)

ライバル校!  宇都宮北

平成2年と平成10年の対戦ではいずれもコールド負けだったが

躍進した平成12年は、3回戦で4-2と勝利したことで波に乗りベスト8進出を果たした。

 

昭和を含めると昭和25年にベスト4に入ったのが最高。

ベスト8だと平成のを含め4回ある。

昭和後半から平成前半にかけて24連敗を喫していた時期があり成績は奮わないが

現在は、そこまでは弱くない印象。立地上生徒数も減少しているので

部員数の減少も心配の種となりそうだが現状では単独参戦できている。

 

 


平成栃木高校野球史 第18回 県立足利清風高校

2020-10-03 21:37:34 | 平成栃木野球史

ルーツは、足利実業高校。足利高校や足利工業の創立よりも遅れて開校。

足利市立実業高校からすぐに足利商工と名称変更。

戦後に3回だけ足利商工として参加。一旦足利高校と統合になりましたが昭和38年に

商業科が独立した形で足利商業となりました。高校野球に再度参戦したのは昭和42年から。

平成では、女子高だった足利西高校と統合し足利清風高校と名称を変更しています。

 

平成成績  11勝31敗 .262  63校中54位

通算成績  23勝57敗 .288  63校中53位

平成最高成績  大会2勝(H29)

ライバル校!  烏山高校

H3とH4に連続して対戦。H3は初戦でH4は2戦目で対戦もいずれも敗北。

校名変わってH29は、2回戦で対戦。7-2で快勝し昭和56年以来の大会2勝目を挙げた。

昭和では一度だけ対戦し勝利しているので通算は、2勝2敗。

 

3回しか参戦経験のない足利商工時代は上位進出したが

足利商として復活してからは苦戦の連続。昭和から平成にかけて参戦も2勝したのが最高。

足利商時代は2度の7連敗があったが足利清風となってからは成績は上向き。

3年連続初戦突破と学校新記録となっている。来年は新記録更新の4年連続に期待がかかる。

 

 

 

 

 


栃木平成高校野球史  第17回 小山高校

2020-09-28 20:26:44 | 平成栃木野球史

大正に創立時は小山町立小山農商ともともとは実業系の学校。

その後小山公民実業→小山農に。戦後は現校名となり普通科の高校となった。

県立普通科で甲子園を狙える高校として県南で人気を集めるています。

OBに広沢克己氏がいます。

 

平成成績  59勝29敗 .670  63校中9位

通算成績  142勝75敗1分 .651 63校中9位

平成最高成績  優勝(H6、H15)

ライバル校!  国学院栃木

H15の優勝時は、準決勝で国栃、決勝で作新を破るという圧巻の優勝だった。

平成の対戦成績は3勝2敗。通算でも5勝3敗と勝ち越し。

ちなみに作新とは平成では1度のみの対戦だった。通算でも7勝4敗と勝ち越し。

佐野日大とは相性が悪く通算3勝6敗。平成は1回しか勝てなかった。

 

平成15年の優勝時は、打ち勝つ野球を標榜した故・小森監督から守備重視の中田監督(現・鹿沼監督)が

就任し、上手く戦術が融合しての優勝だった。

今では、珍しくなくなった打のチームとして他校から恐れられてきた。

ただ守備重視となったことで平成後半は、他の県立高校との差異がなくなり同じ市内の県立校

小山西や小山南にも実力的に迫られてきた。

令和は、宇都宮清陵高校を指揮していた斎藤監督が就任。

データ重視の野球で新時代を築けるか立て直しの手腕に期待がかかる。

 

 

 


とちぎ平成高校野球史  第16回 足利高校

2020-09-27 20:10:20 | 平成栃木野球史

今回は、大正創立の県立足利高校です。どうしても同じ市内の足利工や白鷗大足利に隠れてしまいがちですが平成では大チャンスがありました!

学校としては、足利女子高との統合が決まっていて共学化が決まっています。

 

平成成績  36勝31敗  .537  63校中20位

通算成績  84勝78敗  .519  63校中20位

平成最高成績  準優勝(H6)

ライバル校!  小山

学校として初の決勝進出を果たした平成6年に対戦したのが小山高校だった。

3-8で敗れ残念ながら初の甲子園はならなかったが宇学や佐野日大に勝利し

旋風を起こした。その後は2連勝中で平成の対戦成績は2勝2敗。

かつては、なかなか勝てず昭和では5連敗も喫したが通算対戦成績は3勝8敗。

 

意外な一発力を秘めた高校で時折ジャイキリを起こす。

ただ同レベルの高校にあっさりと負けたりと掴みどころのない高校だ。

平成最後は創立まもない時6連敗して以来の3連敗と不振だがまたミラクルを期待してしまう学校だ。

 


第15回 平成栃木高校野球史 栃木県立宇都宮工業高校

2020-09-26 19:55:12 | 平成栃木野球史

大正に創立し現在まで校名が変わっていない宇都宮工業高校です。

昭和61年から夏の甲子園は遠ざかっていますが同じ工業校足利工に比べるとまだ一定の力は

持っている高校です。

 

 

平成成績  69勝31敗 .690   63校中7位

通算成績  198勝85敗 .700   63校中6位

平成最高成績 準優勝(H8、H21、H24)

ライバル校!  作新学院

H21、H24は、平成初の甲子園がかかっていたがいずれも作新に跳ね返された。

初対決はS5で当時作新学院は下野中と名乗っていた。

通算6勝10敗。平成だけだと3勝5敗。現在4連敗中。

 

夏200勝まであと2勝!来年達成したいところ。

グランドは、雀宮の新校舎で環境はグッと良くなっているだけになんとか

期待に応えたいところ。


平成栃木高校野球史  第14回 栃木県立石橋高校

2020-09-25 21:38:42 | 平成栃木野球史

宇都宮市の南隣の下野市に位置する石橋高校。かつては、石橋町でしたが平成の大合併で

下野市となりました。下野市唯一の高校ではありますがそのまま石橋高校と名乗っています。

創立は古く、共学の進学校として宇都宮からも多くの生徒が通っています。

 

平成成績  28勝31敗  .475  63校中27位

通算成績  61勝78敗  439  63校中31位

平成最高成績  ベスト8(H29、R1)

ライバル校!  国学院栃木

昭和での対戦はなく、平成・令和では2勝2敗の五分と健闘している。

平成20年に3-2と勝利。直近の令和1年に5-3と勝ち令和最初の大会も

幸先良いスタートとなった。

 

 

真岡や宇北で実績のある福田監督が就任し一変。

H29に昭和39年以来となるベスト8入り。

R1でもベスト8入りした。秋や春にも時折シード校となるなど着実に実績を重ねている。

宇都宮市内の宇都宮南をはじめとする普通科高校に元気がないので

今後有力な生徒が流れてくる可能性も。決勝進出したことはないが今後期待できる

高校のひとつだ。

 

 


平成栃木高校野球史  第13回 烏山高校 

2020-09-24 21:07:03 | 平成栃木野球史

栃木県の北東部は人口が希薄な地帯となっていますが、

北東部に位置する有力校として頑張ってきました。

明治時代に私立烏山学館として創立した伝統校です。

大正に県立となり高校野球への参加は昭和からとなっています。

準優勝が1回ありますが戦前の昭和6年のこととなっています。

 

平成成績  22勝31敗1分  .407  63校中36位

通算成績  73勝91敗1分  442  63校中30位

平成最高成績  ベスト8(H5)

ライバル校!  栃木高校

かつて戦前にしのぎを削った両校。戦前は烏山が2連勝。

戦後は、2連敗。平成唯一の対戦は平成21年で0-3で完封負け。

戦前以来の勝利を目指したいところ。

 

 

過疎化もあり平成20年に女子高と統合し共学となった。

その影響かここ最近は部員不足にも悩む。

平成20年以降はわずか3勝にとどまる。

捲土重来を期待したいが現状小学校・中学校でも野球部が休止状態のところも多く、

厳しい状況だ。県内では珍しい紫を基調としたユニフォームで大暴れする姿を見たいところだ。

 


平成栃木高校野球史 第12回 栃木県立栃木商業高校

2020-09-22 21:06:17 | 平成栃木野球史

選抜では出場経験のある栃木商業を取り上げます。

もともとは、栃木町立高校でしたが栃木商工時代を経て昭和26年に栃木商業となり

現在に至っております。

夏については、準優勝が3回と優勝経験はありません。

平成成績  26勝31敗 .456  63校中32位

通算成績  112勝93敗2分 .541  63校中18位

平成最高成績  ベスト4(H11)

ライバル校!  栃木南(現・栃木翔南)

準優勝3回の古豪も平成は、苦戦続き。生徒数が女子の方が比率が高いのもひとつの要因にはなっている。平成で唯一ベスト8以上に入ったのが11年だ。その時に敗れたのが栃木南で初優勝へのお膳立てとなってしまった。栃木南には校名が変わってからは対戦がないが0勝3敗と一度も勝てていない。

 

平成1年から6年にかけて学校ワーストの6連敗を喫してしまった。

平成11年のベスト4入りで一度持ち直したようには見えたがそこから先も2勝したのが最高だった。

栃木市内は、栃木工や国学院栃木などに流れてしまっている状況があるが

少数精鋭で令和では、活躍をみたいところ。