戦後に足尾町立足尾高校として開校。
すぐさま県立となった。銅山の街として栄え人口は一時栃木県内で宇都宮市に次ぐ人口を抱えていたが
銅山が廃坑となり人口は急減。
足尾町は日光市と吸収され、足尾高校も日光高校に吸収される形となった。
すでに廃校となってしまった足尾高校の戦いぶりを振り返ります。
平成成績 0勝11敗 .000
通算成績 8勝41敗 .163
ライバル校! 足利高校
平成に対戦はなかったが、唯一2勝しているのが足利高校。
S39とS45いずれも完封勝利。ちなみに地域柄足利は同県でありながら群馬を抜けていった方が早く到着できる。
平成の時点ですでに部員不足が慢性化。他部の助っ人を借りて出場するのがやっとという状態だった。
S63に矢板中央に勝利したのが最後。その前は14連敗、その後は11連敗で閉校となった。
学校の最高成績はS45に2勝してベスト8に入ったのが最高だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます