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きのきのTimeees!

スポーツ・音楽・趣味の旅行ネタなど自己満足的に更新してます、少し頭の隅に覚えて頂ければ幸いです。わくのい通信から改名!

平成栃木高校野球史  第41回 県立今市工業高校

2020-11-03 00:00:21 | 平成栃木野球史

昭和39年に創立。校名は、現在に至るまで変更なし。

工業団地もある地域内でそのまま就職する生徒が多い。

 

平成成績  20勝31敗  .392  63校中38位

通算成績  30勝55敗  .353  63校中43位

平成最高成績  大会2勝(H6、H11、H17、H19、H28、H30)

ライバル校!  宇都宮工

同じ工業系高校の大先輩宇工の胸を何度も借りるもことごとく跳ね返され続けている。

H2、H6、H17、H20と平成は4連敗。6回3勝目にチャレンジするも敗れているが

そのうち2回は宇工戦。昭和は1回対戦がありその時も敗れているので通算5連敗。

 

 

秋季大会は何度かベスト8入りするも夏は、初参加以来一度もベスト8入りはなし。

昭和にも2回大会2勝はあるので8回も3勝目チャレンジに失敗ということになる。

日光市内においては、日光明峰は休部中。今市高も成績が伸びないので今工に

期待がかかるところ。まずは、ベスト8入りを目指したい。


栃木平成高校野球史  第40回  県立黒羽高校

2020-11-02 23:41:06 | 平成栃木野球史

昭和23年に那須農業黒羽分校として開校。昭和37年に独立し黒羽高校となった。

黒羽町は、大田原市と合併したため大田原市内の高校だが

交通が不便な場所のため廃校となることなく学校としては存続している。

 

平成成績  15勝31敗  .326  63校中46位

通算成績  32勝56敗  .364  63校中41位

平成最高成績  大会3勝(H2)

ライバル校!  黒磯高校

ブラック対決は、平成に入り2度実現。平成2年は、2-1。平成30年は5-1でいずれも勝利。

黒磯高校は、黒高と呼ばれるが、黒羽高校は羽高と呼ばれる。

 

プロ入りした磯投手中心に平成2年は旋風を起こしたが3勝止まり。

これが過去最高戦績でベスト8以上は一度もない。

栃木北東部は、総じて過疎化が進んでいて那須高校や馬頭高校はここ最近単独でチームを組めていないが

黒羽高校は単独チームで頑張っていて、直近では、白鷗大足利に完封勝利するなど

好投手を輩出するしぶといチームだ。一時期は、8連敗し不振であったがここ最近は北東部における野球

の受け皿にもなっているようだ。厳しい環境ではあるが初のベスト8を目標に頑張ってほしいところ。

 

 


平成栃木高校野球史  第39回 県立宇都宮東高校

2020-11-01 23:24:07 | 平成栃木野球史

昭和38年に創立現在まで校名変更はなかったが、令和に入って男子校から共学化された。

宇都宮市内では、宇都宮高校に続く進学校。

 

平成成績  16勝31敗  .340  63校中43位

通算成績  42勝56敗  .429  63校中33位

平成最高成績  大会3勝(H15)

ライバル校!  文星芸大付

平成で最高の3勝を挙げた平成15年に敗れた相手。4-5の惜敗。

平成20年はコールド負けを喫している。

チーム最高の準優勝した昭和48年には、前身の宇都宮学園を破って波に乗った。

通算1勝2敗。

 

中高一貫校となったのが平成22年から。その影響かはわからないが、3勝10敗と成績低迷。

学業優先のためかもとから野球を経験している生徒が減少しているのかもしれない。

また直近の秋季大会は、連合チームでの参加となっていて都市部での部員不足も

栃木でもいよいよ表面化してきたか。

干支一回りごとに旋風を起こしているだけにそろそろ来る感じもしないでもないが

頑張りを期待したい。


平成栃木高校野球史  第38回 県立栃木工業高校

2020-10-31 23:52:33 | 平成栃木野球史

昭和37年に栃木市に栃木工業として開校。

旧栃木市内において開校は一番遅く高校野球の参戦は翌年の昭和38年からだが

同校OBの日向野監督が平成に入ってからは、ほぼ指揮をとり毎年好チームを作り上げている。

 

平成成績  39勝31敗  .557  63校中17位

通算成績  68勝57敗  .544  63校中17位

平成最高成績  ベスト4(H9、H16、H22)

ライバル校!  佐野日大

私立とも好勝負を繰り広げ、時折勝つほどの力を持っているが唯一夏勝ててないのが佐野日大だ。

平成は3回の対戦がありいずれも敗北。優勝を狙うには勝っておきたい相手だ。

なお、同じ市内の実業系高校栃木商には相性が良く平成は、3連勝。

 

好投手を多く輩出しバッテリーの指導には定評がある日向野監督。

采配は、オーソドックスなスタイルでバントでこつこつと攻める。

勝つときは、少ない点差で守り勝つというパターン。

今後上を狙っていくには現代の高校野球だとどうしても打撃力は不可欠。

打撃力が向上すれば、今後さらに上も狙えるはずだ。

時には、大胆な采配で春夏通じて初の甲子園を期待したい。


平成栃木高校野球史  第37回  足利大学付属高校

2020-10-30 23:29:43 | 平成栃木野球史

大正に月見ヶ丘実践女学校として開校。

昭和に一時的に足利女子商業となったがすぐに月見ヶ丘女学校に戻り

昭和36年男子部が出来た。昭和43年に系列の足利工業大学付属高校となり男子部が独立する形となった。

女子高から男子校となった珍しいパターンだったが、平成14年に再度共学に

系列の足利工業大が足利大となったため平成30年に校名変更。

女子高から共学校、男子校から再度共学化と珍しい経歴の高校となっています。

なお、現在も女子部門は足利短期大学付属校として残っています。

 

平成成績  40勝31敗  .563  63校中16位

通算成績  60勝57敗  .513  63校中21位

平成最高成績  ベスト4(H5、H16)

ライバル校!   白鷗大足利

私立でありながらなかなか上位進出出来ないでいる。

私立同士の対戦で唯一勝ち越しているのが同じ市内の私立白鷗大足利戦。

H5、H8、H19と3連勝。H26は敗れたが昭和の対戦はないため

3勝1敗と勝ち越している。

 

私立でありながら強豪ひしめく足利地区だけに有力な学生がなかなか集まらずその時点で苦戦している。

定期的に上位進出しているものの全体的に小粒なため最終的には力で押し切られてしまう。

校名が足利大付となってからは割と勝てている印象。

令和では、躍進を期待したい。足利地区は、野球が盛んなお土地柄だが隣の群馬県にも生徒が

流れてしまっているだけに、なんとか活躍して食い止めたいところだ。

 

 

 


栃木平成高校野球史  第36回 県立那須清峰高校

2020-10-28 23:14:18 | 平成栃木野球史

昭和36年に那須工業高校として開校。平成9年に商業科が加わったことに伴い

校名が那須清峰高校に変更となった。

平成の大合併前の所属自治体は西那須野町。場所的には大田原市に近いが

現在は、那須塩原市の所属だ。

 

平成成績  31勝31敗1分  .492  63校中25位

通算成績  58勝58敗1分  .496  63校中24位

平成最高成績  ベスト8(H24)

ライバル校!  宇都宮工

同じ工業系高校の先輩宇都宮工の壁が高く一度も勝てていない。

国学院栃木に勝ち躍進した平成24年は、昭和45年以来のベスト4を狙うも

勝てなかった。平成の対戦はこの1回のみ。昭和は、2回の対戦いずれも敗れ

通算0勝3敗。

 

 

時々好投手を輩出し大物食いも見せることも。チーム最高成績の昭和45年は、宇都宮学園を破っている。

県北の高校の中では、大田原、黒磯に次ぐ実績がある。小技を絡めた堅実なイメージの大田原に対し

割と大味なチーム。豪快な野球で令和も大物食いを期待したい。


栃木平成高校野球史  第35回 白鷗大学足利高校

2020-10-27 00:43:28 | 平成栃木野球史

大正に足利裁縫女学校が創立。昭和は、足利家政女学校となり

昭和27年に足利学園となり共学化。高校野球の参加はやや遅れて昭和36年からでした。

平成に入り、系列の白鷗大学の名前を冠し白鷗大学足利高校と改称になった。

「白足」と呼ばれるが以前の名残で「足学」と地元では呼ばれることもある。

 

平成成績   66勝30敗  .688  63校中8位

通算成績   115勝56敗  .673  63校中8位

平成最高成績  優勝(H20)

ライバル校!  佐野日大

どういうわけか、佐野日大に滅法弱く平成は6連敗と一度も勝てなかった。

昭和は、2勝なので通算2勝6敗。決勝でも2度敗れている。

ほか、国栃・作新・足利大付はそれぞれ1勝2敗、青藍泰斗1勝4敗など軒並み私立に負け越し。

 

 

平成は、前任の津布久監督から現任の藤田監督に交代したタイミングで

優勝。ただこの時は全て県立校に勝っての優勝で苦手の私立戦を克服できたわけでもなかった。

粗さも兼ね備えていて、直近の令和元年は黒羽にまさかの完封負け。

型にはまれば圧倒するが細かい点を修正していかないと私立同士の対戦になった時に

勝てなくなるのはこのあたりの差なのかもしれない。

九州沖縄からも野球留学が多い高校だ。そのまま白鷗大学で野球が出来るのも魅力で

ここ最近は白鷗大からドラフト指名される例も増えている。

このあたりを活かしチームプレーを重視してほしいところだ。


平成栃木高校野球史  第34回  國學院大學栃木高校

2020-10-26 00:28:26 | 平成栃木野球史

学校は昭和35年に創立。高校野球の参加は昭和36年から。

県内では「コクトチ」と呼ばれている。

立地が、東武線沿線のため埼玉からも多くの学生が通っている。

 

平成成績  89勝31敗1分  .736  63校中6位

通算成績  131勝58敗1分  .689  63校中7位

平成最高成績  準優勝(H17、H27、H28、H29)

ライバル校!  作新学院

3年連続準優勝の相手は全て作新学院・・・もう一歩のところまで来ているが夏になるとなかなかといったところ。しかもいずれも大敗というのが気になるところだ。

現在4連敗中だが平成で勝った試合はいずれもコールド序盤で大差をつけたいところか。

平成は2勝6敗。通算3勝8敗。

 

平成は、6番目の勝率ながら一度も甲子園に出られず。依然夏は、昭和57年に1度出場して以来遠ざかっている。春は、割と実績あるのだが夏の底力という点が課題か。

かつて機動力野球を標榜した実島監督から教え子の柄目監督にバトンタッチ。

機動力野球は、中堅校までなら通用するが強豪相手だと脆い一面も。

作新の小針監督とも世代は近い。柄目監督は、継投を好み選手も多彩な起用を見せる。

ベンチワークに個性がある。

全員野球で打倒作新で久々の夏の出場を目指す!


平成栃木高校野球史 第33回 県立鹿沼高校

2020-10-25 20:26:01 | 平成栃木野球史

大正時代に女子高として創立した鹿沼高校。戦後、県立鹿沼高校として共学化。

昭和34年から栃木県大会に登場しています。

鹿高として地元に親しまれている高校です。

 

平成成績  31勝31敗  .500  63校中24位

通算成績  62勝61敗  .504  63校中22位

平成最高成績  大会3勝4回戦進出(H1,H10)

ライバル校!  石橋高校

平成唯一の対戦は、平成22年で3-2で勝利。

昭和は1勝1敗で通算2勝1敗。似たような、境遇の両校だがここ最近石橋高校が躍進。

続きたいところだ。

 

交流戦では、女子選手の話で持ち切りだったが平成でも通算でもほぼ五分の星。

接戦に強いが、相手が私立だとめっぽう弱く番狂わせはほぼ皆無。

戦い方がまともなので相手にしたら戦いやすい相手なのかもしれない。

小山高校で甲子園に出場した中田監督が就任。今後しぶとくなってくるのか注目だ。

なお、昭和では5回のベスト8進出がありこれが学校として最高成績。

 


平成栃木高校野球史 第32回 県立さくら清修高校

2020-10-18 23:21:58 | 平成栃木野球史

大正13年に氏家高等女学校として開校。

昭和23年に共学化。栃木県大会には昭和27年からの参加です。

平成21年に隣の喜連川町と氏家町が合併。さくら市と改称となり高校名も

喜連川高校と併合でさくら清修高校となりました。

そんなさくら清修高校の平成の戦いぶりを振り返ります。

 

平成成績   16勝30敗1分  .340  63校中42位

通算成績   32勝67敗1分  .320  63校中48位

平成最高成績  3勝(平成15年)

ライバル校!  上三川高校

なぜか対戦が多く平成だけで5回も対戦。打撃戦になることが多い。

平成は、3勝2敗。ちなみに最後に単独チームで出場した平成30年は勝っていてこれが

さくら清修高校の最後の勝ち星となっている。

 

昭和は、初戦勝てるかどうかのチームで昭和48年に2勝したのが最高。

平成は、7連敗を喫した時期もあったが平成15年に学校として初めて3勝しベスト8まであと一歩だった。

ただ平成30年を最後に単独でチームを組めていない。

さくら市特に旧氏家町は栃木県内でも人口が増えている地域になるが

こういった地域でも野球離れが進んでいるのは憂慮する事態なのかもしれない。

足利南のように一時期の部員不足を脱した例もあるのでなんとか再建してほしい。


平成栃木高校野球史  第31回 県立馬頭高校

2020-10-17 22:13:59 | 平成栃木野球史

昭和21年に馬頭農学校として開校。

昭和24年に普通科が出来て馬頭高校となり現在に至っています。

全国的にも珍しい淡水の水産科があることでも有名です。

なお、学校のある馬頭町は小川町と合併し那珂川町となっています。

 

平成成績  4勝29敗  .121  63校中62位

通算成績  12勝67敗  .152  63校中60位

平成最高成績 初戦突破(H3、H13、H17、H24)

ライバル校!  小山高専

平成成績、通算成績ともに順位の近いのが小山高専。平成は、2回対戦。

H3は、勝利しているがH16は、敗北。1勝1敗のイーブン。

 

 

昭和から参戦も、小規模校のため慢性的に部員不足。

初戦突破が目標なチームだ。平成29年を最後に合同チームでの参加が続いている。

こちらも学校の存続が危ぶまれているところ。

今のところ野球部の活動は継続できているのでなんとか単独での参加を目指したいところ。

 


平成栃木高校野球史  第30回 県立日光明峰高校

2020-10-16 21:19:13 | 平成栃木野球史

大正時代に、日光町立高等女学校として開校。

昭和23年に県立となり共学化。昭和26年から参加した。

平成19年に足尾高校の閉校にともない合併する形で高校名が日光明峰高校と改称になりました。

現在は、部員不足により休部中ですが平成の日光高校の戦いぶりを振り返ります。

 

平成成績   12勝27敗  .308  63校中49位

通算成績   26勝66敗  .283  63校中55位

平成最高成績  準優勝(H2)

ライバル校!   青藍泰斗高校(旧葛生高校)

大躍進した平成2年に共に初優勝をかけて決勝戦を戦った。

平成1年にも対戦があり3-4で惜敗。おしくも2連敗してしまったが

日光高校創立以来一番強かった時期が昭和61年から平成4年にかけてで7年連続初戦突破。

 

 

昭和28年にもベスト4入りが一度。平成2年とベスト8以上は2回。

昭和29年から48年までは44年の不参加があったがずっと初戦敗退。

平成初期は強い時期もあったが、旧日光市域の少子化・過疎化もあって部員不足が顕著に。

平成28年を最後に休部状態となっている。

平成19年に日光明峰高校と改称してからは、平成21年に廃校となった那須海城高校に勝ったのが

唯一の白星となっている。現在学校自体が存続の危機で、野球部が日の目を見るのは相当難しいかもしれない。

 


栃木平成高校野球史  第29回 県立黒磯高校

2020-10-15 19:41:53 | 平成栃木野球史

大正に黒磯町立実践女子高として開校。昭和23年に栃木県立黒磯高校として共学化。

旧黒磯市は、合併により那須塩原市となったが今でも高校名はそのまま黒磯高校として、

ユニフォームも県北の高校として唯一の甲子園出場時のものを着用している。

 

平成成績  23勝31敗  .426  63校中32位

通算成績  63勝69敗  .477  63校中27位

平成最高成績  ベスト8(H28)

ライバル校!  茂木高校

平成は3回の対戦。H6、H17はいずれも4-3というスコアで勝ち3回戦進出している。

平成に入って初のベスト8入りした平成28年は、昭和55年に優勝して以来のベスト4入りが

かかったがコールドで大敗。

昭和での対戦成績は2勝1敗。優勝した時は2回戦で対戦しコールド勝ちした。

通算対戦成績4勝2敗。

 

平成28年は、外部の方が監督となり復活。久々のベスト8と躍進したが、その後続かず

まさかの初戦3連敗中。県北の公立校の受け皿となりたいところだが、なかなかうまくいっていない。

H11~H17にかけても7年連続初戦突破があった。復活しそうでできないのは何とももどかしいところ。

位置的に過疎化に悩むことはなさそうではあるので長期的な視野での強化を期待したいところだ。

 

 

 


栃木平成高校野球史 第28回  県立栃木農業高校

2020-10-14 19:16:58 | 平成栃木野球史

明治に下都賀郡立栃木農学校として開校。

大正に栃木県立となり現在に至るまで農業高校を名乗っている。

県内の農業高校は相次いで校名変更したため、農業高校を名乗るのは栃木農だけとなっている。

 

平成成績   12勝31敗  .279  63校中51位

通算成績   37勝71敗  .343  63校中44位

平成最高成績  大会2勝(H14、H16)

ライバル校!  小山北櫻

同じ県南の農業系の高校。小山北櫻とはなぜか対戦が多い。

小山園芸高校時代は対戦がなかったが平成に入り4回対戦。

2勝2敗の五分となっている。

 

型にはまれば善戦を見せる。H14矢板中央戦、H21佐野日大戦は1点差での惜敗だった。

ベスト8入りは、S26とS55と2回ある。

最後の農業高校として、ユニフォームも「Agriclture」の文字に一新。

栃木市内の高校と切磋琢磨しもう一花咲かせたいところだ。

 


平成栃木高校野球史  第27回 栃木県立喜連川高校(閉校)

2020-10-13 18:51:37 | 平成栃木野球史

昭和21年に農学校として開校した喜連川高校。昭和26年に県立になりましたが参加は昭和24年からでした。

旧喜連川町が旧氏家町と合併しさくら市となり高校も、氏家高校と統合する形で喜連川高校は閉校。

氏家高校はさくら清修高校となりました。

平成で幕を閉じた喜連川高校の球史を見ていきたいと思います。

 

平成成績   3勝18敗 .143

通算成績   17勝58敗 .227

平成最高成績  初戦突破(H10、H13、H15)

ライバル校!  馬頭高校

地理的にも隣町に位置する馬頭高校。実力的にも似通っていた。

昭和42年は、3-0で完封勝利。チームはその後初のベスト8入り。

平成15年は、コールド勝ち。これが学校最後の勝利となった。

2年後の対戦は、3-4と惜敗。通算2勝1敗だった。

 

平成に入ってからは、慢性的な部員不足で10連敗を喫していたが

那須、粟野、馬頭と似たような状況の高校に勝利するのがやっとだった。

那須と馬頭は連合チームを組み粟野は閉校となっている。

昭和では、大会2勝以上は3回記録。ベスト8が一度だけだった。