雪
※雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました※
あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて
(※くり返し)
△手をさしのべればいつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても消える
まるで 淡すぎる 雪のようです△
あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら
(△くり返し)
あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら
(※くり返し)
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました※
あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて
(※くり返し)
△手をさしのべればいつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても消える
まるで 淡すぎる 雪のようです△
あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら
(△くり返し)
あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら
(※くり返し)
父親が倒れたのは、中島みゆきさんがレコードデビューを目前に控えた1975年の9月のこと。
脳溢血で昏睡状態に陥った父親は、そのまま意識が戻らず、年をまたいだ1月に息を引き取ります。
「1978年・秋のツアー」の中で、みゆきさんはその日のことを語っていました。
人前で泣くことが嫌だった私は、父親が死んでも泣かなかった。
出棺する時も泣かず、雪降る中、火葬場から煙が上がっていくのをただ黙って見つめていた。
この歌詞にあるように、みゆきさんは父親の教えに強く影響されています。
「刀で切った傷は薬をつければ治せるけれど、言葉で切った傷は薬では治せないんだよ」
これは父親が幼少期のみゆきさんへ向けた言葉だ。
「言葉」を重んじてきたみゆきさんの歌のスタイルを見れば、この父親の言葉がいかに影響を与えてきたかが分かります。
みゆきさんは、父親が亡くなった後も心の中で彼と対話しているのでしょうね。