goo blog サービス終了のお知らせ 

青春Ⅱ 松山千春

2017-12-31 02:30:24 | 松山千春
松山千春 青春Ⅱ




この胸の中 かけぬけて行く
思い出たちが 優しすぎます
背中を向けた 貴方をつつむ
淡い日ざしが まぶしすぎます
人は皆 つかの間の 幸せを信じて
貴方と生きた 青春の日よ
愛に全てを かけた日々

涙がほほを ひとすじつたう
これ程貴方を 愛したのですね
幾度季節を 見送ろうとも
忘れたくない 思い出がある
人は皆 つかの間の 幸せを信じて
貴方と生きた 青春の日よ
愛に全てを かけた日々

人は皆 つかの間の 幸せを信じて
貴方と生きた 青春の日よ
愛に全てを かけた日々





青春の思い出は この胸の中で いつまでも 燃え尽きぬ 若き炎
移りゆく人の世を むなしいとうらみ 過ぎ去った昔を 恋しいと悔やむ
あぁ 僕の青春

流れ来る川面には 大人びた顔の 自分を映して すましてる
戻らない春の日を 呼びとめてみては 大声で叫びながら 追いかけて みゆる
あぁ 僕の青春


この胸の中 かけぬけて行く
思い出たちが 優しすぎます
背中を向けた 貴方をつつむ
淡い日ざしが まぶしすぎます


ところで、「思い出」ってなんでしょう。

改めて考えるために、まず「思い出」を広辞苑(第五版)で調べてみました。

①前にあった事柄で深く心に残っていることが思い出されること。また、その事柄。また、そのきっかけとなるもの。
②後々まで思い出しても楽しくなること。また、そのさま。

さすがは、広辞苑です。
いつも分かったような分からんような解説です。(笑)
でも、特に②については意外に感じました。

②の定義によれば、思い出とは、後々まで思い出しても楽しくなること、ということですから、つまりは思い出は、楽しい思い出のことを指すのでしょうか。

どちらかというと、いままでは、過去に経験したことの記憶に、喜怒哀楽の感情が加わったものが、思い出になるのだという認識がありました。

だから、思い出というものには、もちろん楽しい思い出もあれば、悲しい思い出もあり、辛い思い出もあるはずと思っていました。

考えてみれば、思い出たちが優しすぎるということは、その思い出たちが、楽しい、嬉しい、幸せな思い出たちだけだった、ということになるのでしょうか。

ところで、ある調査によれば、人に思い出を列挙させてみると、楽しい思い出が5割~6割くらい、悲しく辛い思い出が2割~3割くらいとなり、残りがどちらでもない思い出となるそうです。

この比率についても、多少、意外かもしれません。

そして、その思い出たちが、最近のものが多いほど、悲しく辛い思い出の比率が高いのですが、その逆に、その思い出たちが昔のときのものが多いほど、楽しい思い出の比率が高まってくるというのです。

よく考えてみると、思い出が、過去に経験したことの記憶ならば、その記憶というのは、時間の経過に伴って、必ず、忘れていく、薄れていくものです。

楽しい、嬉しい、幸せな思い出は、思い出すことが苦痛ではない分、いや快楽ともいえる分、なんども思い出しては、記憶の強化を図ります。

一方、悲しい思い出は、思い出すことが辛い分だけ、できれば思い出さないようにするはずです。

そうすることにより、時間の経過により、楽しい思い出たちの記憶は強化保存されて、悲しい思い出たちの記憶は減退消失されて、結果的に、楽しい思い出たちが残っていくものです。

だから、思い出とは、楽しい思い出であるというのも、あながち楽天家の戯言(たわごと)と、一概にはいえないのかもしれません。

でも、残念ながら、ひとは悲しみにとらわれると、ネガティブになり、暗く否定的な考え方、消極的な行動しかとれなくなることが多いと言われています。

そして、悲しい思い出たちの記憶を強めて、再生産していき、これがいわゆるマイナス思考へとつながっていきます。

涙がほほを ひとすじつたう
これほど貴方を 愛したのですね
幾たび季節を 見送ろうとも
忘れたくない思い出がある


しかし、よく考えてみてください。
悲しい思い出となるできごとがあったとしても、そのすべてが、悲しいできごとだったのでしょうか。

たとえば、ある人と別れたとします。
そして、もう会えないということになります。

それは、悲しく辛いできごとに違いないでしょう。
かならず悲しい思い出になるでしょう。

そして、それはそれでいいのです。
悲しみは悲しみと受け入れてください。

意地を張って無理することはありません。

でも、その人と別れたということを、改めて見つめ直してみてください。
別れたのは、その人と、出会えたからなのです。
出会えたからこそ、別れがあったのです。

そして、その人と過ごした時間があったのです。
そんな中でのできごとのひとつひとつまでもが、悲しく辛いできごとばかりでは、なかったはずです。

思い出して楽しくなるようなできごともあったはず。
幸せな気持ちになるようできごともあったはず。

その記憶を呼び起こし、その思い出たちを大切にしていけば、楽しい思い出の数は変わらなくとも、比重は増していくはずです。

そう、それがプラス思考です。

そうすれば、いつかきっと、ポジティブになって、明るく肯定的な考え方、積極的な前向きな行動がとれるはずです。

そして、それがまた、忘れたくない思い出たちに、つながっていくものなのです。

人は皆 つかの間の幸せを信じて
貴方と生きた 青春の日よ
愛にすべてをかけた日々


マスター(ふうちゃん)が、この「みゅーじっくふうちゃんねる」というタイトルでブログを始めたのは2007年(平成19年)5月の妻の死がきっかけでした。

49歳、早すぎる旅立ちでした。

遅咲きの桜が散る頃・・・幾たび季節を見送ろうとも、忘れたくない思い出とするならば、忘れられないようなものを作ってみよう。

青春時代の曲たちと、いつでも出会えるサイト。

そう、それが「みゅーじっくふうちゃんねる」の原点でした。

この胸の中 かけぬけて行く

思い出たちが 優しすぎます

放課後の校庭を走る君がいた

遠くで僕はいつでも 君を探してた


かけぬけて行った優しい思い出たち、思い出たちという名の君を探しに、青春音楽館のセカンドステージをまた走ろうと思います。

それが、マスター(ふうちゃん)の「青春Ⅱ」

どこまで走れるか、それは分かりません。
歩くより遅い走りかもしれません。(笑)

しかし、その思い出たちが手を振ってくれる限り…。
そして、その思い出たちが、ここに来るみんなを優しく包み込んでくれる限り…。

もちろん、ぼちぼちと…ですけど。(笑)




























































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間なんて よしだたくろう

2017-12-28 03:33:15 | 吉田拓郎
人間なんて 吉田拓郎 90' 日本武道館




人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ

何かがほしいオイラ
それが何だかはわからない

だけど何かがたりないよ
今の自分もおかしいよ

空に浮かぶ雲は
いつかどこかへ飛んでゆく

そこに何かがあるんだろうか
それは誰にもわからない

人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ



この曲「人間なんて」、そしてもう1曲「結婚しようよ」、この2曲は、有名と言う意味では拓郎さんが作った曲の中ではずば抜けて有名です。

ただ、この2曲、本人がどういうわけか封印気味に扱っており、長い拓郎さんのライブ活動暦の中でも歌われたことは殆んどなく、なにか特別な時だけだったように思います。

ですから、この映像、とても貴重で是非、削除されることがないよう祈っています。

ところで、この歌詞ですが長い演奏時間のわりに、ほとんど全編が「人間なんて La…」で進みます。

そして歌詞らしい歌詞と言えば数行、それも大した意味もなさそうな・・・

ただそれでいて、伝わってくるモノは豊富で、熱い感情も湧きます。

それは、この曲の殆んどに流れているアナログ的メロディーラインが単純な歌詞を何重にも被って深く厚みのある曲として構成しているからではないでしょうか。

甘く、温かく・・・優しい・・・そう、そんな人間だから ラララララララーラ・・・













































































  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青い眼のお人形

2017-12-25 17:41:59 | 童謡・唱歌
山崎ハコさん「青い眼のお人形」


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150505043932dec.mp3

青い眼をしたお人形は
アメリカ生まれのセルロイド

日本の港へついたとき
いっぱいなみだをうかべてた
わたしは言葉がわからない
迷子になったらなんとしょう

やさしい日本の嬢(じょう)ちゃんよ
なかよくあそんでやっとくれ
なかよくあそんでやっとくれ



「赤い靴」同様、作詞は野口雨情、作曲は本居長世。
「青い眼の人形」は大正10年12月号の児童雑誌『金の船』に発表され、これに本居長世が長調に短調のアンコをはさむおしゃれなメロディをつけました。
雨情の三女、2歳の香穂子さんが、セルロイド製のキューピーと遊んでいる情景を見て心をうたれてこの詞を書いたそうで、 いかにも子煩悩の雨情らしい作品です。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤い靴

2017-12-25 03:17:25 | 童謡・唱歌
山崎ハコさん「赤い靴」


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201505050434528a3.mp3

1 赤い靴はいてた 女の子
  異人さんにつれられて
  いっちゃった

2 横浜のはとばから 船に乗って
  異人さんにつれられて
  いっちゃった

3 今では青い目に なっちゃって
  異人さんのお国に
  いるんだろ

4 赤い靴見るたび かんがえる
  異人さんにあうたび
  かんがえる



詞は大正10年(1921)、『小学女生』という雑誌に掲載され、翌年、本居長世が曲をつけ、その娘・貴美子の歌で発表されました。

野口雨情の詞には、モデルがいます。静岡県生まれの「岩崎きみ」という女の子で、母親が北海道の開拓地に入植するため、アメリカ人の宣教師ヒュエット夫妻に養女として預けられたのです。

やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるのですが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院に預けられてしまうのです。

そして、きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなるのですが、母親(かよ)は、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごしてしまいます。

現在、きみの墓は東京の青山墓地にあるそうですが、あまりに幸薄く、はかない一生ですよね。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きよしこの夜 Silent Night

2017-12-24 18:00:13 | クリスマス特集
Sissel - Silent Night


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20151224142718381.mp3

きよし この夜
星は 光り
救いの御子は み母の胸に
眠りたもう ゆめやすく

きよし この夜
み告げ受けし
羊飼いらは 御子のみ前に
ぬかずきぬ かしこみて


(原詞)

Silent night holy night
all is calm all is bright .

Round your virgin mother and child
holy infant so tender and mild .

Sleep 'in heavenly peace
sleep 'in heavenly peace .



クリスマスになると必ず流れる曲『きよしこの夜』、世界中で知られるこの有名なクリスマスソングは、1818年、オーストリアの小さな村オーベルンドルフで誕生しました。

作詞家はヨーゼフ・フランツ・モアー(1792~1848)。

私生児として生まれたモアーは、1815年、教皇の特別許可をもって司祭へと任命され、教区教会管理者の助手として、オーベルンドルフへやって来ます。

村人に大変親しまれたモアー司祭は、オーベルンドルフの人たち(ほとんどが塩の運搬をする船乗りで、冬には仕事がない貧しい人たち)にクリスマスの曲をプレゼントしようと考えました。

当時、教会の礼拝は全てラテン語で行なわれ、村人は内容を聞き取ることができずにいたことから、モアー司祭は『きよしこの夜』を誰にも分かりやすいようにドイツ語で作詞しました。

1816年にモアー司祭によって書かれた歌詞に続いて、1818年『きよしこの夜』の作曲者フランツ・クサーヴァー・グルーバー(1787~1863)のメロディーがのせられます。

この村の教会のオルガニストをしていた小学校教師のグルーバーは、モアー司祭とともに1818年のクリスマスイヴ・ミサの最後に、クリッペの前で『きよしこの夜』を発表したと伝えられています。

グルーバーはこの曲をギターで伴奏し、なるべくラテン式(オルガン)を避け、庶民的なミサにしようと心掛けたのではないかとされています。

クリスマス前に教会のオルガンが壊れてしまい、修理も間に合わず、イブの夜にグルーバーのギター伴奏で、二部合唱をしたとも言われています。

チロルでは毎年必ずクリスマス・イヴとクリスマスに『きよしこの夜』が各家庭や教会で歌われます。

そしてクリスマス・ミサの最後には、必ずハイライトとしてこの曲が全員で大合唱されるのです。

『きよしこの夜』の静かで美しいメロディーは、イエス・キリストの誕生を祝福する最も大切で、庶民的な曲として世界中で歌われ続けています。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群 青

2017-12-20 01:57:31 | アリス・谷村新司
群青 谷村新司


http://blog-imgs-80.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150628043047610.mp3

空を染めてゆく この雪が静かに
海に積りて 波を凍らせる
空を染めてゆく この雪が静かに
海を眠らせ 貴方を眠らせる

手折れば散る 薄紫の
野辺に咲きたる 一輪の
花に似て儚なきは人の命か
せめて海に散れ 想いが届かば
せめて海に咲け 心の冬薔薇

老いた足どりで 想いを巡らせ
海に向いて 一人立たずめば
我より先に逝く 不幸は許せど
残りて哀しみを 抱く身のつらさよ

君を背おい 歩いた日の
ぬくもり背中に 消えかけて
泣けと如く群青の海に降る雪
砂に腹這いて 海の声を聞く
待っていておくれ もうすぐ還るよ

空を染めてゆく この雪が静かに
海に積りて 波を凍らせる
空を染めてゆく この雪が静かに
海を眠らせて 貴方を眠らせる




やってみせ言って聞かせてさせてみてほめてやらねば人は動かじ        

これは、座右の銘や、自己啓発、研修教材などで、よく引き合いに出される、大日本帝国海軍連合艦隊の司令長官、山本五十六元帥の有名な言葉です。

もっとも、山本五十六元帥の言葉と伝えられていますが、出典は、「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」との言葉も残している江戸時代中頃の出羽国(山形県)米沢藩の財政再建を行った「清貧の名君」と呼ばれる藩主上杉鷹山公の言葉によるのではないかとの説もあります。

しかし、いずれにしろ、人心を掌握して、人を動かすときの、巧みな人事管理のエッセンスを、シンプルにして、かつ明瞭、明確な言葉で示した言葉です。

まず、やってみせということは、まず自分がやってみせて、模範を示すということ、率先垂範であり、逆にいえば、自分がやれない、できもしないことは、相手に求めてはならないことをいってるのです。

言って聞かせて、ということは、ただ単に、やり方を一方的に押し付けるのではなく、相手が納得するまで、十分に説明をして、教え諭すということです。

そして、させてみるというのは、単に理論だけで終わるのではなく、実際に、やらせてみる、つまりは、実践が肝要であるということです。

しかし、いちばん、重要にしてかつ難しいことが、最後の、誉めてやるということです。

やってみせ、言って聞かせて、させてみて・・・

う~~~ん、おまえ、なにを見てて、なにを聞いてたんや。

言うたやろが、ここはこう、ここはこうやるんやろ、ほら、見てみぃ、ぜんぜん、違うやろが・・・。

・・・と、言いたいのをこらえて、誉めてやる。

誉めるところがまったくないのに、誉めてやる・・・。

人を動かすことは、海底に沈んだ戦艦大和を動かすことよりも、さらに難しいことです。(笑)

連合艦隊司令長官の山本五十六氏は、当初、日独伊三国軍事同盟に反対し、無謀な対米戦争に懸念を表明しながらも、日米開戦が決定してからは、航空主兵論と短期決戦論にもとづいて、真珠湾奇襲攻撃を立案し、1941年(昭和16年)12月に、その作戦を実行して、成功を納め、国民的英雄となります。

しかし、山本五十六氏が予想したとおり、アメリカとの経済力、軍事力の差は大きく、開戦わずか半年後の1942年(昭和17年)の6月のミッドウェー海戦での敗退から、戦局は次第に悪化していきます。

そして、1943年(昭和18)4月、前線視察に向かった山本五十六氏は、ラバウル航空隊のあったパプア・ニューギニアのブーゲンビル島上空で米軍機の待ち伏せ攻撃に遭い、撃墜されて、戦死します。
山本五十六元帥、59歳の生涯でした。

もちろん、新潟県長岡市の旧家に生まれ、海軍兵学校卒、海軍大学卒、ハーバード大学留学のエリート職業軍人である山本五十六氏を、ここで悲劇の英雄視をしたり、美化したりするつもりはありません。

山本五十六氏をはじめ、日本をして戦争への道へと駆り立て、多くの国民を死に至らしめた軍人たちや政治家の罪は大きいと思います。

しかし、山本五十六氏の生涯を見るにつけ、いかなる知識や経験、見識を持とうとも、ひとたび誤った時流が渦巻く世となるならば、その時流に抗し切れない、人の弱さとずるさ、おろかさ、そして人の世の儚さを実感せざるを得ないのです。

せめて海に咲け 心の冬薔薇

冬薔薇と書いて、「ふゆそうび」と読みます。
歳時記によれば、冬、一月の季語になります。

冬薔薇は文字どおり、冬の薔薇のことですが、園芸品種的には、薔薇に冬咲きはなく、歳時記でも本来の薔薇は夏の季語とされています。

だから、冬薔薇は、夏咲きの薔薇が冬に残ったものか、あるいは季節を違えて、咲いてしまったか、つぼみをつけたものなのかもしれません。

冬薔薇紅く咲かんと黒みもつ  細見綾子

鮮やかに咲く紅い薔薇も、つぼみの頃は赤黒く、まして、凍えそうな冬の寒さに耐える冬薔薇ならば、より黒みがかって見えるのでしょう。
にもかかわらず、とき来たりなば、紅く咲くのです。

そういえば、清らかに白い「銭の花」も、つぼみの頃は血のにじんだように赤いそうですよ。(笑)

銭の花の色は清らかに白い
だが蕾は血のにじんだように赤く
その香りは汗の匂いがする
                     「細腕繁盛記」  花登筺

なお、冬薔薇に関連して、晩秋からクリスマスにかけて、花屋の店先で見かけるクリスマスローズ(Christmas rose)は、ローズ(薔薇)の名前をつけながら、バラ科ではなく、キンポウゲ科に属します。

老いた足どりで 想いを巡らせ
海に向いて 一人立たずめば
我より先に逝く 不幸は許せど
残りて哀しみを 抱く身のつらさよ


そして、このフレーズにいきつくとき、マスターは、次の歌詞が、どうしてもオーバーラップしてしまいます。

空をつくよな大鳥居
こんな立派なおやしろに
神とまつられもったいなさよ
母は泣けますうれしさに
                    「九段の母」 二葉百合子

1939年(昭和14年)に、塩まさるという方が歌ってヒットした、戦時歌謡曲「九段の母」という曲です。
塩まさる氏の歌はさすがに聞いたことがありませんが、懐かしのメロディーとして、「岸壁の母」の二葉百合子さんが歌っていたのは記憶にあります。

九段というのは、いうまでもなく、靖国神社です。
戦死者は、お国のための名誉の散華(さんげ)、戦死として、ここに英霊として、神として祀られました。

しかし、老いた母は、神として祀られた息子とここで再会し、ほんとうに、うれしくて泣いたのでしょうか。

米軍戦艦に爆弾を抱えて体当たりの自爆攻撃をする神風特別攻撃隊、いわゆる特攻隊の兵士たちは、靖国神社で会おう、を合言葉にして、その多くは、海に消えていったそうです。

国民を臣民となし、神州大日本帝国の聖戦のよりどころとして、国家神道と靖国神社があったのです。

このような靖国神社の歴史的な経緯を踏まえれば、やはり、靖国神社の公式参拝に、執拗にこだわる政治家たちの意図が、純粋に戦没者の冥福を祈り平和を祈念する気持ちだけではないような気がするのは、マスターだけでしょうか。

もちろん、政治家たちも含め、一個人が、一個人の立場として、靖国神社に、どのように参拝しようが、それは信教の自由として守られるべきことです。

しかし、私的見解ですが、国を愛する心、神仏を崇敬する気持ち、そして肉親への情愛を、巧みに利用しながら、悲惨な戦争へ、道へと突き進んだのが、太平洋戦争であり、その反省の上にたち、憲法で、政教分離が定められたのだと考えます。

ですから、戦没者を追悼し、不戦の誓いを、真摯に考えているのならば、なにも靖国神社への公式参拝や法制化に固執する必要はなく、国立の戦没者追悼平和祈念施設を整備すればいいのです。

反戦運動に関わった団塊の世代以上の方々が、高齢化し、保守化していく中で、その後の世代が無関心な中で、戦陣に散っていった方々の御霊を日本の祭祀形式で慰霊し平和を祈念することのどこが悪いんだ、という政治家たちの言い方に説得され、疑念を持たなくなるのを、マスターは憂慮しています。

政治家たちの言動が、今度日本が戦争したときは、喜んでお国のために死んでくれるように、徴兵した兵士の士気が高まるように、戦没者をきちっとした国立の靖国神社で慰霊したいのだ、だからまず靖国神社に公式参拝をしているのだと、そう言っているように思えるマスターは、非国民でしょうか。(笑)

戦場で死ぬときは、「天皇陛下万歳」といって死ね、と教えられた若き兵士たちが、最後の言葉として残していったものは、やはり「お母さん」というのが多かったといいます。

母の愛は、海よりも深いといいます。
そして、深い深い海の色が・・・群青色なのです。

母と子の絆の深さは、良きにつけ悪しきにつけ、父親すら入り込めない関係があると思います。

帝政ドイツ時代に、父親から貰ったひとつの方位磁石(コンパス)に興味を持って、飽きずに遊んでいる一人遊びが好きな男の子がいました。

この子は言葉が遅れていたために、幼少期は知恵遅れではないかといわれ、小学校に入ってからも成績は最下位であり、大学入試にも失敗しています。

それでも、この子の母親は、この子は、ほんとはできる子なんだと信じて、そう育ててきました。

この子の名前は、アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)

のちに、それまで物理学の常識とされたニュートン力学を再構成させた特殊相対性理論を、1905年(明治38年)に発表した、20世紀最大の科学者です。

彼はドイツに生まれましたが、ユダヤ人であり、このために、ナチス・ドイツから迫害を受けて、アメリカに亡命しました。

そして、そのアメリカでは、ナチス・ドイツより先に核兵器を開発しようとする「マンハッタン計画」が立てられ、アインシュタインも、核兵器の抑止力を期待して、この開発計画の賛同者として名を連ねます。

しかし、開発された核兵器の原爆は、日本の広島・長崎に投下され、多くの犠牲者が出たのです。

後年、アインシュタインは、核兵器の開発について、いかなる理由があろうとも賛同してしまったことを、それは自分の人生の中で、最大のあやまちであったと嘆いたといいます。

そして、その反省の上から、1955年(昭和30年)に、哲学者バートランド・ラッセルらと共に、アインシュタインは、「人類に終止符を打つか、それとも人類が戦争を放棄するか」と、世界各国に核兵器の廃絶を呼びかけるラッセル=アインシュタイン宣言を発表して、それが遺言でもあるかのように、この年に亡くなりました。

話が飛びますが、海に住む神さまのことを「古事記」では上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)、「日本書紀」では上津少童命(うわつわたつみのみこと)と記しています。

この日本古来の海の神の名前を由来にして、海そのもののことを、「わだつみ」といいます。

そして、太平洋戦争では、学徒出陣として、戦場に引きずり出されていった学生たちの多くのいのちたちが、この「わだつみ」に散っていきました。

その若者たちの母や恋人にあてた手紙や、日記、遺書を集めた、「きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記」(岩波文庫)という本があります。

この本を読むと、戦時下の彼ら学生たちが、なんの知識も見識もなくて、ただやみくもに、軍国主義に染められて、従属していっただけではないことに、改めて驚かされます。

しかしながら、彼らは、戦争という狂気の時流の中で、祖国の将来と愛する者たちの未来を憂いながら、自分の運命を見つめつつ死んでいったのです。

戦争が悲惨なのは、およそ平時では考えられないくらいに、人間の知性や理性を、すっかりと麻痺させてしまうところだと思います。

だからこそ、戦争への道に引きずり込もうとする勢力や流れには、神経質なくらい警戒を強めて、そんな狂気の時流を作り出せないようにしていくのが、戦争を知らない、私たちの役割だと思っています。

空を染めてゆく この雪が静かに
海を眠らせて 貴方を眠らせる


安らかにお眠りください。
反戦、不戦の誓いは眠らせませんから・・・。


この曲は、1981年8月に公開された東宝映画「連合艦隊」の主題歌としてシングルリリースされ、映画のラストシーンでは大いに感動を盛り上た曲です。

映画は、小林桂樹さんが山本五十六役、そして、中井貴一さんが特攻隊員役で映画デビューし、戦艦大和の精巧な模型も話題に上りました。

なお、谷村新司さんの「昴」と「群青」は、年長者の方、特に先輩や上司なんぞとカラオケする場合には、かぶらないように十分に注意しておく必要があります。(笑)

谷村さんのアリス時代の曲はほぼ全曲歌えても、ソロとなって以降の曲はあまり聞いてなかったマスターは、上司が勝手に「群青」を選曲して歌いだし、ワンコーラスでしどろもどろになって、マイクをいきなり手渡されて、無理やり引きずり出されるうちに、「群青」をマスターしてしまいました。(笑)

ですから、負け戦となることが分かっていながら、引きずりだされた山本五十六司元帥の心情は、なんとなく、よく理解できます。(笑)

それだけに、感情移入して、情感を込めた切々とした歌い方になるからでしょうか、スナックのママを感動させて、大いに泣かせたものです。(笑)

もっとも、ママといっても、母親に近い年齢のママさんに限られるのが・・・なんですがね。(笑)







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Pink Martini live in BASSSSSSSSSEL

2017-12-18 16:16:04 | ライブ&BGM
Pink Martini live in BASSSSSSSSSEL



九州場所開催中の11月14日、一部スポーツ紙がスクープして事件が公になった日馬富士暴行事件。

加害者(日馬富士)が暴行を認め、(のちに診断した医師が疑義を申し立てたものの)診断書によれば被害者のけがも重傷であることから、この時点で日馬富士の逮捕や引退もあると報じられました。

逮捕はなかったものの、書類送検、引退となったわけです。

しかし……後に続いた報道は、相撲協会への報告より前に警察に被害届を提出していたことが不可解だと貴ノ岩の師匠の貴乃花親方に矛先が向いていきます。

まぁ、マスターから見ると、大相撲という伝統文化の中での横綱の暴力は、その事実だけで厳重な処分に匹敵するわけで、引退は当然と思います。

そもそもあの酒席ですが、もとは鳥取城北高校のOBの集まりで、鳥取城北の相撲部監督の息子で同部OBの石浦を内弟子にしている白鵬がいるのは理解できても、日馬富士・鶴竜の参加こそ不可解。

一方、貴乃花親方の行動も確かに不可解で、まず協会に報告するのが筋かも知れませんね。

ただ、貴乃花親方にしてみれば「協会は現役横綱の不祥事は避けたがる。うやむやにはされたくなかった」ということではないでしょうか。

日本相撲協会の危機管理委員会の会見を観ましたが、「すぐに貴ノ岩がすみませんと謝れば、その先に行かなかったと思われますが、貴ノ岩はそうせずににらみ返した上、謝罪もしなかった。」などと発言。

これでは、組織体制のトップに君臨するメンバー(加害者である横綱の日馬富士)を擁護し、組織の下部にいるメンバー(被害者である貴ノ岩)をないがしろにしていると思われかねないし、双方に非があり、やむを得ざる事態だったという方向に無理やり誘導しているように思われてます。

貴ノ岩サイドが聴取に応じないのだから、日本相撲協会が聴取できている日馬富士サイドの聴取内容から判断するのは当然だ、あるいは、やむをえないという見解もありますが、片方からしか聴取ができていない以上、「得られている情報は限定的であり、現時点で判断不能。警察の捜査結果の発表を待って、双方の聴取結果を踏まえて協会としての見解を述べたい」という中間報告であったらと思いましたが・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハンガリー舞曲第5番

2017-12-15 06:25:41 | 誰でも知ってるクラシック
Paul Mauriat & Orchestra - Hungarian dance No.5, Brahms (1985) (HQ)


「ハンガリー舞曲 Hungarian Dances」は、19世紀ドイツの作曲家ブラームスによる1869年の作品で、全21曲のうち特に第5番が有名です。

ブラームスは、大バッハ、ベートーヴェンと並び、ドイツ音楽に於ける「三大B」と称される名音楽家の一人、ハンブルクに生まれ、ウィーンに没しています。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グリーンスリーヴス

2017-12-13 03:18:10 | 世界の民謡
The Brothers Four - My Lady Green Sleeves (with subtitles) (480).


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150429070919616.mp3

Alas, my love, you do me wrong
To cast me off discourteously
For I have loved you well and long
Delighting in your company.

Greensleeves was all my joy
Greensleeves was my delight
Greensleeves was my heart of gold
And who but my lady greensleeves.

Your vows you've broken, like my heart
Oh, why did you so enrapture me?
Now I remain in a world apart
But my heart remains in captivity・・・・・・・.



『グリーンスリーブス(グリーンスリーヴス/Greensleeves)』は、エリザベス朝時代(16世紀後半頃)によく歌われてたイングランドの最も古い民謡です。

シェイクスピアの劇中でも言及され、1962年のアメリカ映画「西部開拓史」の挿入歌となったほか、ビートルズ『愛こそはすべて』のエンディングでも一部引用されています。

ヘンリ8世を揶揄していた?!

「グリーンスリーブス」とは、ある女性の名前として用いられているようで、当時のヘンリ8世による女性遍歴を揶揄(やゆ)した曲であるとの解釈もなされているそうです。

ちなみに中世・ルネッサンス期では、「緑」は「不倫」の意味があるのだとか・・・。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諸人こぞりて

2017-12-11 03:40:12 | クリスマス特集
諸人こぞりて takuro yoshida


http://blog-imgs-91.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20161222230132206.mp3

諸人(もろびと)こぞりて むかえまつれ
久しく待ちにし 主(しゅ)は来(き)ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

悪魔の獄舎(ひとや)を 打ち砕きて
捕虜(とりこ)をはなつと 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

この世の闇路(やみじ)を 照らしたもう
たえなる光の 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

しぼめる心の 花を咲かせ
恵みの露(つゆ)置く 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

平和の君なる 御子をむかえ
救いの主(ぬし)とぞ ほめたたえよ
ほめたたえよ ほめ ほめたたえよ




イエス・キリストの降誕を喜び祝う代表的なクリスマス・キャロルです。

1836年、アメリカの宗教音楽家ロウェル・メイスンが、ヘンデルのオラトリオ 《メサイア》 の合唱部分の旋律を抜き出して 編曲したものといわれています。

賛美歌の父と呼ばれるイギリスのアイザック・ワッツが1719年にかいた 「ダビデの詩」 からとられた “Joy to the world”(たみみなよろこべ)や

イギリス人牧師フィリップ・ドットリッジが1735年に書いた “Hark, the glad sound!”(もろびとこぞりて)が広く歌われています。

光の主をついに迎えた、晴れやかな喜びに満ちており、日本でもクリスマス近くになるとよく耳にする、おなじみの曲です。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おめでとうクリスマス

2017-12-10 03:28:32 | クリスマス特集
おめでとうクリスマス


http://blog-imgs-91.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20161223051457e50.mp3

おめでとうメリークリスマス
みんなでメリークリスマス
たのしくメリークリスマス
おいわいしましょう

しあわせがくるように
ひざまづいて
さあ おいのりしましょう

おめでとうメリークリスマス
みんなでメリークリスマス
たのしくメリークリスマス
おいわいしましょう


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンタが町にやってくる

2017-12-09 01:44:35 | クリスマス特集
サンタが町にやってくる


さあ あなたから メリー・クリスマス
わたしから メリー・クリスマス
Santa Claus Is Coming to Town
ねえ 聞こえてくるでしょ
鈴の音がすぐそこに
Santa Claus Is Coming to Town

待ちきれないで おやすみした子に
きっとすばらしい プレゼントもって
さあ あなたから メリー・クリスマス
わたしから メリー・クリスマス
Santa Claus Is Coming to Town

さあ あなたから メリー・クリスマス
わたしから メリー・クリスマス
Santa Claus Is Coming to Town
ねえ 聞こえてくるでしょ
鈴の音がすぐそこに
Santa Claus Is Coming to Town

クリスマス・イブを 指おりかぞえた
幼ないおもいでも こよい なつかし
さあ あなたから メリー・クリスマス
わたしから メリー・クリスマス
Santa Claus Is Coming to Town
Santa Claus Is Coming to Town!

待ちきれないで おやすみした子に
きっとすばらしい プレゼントもって
さあ あなたから メリー・クリスマス
わたしから メリー・クリスマス
Santa Claus Is Coming to Town




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤鼻のトナカイ 

2017-12-07 04:22:23 | クリスマス特集
赤鼻のトナカイ 泉谷しげる


まっかなおはなの トナカイさんは
いつもみんなの わらいもの
でもその年の クリスマスの日
サンタのおじさんは いいました

くらいよみちは ピカピカの
おまえの鼻が 役に立つのさ
いつも泣いてた トナカイさんは
こよいこそはと よろこびました



1948年、ジョニー・マークス によって楽曲が制作され、1949年にジーン・オートリー の歌でレコード発売されたこの曲、200万枚を売り上げ、当時、ビルボードチャートで1位を記録しました。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かぐや姫 赤ちょうちん

2017-12-05 16:15:59 | 南こうせつ
かぐや姫 赤ちょうちん


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150422122413f9f.mp3

あのころふたりの アパートは
裸電球 まぶしくて
貨物列車が 通ると揺れた
ふたりに似合いの 部屋でした
覚えてますか 寒い夜
赤ちょうちんに 誘われて
おでんを沢山 買いました
月に一度の ぜいたくだけど
お酒もちょっぴり 飲んだわね

雨がつづくと 仕事もせずに
キャベツばかりを かじってた
そんな生活が おかしくて
あなたの横顔 見つめてた
あなたと別れた 雨の夜
公衆電話の 箱の中
ひざをかかえて 泣きました
生きてることは ただそれだけで
哀しいことだと 知りました

今でも時々 雨の夜
赤ちょうちんも 濡れている
屋台にあなたが
いるような気がします
背中丸めて サンダルはいて
ひとりで いるような気がします




この曲が発売されたのは1974年1月、かぐや姫の6枚目のシングルで、「神田川」に続く“四畳半三部作”の第2弾です。
ちなみに、第3弾は「妹」で同年5月に発売されてます。

四畳半フォークは、貧乏くさい下宿生活や同棲生活の哀歓を歌った、叙情的フォーク のジャンル、南こうせつとかぐや姫の「神田川」は、四畳半フォークの代表格とされ、「 神田川」「赤ちょうちん」「妹」の3作品を総じて“四畳半三部作”と称しています。

ところで、1973年(昭和48年)10月、第4次中東戦争をきっかけにして、アラブ産油国が、突然、石油生産の削減と、原油価格の大幅引き上げを図りました。

この原油価格の高騰により、石油依存度の高い日本経済は、それまでの華やかな高度経済成長から、地味な低経済成長路線への転換を余儀なくされました。

いわゆるオイル・ショック(石油危機)です。

ガソリンスタンドの休日休業や、就職内定の取り消し、深夜放送の自粛、トイレット・ペーパーや洗剤等の日常家庭用品の買いだめ騒動など、やや過剰反応と思われるような当時の世相でした。

その当時、流行していたものに、「漫画アクション」という週刊誌に、1972年(昭和47年)から翌1973年(昭和48年)にかけて連載された、上村一夫さん原作の劇画、「同棲時代」があります。

そして、それを映画化したのが、由美かおるさんの大胆な全裸ヌード写真の映画ポスターが話題を呼んだ「同棲時代-今日子と次郎-」という映画です。。
そして、その映画の主題歌を大信田礼子さんが「♪二人はいつも傷つけあって暮らした…」という印象的なフレーズで歌っていました。

「同棲」というのが、この時代のひとつのキーワードだったんですね。

ちなみに、「同棲時代」の原作者である上村一夫さんは、1986年(昭和61年)、45歳で逝去されています。

裸電球・・・。
・・・と言っても、由美かおるさんが脱いだから、電球も対抗して、裸になったわけではありません。(笑)
まあ、裸電球が脱いだとしたら、週刊誌記者は走らなくても、電撃は走るでしょうが。(笑)

裸電球とは、最近は見かけることも少なくなりましたが、笠(カバー)などの被いのない、電球むき出しの、いかにも粗末で貧相な照明装置です。
ですから、裸電球が、由美かおるさんの裸のように、まぶしい…とは、決して思わないでください。(笑)

でも、いまでも、電球色として蛍光灯の配色にも使われているように、明るさはなくとも、温かみのある、穏やかな、柔らかな光を裸電球は与えてくれました。

貨物列車が 通ると揺れた
ふたりに似合いの 部屋でした


貨物列車は荷量が重くて、しかも車両編成が長いので、沿線に住んでいると貨物列車が通るときに、その振動と衝撃で、住居が揺れるのがよく分かります。

それも、貨物列車の多くが、静かな深夜に走りますから、深夜に揺れると、特に感じます。
もっとも、深夜に、その他の原因で、部屋が揺れるようなことをしていたら・・・べつなんですけどね。(笑)

なお、これは、東海道沿線のアパートで下宿していた大学時代の友人宅に、コンパ帰りにとめてもらった時の体験に基づくものであって、部屋の主は、もちろん男性でしたから、部屋が揺れるようなことはしてませんので、念のため。(笑)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス・イブ

2017-12-05 04:05:08 | クリスマス特集
榮倉奈々出演、山下達郎「クリスマス・イブ」特別映画版PV


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20151220062834ac3.mp3

※雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
Silent night, Holy night
きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ
Silent night, Holy night

心深く 秘めた想い 叶えられそうもない
必ず今夜なら 言えそうな気がした
Silent night, Holy night

まだ消え残る 君への想い 夜へと降り続く
街角には クリスマス・トゥリー 銀色のきらめき
Silent night, Holy night

(※くりかえし)



ポップス史に輝く永遠のクリスマス・スタンダードの呼び声の高い山下達郎“クリスマス・イブ”・・・・・・

毎年、疑問に思うことなのですが、クリスマスシーズンになると、ラジオでもTVでも、そして街角でも、この山下達郎さんの「クリスマス・イブ」が流れます。
この光景は、いつまで続くのか、・・・と。

1983年12月14日、アルバム『MELODIES』からシングルカットされたこの曲がブレークしたのは、1988年にJR東海のCMに起用されてから、・・・以後30年経った今でもその人気が衰えることないですよね。

間違いなく、山下達郎さんの代表曲であり、最高傑作の一つで、楽曲もアレンジも演奏も完成度が高いです。
30年経った今でも古臭い感じがしません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする