森山良子
あなたは通りすぎたの
私の前を
小さな胸のまごころ
知らずに消えたのよ
私がはじめて愛した人
このままひとりたたずみ
野の花になりたい
(詩)
野の花は風にゆれ
愛することも
愛されることも
知らないで咲いているの
あなたのあとを追いかけ
心がゆくの
小さな愛のまごころ
そよ風渡るのよ
私のよろこび涙にぬれ
このままだれも知らない
野の花になりたい
野の花になりたい
私の前を
小さな胸のまごころ
知らずに消えたのよ
私がはじめて愛した人
このままひとりたたずみ
野の花になりたい
(詩)
野の花は風にゆれ
愛することも
愛されることも
知らないで咲いているの
あなたのあとを追いかけ
心がゆくの
小さな愛のまごころ
そよ風渡るのよ
私のよろこび涙にぬれ
このままだれも知らない
野の花になりたい
野の花になりたい
「恋は下心、愛は真心(まごころ)」とよく言われます。
たしかに漢字では、「恋」の心の位置は下、「愛」という文字は真ん中の位置にあります。
「恋」は、異性の人と仲良くなりたい。ラブラブになりたい。あの人に近づいてみたいなど、下心が働いていきます。
心に隠した何かを成し遂げたいと思う時は、それは「恋」になります。
では「愛」はどういったものなのか?
愛というものは、相手のことを信頼し相手の為に何かをしたいと思う心のことと言われます。
でも、・・・
そもそも、真心って何でしょう?
あらためて真心とは?と聞かれると、普段の会話で、なにげなく使っているのに、何となく感覚ではわかっているのに、言葉で表現するとなると、
たしかに漢字では、「恋」の心の位置は下、「愛」という文字は真ん中の位置にあります。
「恋」は、異性の人と仲良くなりたい。ラブラブになりたい。あの人に近づいてみたいなど、下心が働いていきます。
心に隠した何かを成し遂げたいと思う時は、それは「恋」になります。
では「愛」はどういったものなのか?
愛というものは、相手のことを信頼し相手の為に何かをしたいと思う心のことと言われます。
でも、・・・
そもそも、真心って何でしょう?
あらためて真心とは?と聞かれると、普段の会話で、なにげなく使っているのに、何となく感覚ではわかっているのに、言葉で表現するとなると、
なかなか難しいものです。
真心とは「自分中心の心を離れて、他を生かすために尽くす」という、誰しもが持っている人間本来の心。
折りにふれ、人から受ける真心に感動したり、その尊さを教えられ、それがきっかけとなって、自分の心の中に無意識に潜んでいる「真心」を、
真心とは「自分中心の心を離れて、他を生かすために尽くす」という、誰しもが持っている人間本来の心。
折りにふれ、人から受ける真心に感動したり、その尊さを教えられ、それがきっかけとなって、自分の心の中に無意識に潜んでいる「真心」を、
目覚めさすことがあります。
そこから、自分も何か人の役に立ちたい、尽くしたい、という強い思いと意欲が湧いてくるものです。
しかしながら、せっかく人の為にと思ってしたことでも、必ずしも相手が快く受け容れてくれるとは限りません。
形の上では「他人のために、世のため、人のため」にしているようでも、「周囲から誉められ、認められ、注目され、自分の気持ちが済むように・・・」といった、
そこから、自分も何か人の役に立ちたい、尽くしたい、という強い思いと意欲が湧いてくるものです。
しかしながら、せっかく人の為にと思ってしたことでも、必ずしも相手が快く受け容れてくれるとは限りません。
形の上では「他人のために、世のため、人のため」にしているようでも、「周囲から誉められ、認められ、注目され、自分の気持ちが済むように・・・」といった、
自分中心の気持ちになってしまいがちです。
そのような心が少しでもあれば、それは、真心から遠く掛け離れてしまい、押し付けがましく取られることさえあるのです。
人が知らなくても、自分の得にならなくても、余計なことは考えず、ただ純粋に世のため、人のために尽くすことが出来る。
そのことに自信を持つことが、「真心を尽くすは己を支える力」ようするに、真心を尽くした事は他人はしらなくても自分を支えていく力になっていくということに
そのような心が少しでもあれば、それは、真心から遠く掛け離れてしまい、押し付けがましく取られることさえあるのです。
人が知らなくても、自分の得にならなくても、余計なことは考えず、ただ純粋に世のため、人のために尽くすことが出来る。
そのことに自信を持つことが、「真心を尽くすは己を支える力」ようするに、真心を尽くした事は他人はしらなくても自分を支えていく力になっていくということに
なっていくのです・・・なんてネ。






