ザ · ピーナッツ
丸髷(まるまげ)に、結(ゆ)われる身をば持ちながら
粋な 島田や ホントニ ソウダワネ
チョイト 銀杏(いちょう)返し
取る手も恥かし左褄(ひだりづま)
デモネ、……
一年や二年はおろか三年先に
きっと添われりゃ ホントにソウダワネ
チョイト 嬉しいが
男心と秋の空
デモネ、……
粋な 島田や ホントニ ソウダワネ
チョイト 銀杏(いちょう)返し
取る手も恥かし左褄(ひだりづま)
デモネ、……
一年や二年はおろか三年先に
きっと添われりゃ ホントにソウダワネ
チョイト 嬉しいが
男心と秋の空
デモネ、……
深川くずし、・・・「くずし」があるなら、くずさない「本家」があるのでは。
調べてみますと、たしかに本家「深川節」というのがありました。(笑)
調べてみますと、たしかに本家「深川節」というのがありました。(笑)
深川節
猪牙でいくのは深川通い
上る桟橋のあれわいさのさ
いそいそと
客の心は上の空
飛んでいきたいあれわいさのさ
主のそば
かごでいくのは吉原通い
おりる衣紋坂あれわいさのさ
いそいそと
おおもんぐちをばながむれば
ふかいなじみがあれわいさのさ
おたのしみ
上る桟橋のあれわいさのさ
いそいそと
客の心は上の空
飛んでいきたいあれわいさのさ
主のそば
かごでいくのは吉原通い
おりる衣紋坂あれわいさのさ
いそいそと
おおもんぐちをばながむれば
ふかいなじみがあれわいさのさ
おたのしみ
江戸時代の深川といえば、今の江東区、門前仲町、清澄公園、森下あたり。
深川が江戸の辰巳(東南)の方角にあったため、当地の芸者は「辰巳芸者」と呼ばれ、羽織姿が特徴的なことから「羽織芸者」とも呼ばれていたようです。
舞妓・芸妓が京の「華」なら、辰巳芸者は江戸の「粋(いき)」。
薄化粧で身なりは地味な鼠色系統、冬でも足袋を履かず素足のまま、当時男のものだった羽織を引っ掛け座敷に上がっていたとか。
男っぽい喋り方で、気風がよくて情に厚い、芸は売っても色は売らない心意気が自慢。
・・・という辰巳芸者は粋の権化として江戸では非常に人気があったと言われています。
深川が江戸の辰巳(東南)の方角にあったため、当地の芸者は「辰巳芸者」と呼ばれ、羽織姿が特徴的なことから「羽織芸者」とも呼ばれていたようです。
舞妓・芸妓が京の「華」なら、辰巳芸者は江戸の「粋(いき)」。
薄化粧で身なりは地味な鼠色系統、冬でも足袋を履かず素足のまま、当時男のものだった羽織を引っ掛け座敷に上がっていたとか。
男っぽい喋り方で、気風がよくて情に厚い、芸は売っても色は売らない心意気が自慢。
・・・という辰巳芸者は粋の権化として江戸では非常に人気があったと言われています。