吉永小百合/和田弘とマヒナスターズ
北風吹きぬく 寒い朝も
心ひとつで 暖かくなる
清らかに咲いた 可憐な花を
みどりの髪に かざして今日も ああ
北風の中に 聞こうよ春を
北風の中に 聞こうよ春を
北風吹きぬく 寒い朝も
若い小鳥は 飛び立つ空へ
幸福(シアワセ)求めて 摘み行くバラの
さす刺(トゲ) 今は忘れて強く ああ
北風の中に 待とうよ春を
北風の中に 待とうよ春を
北風吹きぬく 寒い朝も
野越え山越え 来る来る春は
いじけていないで 手に手をとって
望みに胸を 元気に張って ああ
北風の中に 呼ぼうよ春を
北風の中に 呼ぼうよ春を
青春歌謡の中心は男性歌手。
女性は「青春」を担いにくかったのでしょうね、若い女性歌手たちはもちろんいましたが、女性の「青春」はそのまま「結婚適齢期」であり、
テーマの大半は恋愛であり、恋愛においては「受け身」であり男を「待つ」存在だったのがその理由だったと思います。
つまり男性への依存の姿勢が、社会的に形成された(そして女性に要求された)イメージにあったからです。
それでは若さそれ自体を肯定し謳歌することはできない、歌謡曲の世界でもそうでした。
典型は島倉千代子の「泣き節」でしょう。
例外は美空ひばりとポップス系です。
美空ひばりは東映時代劇でただひとり女優として主役を張り、男装して小気味のいい啖呵を切っては颯爽とちゃんばらを繰り広げました。
ポップス系はもともと快楽開放系です。
快楽を解放せよ、という誘惑はいつもアメリカからやってきます。
(昭和初年のジャズブームも、昭和30年代前半のロカビリーブームも、高度成長経済のモデルとしての大量生産大量消費社会の魅惑も。)
けれども、洋楽翻訳バージョンの多かったポップス系はマスターの定義する「青春歌謡」に入りません。
しかし、ここに特別な存在の若い女性歌手がいました。
吉永小百合、・・・女性青春歌謡を切り開いたのは吉永小百合だと思います。
吉永小百合は、もちろん、日活青春映画のスターでした。
青春歌謡は日活を中心とする青春映画と影響しあっています。
その中心に、吉永小百合と浜田光夫の青春コンビがいました。
二人の最初の共演は、「ガラスの中の少女」ですが、共演が本格化するのは「草を刈る娘」あたりからで、ほとんどプログラム・ピクチャー化して定着するのは
昭和37年からなのです。
その37年4月に発売されたのがこの曲「寒い朝」。
歌詞にある「北風」も「春」は、現実であると同時に、人生の試練や幸福のメタファーです。
同様に、「若い小鳥」や「バラ」「さす刺」といったメタファーを多用しながら、「きこうよ」「待とうよ」「呼ぼうよ」と呼びかけ、励まします。
名作映画「キューポラのある街」の印象が強いせいでしょうか、吉永小百合には、逆境にめげることなく、まっすぐ前を見て歩こうとするけなげな少女、
といったイメージがありました。
自分もつらいことを抱えながら、弱い者はかばってやり、教師に対しても親に対しても、まちがいはまちがいとして指摘し、正しいことは正しいこととして
主張する、クラス委員長みたいなイメージとでもいいましょうか、そういう彼女のイメージがぴったりの曲です。