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お祭りの夜

2022-05-30 19:22:42 | 小柳ルミ子
お祭りの夜  小柳ルミ子




泣かない約束をしたばかりなのに もう涙
ひとりでお祭りの人ごみを逃れて
紅い鼻緒がなぜかうらめしくて
あの人あの町に行っちゃうなんて
今日はじめてきかされたの 遠い笛太鼓

恋人同志なんて まだいえない二人だけれど
いつしか心に決めていた人だった
線香花火がなぜか目に浮かぶの
あの人あの町で働くなんて
祭りの歌が手拍子が胸につきささる

泣かない約束をしたばかりなのに もう涙
やさしい母さんにもみられたくないから
家の垣根のそばを通りすぎて
あの人この町を出てゆくなんて
まだ信じられないわたし 村の鎮守さま



「お祭りの夜」は、1971年9月10日にワーナー・ブラザース・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)から発売された小柳ルミ子さん2枚目のシングルです。

デビュー盤は勿論、「私の城下町」






















































































































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雪 中島みゆき

2022-05-30 16:18:44 | 中島みゆき
坂本冬美/雪 中島みゆき




※雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました※

あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて

(※くり返し)

△手をさしのべればいつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても消える
まるで 淡すぎる 雪のようです△

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

(△くり返し)

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

(※くり返し)



中島みゆきさん、未だ独身のようですが、やっぱりお父さん以上の男性が見つからなかったんでしょうね。







































































































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人はみな旅人なのさ

2022-05-30 14:23:33 | さとう宗幸
人はみな旅人なのさ




されどなれは旅人
旅人よ
樹かげにいこへ
こはこれなれが國ならず
旅人よ
なべてのことをよそに見て
つめたき石にもいこへかし
まことになれが故郷ふるさとはなほかなたに遠し
はるかなるその村ざとにかへりつくまでは
旅人よ
つつしみて言葉すくなく
信しんなきものの手なとりそ
ただかりそめのまこともて彼らが肩に手なおきそ
さみしき彼らが背そびらを見るにも慣れてあれ
されどなれは旅人
旅人よ
樹かげにいりて
つめたき石にもいこへかし

三好達治 なれは旅人


































































































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みちのく挽歌

2022-05-30 00:39:55 | さとう宗幸
みちのく挽歌




この曲、みちのく挽歌の「みちのく」って、何なんでしょう。

先ず、この語源を知る為には、昔の日本の行政区分を知る必要があります。

行政区分と言うと、なんか難しく感じますが、現代で言う所の関東地方とか中国地方みたいな、地域の区分けだと思って頂ければ問題ありません。

西暦701年(大宝律令)に成立した日本の行政区分は七つの『道(どう)』によって区分けされていました。

東山道(とうさんどう)
東海道(とうかいどう)
北陸道(ほくりくどう)
山陰道(さんいんどう)
山陽道(さんようどう)
南海道(なんかいどう)
西海道(さいかいどう)

この『道』による区分けですが、現在はあまり用いることはありませんが、現在でも多くの名残があります。

『東海道』や『北陸道』は、現在の東海地方や北陸地方とほぼ同じ範囲を指していますし、『山陽道』を走っているのが山陽新幹線、『山陰道』を走っているのが山陰新幹線ですよね。

『南海道』は四国のことで、四国沖合の地盤は『南海トラフ』

などなど、そのいろいろな場面でその名残を留めています。

そして、現在の関西地方のあたりは『畿内(きない)』と呼ばれていました。

現在でも関西のことを『近畿』と言ったりしますね。

これは、『畿内に近い周辺の五つの地域』が由来です。

つまり『畿内に近い』から『近畿』です。

これら、七つの道と畿内周辺の五つの地域を総称して『五畿七道(ごきしちどう)』と言います。

以上の内容を踏まえた上で、いよいよ『みちのく』の語源に迫っていきます。

現在の東北地方は、五畿七道の中の『東山道』に属します。

東山道は畿内を中心として、現在の中部地方~北関東地方を抜けて東北地方に至る範囲を指しています。

昔は京都が日本の中心ですから、京都を中心とする畿内から見て、東北地方は遥か彼方の地、つまり、畿内から見て東北は『奥の方』にあります。

京都を中心として、五畿七道にに当てはめると、東北地方は『東山道の奥』にあります。

そして『道(どう)』は『道(みち)』とも読みますね。

つまり・・・

『道の奥』→『みちのおく』→『みちのく』

『みちのく』とは『みちのおく』が訛った言葉だったのです。




























































































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北の旅

2022-05-29 09:24:29 | さとう宗幸
さとう宗幸:《北の旅》




行方知れぬ 雲の流れ
白樺の林をこえて
伝説(つたえ)きく 湖(うみ)に映えて
やがては消えてゆく
今 目をとじて想い出す
北の旅の日々を
あの時の汽笛の音(ね)が
空をかけめぐる

別れたあとに ほのかに残る
スズランのかおりに似て
たそがれゆく 丘の上で
去りゆく君を慕(おも)う
今 目をとじて想い出す
北の旅の日々を
いくつもの季節をかぞえ
また秋をむかえる

今 目をとじて想い出す
北の旅の日々を
いくつもの季節をかぞえ
また秋をむかえる



1978年8月~9月に放送された「NHKみんなのうた」で歌われた曲です。
























































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萌ゆる想い

2022-05-29 09:03:37 | さとう宗幸
♪「萌ゆる想い」さとう宗幸




ゆるやかな坂道を
のぼりつめたこの広場で
人の波にもまれながら
はじめて君を識った
ふりかえれば 長い道程
二人が出会う日まで
だから今は 陽光の中
君のために生きている
眠れぬままに 時はすぎ
さまよい歩く 夜の径

南から吹いてくる
季節の風とすれちがう
ふたつの星が寄り添う
夜空を見上げていたら
君が倖せであればいいと
知らずに涙 こぼれてた
夢みたものが 知らぬまに
淡く消えることがある
いつの日か別れが来ても
君を忘れずにいよう

狂おしい空の青さよ
両手を拡げていたら
祈る心はふるえながら
君住む街へ 駆けてゆく



『3年B組金八先生』シリーズが有名ですが、その姉妹シリーズの一つに『2年B組仙八先生』(1981.4.17 - 1982.3.26 放送)がありました。

長髪より口ひげの印象が強い仙八先生、金八先生とは別タイプの優しさと強さがあるのが魅力でしたよね。

シブがき隊(本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和:なお、一時は「仙八トリオ」とも言われていたようです)、三田寛子さんのデビュー作品でもありました。

その主題歌が、仙八先生を演じたさとう宗幸による、この『萌ゆる想い』でした。









































































































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黄昏の中で

2022-05-27 01:30:40 | 鈴木一平
黄昏の中で




「黄昏れる」は「黄昏」が動詞化したものです。

「黄昏」は、古くは「誰そ彼(たそかれ)」だったそうで、日が暮れて薄暗くなり、人を見分けることが難しくなる時間に「誰だあれは」という意味の「誰そ彼」とたずねることから、「夕方の薄暗い時」「夕暮れ」を表す言葉となったようです。

そして、江戸時代以降に「たそかれ」は「たそがれ」といわれるようになったとされています。

また「黄昏」は一日の中で、日の盛りが過ぎて日が暮れる時を指し示すことから、比喩的に「人生の盛りが過ぎて衰えがみえてきた頃」のことも例えるようになったようです。

尚、「黄昏(たそがれ)」という漢字は当て字で、本来の読みは「黄昏(こうこん)」であり、「夕暮れ」のことだとか。

ところで、動詞化された「黄昏れる」には「日が暮れて薄暗くなる」「夕方になる」という意味と、「人生の盛りを過ぎて衰える」という意味があるようです。

もっとも、マスターみたいに、人生の盛りを過ぎてはいるが、衰えてはいないよ、って方も多いかもしれません。

しかし、それは当人の思いだけで、第三者から見れば、「やっぱり・・・」。(笑)



































































































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