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風になれ - みどりのために

2025-03-24 07:58:32 | 谷山浩子
谷山浩子


空に映れ 水に響け 空気に染まれみどり 
静かな腕に力をこめて 叩け風のドラム
梢をわたる声がおまえの名前を呼ぶ

遠い過去を映す鏡 みどり光る
それとも銀の靴で明日の空をかける
おまえのその指の中に みどり溢れるもの

空をつかめ 水を砕け 彼方に夢の世紀
ほほを染めて思いを込めて 鳴らせ時のシンバル
透き通るものたちがおまえのうなじに降る

伏せたまつげの先に きらり みどり 雫
記憶の森の乙女 黒い土の中から
涙とほほえみ限りなく みどりつむぎだすよ

空をつかめ みずを砕け 彼方に夢の世紀 
激しくく深く GREEN





谷山浩子さん・・・

イルカさんと同じように、なぜか容姿と声とが、非常にミスマッチで、アンバランスな感じがするのは、はたして、マスターだけかしら。(笑)

しかし、非常にさわやかで、清涼感、透明感のある声です。

ですから、この曲が胃薬のCMに採用されたのも、頷けるところです。(笑)

しかし、この曲、最初「みどりのために」というタイトルだったそうですが、「弱い!」と言われ(笑)、オールナイトニッポンでタイトルを公募。

それで、「風になれ - みどりのために」というタイトルになったそうです。

ところで、現在開催されてる選抜高校野球。

野球は、9回の攻防が注目を集めるわけですが、甲子園の高校野球の場合は特別に大きな意味を持っていると思っています。

甲子園の高校野球は、その試合に勝てなくては次の試合に出られないので、試合での勝利の意味がとても大きく、9回の攻防はどちらのチームにとっても

非常に重要なものとなります。

特に点差があまりない場合には、リードしている側のバッテリーにとって、最後の回できちんと相手を抑えるということは非常にプレッシャーがかかりますし、

また、バッターの方もここで自分が打って逆転しなくてはと思うと、こちらの方も大きなプレッシャーを感じて、普段のような心理状態ではいられなく

なるでしょう。

さらに、そんな状態の中で全力を出し切る両チームの様子は、観客の心も動かす可能性が高く、高校野球の大きな魅力と言うことができるはずです。

風になれ - みどり(芝生)、ファン、スタッフ、そして甲子園のために 、もちろん、甲子園に来れなかった全国高校球児のためにも。



















































































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忘れられた部屋で

2024-10-30 05:07:08 | 谷山浩子
谷山浩子


あなたが誰かと汽車に乗る頃私は部屋の中
白い子猫をひざにかかえて黙って座っていました
ゆうべのあなたの煙草の吸いがら灰皿にそのまま
少しでも動けば心くずれて
泣き出してしまいそうでした

すまなそうに出かけるあなたを背中に感じながら
気にもとめないふりをして
テレビの画面ばかり見つめてた

あなたが誰かと旅に出た日忘れられた部屋で
優しいやつだとあなたの口ぐせ
真似して無理に笑いました

ひとつだけお願いあるのわかってくれるなら
あの日歩いた思い出の場所
あの人連れてなんかいかないで

あなたが誰かと旅に出た日忘れられた部屋で
優しい女と呼ばれることに疲れた私ひとりきり
優しい女と呼ばれることに疲れた私ひとりきり





別れのありふれた情景ともとれますが、「少しでも動けば泣き出してしまいそう」とか、出て行く彼の気配を背中で感じながら「気にもとめないふりをしてテレビの

画面ばかり見つめてた」というあたり、女性の悲しい強がりが表現されていますよね。

また、「ひとつだけお願いがあるの」自分との想い出の場所に新しい「彼女をつれてなんか行かないで」と歌っていますが、これは新しい彼女との差別化を

願っており、まだ彼が好きだからを表現している様に思えます。

しかし、歌詞の最初の部分で「あなたが誰かと汽車に乗る頃」とあることから、この主人公の女性は、新しい彼女を知らないということであり、新しい彼女の事を

教えていない彼の優しさもわかって欲しいです。(笑)

新しい彼女の名前や容姿を知ってしまえば、また違う辛さが出てくるでしょうから・・・

























































































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カントリーガール

2024-07-27 05:03:24 | 谷山浩子
谷山浩子




カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える
カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする

にぎやかな都会の景色は 変わる万華鏡
いつでもきみを驚かせる 七色プリズム
きみは おふるのスカート はじらうように
それでも瞳を輝かせて 街を歩いてたね

カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える
カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする
好きだよ!

とまどいがちのきみの視線が いつも追いかけるのは
長い煙草をきざにくわえた 若い男だった
そいつがある日 きみに手わたした 青い封筒
手紙の中に書かれていたのは こんなセリフだったね

カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える
カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする
好きだよ!

あいつがきみを捨てたのは たった七日目のこと
化粧のうまい おしゃれな娘に さっさとのりかえたのさ
きみは鏡に映った 自分の顔にむかって
あいつがくれた いつかの言葉を 泣きながらつぶやいてたね

カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える
カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする
好きだよ!

ぼくは初めから終わりまで きみを見ていた
真っ赤なルージュ そっとひいてみて すぐに拭き取ったのも
今すぐうしろをふり返れ ぼくはここにいるよ
ぼくが書いたあの手紙の言葉を もう一度きみに贈ろう

カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える
カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする
 好きだよ! 






谷山浩子さん、本名、中西浩子さん、1956年(昭和31年)8月29日、 東京都杉並区高円寺出身、神奈川県横浜市育ち。

乙女座のA型。

ひとりっ子。

お茶の水女子大学附属高等学校卒。

デビューは三回あったそうです。(笑)

まず、中学校時代から曲の持ち込みを始めて、ベイビーブラザーズ(後のフィンガー5)のB面曲に採用されたりして、1972年、

アルバム「静かでいいな~谷山浩子15の世界~」とシングル「銀河系はやっぱりまわってる」で一回目のデビューをしました。

その後、NHKの音楽番組「ステージ101」のレギュラーとなり、同期に太田裕美さんがいたそうです。

1974年(昭和49年)、第7回ポプコンつま恋本選で「お早ようございますの帽子屋さん」が入選し、翌年、二回目のデビューをしました。

その後、フォークシンガーのみなみらんぼうさんのバックミュージシャンとして全国を回っていたそうです。

そして、1977年(昭和52年)に、シングル「河のほとりに」、アルバム「ねこの森には帰れない」で、三回目のデビューをしました。


この曲「カントリーガール」は、谷山浩子さんの8作目のシングルですが、当時はまだCDではなく、レコードで、当時のシングルのEP盤の収録時間の

制約により、3番までしか収録されてなかったそうです。

もっとも収録されてなかったというよりは、当初は、4番は作られていなかったという話も。

というのも、歌詞だけ読めば、4番の「ぼく」の登場があまりに唐突で、1番から3番の若い男の存在と、4番の「ぼく」の存在が、ひとつの物語の流れとして

矛盾しているからです。

まあ、3番までのお話で終われば、救いようがない暗い歌で終わるため、そのお話を作った作者自身が、4番のお話で語り部の「ぼく」を登場させ、

救いの手を伸ばしたというのが常識的な解釈かも知れませんね。(笑)






































































































































































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サーカス

2024-07-26 02:00:58 | 谷山浩子
谷山浩子



あなたが帰ったあとの 私の部屋には
汚れた灰皿 散らかしたままのトランプ
ごめんねと言って帰った ごめんねと言ってあなた
人の気持も知らないで やさしい人が待っていると

さあ目をさませ 人形たち
さあ目をさませ ナイフに鏡
さあ目をさませ ひとりの部屋の
午前零時の 夢つづれ

もう少しいればいいのに もう少しお茶をいかが
お酒もあるのよ レコードでもかけましょうか
ごめんねと言って帰った ごめんねと言ってあなた
しんと静かな真夜中は いつもきまってひとりぼっち

さあ目をさませ 人形たち
砕けた心 包んでおくれ
ひとりの部屋の ひとりサーカス
せめて涙の かわくまで
la la la…………

あなたがいない あなたがいない
ひとりサーカス 夜がふける

あなたがいない あなたがいない
 ひとりサーカス 夜がふける 





サーカスとは、人の身体的な妙技、動物の技、ピエロによるパフォーマンスなどを見せるショー(見世物)で、たいていはテントで覆われたアリーナ

(舞台を四方から観客席で囲む形式の施設)で行われます。

1770年のイギリス「アストリー・ローヤル演芸劇場」で開催されたことに始まり、その円形劇場で催された新機軸が評判となりました。

その後、これを「サーカス」と呼ぶことが広まったらしいです。

近代サーカスは、曲馬(馬による曲芸)を主要な演目として発展しつつ、そこに新しいショー形式が取り入れられ、興行として成長してきたものです。

近代サーカスで上演される演目は無数にあり、多様化の一途を辿るが、一般的な演目としては以下のものが挙げられます。

動物曲芸馬を使用した曲馬芸が最も一般的で、その他ライオン、象、クマ、トラなども使用されています。

ただ近年では、サーカスでの動物使用を禁止する国や地域が増えているそうですが。



























































































































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風を追いかけて

2024-06-24 15:05:33 | 谷山浩子
谷山浩子


やさしい人の 面影を
忘れられない その時は
ひとりで丘に のぼりなさい
風に心を あずけなさい

ああ 誰もわからない 誰もわからない
夢が砕けた 悲しみは
ああ 風が唄うだけ 風が唄うだけ
立ちつくす 私のそばで ライラ……

丘の上から 見る町は
私のことなど 知らぬ気に
吐き出す幸せ 不幸せ
つくり笑顔で 流して行く

ああ 私一人だけ 私一人だけ
遠くはなれて 丘の上
ああ 風を追いかけて 風を追いかけて
翼のない 鳥のように ライラ……

きょうもあしたも あさっても
針の止まった 風時計
二度と帰らぬ 思い出が
帰るその日を 待ちつづけて

ああ 私一人だけ 私一人だけ
遠くはなれて 丘の上
ああ 風を追いかけて 風を追いかけて
 翼のない 鳥のように ライラ…… 





谷山浩子さんの7枚目のシングルで、1979年に発売されました。

浩子さんにしては珍しく、ポップで前向きなシングル曲ですよね。

最初に聞いた時の印象は、往年のフォークっぽいな、と思いました。
 
編曲が瀬尾一三さん。いわゆるYAMAHAのお抱え編曲家で、チャゲ&アスカなどのシングル曲の編曲をしていた方です。

その辺りが往年のフォークっぽさが出る要因なのかも知れません。


































































































































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あやつり人形

2023-08-18 00:53:14 | 谷山浩子
谷山浩子




あたし悲しいあやつり人形
あなたはあたしの人形使い
いくら逃げても すぐにひきもどされて
泣きながら泣きながらあなたの腕の中

人形小屋の幕が上がれば
まぶしいライトに照らされながら
あたしは踊るのあやつり人形
あなたのつくった舞台の上で
なんども思ったあなたを殺せば
わたしは一人で歩けるかしら
だけどかぼそいこんな腕では
ナイフひとつも握れはしない

あたし悲しいあやつり人形
あなたはあたしの人形使い
いくら逃げても すぐにひきもどされて
泣きながら泣きながらあなたの腕の中

あなたはいつも片手間にしか
あたしの糸を手繰り寄せない
あなたはいつもよそ見している
あたし一人が踊り続ける
愛しているよとわたしが言えば
愛しているよとあなたも応える
不思議なものねあなたとわたし
ひとつの言葉がこんなにちがう

あたし悲しいあやつり人形
あなたはあたしの人形使い
いくら逃げても すぐにひきもどされて
泣きながら泣きながらあなたの腕の中

ある日気づくとあなたいなくて
あたしひとりが踊っていたわ
あなたの動かす癖のとおりに
あたしそれでも踊っていたわ

あたし悲しいあやつり人形
人形使いの指をはなれて
ひとりになってもどこへも行けない
 いつまでもいつまでもあなたの影の




あやつり人形・・・

本来は、操り芝居に用いる人形のことで、糸操りと手遣いがあります。

このことから、自ら意志を持たず他から操られるだけの人もあやつり人形と。

対して、人形側からすれば、あやつられる・・・「あやつられ人形」となります。

話題の木原誠二さん、松川るいさんは「あやつられ人形」?・・・そして、岸田総理も。(笑)

あやつっているのは、一体だぁ~れ?(更笑)



























































































































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谷山浩子「すずかけ通り三丁目」

2023-06-26 03:47:09 | 谷山浩子
谷山浩子「すずかけ通り三丁目」



何気ない町の角を ふとまがったら
そこはまるで 静かな夢
けむるような 陽射しの中で

突然 思い出してしまった
朝のにおい 水の音
突然 よみがえるあの頃の
しあわせな あの子と私

※思い出は 眠っている心の奥に
だけど きょうはたずねてきた
時の彼方 すずかけ通り三丁目の白い家※

突然 思い出してしまった
雨のやさしさ 雲の色
かすかな 記憶のかたすみに
風の中 あの子の鐘

(※くり返し)




ある6月の暑い日のこと。

松井さんは、田舎のお母さんから夏みかんが届いたことが嬉しくて、1番大きいものを選び、タクシーに乗せて走っていました。

乗客の紳士を降ろした後、松井さんは道ばたに小さな白い帽子を見つけます。

すっとつまみ上げてみると、中からふわっとモンシロチョウが羽ばたきました。

松井さんは、せっかくの獲物がいなくなっていては帽子の主が残念がるだろうと、帽子の下に夏みかんを置いておきます。

そうして車に戻ると、いつのまにかおかっぱの女の子が乗車していて・・・。





























































































































 

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銀河通信

2023-06-25 08:00:45 | 谷山浩子
谷山浩子「銀河通信」



真夜中ひとりで 黙っていると
遠く遠くから 電話がかかる
もしもし きみは 元気ですか
淋しくて泣いては いませんか
それはどこか 宇宙の果ての
知らない星からの 長距離電話
窓をあければ 暗い夜空に
いちめんの星たちが 光りさざめく

真夜中ひとりで 黙っていると
遠く遠くから 電話がかかる
もしもし 少し つらい夜です
きみの窓の灯りを 想っています
百億光年はるか彼方の
きみをなぜだか 信じられます
銀河はめぐり 星は消えても
ひとつの想いは 消えず流れる

真夜中わたしも 電話をかける
心の奥の ダイヤルまわす
もしもし 見知らぬ わたしの友だち
わたしはちゃんと 歩いています
今は小さな 命の種が
遠いあしたに 花ひらくまで
静かな川が 流れ流れて
大きな海に ひろがる日まで






「銀河通信」は、アルバム「眠れない夜のために」のトリを飾る曲です。

眠れない夜のために…

そういえば、「寝床につくときに翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。」などと、箴言に富む言葉を残したスイスの法学者、思想家の

カール・ヒルティ(Carl Hilty) の有名な古典「 眠られぬ夜のために」という著作は、現在は「眠れぬ夜のために」という邦題で出版されているようです。

「眠られぬ」よりも「眠れぬ」のラ抜きの方が、現代では、耳障りなく聞こえるのでしょうか。

まあ、そんなことに気がつくような人は、おそらく、「眠れぬ夜」か「眠られぬ夜」かで、ほんまに眠られなくなっている人も少なからず…いるのかも。(笑)

ともかく、このヒルティの「 眠られぬ夜のために」という本は、青春時代の愛読書としてあげる人も多い名著なんですが、凡人のマスターなんぞは、

あまりに宗教的、教訓的、哲学的な内容で、高校のときに買ったままに、いまだ読破できていません。(笑)

ともかく、数ページも読まないうちに、眠くなりますから、「 眠られぬ夜のために」という書名は、看板に偽りなしとはいえるかもしれません。(笑)

 ついでに、眠れなくなるということについて、地下鉄ってどこから入れたんでしょうね?それを考えると、夜も眠れなくなっちゃうんですよ…なんて、かって

流行った春日三球さん、照代さんの夫婦漫才のネタのことにまで、記憶の糸がたどることができる人は、ほんと、気をつけないと不眠症になっちゃいます。(笑)

ところで、眠れないということは、必然的に、睡眠時間が短くなるということになりますが、睡眠時間といえば、皇帝ナポレオンの睡眠時間は3時間だった

という説もありますし、発明王エジソンの睡眠時間も4時間だったということです。

マスターも、このサイトの製作に没頭したときは、早く寝なくちゃなと思いつつも、も少し、も少し、と、ついつい長時間になってしまって、

夜が明けてくるようなときもしばしばあり、こんなときは睡眠時間は3時間を切ります。

もっとも、英雄ナポレオンや天才エジソンと違って、凡人マスターの場合には、翌日の睡眠時間は12時間を越えることになりますが。(笑)

なお、相対性理論のアィンシュタイン博士の睡眠時間は、10時間だったとも言われていますので、一概に睡眠時間の長さで人の優劣は論じられません。

 ところで、不眠症なんですが、不眠症とは、睡眠時間の長さによって判断するのではなく、朝起きた時のだるさや眠気などの心身の不快感のために、

日常生活を行う上で支障をきたす程度によって判断します。

つまり、不眠症かどうかは、睡眠時間の長さというよりは、眠りに対する満足感が得られているかどうかが、重要になってきます。

だから、眠れないときは、睡眠時間のことを気にして無理して眠ろうとせずに、とりあえず、このサイトをさまよい歩いてみてはどうでしょう。

単にBGMとして聴き流すのではなく、マスターのエッセイのすみからすみまで、全部きちんと読めば、5曲目くらいで睡魔が襲うようにしてあります。

これは、このサイトの仕様です。(笑)

そのときの選んだページによっては、よし、そうだ、明日のために眠らなきゃいけないな、と思えてきたりもしますが、単に親父っぽいギャグの連発に、

読むのがアホらしくなって、眠らなしゃあないな~と思ったりもするかと思います。(笑)

これも、このサイトの仕様です。(笑)

まあ、仕様がないなぁ~と諦めてください。(笑)

でも副作用はないと思いますから、お試しあれ。(笑)
















































































































































































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河のほとりに

2023-03-18 18:37:51 | 谷山浩子
河のほとりに 谷山浩子




河のほとりに ふたり坐れば
さざ波のかすかな 歌がきこえる
黙ってこのまま そばにいてください
悲しい思い出 流してしまうまで
ずっと昔から 知っていたような
そんな気がする あなたが好きです

 (ナレーション)
   たくさんの時代が
   水の面を走りぬけていったのが
   見えるような気がします
   そして今 こんなにちっぽけな
   あなたとわたしを
   河はやっぱりやさしく
   つつんでくれるのです

河のほとりに ふたり坐れば
たそがれ風さえ ふと立ち止まる
黙ってこのまま そばにいてください
あなたの肩に もたれていたいのです
はじめからずっと 知っていたような
そんな気がする あなたが好きです





「安心してください、貶してはいませんよ」(笑)

「なごり雪」のイルカさんと同じように、谷山浩子さんも、なぜか容姿と声とが、非常にミスマッチで、アンバランスな感じがするのは、はたして、ぼくだけかしら。(笑)

しかし、非常にさわやかで、清涼感、透明感のある声です。

かって、胃薬のCMに採用(「風になれ~みどりのために~」)されたのも、頷けることです。(笑)

15歳でデビューして、17歳で「お早うございますの帽子屋さん」で、ポプコンに入賞しました。

この「河のほとり」は、20歳のときの歌で、「ねこの森には帰れない」というLPに収録されています。

谷山さんの歌は、童話をイメージするような、幻想的な歌が多いのですが、ひとことで言えば、やはり少女趣味っぽいですね。

しかし、それは彼女がぶりっ子(懐かしい言い回し(笑))ということではなく、彼女自身が永遠の少女だからという感じがします。

少女、それも、純朴な「カントリーガール」のような気がします。

だから、シティボーイのマスター(誰も言ってくれないけどね(^^ゞ )が、なぜか、憧れるのかもしれません。(笑)

河のほとりに ふたり坐れば
さざ波のかすかな 歌がきこえる


この河も、まるで夢の中に出てくるような河のイメージです。

もちろん、三途の川じゃありませんよ。(笑)

それにも、まして、決して、男と女の間にある暗くて深い河ではありません。(笑)

深い河については、長谷川きよしさんか、野坂昭如さんに、ローアンドロー(注:「黒の舟歌」)してもらいましょうね。(笑)

そうそう、もちろんこの河は、万里の河でもないよね…、万里の河はチャゲ&飛鳥やったね…、えっと、それとイムジン河は……と…、そうです、どうでもいいことは饒舌なくせに、肝心なことは、語りかけてくれない男の子に…浩子ちゃんは歌います。

黙ってこのまま そばにいてください
悲しい思い出 流してしまうまで


少年少女から、大人になっていく思春期。

言葉が真実(ほんとう)の気持ちを伝えられない、もどかしさに、二人の間に流れる気まずい沈黙…。

そして、言葉はいらない、ただ貴方の温もりだけがほしいと、素直に思えるようになったとき、少女は女になっていくのです…。

ずっと昔から 知っていたような
そんな気がする あなたが好きです


人が恋の相手を求めるのは、かって引き裂かれた自分の片身、分身を求めるからだ…というのが、神話や伝説に出てきます。

まさしく、二分の一の神話、ベターハーフですね。

恋人同士が、お互いずっと昔から知っていたような気がするのは、そのせい…、だからかも、しれませんね。

_(^^;)ゞイヤー、さすが、フィニッシュっの言葉、往年のシティボーイらしく、かっこよく決めたでしょ?

えっ?だから、男は、そんな、いらんことばかり言うんやったら、ただ、そばに黙って座っとき!ですかね。(^^ゞ

かあちゃん、((^^))ごめんちゃい!!(笑)


































































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ごめんね  

2023-01-04 00:04:32 | 谷山浩子
谷山浩子 ごめんね





雨が降ってる きょうは一日
ぼくの心にも銀のしずくが
何も知らずにきみは眠るよ
あどけない横顔が ぼくをはなさない
ごめんね ごめんね 嘘を言ったね
ごめんね ごめんね 何もあげずに
ぼくを待ってる人のところへ
帰る ぼくは 帰る
夜があければきみはひとりだ
さよならは言わないよそのままお休み・・・





乗り換えとも不倫とも思える歌詞が物悲しい、そんな楽曲です。

別れる女性に対して「ごめんね」と心の中であやまっている、

そして何も言わずに去ろうとしている男性の心情を描いた楽曲です。

浩子さんの「情景が見える失恋ソング」の王道と言った所でしょうか・・・。

さて、人生の途上においては、悲しみをこらえて、ほほえまなければならないときが、あります。

それを踏まえてですが、やはり、悲しいときには、思いきり泣くというのが、人には必要なことです。

そして、それが愛する人の胸の中でなくても、放課後の音楽室のピアノの前であれ、夕暮れの公園のベンチであれ、灯りの消えた給湯室であれ、薄い掛け布団の中であれ、人目をはばからずに、思いきり泣ける場所を持つことが、人には必要なのです。

泣くからよけいに悲しくなる。

たしかに、それはあります。

しかし、泣くという行為を通して、自分の感情を抑圧せずに素直に出す、大袈裟にいえば、それが魂の解放とも呼ぶべき行為であり、病んだ精神を健全な精神へと再生する試みとなるのです。

涙はいつかはかれるというけれど、かれない涙もあるんじゃないか、と思うほど、とめどなく涙があふれてくるときもあります。

でも、明けない夜と、やまない雨はないのです。

それと同じで、かれない涙もありません。

涙もひとしきり出し尽くせば、やがて止まるもの。

だから、たまには泣くに任せていいのです。

泣ける場所を、あなたは持っていますか。

生きて行く中で、人はかならず、遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、悲しみに出会わなければなりません。

もしも、まったくそんな悲しみに出会ったことがないという人がいれば、その人は、ほんとは不幸な人かもしれません。

なぜならば、悲しみというものは、愛するものを失ったり、健康を損なったり、あるいは若さを失くし、プライドを捨てさせられたり、その他のかけがえのないものを、失うときに感じるものだからです。

もとより、それら失うものが、なにもなければ、悲しみに出会うはずもないからです。

そして、つまりは幸せとは、悲しみに出会わないことではなく、悲しみに出会って、それを乗り越えたときに感じる喜びともいえるのではないでしょうか。

寒さに震えた夜を過ごしたからこそ、朝を迎えたとき、太陽の暖かさを知ることができるのです。

悲しみが多いほど、人に優しくできる。

けだし名言です。

しかし、少し言葉足らずのような気がしますので、ここは、金八先生に代わって、ふうちゃん先生が少々補足説明しておきましょう。(笑)

悲しみは、やはり悲しみです。

そして、人はその悲しみを、これ以上増やさないようにと、その悲しみを、優しさに、置き換えながら生きていこうとします。

だからこそ、人にも優しくできるのです。

しかし、悲しみを悲しみのままに、おきざりにした悲しみは、いつまでたっても、悲しみのままに、心の奥底に残ったままになってしまいます。

あなたの悲しみが、もし悲しみのままであるとしたら、それは、その悲しみを、あなたが、おきざりにしたままだからなのかもしれません。

喜びも悲しみも、すべて抱きしめてください。

悲しみは、もっと強く、抱きしめてあげてください。

その悲しみは、あなたなのです。

あなたの悲しみですから、いつかかならず、あなたの優しさに、きっと生まれ変わっていきますから・・・。

この曲、「ごめんね」ですが、谷山浩子さん10枚目のシングルで、B面は「あの子の愛した三毛猫 」。

ところで、谷山浩子さんですが、、「なごり雪」のイルカさんと同じように、なぜか容姿と声とが、非常にミスマッチで、アンバランスな感じがするのは、はたして、ふうちゃんだけかしら。(笑)

しかし、非常にさわやかで、清涼感、透明感のある声です。

かって、胃薬のCMに採用(「風になれ~みどりのために~」)されたのも、頷けることです。(笑)

15歳でデビューして、17歳で「お早うございますの帽子屋さん」で、ポプコンに入賞しました。

そして、この「ごめんね」は25歳のときの歌です。

谷山さんの歌は、童話をイメージするような、幻想的な歌が多いのですが、ひとことで言えば、やはり少女趣味っぽいですね。

しかし、それは彼女がぶりっ子(懐かしい言い回し(笑))ということではなく、彼女自身が永遠の少女だからという感じがします。

少女、それも、純朴な「カントリーガール」のような気がします。

だから、シティボーイのふうちゃん(誰も言ってくれないけどね(^^ゞ )が、なぜか、憧れるのかもしれません。(笑)

























































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谷山浩子 『窓』

2019-07-23 17:03:58 | 谷山浩子
谷山浩子 『窓』


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201504220835588f1.mp3


桜の花びらが、無風状態で散りゆく速度は、秒速約50センチだそうです。

風の無い夜に飛び交っている日本のホタルの速度が、秒速約50センチ。

ぼたん雪がひらひらと舞う速度も、秒速約50センチだそうです。

色づく落ち葉たちが散りゆくときも、おそらくは、秒速約50センチでしょうか。

日本の四季折々の風景のなかに、秒速約50センチの速度で動くものがあり、これが日本人の好きな速度であり、感性であるということを教えてくれたのは、マスターが、師匠とも、先生とも仰ぐ、さだまさしさんです。(笑)

仰げば尊し、わが師の恩。

もっとも、かってに、仰いでるだけであり、単なる隠れさだファンのひとりというだけなんですが、年とともに、最近は、隠そうとしても、隠れなくなってきて、扇子で扇(あお)げば、多少、薄くなってきたのがばれるかも。(笑)

ところで、この秒速約50センチのさださんのステージトークを初めて聞いたときは、目が点になるどころか、さすがに、さださんやなぁ、目の付けどころが違うがな、やはり、伊達に、伊達眼鏡かけてへんやん、とますます、リスペクト(尊敬)の念が高まりました。

しかし、よくよく考えてみると、秒速約50センチということは、5秒で、250センチ=2.5メートルの距離を移動することになるわけです。

つまりは、速さは、距離を時間で割って求めますから、○の中にTという線を引いて、左下に「は」、その隣の右下に「じ」、そして上には「き」を書いて、たとえば、「は」を求めるのには、「き」を「じ」で割る、「き」は「じ」と「は」を掛けることで求めることができます。

習ったのは、小学校の高学年だと思いますが、距離÷時間=速さという公式を覚えたあとに、この法則を教えてもらっても、あまり意味がありませんでした。

それはさておき、距離÷時間=速さということですね。

2.5メートルの高さの桜の木の花びらが落ちるのに、いくら無風でも5秒はかからない。

いちど5秒を、時計の秒針を見ながら、数えてみてください。

わずか5秒ですが、されど5秒で、思いのほかに、結構長い時間ですよね。

逆にいえば、秒速約50センチというスピードは少し遅すぎるかもしれない。

まあ、さださんも、新聞に書いてあったこと、ということですし、トークも秒速約50センチ~70センチ、1メートルとおっしゃるときもあるので、気がついているのでしょう。

いや、師匠に対して、ケチをつけているわけじゃないです。

先生に対して、そんな恐れ多いことは申しません。(笑)

でも、先生だって、早とちりもするし、間違うこともあるし、誤魔化すこともあるし、盗みをすることもあるし、わいせつなことをして捕まることもある…って、方向がそれてきましたね。(笑)

教室の窓から見る秋は
いつも不思議に光ってた
北向きの窓のすリガラス
ギリシャの海も見えた


ところで、記憶する四季折々の風景のなかに、学校のなかでの風景がありますよね。

いわゆる633制といわれる義務教育の小学校の6年間と、中学校の3年間に加え、高等学校の3年間で、ほとんどの人が12年間ほど、学校に通うわけです。

学校で過ごす時間も、やはり長いから、学校の風景が記憶に残るのも当然です。

そして幼稚園の3年間と大学の4年間を加えると、さらに19年になります。

えっ、予備校に通う人も多いから、20年としたらキリが良いんじゃないかって?。

マスターが予備校に行ってないから、ひがんで外したしたのかって?

そんなわけではないのですが、学校教育法では、その第1条に、「この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。」と学校についての定義があり、これをいわゆる1条校と呼びます。

学校教育法第134条では、「第1条に掲げるもの以外のもので、学校教育に類する教育を行うものは、各種学校とする。」と規定されており、予備校も各種学校に含まれますが、1条校ではないので、学校教育法でいう学校ではないとされます。

各種学校と規定して、学校という文字をつけながら、学校ではないというのは、あたかも、なんとか味とか、なんとか風味とかいうのに、似ていますね。(笑)

ちなみに、幼稚園は、学校教育法に規定される幼児教育施設の学校と規定され、免許制の幼稚園教諭がいますが、保育所については、児童福祉法の児童福祉施設とされており、資格制の保育士がいますが、学校という位置づけではありません。

ここから、幼稚園は幼児教育という範疇で、文部科学省の管轄となっていて、保育所は児童福祉の分野であるとして、厚生労働省の管轄となります。

話を戻して、教室の窓から見る秋は、どんな光景があったか覚えていますか。

多くの方には、ずいぶんと遠い昔話になりますけどね。(笑)

まさか、「エーゲ海に捧ぐ」の池田万寿夫さんや「魅せられて」のジュディ・オングさんやあるまいし、教室の窓からギリシャの海が見えた人はいないとは思いますが。(笑)、

もっともインターネットの世界では、帰国子女の方や、あるいはギリシャの海岸部で生まれ育った人も閲覧しておられる可能性もあって、いないとも限りませんね。

ちなみに、土木系のお仕事をした人や、体育会系のクラブに所属した人なら知ってると思いますが、校庭のグランドの整備には、土ぼこりを防止し、土を固めるために、塩化カルシウムという薬剤を撒布します。

塩化カルシウムというのは、冬場の道路に撒く結防止剤や、あるいは豆腐用凝固剤、いわゆるニガリの成分ですが、もともと海水にも含まれる成分なので、あるいは校庭を海に見たてるという発想も、あながちおかしくはないかもしれません。

学校の校庭というのも、さきの学校教育法の第3条では、「学校を設置しようとする者は、学校の種類に応じ、文部科学大臣の定める設備、編制その他に関する設置基準に従い、これを設置しなければならない。 」と規定されており、文部科学省令において、「小学校設置基準」「高等学校設置基準」が定められ、教室の校舎や運動場の面積などの施設及び設備についての基準が定められています。

なお、学校を設置しようとする者とは、いわゆる国立の学校の国と、都道府県立、市町村立の学校、つまり公立学校の地方自治体と、いわゆる私学といわれる私立学校の学校法人がありますが、最近は、大学などは国立大学法人や公立大学法人などの独立行政法人系や、構造改革特区では株式会社やNPO法人が学校を設置することも認められるようになりました。

なお、以前はどこの小学校の校庭などに見られた、薪を背負いながら本を読んで歩く少年の姿の像、いわゆる「二宮金次郎像」は、特に基準等で設置すべきとされたわけでも、文部行政からの通達があったわけでもないようですが、多くの学校で建てられたようですが、最近は減少しているとのことです。

さて、お堅い話はこれくらいにして、学校の窓から見える秋の光景に戻りましょう。

校庭に並んだ生徒たちの制服が、白っぽい夏服から黒っぽい冬服へと衣更えするとき、、校庭の木々も、衣更え、お色直しするかのように色づく頃を迎えます。

春にはうららかな陽光に映えて、薄い紅色の花を咲かせ、そしてあっけなく散らし、そして青い空と白い雲に彩りを添えた葉桜も、やがて秋には桜紅葉となって散り急ぎます。

校舎を守る直立不動の兵士のように、整然と並んだメタセコイアの木々も、地味な渋い色の紅葉となっていきまます。

その紅葉たちに負けまいと、銀杏黄葉もポプラ黄葉も、夕陽に競うようにして、金色の輝きを増していきます。

あたかも、秋の日のヴィオロン(バイオリン)のためいきが聞こえそうな風景です。

思い出せばもう夢の中
午後の陽射しにまどろめば
遠いアコーディオンのすすり泣く
光と影の世界


そういえば、学校の思い出の中の楽器と言えば、カスタネットやトライアングル、ハーモニカなどがあると思いますが、まずは、オルガン、そしてピアノ、そしていわゆる学校の帰り道に歩いて吹いてた、たて笛のリコーダーかなと思います。

なかには、アコーディオンを思い出す人も少なくないかもしれません。

オルガンやピアノが弾ける友人たちは、アコーディオンを難なく弾いていましたが、そうでないマスターなどは、鍵盤に意識がゆくと、蛇腹の操作ができず、蛇腹に気をとられると、鍵盤が弾けないということになりました。

ちなみに、アコーディオンは、「和音」を意味する「accord」に「器」を意味するギリシャ語の接尾語を組み合わせたものだそうです。

まあ、アコーディオンがすすり泣いたり、夜中に講堂のピアノが鳴り出したり、音楽室のベートーベンの目が光ったりと、学校には不思議なことがたくさんあります。(笑)

時代が移り変わっても、いわゆる学校の七不思議といわれることが語り継がれているということは、それは、多感な少年期や思春期にならではの広がる世界への憧れと不安がもたらすものだからなのかもしれません。

まあ、思春期から青春期を経て、中年期や高年期になると、なにもしていないのに、冷や汗が出てきたり、聞こえない音が聞こえたり、ふらっと地面がうごいたり、天井がまわったりと、それはそれで、こわいものがありますが。(笑)

やさしい時代を置き去りに
やがて街へとび出した僕には
教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない


青春の夢に忠実であれ!

これは、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞の作者としても知られるドイツの詩人、シラーの名言ですが、名言ではあるにしても、青春の夢に忠実であるには、現実の世界は多少、厳し過ぎるのかもしれません。

この名言は、中学校のときの担任の先生に教えてもらったのですが、シラーの言葉とは知っていても、出典は知らなかったので、50歳で亡くなったシラーが、この名言を何歳のときに言ったのかを、知りたくて、今回調べてみましたが、わかりませんでした。

なお、有名なサミュエル・ウルマンの「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」という「青春の詩」は、ウルマンの晩年発行された「80年の歳月の頂から」の詩集の巻頭にあることから、70歳超えての作といわれています。

いずれにしろ、「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。」のウルマンの言葉は、夢や希望、理想を持ち続けることがいかに大切かを教えてくれています。

授業をひとりでぬけ出して
空き部屋の窓から空を見た
幾億年もの時の彼方
空翔ける船を見た


空翔る船といえば、ギリシャ神話や旧約聖書、あるいは日本神話などにも登場する、天空高くを、神々しく飛ぶ船のことを想像する人も多いでしょうが、一般的には現実的に、飛行船を想像する人も多いでしょう。

そして、飛行船といえば、1973年(昭和12年)にアメリカで発生したドイツのツェッペリン社の「ヒンデンブルク号」の爆発墜落事故を想起してしまう人もいるかもしれません。

あるいは、アニメ映画の巨匠、宮崎駿監督のジブリ作品の「魔女の宅急便」や「天空の城ラピュタ」に登場するような飛行船を想い出す人もいるかもしれません。

指でわっかを作り望遠鏡で覗いているまねをする子

爆発したときにすぐ机の下に隠れるように用意している子。

授業が中断されるのを迷惑顔でためいきをついてる子。

テレビのコマーシャルソングを歌いだす子。

教室の窓から、飛行船が見えたときの教室のざわめきを覚えています。

思い出せばもう夢の中
一枚の窓のそのむこうに
見しらぬあしたがふるえていた
きらめきふるえていた


おそらくは見しらぬ明日も、いつのまにか昨日になっていくのでしょう。

でも通りすぎた昨日たちなら、振り返れば、懐かしさもあるはずなのに。

でも想い出した昨日たちも、妙になにか、よそよそしくて。

昨日たちすら、そうなんだから、見しらぬ明日たちなら、なおさら、あたりまえ。

なにも、明日をおそれることはない。

ときは、みんな、見しらぬままに過ぎていくものかもしれません。

そんな気がします。

いくつも街を歩くうちに
いつか外の世界は狭くなる
教室の窓がもう見えない
夢の行き場がどこにもない


教室の窓から背伸びして見ていた、広がる世界も広がる夢も、やはりそれ自体が、夢のごとくと知るようになります。

いや教室の窓から見ていた、ということすらやはり夢だったのかもしれません。

だから、夢の行き場すら、もはやないんでしょうね。

でも、だからこそ、行き場を失った夢を抱いて…、もすこし生きてみませんか。

行き場のない夢といっしょに…。


この「窓」は、1978年(昭和54年)に、谷山浩子さんの4枚目のアルバムとしてリリースされた「鏡の中のあなたへ」に収録されて、翌1979年(昭和54年)には、谷山浩子さんの4枚目のシングルとしても、リリースされている谷山浩子さんの代表的な曲です。

谷山浩子さんの唄は、ファンタジックというか幻想的というか、ミステリアスというか、どこからが夢なのか、現(うつつ)なのか、まぼろしなのか、よく分からないところがあります。

今回、この「窓」を取り上げるにあたり、ネットでいろいろ探索していたら、二番目の歌詞が異なる「窓」の初期バージョンというのに遭遇しました。

授業をひとりでぬけ出して

屋上の上から街を見た
イルカの小川のカルモヂイン
空の彼方に見えた

いくつも街を歩くうちに
いつか外の暮らしに慣れてきて
世界がこんなに狭く見える

夢の行き場がどこにもない


授業を抜け出して屋上へ行くというシチュエーションは、良からぬ結果を想像させるとして、屋上から、空き部屋になったのでしょうか。

また、「イルカの小川のカルモヂイン」というのは、さっぱり分からなかったのですが、詩人の西脇順三郎「太陽」の影響ということで、「カルモヂイン」は、太宰治が自殺をはかった睡眠薬「カルモチン」からの造語というから、やはり、なにやら意味深長です。

結局、現在の歌詞に変更されたのでしょうね。

ただ、いつか外の世界は狭くなるのが、外の暮らしに慣れてきたからという意味なら、なるほど、と納得できたりします。

世慣れたくないけど、世慣れてしまったということで、苦笑いですね。

いずれにしろ、教室の窓から見る秋を覚えていますか。

友だちの笑顔、困惑した先生の顔、桜や紅葉、枯葉の音、あの日あのとき…。



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お早うございますの帽子屋さん 谷山浩子

2018-09-01 01:23:07 | 谷山浩子
お早うございますの帽子屋さん 谷山浩子


http://blog-imgs-91.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20161026172657712.mp3

誰だってみんな やさしい人ばかり
だから お早うございますの帽子屋さん

ほほえむ時は 誰でもやさしい人ばかり
だから お早うございますの帽子屋さん

赤い帽子 紫の帽子
みんなにあげます ひとつずつ ルル……
笑ってください そして手をつないで

疲れるだけですよ 憎んでみたところで
だから お早うございますの帽子屋さん

ひとこと話をすれば 誰でも友達
だから お早うございますの帽子屋さん

白い帽子 オレンジの帽子
みんなにあげます ひとつずつ ルル……
笑ってください そして手をつないで

小さなしあわせ 小さなしあわせ
だから お早うございますの帽子屋さん

赤い帽子 紫の帽子
みんなにあげます ひとつずつ ルル……
笑ってください そして手をつないで



この曲「お早うございますの帽子屋さん」は1974年、第7回ポピュラーソングコンテストの入賞曲です。

ちょっとした人生訓のような歌だと思いますが、それにしても脳に粘着するメロディと歌詞ですね。

ちなみに、この時のグランプリは 小坂 恭子さんが歌った「恋のささやき」。

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