虹につづく道  

2024-08-20 18:37:49 | 倍賞千恵子
倍賞千恵子





故郷の やさしい言葉で
誰かが呼んでるわ
でも私は行く
いつかしら 空に見つけた
あの虹につづく道を 歩いて行こう
太陽が背中を 通りすぎないうちに
友達と歌って 歩いて行こう

故郷の やさしい音色で
汽笛がなってるわ
でも私は行く
いつかしら 夢うちあけた
あの人につづく道を 歩いて行こう
太陽が背中を 通りすぎないうちに
友達と歌って 歩いて行こう

太陽が背中を 通りすぎないうちに
友達と歌って 歩いて行こう
太陽が背中を 通りすぎないうちに
 友達と歌って 歩いて行こう



 

この歌は、昭和42年4月10日の発売で、NHKの連続テレビドラマ「素顔の青春」の主題歌でした。

看護学生の世界を描く子供向けドラマで、その主題歌を歌う倍賞千恵子さんは、当時25歳。

爽やかで、前向きな明るい良い歌です。
















































































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若い未来

2023-10-09 04:37:52 | 倍賞千恵子
倍賞千恵子


明るい未来を 信じては
腕くみ合って 空ふり仰ぐ
ひとみすずしい
岸辺の花の
まことの願い 君知るや

なやみは果てなく 貧しくも
負けずに生きよう 希望に燃えて
われら若者 
夢あればこそ
涙も清く 美しい

行く方は知らねど 咲く花の
姿を写し 流れる運河
主よ「ききませ」
幸福あれかしと
ぬかずき唄う アベマリア




記者会見やり直しを要請 当事者の会、ジャニーズに

ジャニーズ事務所が性加害問題を巡って開いた記者会見で特定の記者らを指名しないようにする「NGリスト」があったことを受け、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」は8日、事務所に会見のやり直しを要請するとホームページで発表した。  要請では、NGリスト作成への関与を否定した事務所に対し「コメントだけで説明されても疑惑は深まる一方」として「疑惑を払拭するためにも、会見のやり直しは絶対的に必要」と強調。質問を1社1問の形式にせず、時間や数の制限をなくすべきだと求めている。(共同通信)


ジャニーズ問題に区切りをつける意味でも、時間をたっぷりとってやるべきですよね。








































































































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下町の太陽

2023-09-26 00:31:35 | 倍賞千恵子
倍賞千恵子



下町の空に かがやく太陽は
よろこびと 悲しみ写す ガラス窓
心のいたむ その朝は
足音しみる 橋の上
ああ太陽に 呼びかける

下町の恋を 育てた太陽は
縁日に 二人で分けた 丸いあめ
口さえ聞けず 別れては
祭りの午後の なつかしく
ああ太陽に 涙ぐむ

下町の屋根を 温める太陽は
貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔
悩みを夢を うちあけて
路地にも幸の くるように
ああ太陽と 今日もまた


 

この曲「下町の太陽」は、1962年(昭和37年)にリリースされた倍賞千恵子さんののデビュー曲です。


この「下町の太陽」がリリースされた当時は、全国のうたごえ喫茶でロシア民謡・歌曲が盛んに歌われていた時代でした。

だからでしょうか、この曲はロシア歌曲的な哀愁漂う曲調となっており、歌い出しのメロディは、ロシア歌曲『カチューシャ』のそれを思い出させます。

冒頭からロシア歌曲を意識した構成とする事で、当時のうたごえ喫茶愛好者を取り込もうとするレコード会社の思惑が垣間見えます。





































































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とまり木

2023-09-23 00:11:17 | 倍賞千恵子
倍賞千恵子



淋しさを隠して 無理にはしゃいで
君の前ではいつでも陽気でいたい
ピエロの悲しさが 君にわかるまで
ボクはこうしてふざけているだろう

壊れそうなやさしさを 君は抱きしめ
複雑すぎる世間を渡って行くのか
きらびやかなものに まどわされないで
どうかボクのところへやって来ておくれ

君は君のために翼を広げて
信じるものに向かい飛び立つんだ
ボクに出来ることは何もないけど
とまり木ぐらいにはなれるだろう
いつまでも いつまでも 変わることない
大切な何かを見つけてほしい

君は君のために翼を広げて
信じるものに向かい飛び立つんだ
ボクに出来ることは何もないけど
とまり木ぐらいにはなるだろう

いつまでも いつまでも 変わることない
大切な何かを見つけてほしい
いつまでも いつまでも 変わることない
大切な何かを見つけてほしい




とまり木とは、鳥が止まれるように鳥かごなどの中に取り付けた横木、酒場などのカウンターの前に置く脚の高い腰掛け、のことです。

曲は、賠償さんにとっては74枚目のシングルで、1981年4月に発売されています。











































































































































































































































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波浮の港

2023-07-28 06:19:30 | 倍賞千恵子
倍賞 千恵子


フランク永井


石原裕次郎






磯の鵜(う)の鳥ゃ 日暮れにゃかえる
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
あすのひよりは
ヤレホンニサ なぎるやら

船もせかれりゃ 出船のしたく
島の娘たちゃ 御神火(ごじんか)ぐらし
なじょな心で
ヤレホンニサ いるのやら

島で暮らすにゃ とぼしゅうてならぬ
伊豆の伊東とは 郵便だより
下田港(しもだみなと)とは
ヤレホンニサ 風だより

風は潮風 御神火おろし
島の娘たちゃ 出船のときにゃ
船のともづな
ヤレホンニサ 泣いて解く





「波浮の港」(はぶのみなと)は1923年に野口雨情が発表した詞に、中山晋平が作曲した歌曲です。

昭和初期の伊豆大島は、観光とは無縁の離島で、島の南東部にある波浮港村(はぶみなとむら)は、島の中心部の新島村からも三原山を挟んで反対側にある

わびしい漁村でした。

当時は東京からの船便もなく、雨情は現地には全く行かず、地図さえも確かめずに詩を書きました。

このため、歌詞が必ずしも現地の風景に忠実でない部分があります。

東を海に面し西側に山を背負って全く夕日が見えない波浮港に「夕焼け」を見せる点や、雨情の故郷の磯原にはたくさんいるものの、

大島には全くいない海鵜が登場する点がそれにあたります。

とは言っても日本の抒情歌の代表作、素敵な曲です。
























































































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秋の砂山 倍賞千恵子

2023-06-14 02:35:22 | 倍賞千恵子
秋の砂山 倍賞千恵子


白くかわいた 風が吹くだけで
誰も見えない 秋の砂山
軽い心の ふれあいも
すごく大事に 思えた日
いまは遠くなる 秋の砂山
波の向こうに 虹が燃えていた
それは短い 夏のまぼろし
指をかさねる それだけで
愛のはじめと 信じてた
それもひとときの夏のまぼろし 
砂に残した 人の足あとを
消して静かな 秋のさざなみ
胸の渚に きざまれた
深いいたみの 消えるまで
独りみつめよう秋のさざなみ




煌めきやざわめきが、すべて幻だったかのように、夏が通り過ぎた海や砂浜はひとり静かです。

潮騒もどこか淋しく聞こえますし、つまんだ砂粒も指と指のすきまから、零れていきます。

握れば握るほどに、零れてく砂粒・・・

そして、零れないように、落ちていた硝子の器に封じ込めても砂粒たちは砂時計となって、時を静かに刻んでいきます。

しかし、砂時計がどこか切ないのは、その刻む時間に限りがあるからでしょうか。

砂時計の砂は永遠に落ち続けることはありません。

最後の砂の一粒が落ちれば砂時計は止まります。

もちろん、砂時計を逆さにすれば、また時を刻み始めますが・・・

でも、その刻む「時」は、未来へと進むのみ、決して、過去の時をたどり、遡って、時を刻むことはしないのです。

山が秋の紅葉に彩られながら、冬を迎える支度をするのに、海はただひとり、静かに冬支度をしています。

燃えるがごとくに、熱く焼けたことを、すっかりと忘れたかのように、砂は冷たくなっていきます。

ところで、「ミュージカルサンド」あるいは「シンギングサンド」って、ご存知でしょうか。

えっ、そんなの食べたこと無いって?(笑)

えっ、ぼくは、「カツサンド」の方が好きって?

わたしは、「ツナサンド」の方が良いって?

うん?、「やきそばサンド」はないのかって?

そんなオーダー、聞いてないって。(笑)

おや、なになに?、そちらの方は、「納豆そら豆ピーナッツバターサンド」はないんですかって?

そんな、マニアックなサンドのレシピはマスターだって知りません。(笑)

そんな勝手なサンドの注文ばっかだと、「憎いあんちくしょう」って言われて、あしたのジョーに叩かれます。(笑)

えっ、そりゃ、サンドバッグやろって。

燃え尽きたぜ、真っ白にな、・・・って、なんの話してたんやろ?(笑)

さて、絹の道、シルクロードで有名な中国の敦煌近くの砂漠地帯に、「鳴沙山」という砂が堆積した山があります。

晴れた日に風が吹いて、砂が流れると、管弦のような音を立てるところから、まるで砂が音楽を奏でているように、砂が鳴いているように聴こえるらしいのです。

このような砂はアメリカなどにもあるらしく、これを音楽の砂、「ミュージカルサンド」あるいは歌う砂、「シンギングサンド」って言うのです。

ふぅ、これが言いたかったのだ。(笑)

もっとも、何も中国を持ち出すまでもなく、また英語を持ち出すまでもなく、もっと身近なものもあります。

そう、日本では、鳴き砂と言いますよね。

 鳴き砂のある砂浜、・・・

島根県大田市仁摩町の琴ヶ浜、京都府京丹後市網野町の琴引浜、石川県輪島市門前町の琴ヶ浜など、全国的に有名なものでも30ヶ所あまりあります。

地域で知られた名所などを含めると200ヶ所近くもあるといわれています。

その多くに琴という文字が冠されているのは、鳴き砂の音が、琴の音に似ているからでしょうか。

島根県の琴ヶ浜に伝わる琴姫伝説、・・・

壇の浦の戦に敗れ、小舟で流れ着いた平家の美しいお姫様。

助けられたお礼にと琴を弾いて、やがて姫が亡くなると、砂浜が鳴るようになった、そんな伝説が伝わるのも、まさしく琴の音をイメージするからでしょう。

ただ、実際にマスターが体験した京都府京丹後市網野町の琴引浜では、琴の音というよりも、「キュッ、キュッ」という少し甲高い音で、どちらかというと、

弦楽器の弦の上を指が移動するときに発する、いわゆるフレットノイズという音色に近い音のような感じでした。

それでも、ノイズ(雑音)に近いに関わらず、鳴き砂の音が、不思議に心地良い響きに感じたのは、音の周波数としては、コンサートなどで始めにオーケストラの

音あわせするときの音程、つまりは音楽の音として基音である「ラ」の音程に近いから化も知れません。

     たのしみを 抑えかねたる 汝ならん
     行けば音をたつ 琴引の浜 
                      与謝野寛

     松三本 この陰にくる 喜びも
     共に音となる 琴引の浜 
                      与謝野晶子

人恋しさゆえに、恋がはじまり、そして、人恋しさゆえに、恋が終わっていきます。

砂浜についた足跡を、追うようにしてつけたはずの足跡も、寄せ来る波が消してしまいます。

いつもそばにいて、と祈るようにして書いた砂の上の文字さえも、やはり寄せ来る波が消してしまいます。

ひとりの孤独よりも、ふたりいる時の孤独・・・

砂時計の砂が、もう、あとわずかになったことに、どちらともなく、ふと気がついていきます。

そして、確実に、季節は移ろっていることを気づかせてくれる砂浜の砂の冷たさ。

だからこそ、そう、いつまでも、ふたりで砂浜にいてもなにも始まらないのです。

思い出が砂にいっぱい刻まれていたとしても、いつも寄せ来る波に洗われていては、やがては流れ消えてしまうものです。

いや、どんな思いがあろうとも、そんな砂浜に居続ければこそ、その波のしぶきの襲来を恐れおののくばかりになっていくのかも知れません。

思い出は心の中に大切にしまって、そろそろ砂浜から消えていく過去の足跡を、見送るときがやってきました。

そう、新しく訪れる幸せを砂に刻んで・・・。


さて、この曲、小室等がまだ武蔵野美術大学在学中、山岩爽子、小林雄二と組んでPPMのそっくりさん、"PPMフォロワーズ"を結成、カレッジ・フォークの

中心として自らの作品を歌っていました。

そんなおり、作詞の横井弘、作曲の小川寛興というプロのヒットメーカーの作品とマッチングして作った唯一のアルバムが「君はある日」でした。

その中の一曲が、この曲「秋の砂山」。

どんな形になるか心配されたようですが、結果はグループのいい面が引き出され、清々しいフレッシュなサウンドに。
 
毎年一回、以前に発売されて余りヒットしなかったり、ストックになっていた作品で、いい曲だと思うものをもう一度発売する《歌供養》という行事がありました。

昭和44年の歌供養のとき、倍賞千恵子が歌って好評、早速レコード化したところヒットしました。

 「秋の砂山」が倍賞さんのために作られたのではなかったとは、《歌供養》がなかったらどうなっていたのか・・・






























































































































































































































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雪の降る街を

2019-01-24 04:10:52 | 倍賞千恵子
雪の降る街を 倍賞千恵子



雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
雪の降る街を
遠い国から 落ちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日かつつまん
温(あたた)かき幸せのほほえみ

雪の降る街を 雪の降る街を
足音だけが 追いかけてゆく
雪の降る街を
ひとり心に 充(み)ちてくる
この哀(かな)しみを この哀しみを
いつの日かほぐさん
緑なす春の日のそよ風

雪の降る街を 雪の降る街を
息吹(いぶき)とともに こみあげてくる
雪の降る街を
誰もわからぬ わが心
このむなしさを このむなしさを
いつの日か祈らん
新しき光降る鐘の音(ね)



この曲が初めて歌われたのは1951年にNHKラジオで放送された連続放送劇「えり子とともに」の挿入歌としてでした。

ある回の放送前日におけるリハーサルで時間が余ることが分かり、その時間を埋めるべく急拵えで制作されたのだとか。

ところが、意外と人気、そのため二番以降が制作され、高英男の歌唱によりレコードも制作されヒットしました。

作曲者の中田がこの曲を作るに際しては、知人である菅原喜兵衛宅のある山形県鶴岡市で見かけた降雪風景がこのメロディを紡いだと伝えられ、現在も毎年2月に行われる「鶴岡音樂祭」ではフィナーレにこの曲が歌われているそうです。


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