秋の砂山 倍賞千恵子
白くかわいた 風が吹くだけで
誰も見えない 秋の砂山
軽い心の ふれあいも
すごく大事に 思えた日
いまは遠くなる 秋の砂山
波の向こうに 虹が燃えていた
それは短い 夏のまぼろし
指をかさねる それだけで
愛のはじめと 信じてた
それもひとときの夏のまぼろし
砂に残した 人の足あとを
消して静かな 秋のさざなみ
胸の渚に きざまれた
深いいたみの 消えるまで
独りみつめよう秋のさざなみ
煌めきやざわめきが、すべて幻だったかのように、夏が通り過ぎた海や砂浜はひとり静かです。
潮騒もどこか淋しく聞こえますし、つまんだ砂粒も指と指のすきまから、零れていきます。
握れば握るほどに、零れてく砂粒・・・
そして、零れないように、落ちていた硝子の器に封じ込めても砂粒たちは砂時計となって、時を静かに刻んでいきます。
しかし、砂時計がどこか切ないのは、その刻む時間に限りがあるからでしょうか。
砂時計の砂は永遠に落ち続けることはありません。
最後の砂の一粒が落ちれば砂時計は止まります。
もちろん、砂時計を逆さにすれば、また時を刻み始めますが・・・
でも、その刻む「時」は、未来へと進むのみ、決して、過去の時をたどり、遡って、時を刻むことはしないのです。
山が秋の紅葉に彩られながら、冬を迎える支度をするのに、海はただひとり、静かに冬支度をしています。
燃えるがごとくに、熱く焼けたことを、すっかりと忘れたかのように、砂は冷たくなっていきます。
ところで、「ミュージカルサンド」あるいは「シンギングサンド」って、ご存知でしょうか。
えっ、そんなの食べたこと無いって?(笑)
えっ、ぼくは、「カツサンド」の方が好きって?
わたしは、「ツナサンド」の方が良いって?
うん?、「やきそばサンド」はないのかって?
そんなオーダー、聞いてないって。(笑)
おや、なになに?、そちらの方は、「納豆そら豆ピーナッツバターサンド」はないんですかって?
そんな、マニアックなサンドのレシピはマスターだって知りません。(笑)
そんな勝手なサンドの注文ばっかだと、「憎いあんちくしょう」って言われて、あしたのジョーに叩かれます。(笑)
えっ、そりゃ、サンドバッグやろって。
燃え尽きたぜ、真っ白にな、・・・って、なんの話してたんやろ?(笑)
さて、絹の道、シルクロードで有名な中国の敦煌近くの砂漠地帯に、「鳴沙山」という砂が堆積した山があります。
晴れた日に風が吹いて、砂が流れると、管弦のような音を立てるところから、まるで砂が音楽を奏でているように、砂が鳴いているように聴こえるらしいのです。
このような砂はアメリカなどにもあるらしく、これを音楽の砂、「ミュージカルサンド」あるいは歌う砂、「シンギングサンド」って言うのです。
ふぅ、これが言いたかったのだ。(笑)
もっとも、何も中国を持ち出すまでもなく、また英語を持ち出すまでもなく、もっと身近なものもあります。
そう、日本では、鳴き砂と言いますよね。
鳴き砂のある砂浜、・・・
島根県大田市仁摩町の琴ヶ浜、京都府京丹後市網野町の琴引浜、石川県輪島市門前町の琴ヶ浜など、全国的に有名なものでも30ヶ所あまりあります。
地域で知られた名所などを含めると200ヶ所近くもあるといわれています。
その多くに琴という文字が冠されているのは、鳴き砂の音が、琴の音に似ているからでしょうか。
島根県の琴ヶ浜に伝わる琴姫伝説、・・・
壇の浦の戦に敗れ、小舟で流れ着いた平家の美しいお姫様。
助けられたお礼にと琴を弾いて、やがて姫が亡くなると、砂浜が鳴るようになった、そんな伝説が伝わるのも、まさしく琴の音をイメージするからでしょう。
ただ、実際にマスターが体験した京都府京丹後市網野町の琴引浜では、琴の音というよりも、「キュッ、キュッ」という少し甲高い音で、どちらかというと、
弦楽器の弦の上を指が移動するときに発する、いわゆるフレットノイズという音色に近い音のような感じでした。
それでも、ノイズ(雑音)に近いに関わらず、鳴き砂の音が、不思議に心地良い響きに感じたのは、音の周波数としては、コンサートなどで始めにオーケストラの
音あわせするときの音程、つまりは音楽の音として基音である「ラ」の音程に近いから化も知れません。
たのしみを 抑えかねたる 汝ならん
行けば音をたつ 琴引の浜
与謝野寛
松三本 この陰にくる 喜びも
共に音となる 琴引の浜
与謝野晶子
人恋しさゆえに、恋がはじまり、そして、人恋しさゆえに、恋が終わっていきます。
砂浜についた足跡を、追うようにしてつけたはずの足跡も、寄せ来る波が消してしまいます。
いつもそばにいて、と祈るようにして書いた砂の上の文字さえも、やはり寄せ来る波が消してしまいます。
ひとりの孤独よりも、ふたりいる時の孤独・・・
砂時計の砂が、もう、あとわずかになったことに、どちらともなく、ふと気がついていきます。
そして、確実に、季節は移ろっていることを気づかせてくれる砂浜の砂の冷たさ。
だからこそ、そう、いつまでも、ふたりで砂浜にいてもなにも始まらないのです。
思い出が砂にいっぱい刻まれていたとしても、いつも寄せ来る波に洗われていては、やがては流れ消えてしまうものです。
いや、どんな思いがあろうとも、そんな砂浜に居続ければこそ、その波のしぶきの襲来を恐れおののくばかりになっていくのかも知れません。
思い出は心の中に大切にしまって、そろそろ砂浜から消えていく過去の足跡を、見送るときがやってきました。
そう、新しく訪れる幸せを砂に刻んで・・・。
さて、この曲、小室等がまだ武蔵野美術大学在学中、山岩爽子、小林雄二と組んでPPMのそっくりさん、"PPMフォロワーズ"を結成、カレッジ・フォークの
中心として自らの作品を歌っていました。
そんなおり、作詞の横井弘、作曲の小川寛興というプロのヒットメーカーの作品とマッチングして作った唯一のアルバムが「君はある日」でした。
その中の一曲が、この曲「秋の砂山」。
どんな形になるか心配されたようですが、結果はグループのいい面が引き出され、清々しいフレッシュなサウンドに。
毎年一回、以前に発売されて余りヒットしなかったり、ストックになっていた作品で、いい曲だと思うものをもう一度発売する《歌供養》という行事がありました。
昭和44年の歌供養のとき、倍賞千恵子が歌って好評、早速レコード化したところヒットしました。
「秋の砂山」が倍賞さんのために作られたのではなかったとは、《歌供養》がなかったらどうなっていたのか・・・