ハイ・ファイ・セット
岩崎良美
荒井由実(松任谷由実)
悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は やさしい目をしてる
町で見かけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影が そのままだったから
人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くで叱って
話しかけるように 揺れる柳の下を
通った道さえ今はもう 電車から見るだけ
あの頃の生き方を あなたは忘れないで
あなたは私の青春そのもの
人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くで叱って
あなたは私の 青春そのもの
卒業写真のあの人は やさしい目をしてる
町で見かけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影が そのままだったから
人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くで叱って
話しかけるように 揺れる柳の下を
通った道さえ今はもう 電車から見るだけ
あの頃の生き方を あなたは忘れないで
あなたは私の青春そのもの
人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くで叱って
あなたは私の 青春そのもの
昭和50年(1975)のヒット曲、何年もの間卒業歌の定番でした。
現在も、小中学校や高校の卒業式などで歌われれることがあります。
作詞・作曲者の荒井(現在は松任谷)由実さんが独特の発声で歌ったほか、「ハイファイセット」の山本潤子も澄んだ声で歌いました。
山本潤子さんは、「竹田の子守唄」や「翼をください」をヒットさせたフォークグループ「赤い鳥」の創立メンバーのひとり。
「赤い鳥」の解散後、メンバーのうち、後藤悦治郎と平山泰代は結婚して夫婦デュオ「紙ふうせん」を結成し、「冬が来る前に」などをヒットさせました。
また、残りの山本潤子さん、山本俊彦さん、大川茂さんは「ハイファイセット」を創りました。
自分は変わっても、あの人だけは青春の姿をとどめたままでいてほしい、と願ったことのある人は少なくないでしょう。
しかし、自分が変わるなら、あの人も変わります。
作詞・作曲者の荒井(現在は松任谷)由実さんが独特の発声で歌ったほか、「ハイファイセット」の山本潤子も澄んだ声で歌いました。
山本潤子さんは、「竹田の子守唄」や「翼をください」をヒットさせたフォークグループ「赤い鳥」の創立メンバーのひとり。
「赤い鳥」の解散後、メンバーのうち、後藤悦治郎と平山泰代は結婚して夫婦デュオ「紙ふうせん」を結成し、「冬が来る前に」などをヒットさせました。
また、残りの山本潤子さん、山本俊彦さん、大川茂さんは「ハイファイセット」を創りました。
自分は変わっても、あの人だけは青春の姿をとどめたままでいてほしい、と願ったことのある人は少なくないでしょう。
しかし、自分が変わるなら、あの人も変わります。
経年変化から免れられる者はだれもいません。
時は冷厳かつ淡々と流れ続け、とどまることはないのですから。
時は冷厳かつ淡々と流れ続け、とどまることはないのですから。