中島みゆき
手嶌葵
ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ
振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
走りだせば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる
振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
ふるさとは 走り続けた ホームの果て
叩き続けた 窓ガラスの果て
そして 手のひらに残るのは
白い煙と乗車券
涙の数 ため息の数
溜ってゆく空色のキップ
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
たそがれには 彷徨う街に
心は今夜も ホームにたたずんでいる
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
中島みゆきの「ホームにて」・・・
1977年6月にリリースされた3作目のオリジナルアルバム『あ・り・が・と・う』の一曲として発表、同年9月にリリースされた5枚目のシングル「わかれうた」
のB面でもあります。
発表から40年以上が経過しましたが、いまだにラジオのリクエスト番組でよくかかっていますよね。
ところで、中島みゆきの歌詞ですが、回りくどくて抽象的だと思いませんか。(笑)
もっともその分、聴き手がイメージを膨らませて、さまざまな解釈をすることができ、「ホームにて」はその典型かもしれません。
ふるさとへ向かう最終に 乗れる人は急ぎなさいと やさしいやさしい声の駅長が 街なかに叫ぶ・・・
いくら1970年代とはいえ、ふるさとに向かう最終便が出る駅、つまり都会のターミナル駅の駅長が街なかに向かって「急ぎなさい」などと叫ぶわけはありません。
しかも、「乗れる人」という歌詞が不自然、まるで「都会にはふるさとに向かう最終に乗りたくても、乗れない人がいる」と言いたげです。
この歌詞をネットで検索すると、案の定、さまざまな解釈が出てきました。
中島は「正解」を発表しない主義なので、どの解釈が当たっていて、どの解釈が外れているのか分かりません。
だからこそ、多くの人々が自分なりの解釈を展開して、ネットで発表したくなるのでしょう。
駅のホームは、都会とふるさとの接点です。
都会で生活基盤を整えた人は、大きなスーツケースを持って、堂々と帰省することができます。
しかし、そうでない人は帰省もできず、正月を一人ですごさなければならない人も。
そういう人も、唯一できることがあります。
それは、ふるさとへ向かう空色の汽車に感情移入して、帰省気分を味わうこと。
「ホームにて」は、都会にもふるさとにも居場所がない人のための歌、絶望的に寂しい歌です。
だからこそ、聴き手は「寂しいのは自分だけではない」と励まされるのでしょうか。
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ
振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
走りだせば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる
振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
ふるさとは 走り続けた ホームの果て
叩き続けた 窓ガラスの果て
そして 手のひらに残るのは
白い煙と乗車券
涙の数 ため息の数
溜ってゆく空色のキップ
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
たそがれには 彷徨う街に
心は今夜も ホームにたたずんでいる
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
中島みゆきの「ホームにて」・・・
1977年6月にリリースされた3作目のオリジナルアルバム『あ・り・が・と・う』の一曲として発表、同年9月にリリースされた5枚目のシングル「わかれうた」
のB面でもあります。
発表から40年以上が経過しましたが、いまだにラジオのリクエスト番組でよくかかっていますよね。
ところで、中島みゆきの歌詞ですが、回りくどくて抽象的だと思いませんか。(笑)
もっともその分、聴き手がイメージを膨らませて、さまざまな解釈をすることができ、「ホームにて」はその典型かもしれません。
ふるさとへ向かう最終に 乗れる人は急ぎなさいと やさしいやさしい声の駅長が 街なかに叫ぶ・・・
いくら1970年代とはいえ、ふるさとに向かう最終便が出る駅、つまり都会のターミナル駅の駅長が街なかに向かって「急ぎなさい」などと叫ぶわけはありません。
しかも、「乗れる人」という歌詞が不自然、まるで「都会にはふるさとに向かう最終に乗りたくても、乗れない人がいる」と言いたげです。
この歌詞をネットで検索すると、案の定、さまざまな解釈が出てきました。
中島は「正解」を発表しない主義なので、どの解釈が当たっていて、どの解釈が外れているのか分かりません。
だからこそ、多くの人々が自分なりの解釈を展開して、ネットで発表したくなるのでしょう。
駅のホームは、都会とふるさとの接点です。
都会で生活基盤を整えた人は、大きなスーツケースを持って、堂々と帰省することができます。
しかし、そうでない人は帰省もできず、正月を一人ですごさなければならない人も。
そういう人も、唯一できることがあります。
それは、ふるさとへ向かう空色の汽車に感情移入して、帰省気分を味わうこと。
「ホームにて」は、都会にもふるさとにも居場所がない人のための歌、絶望的に寂しい歌です。
だからこそ、聴き手は「寂しいのは自分だけではない」と励まされるのでしょうか。