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おもいで河

2024-07-09 00:04:08 | 中島みゆき
中島みゆき




涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この想い 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この心 深くなる

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない

おもいで河へと 身を投げて
 もう 私は どこへも流れない







涙の国から 吹く風は
ひとつ覚えのサヨナラを 繰り返す
おもいで河には 砂の船
もう 心はどこへも 流れない


さて、おもいで河というものが、どこにあるのかが問題なんですが、それより前に、まず涙の国というのは、どこにあるのでしょうか。

涙の国から吹く風は、ひとつ覚えのサヨナラを繰り返すということで、ひょっとしたら、これがヒントになっているのかもしれません。

サヨナラを繰り返すということは、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。

…ということは、映画評論家の淀川長治さん?

はい、また、お会いしましたねぇ~(笑)

とうことで、ひょっとして、サヨナラを繰り返す風が川面を渡るという、おもいで河は、大阪を貫流する淀川の流域にあるのかもしれません。(笑)

でも、淀川さんは1998年に、89歳で亡くなってるんですねぇ、またお会いしたら、怖いですねえ、恐ろしいですねえ、それでは、またお会いしましょう、

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…。(笑)

近くの人は、こんどの休みにでも、淀川の河川敷にいって、淀川さんを探してみてくださいな。(笑)

また、サヨナラを繰り返すということですが、カタカナでなく、ひらがなもOKならば、さよなら~さよなら~さよならあぁぁ~もうすぐ外は白~い冬…と、

上流からハイトーンの声が流れてくる小田和正さんを聞けば、なにかヒントが見つかるのでしょうか。(笑)

そして、もっと大事な言葉は、砂の船です。

これは中島みゆきさん自身が、ヒントを出してくれています。

僕はどこへゆくの
夢を泳ぎ出て
夢を見ない国をたずねて
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく
                   「砂の船」 中島みゆき

つまり、みゆき姉さんがおっしゃるには、涙の国から、砂の船に乗って、おもいで河をとおって、夜の海に出て、夢を見ない国へ向かうらしいのです。

ということは、この経路をたどっていけば、おのずとおもいで河が分かるに違いありません。

これで、結論が出ましたね。

えっ、納得できない?

まっ、人生の中で、なかなか納得のいく結論というものには、たどりつかないものです。(笑)

季節のさそいに さそわれて
流れてゆく 木の葉よりも 軽やかに
あなたの心は 消えてゆく
もう 私の愛では とまらない


一方が、納得のいく結論を得るために、悩みに悩み抜いている間に、他方は、さっさと結論を出して、木の葉よりも軽やかに流れ去ってしまいます。

恋の終りはいつもいつも
たちさるものだけが美しい
残されてとまどうものたちは
追いかけてこがれて泣き狂う
                   「わかれうた」 中島みゆき

たちさることを決めた相手は、ただ去り際の美しいポーズだけを考えればいいのに対し、その結論を納得せずに、いまなお修復を考えているものは、

相手よりも自分を責めながら、悩み、苦しみます。

しかし、この場合、もはや、相手との関係において、納得のいく結論を得ることは不可能であり、残る道はただひとつ、自分で自分を説得するしかありません。

これは恋愛関係に限らず、また対人関係に限らず、相手が、運命や宿命という、不可視で不可逆なものに対しても、あてはまります。

悲しいですね 人は誰にも
明日流す涙が見えません
別れる人と わかっていれば
はじめから寄りつきもしないのに
                  「ほうせんか」 中島みゆき

もはや抗うこともできない状況ならば、ただ無条件にこの現実を受けいれるほかはなく、ただ残されたひとつの希望として、状況が将来において変化する、

ときを待つべきでしょう。

飲んで すべてを忘れられるものならば
今夜も ひとり 飲み明かしてみるけれど
飲めば飲むほどに 想い出は深くなる
忘れきれない この心 深くなる


ところで、ギリシャ神話の中には、おもいで河ならぬ忘却の河というのがあります。

またの名を、レーテ河ともいい、この河の水を飲むと生前の悩みや苦しみをすべて忘れる事ができるといわれます…が…。
 
 …生前の、ということは、忘却の河は、この世にある川ではなく、冥府にある河の名前で、すなわち、この世とあの世に横たわるといわれる三途の川を渡って、

死後の世界で出会う河なのです。

たしかに、想い出すのもつらいようななときには、おそらくは、この世にあると思われる、おもいで河よりも、冥府にある忘却の河、

その河の水を飲み干したいような衝動にかられることがあるでしょう。

忘却の河の向こうからは、はやくここにおいで、すべて忘れて楽になるよ、なんて、優しく呼びかける声が聞こえるかもしれません。

春秋に富むはずの青年の自殺や、分別をわきまえたはずの中高年の自殺が増加しているのは、その衝動や誘惑に負ける精神や知力の脆弱性が増しているからかも

しれません。

でも、ちょっと待ってください。

おもいで河は、たしかに、いまは暗くて深く、心を沈めていくだけの存在なのかもしれません。

でも、よく、思い出してください。

ずっと昔の頃のことを。

そのときにも、いまとは違うけれど、きっと、つらかったこともあったはずです。

でも、いまではそれが、懐かしく、甘酸っぱく、おもかげ色に染まったおもいでたちになっていませんか。

そんな川面にきらきらと輝く光のようなおもいでたちも、それも、やはりおもいで河にあるのです。

おもいで河は、そのときどきに、さまざまに変わっていく河ですが、忘却の河は、すべてを忘れさせてくれますが、でも、それはすべてを無にしてまう、

なにもかも無くしてしまう河なのです。

たったひとつの楽しい想い出さえも、ささやかだけど、ほほえましい想い出さえも、忘却の河は、すべてを無くさせて、奪っていってしまいます。

忘却の河には、このおもいでだけは、残しておきたいということは、かないません。

すべてを無にして、空しくしてしまうのです。

そして、忘れてしまいたいことも、忘れたくないことも、すべてが流れているのが、おもいで河なのです。

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない


おもいで河を怖れることはありません。

おもいで河へと身を投げて、深く、深く、どこまでも沈み込んでみましょう。

おもいで河が、案外に明るく、存外に浅く、意外に心地よいと感じることもあるものです。

それはつまりは、おもいで河が、決してよそにあるものではなく、あなたより生まれて、そして、あなたを生み出し、あなたを育て、あなたとともに生きて、

包み込んでくれる存在だからなのです。

それは、いわば、あなたの心のふるさとに流れている河なのです。

さあ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

おもいで河へと身を投げて、深く、深く、どこまでも沈み込んでみましょう。

おもいで河へと 身を投げて
もう 私は どこへも流れない


忘れてしまいたいつらいおもいで、忘れきれない切ないおもいでを、いつか、おもいで河の中で、懐かしく思い出している自分にきっと出会えるのです。

いまを一所懸命生きてさえいれば…。






















































































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悪女

2024-07-06 16:46:47 | 中島みゆき
中島みゆき 


マリコの部屋へ 電話をかけて
男と遊んでる芝居 続けてきたけれど
あのこもわりと 忙しいようで
そうそうつきあわせてもいられない

土曜でなけりゃ 映画も早い
ホテルのロビーも いつまで居られるわけもない
帰れるあての あなたの部屋も
受話器をはずしたままね 話し中

※悪女になるなら 月夜はおよしよ
素直になりすぎる
隠しておいた言葉がほろり
こぼれてしまう 「行かないで」
悪女になるなら
裸足で夜明けの電車で泣いてから
涙 ぽろぽろ ぽろぽろ
流れて 涸れてから※

女のつけぬ コロンを買って
深夜のサ店の鏡で うなじにつけたなら
夜明けを待って 一番電車
凍えて帰れば わざと捨てゼリフ

涙も捨てて 情も捨てて
あなたが早く私に 愛想を尽かすまで
あなたの隠す あの娘のもとへ
あなたを早く 渡してしまうまで

(※くり返し)






1981年、空前の大ヒットを記録した中島みゆきさんの「悪女」、オリコン1位を獲得するなど異例の大ヒットでした。

曲のタイトルは、「悪女」の一言ですが、悪女になりきれない女性の切ない心を歌った曲です。

彼氏に好きな子ができたみたい、私はもう好きで好きでしかたがないけど、別れの気配。

自分からは別れを切り出せない・・・

優しい彼のためにも、いっそのこと悪女になって愛想を尽かされたほうがいい。

でも時に素が出てしまい悪女になりきれない自分、・・・

男にとっては理解できない感情かもしれません、とくにマスターにとってはですが。(笑)

ただ、マスターの人生観から言いますと、歌詞に登場する悪女は男を「好きになる」タイプで、男に「惚れる」というタイプではないような気がします。

あれ?「好き」と「惚れる」、一緒じゃないの。

と思われる方、おられるかもですが、明らかに相違点があります。

それは、「好き」には「嫌い」という反対語があるの対して、「惚れる」には反対語がないという点です。

 どっちが良いかは微妙かもしれませんが。(笑)









































































































































































































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誘惑

2024-07-05 10:03:15 | 中島みゆき
中島みゆき


やさしそうな表情は 女たちの流行
崩れそうな強がりは 男たちの流行
本当のことは 言えない
誰も 口に出せない
黙りあって 黙りあって
ふたり 心は冬の海

悲しみは 爪から
やがて 髪の先まで
天使たちの歌も 忘れてしまう

※あなた 鍵を置いて
私 髪を 解いて
さみしかった さみしかった
夢のつづきを 始めましょう※

ガラスの靴を女は 隠して持っています
紙飛行機を男は 隠して持っています
ロマンティックな 話が
けれど 馴れてないから
黙りあって 黙りあって
寒い心は 夜の中

☆悲しみを ひとひら
かじるごとに 子供は
悲しいと言えない 大人に育つ☆

(※くりかえし)
(☆くりかえし)
(※くりかえし)




誘惑とは、ウィキペディアによりますと、「しばしば何らかの不正(身代金目的の誘拐等)あるいはよこしまな目的(わいせつ、結婚等)をもって他人を誘うこと。

または惑わすこと」だそうです。



・・・その誘惑を意識しつつ、しかもその誘惑に抵抗しない、たとえば中途まで送って来た妓と、「何事かひそひそ囁き交したる後」莫迦莫迦しさをも承知した上、

「わざと取ってつけたように高く左様なら」と云い合いて、別れ別れに一方は大路へ、一方は小路へ、姿を下・・・ 芥川竜之介 

・・・肉は霊への誘惑なるを知らざるや。心の眼鈍きものはまず肉によりて愛に目ざむるなり。愛に目ざめてそを哺むものは霊に至らざればやまざるを知らざるや。

されど心の眼さときものは肉に倚らずして直に愛の隠るる所を知るなり。聖処女の肉によらずして救主を孕み・・・ 有島武郎 

・・・に好かれて、彼のために身を亡した妓も少くはなかった。豹一は妓の白い胸にあるホクロ一つにも愛惜を感じる想いで、はじめて嫉妬を覚えた。

博奕打ちに負けたと思うと、血が狂暴に燃えた。妓が「疳つりの半」に誘惑された気持に突き当ると、表情が蒼凄んだ。不・・・ 織田作之助 








































































































































































 
 

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トーキョー迷子

2024-07-05 01:10:38 | 中島みゆき
中島みゆき




思い出は綺麗 本当より綺麗
ありえぬほどいい人が 心で育つ
思い出はひいき あいつだけひいき
いいところだけ思い出す それほどひいき
1年2年は夢のうち まさかと笑って待てば
3年4年は洒落のうち 数えて待てば
5年かければ 人は貌だちも変わる
ましてや男ましてや他人 今日もトーキョー迷子

ここで待っておいで すぐ戻って来るよ
言われたように そのままで ここにいるのに
気にかかってふらり 待てなくってふらり
歩きだして そのせいで なおさら迷子
1年2年は夢のうち まさかと笑って待てば
3年4年は洒落のうち 数えて待てば
5年かければ 人は貌だちも変わる
ましてや男ましてや他人 今日もトーキョー迷子

鴎でもひとり 見習えばいいのに
木の葉でもひとりひとりずつなのに
5年かければ 人は貌だちも変わる
ましてや男ましてや他人 今日もトーキョー迷子

1年2年は夢のうち まさかと笑って待てば
3年4年は洒落のうち 数えて待てば
5年かければ 人は貌だちも変わる
ましてや男ましてや他人 今日もトーキョー迷子

5年かければ 人は貌だちも変わる
ましてや男ましてや他人 今日もトーキョー迷子











小池百合子氏、自公・無党派固め優位 蓮舫氏は広がりに課題 都知事選終盤情勢

東京都知事選は7日、投開票が行われる。選挙戦は最終盤を迎え、3選を目指す無所属現職の小池百合子氏(71)がリードし、無所属新人の前参院議員、蓮舫氏(56)が追う展開。また、無所属新人の前広島県安芸高田市長、石丸伸二氏(41)が支持を広げつつある。(産経新聞)

トーキョー迷子?

4年かければ 人は貌だちも変わる

ましてや都民ましてや他人 今日もトーキョー迷子






























































































































































































































































































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夜風の中から 

2024-06-13 22:41:10 | 中島みゆき
中島みゆき



夜風の中から お前の声が
おいらの部屋まで 飛んでくる
忘れてしまった 証拠のように
笑っているわと 見せつける

※浮気でやくざな 女が今夜どこで
どうしていようと 知った事じゃないが
けれどそこいらは おいらが遠い昔
住んでた路地だと お前は知らぬ※

そこにはお前を そんなにいつも
笑わす何かが 落ちているか
おいらの顔など 見たくもないと
夜風に手紙を 書いてくる

(※くり返し)

うらぶれ通りで お前が雨に
ふるえているから 眠れない
そこから曲がって 歩いた右に
朝までやってる 店があるぜ

(※くり返し)

けれどそこいらは おいらが遠い昔
 住んでた路地だと お前は知らぬ




青春とは、青い春と書きます。

そしてこの2文字から浮かぶイメージは、若葉の芽吹き(青)、生命の躍動(春)、まさに人生においての春の季節、若く元気な時代と言ったところでしょうか。

しかし、反面、青春は、挫折と失意を、繰り返す時代だったと振り返る方もおられるかも知れません。

 たしかに、振り返れば、恋人に振られたとか、志望校に落ちたとか、就職がなかなか決まらなかったとか、そんな「初めての失敗」の体験が、

以後、立ち向かえないほどの挫折と失意として、感じ取ってしまったことがあったかも知れません。

でも、また、思いを巡らせば、・・・そう、青春時代ゆえに、その失敗が乗り越えられたということを、そんな体験を繰り返し重ねて来たわたし達は

自然に学び取ってきたことも事実です。

ただ、青春(せいしゅん)から、朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)という、めぐり行く季節と同じように、齢を重ねて来た世代にとっては、

残された時間を意識する分、その失敗に対する思いが、青春時代より深刻に、複雑に、挫折と失意を感じ取ることになります。

そして、これがストレスの多い現代社会において増幅され、中高年のうつの発症や自殺などが多発する一因ではないかと考えられてもいます。

しかし、よく、考えてみてください。
 
少なくとも、私たちの失敗は、それがどんな失敗だとしても、とても日本の将来を絶望の淵に追いやるとか、未来の地球の滅亡につながるとかいうほどのことは

ありません。

比べて、頂点を極め指導的地位に立っている人が、人のいのちを奪ってしまうような失敗をしていながら、のうのうと厚顔にも生き抜いていることもありますよね。

そう、そのような極悪非道な人達と比べるまでもなく、地上の星、いや地上の星にもなれなかった、地上の星屑のような「わたし達が犯す失敗」は、

しょせん、たかがしれている失敗なのです。

いつでも、やりなおせばいいほどの失敗です。

失敗を得意がる必要はありませんが、そうそうに、失意にうちひしがれるほどのことはないのです。

僕がだめになったのか、あるいは周囲が、環境が、時代が、だめになったのか、あるいは、もともとから、わたしがだめだったのか、これがほんとのダメモト。(笑)

冗談はともかく、だから、失敗をおそれず、また、失敗しても思い悩まずに、ぼちぼちと、歩いていきましょう。

ほら、中高年のみなさん、思い悩まずとも、そう、彼岸のお花畑だって、もう、そんなに遠い道のりじゃないのですから・・・

えっ、┐(´∀`)┌ハイハイこれは失礼、マスターの失敗、いや失言でした。(笑)















































































































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砂の船

2024-05-27 09:31:45 | 中島みゆき
砂の船 中島みゆき cover 「寒水魚」


誰か 僕を呼ぶ声がする
深い夜の 海の底から
目を 開ければ窓の外には
のぞくように 傾いた月

僕はどこへゆくの夢を泳ぎ出て
夢を見ない国をたずねて
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく

望むものは何ひとつない
さがす人も 誰ひとりない
望むほどに 消える夢です
さがすほどに 逃げる愛です

月は波に揺れて 幾百 幾千
古い熱い夢の数だけ
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく

月は波に揺れて 幾百 幾千
古い熱い夢の数だけ
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく
ただ 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく




少なくとも歌謡曲の歌詞ではありませんよね。

文学性が高く、歌のなかに寂寞とした喪失感が詰まっています。

中島みゆきさん、 この人はいわゆるニューミュージックのアーティストのひとりですが、言葉を編み出す力はピカ一で、詩人としても当代一流の存在だと

思います。 

みゆきさんのことを考えると、自動的に松任谷由実を連想して、ふたりを比較して考えてしまいます。

二人とも一九七〇年代の半ばに登場した人達ですが、ユーミンの場合は最初の頃の荒井由実時代の作品と松任谷のダンナと結婚したあとの『紅雀』以降の作品の

クオリティが一寸違っていると思います。

初期の作品には深層心理的なものがあるのですが、アルファレコードから独立したあとのものはトレンディで時代の匂いのする、スキーとかサーフィンとか

ドライブとかモノ文化に含まれる新しいライフスタイルを歌ったものが多いようです。

生活のうたわれ方も比較的表層的。

みゆきさんの場合は、最初から最後まで深層心理的で、生きることに悩む人間の心の立ち姿を歌にしようとしています。

メッセージがトラディショナルというか、人間的で本質的だと思うのですが・・・。




















































































































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夜曲 

2023-10-27 01:30:07 | 中島みゆき
柏原芳恵




街に流れる歌を聴いたら
気づいて 私の声に気づいて
夜にさざめく 灯りの中で
遙かにみつめつづける瞳に気づいて

あなたにあてて 私はいつも
歌っているのよ いつまでも
悲しい歌も 愛しい歌も
みんなあなたのことを歌っているのよ
街に流れる歌を聴いたら
どこかで少しだけ私を思い出して

月の光が 肩に冷たい夜には
祈りながら歌うのよ
深夜ラジオのかすかな歌が
あなたの肩を包みこんでくれるように

あなたは今も 私の夢を
見てくれることがあるかしら
悲しい歌も愛しい歌も
みんなあなたのことを歌っているのよ
月の光が 肩に冷たい夜には
せめてあなたのそばへ流れたい

街に流れる歌を聴いたら
気づいて 私の声に気づいて
心かくした灯りの中で
死ぬまで 贈りつづける歌を受けとめて

街に流れる歌を聴いたら
どこかで少しだけ私を思い出して
思い出して



 

この楽曲は、1983(昭和58)年2月10日に発売された、柏原芳恵さんのアルバム「春なのに」の中で芳恵さんがカバーされています。

このアルバムに収録された楽曲は全て中島みゆきさん作詞、作曲による作品だったようです。








































































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あわせ鏡 

2023-07-20 07:12:42 | 中島みゆき
中島みゆき あわせ鏡



グラスの中に自分の背中がふいに見える夜は
あわせ鏡を両手で砕く 夢が血を流す
なりたい夢となれる夢とが本当はちがうことくらい
わかってるから鏡みるとき芝居してるのよ
つくり笑いとつくり言葉であたいドレスを飾るのよ
袖のほつれたシャツは嫌なの あたい似合うから

鏡よ鏡 あたいは誰になれる
鏡よ鏡 壊れてしまう前に
つくり笑いとつくり言葉であたいドレスを飾るのよ
袖のほつれた シャツは嫌なの あたい似合うから

放っておいてと口に出すのは本当はこわいのよ
でもそう言えば誰か来るのをあたい知ってるの
明るい顔ができるまでには クスリたくさん必要よ
大丈夫よって言えるまでには お酒 必要よ

※鏡よ鏡 あたいは誰になれる
鏡よ鏡 壊れてしまう前に
明るい顔ができるまでには クスリたくさん必要よ
大丈夫よって言えるまでには お酒 必要よ※

(※くり返し)






男子と女子と、どっちが気まぐれでしょうか。

この設問、答える人が、男子か、女子かで、その答えは、大きく違ってくるでしょうし、また答える人が、付き合った相手の気まぐれに、
振り回された

経験があるかないかによっても、大きく答えは異なるのかもしれません。

さらには、男子とか女子とかいう言い方より、男性とか女性とかいう言い方がふさわしい年長さんになっているかどうかによっても、

答えが大きく違ってくるのかもしれません。(笑)

勿論、男にしても、女にしても、気まぐれというものは、若さゆえの絶対的な経験不足によるものと、生まれつきの性格的なものとが大きく依存するとともに、

相手との関係や状況にも影響されるものです。

この意味においては、女も気まぐれならば、男も気まぐれであり、性差はあまり無いのかもしれません。

いずれにしろ、相手に対する一途さというのは、相手に対しても一途さを求めるものとなり、ときとして、その一途さは、鉄鎖となって、諸刃の剣となって、

自己と相手を傷つけてしまうこともあるようです。

そういえば、ある小説に、こんなフレーズがありましたが、これは甘いといういうよりは、甘酸っぱい、またはほろ苦いフレーズなのかもしれません・・・。

別れる男に、花の名をひとつ教えておきなさい。

花は毎年必ず咲きます。 「化粧の天使達-花」-川端康成

そう、花は毎年必ず咲きます。

そして、その花を見るたびに、きっとその花の名を教えてくれた、あなたを思い出すでしょう。

人のこころ移ろいやすく、いずれにしろ、心の中の本棚にあるひとつの本のなかに、やはり想い出は想い出として、想い出のしおりとして、

挟み込んで仕舞い込む方が良いのかも知れません。

“If I were a bird, I would fly to you.”という英語の表現が、あるいは人によっては、“I wish I were a bird.”という方が記憶に残っているかもしれませんが、

いわゆる仮定法過去という英文です。

仮定法過去、現在の事実に反する仮定、つまりは、いまとなってはもはや叶うべきもないこと・・・。

そして、日本の古典の表現にもありますが、いわゆる「ましかば~まし」を代表とする反実仮想の表現というのも習った記憶のある方もいらっしゃるでしょうが、

いずれにしろ、ずいぶんと昔のことですね。(笑)

髪の毛が白く、薄くなってきて、おなかがポニョポニョしてきて、肩が上がらない代わりに、息はすぐに上がって、ついでに血圧も上がって、

もはや凛々しく素敵だった、あの頃のぼく・わたしには、もう戻れません。

素敵だったって、それこそ、反実仮想の仮定法過去ちゃうのんって突っ込みがありそうですが、まあ、もはや妄想に近いものですから、迷惑がかからない限り、

ほっといてやってください。(笑)

いずれにしろ、昨日は昨日、過去は過去、「覆水盆に返らず」です。

いや返らないのは覆水どころか、年寄りの冷水(ひやみず)さえも返らなくなって、もはや、どう転んだとしても、骨折するくらいが関の山で、

決して、あの頃には戻れやしないのですから。

ならば転ばぬように、ちょっと前のめりになって、ぼちぼちと生きましょうよ。

覆水は盆に返らなくても、逝った人たちは毎年、お盆には帰ってきているかもしれませんから。(笑)

中島みゆきさんの「あわせ鏡」渡辺真知子さんのカバーで。


































































































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2023-07-16 05:13:31 | 中島みゆき
中島みゆき 糸



なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ
こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます




この曲の最後の「詩」に「仕合わせ」と言う言葉があります。

「仕合わせ」は国語の辞書によりますと、「運命の巡り合わせ」という意味で、いわゆる「幸せ」という言葉とは基本的に意味が異なります。

みゆきさんはこの2つの言葉を上手に「繋い」でこの 「糸」という曲をお書きになったのだとか・・・・・

「詩合わせ」なのか、「糸合わせ」なのか、その深い歌詞の意味を感じ取ります。

みなさんは「仕合わせ」と呼べる「幸せ」に巡り逢ったことはございますか?・・・

聖者の行進・・・彼らは、子供のように無邪気な人たちでした。

その中に、くもりのない心をもつ、ひとりの青年がいました。

やがて彼は、はじめての恋をしました。

地方都市の工場で働く知的障害者たち。

いつしか彼らを、心ない者たちが残酷に支配しはじめて・・・。

この曲、1998年(平成10年)にTBS系で放送されたドラマ「聖者の行進」の主題歌でした。 



































































































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砂の船

2023-07-14 05:56:14 | 中島みゆき
砂の船   中島みゆき(cover)  



誰か 僕を呼ぶ声がする
深い夜の 海の底から
目を 開ければ窓の外には
のぞくように 傾いた月

僕はどこへゆくの夢を泳ぎ出て
夢を見ない国をたずねて
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく

望むものは何ひとつない
さがす人も 誰ひとりない
望むほどに 消える夢です
さがすほどに 逃げる愛です

月は波に揺れて 幾百 幾千
古い熱い夢の数だけ
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく

月は波に揺れて 幾百 幾千
古い熱い夢の数だけ
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく
いま 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく
ただ 誰もいない夜の海を
砂の船がゆく




中島 みゆきさんは、北海道札幌市出身のシンガーソングライターです。

1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューし、失恋歌とラジオ番組などでの明るい語り口とのギャップで1980年代前半に大きな人気を博し、

現在でも根強い支持を受け続けています。

オリコンで4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストでもあります。

(1970年代:「わかれうた」、1980年代:「悪女」、1990年代:「空と君のあいだに/ファイト!」、「旅人のうた」、2000年代:「地上の星/ヘッドライト・テールライト」)

この曲「砂の船」は中島みゆきさんの1982年のアルバム「寒水魚」に収録されており、比較的、弱く優しく歌う中島さんのボーカルが魅力的です。

「船を出すのなら九月」や「月の赤ん坊」的な要素を含んだ曲。

この「砂の船」からは、孤独、絶望等、重たいイメージが感じられます。

「誰か僕を呼ぶ声がする、深い夜の海の底から」

「目を開ければ窓の外には、のぞくように傾いた月」

「僕はどこへゆくの夢を泳ぎ出て、夢を見ない国をたずねて」

「いま誰もいない夜の海を、砂の船がゆく」

「望むものは何ひとつない、さがす人も誰ひとりない」

「望むほどに消える夢です、さがすほどに逃げる愛です」 

「月は波に揺れて幾百幾千、古い熱い夢の数だけ」

「いま誰もいない夜の海を、砂の船がゆく」


夜の海に、こっそり逃げるようなビジュアルが目に浮かびます。

そこのところが、「船を出すのなら九月」と似ています。

尚且つ、夢も全てを投げ捨てて、身を投じる様な感覚もあります。

とかく、この曲から「希望」をなかなか見出すことが出来ません。

「夢を追いかけて、その夢に敗れた心!」

その心を歌った曲なのではないか、と思います。

挫折した心、悲しい心、そんなイメージの曲です。 

















































































































































































































































































































 

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2023-04-12 20:16:53 | 中島みゆき



※雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました※

あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて

(※くり返し)

△手をさしのべればいつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても消える
まるで 淡すぎる 雪のようです△

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

(△くり返し)

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

(※くり返し) 





父親が倒れたのは、中島みゆきさんがレコードデビューを目前に控えた1975年の9月のこと。

脳溢血で昏睡状態に陥った父親は、そのまま意識が戻らず、年をまたいだ1月に息を引き取ります。

「1978年・秋のツアー」の中で、みゆきさんはその日のことを語っていました。

人前で泣くことが嫌だった私は、父親が死んでも泣かなかった。

出棺する時も泣かず、雪降る中、火葬場から煙が上がっていくのをただ黙って見つめていた。

この歌詞にあるように、みゆきさんは父親の教えに強く影響されています。

「刀で切った傷は薬をつければ治せるけれど、言葉で切った傷は薬では治せないんだよ」

これは父親が幼少期のみゆきさんへ向けた言葉だ。

「言葉」を重んじてきたみゆきさんの歌のスタイルを見れば、この父親の言葉がいかに影響を与えてきたかが分かります。

みゆきさんは、父親が亡くなった後も心の中で彼と対話しているのでしょうね。

































































































































































































































































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横恋慕

2023-04-10 16:27:04 | 中島みゆき
横恋慕



わるいけど そこで眠ってるひとを
起こしてほしいの 急いでるの
話があるの
夜更けでごめんね 泣いててごめんね
みじかい話よ すぐにすむわ
さよなら あなた

ねてるふりで 話は聞こえてるはずよ
ためしに彼女
耳から受話器を 遠ざけてみてよ
夜明けの前のバスで あなたの住む町へ
着くわと告げれば
おどろく あなたの背中 見える

うそです ごめんね じゃまして ごめんね
これっきりでよすわ 一度いうわ
好きです あなた

明日から私 真夜中の国へ
朝日が見えても 人がいても
さむい真夜中
終った恋なら なかったようなもの
止め金のとれた ブローチひとつ
捨てるしかない

長い髪を 三つ編みにしていた頃に
めぐり逢えればよかった
彼女より もう少し早く
たぶん だめね
それでも 時の流れさえ 見放す
私の思いを
伝えてから 消えたい

夜更けでごめんね 泣いててごめんね
これっきりでよすわ 一度いうわ
好きです あなた

長い髪を 三つ編みにしていた頃に
めぐり逢えればよかった
彼女より もう少し早く
たぶん だめね
それでも 時の流れさえ 見放す
私の思いを
伝えてから 消えたい

夜更けでごめんね 泣いててごめんね
これっきりでよすわ 一度いうわ
好きです あなた




私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚(はば)かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執とっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。・・・

夏目漱石によって書かれた小説「こころ」。

「こころ」のあらすじを簡単にご紹介しますと、

主人公である「私」は、ある日鎌倉の海水浴場で「先生」と出会い、親交を深めていきます。

「先生」は影のある人であまり人に対して自分の話をしようとはしません。

「私」はある日「先生」の妻からかつての「先生」はとても快活な人だったという話を聞きたいそう驚きます。

そして「先生」の妻から、「先生」が影のある性格になってしまったのは、友人の自殺がきっかけだったという話を聞きます。

実はその友人は生前、結婚前の「先生」の妻と親密な関係にあったにもかかわらず、「先生」はその友人を出し抜いて妻と結婚してしまった

という過去がありました。

その直後に友人は自殺してしまい、「先生」は自分が友人を死に追いやったと責任を感じていたのでした。

このように、この小説の中では横恋慕が大きなキーワードとなっています。

横恋慕・・・

「横から恋慕う」という漢字から、その意味を推測することができる人も多いと思いますが、横恋慕とは、すでに恋人や配偶者がいる人に対して

恋愛感情を寄せることを意味します。

好きになってしまうことは仕方のないことですが、横恋慕は自身も含め、必ず誰かが不幸になりますよね。

相手にパートナーがいるのであれば、相手の幸せを望んであげることも一つの愛情の形。

きちんとその思いを胸にしまいこんで相手の幸せを願いましょう。

その「こころ」が、きっと次の素敵な恋を招くはず・・・ですよ。

















































































































































































































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坂本冬美/雪 

2023-03-23 18:01:11 | 中島みゆき
坂本冬美/雪 




※雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました※

あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて

(※くり返し)

△手をさしのべればいつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても消える
まるで 淡すぎる 雪のようです△

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

(△くり返し)

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

(※くり返し)




この曲「雪」は、中島みゆきさんが亡き父親を思い書いた曲だと言われています。

1977年に発表された「まつりばやし」に次ぐ父親ソングでしょうか。

一体どんな父親だったのか、これまでのコンサートでのMCや書籍で明かされた父親像と照らし合わせながら歌詞をみていきたいと思います。

父親が倒れたのは、中島みゆきがレコードデビューを目前に控えた1975年の9月のことでした。

脳溢血で昏睡状態に陥った父親は、そのまま意識が戻らず、年をまたいだ1月に息を引き取ったのです。

「1978年・秋のツアー」の中で、中島みゆきはその日のことを語っています。

人前で泣くことが嫌だった中島みゆきは、父親が死んでも泣きませんでした。

出棺する時も泣かず、雪降る中、火葬場から煙が上がっていくのをただ黙って見つめていたといいます。

この歌詞にあるように、中島みゆきは父親の教えに強く影響されているのです。

「刀で切った傷は薬をつければ治せるけれど、言葉で切った傷は薬では治せないんだよ」

これは父親が幼少期の中島みゆきへ向けた言葉だとか。

「言葉」を重んじてきた中島みゆきの歌のスタイルを見れば、この父親の言葉がいかに影響を与えてきたかが分かるかもです。

中島みゆきは、父親が亡くなった後も心の中で彼と対話していたのです。

幼い頃の記憶を辿れば、産婦人科医の父親が帰宅後に見せる顔は様々だったといいます。

笑顔であることもあれば、不機嫌なときもありました。

幼心に、彼の胸の内を推し量ることはできなかったものの、大人になった今、その頃の父親の表情を、自分に重ねることがあるそうです。

帰宅したばかりの自分の顔が、あの時の父親みたいな顔をしているのではないか?

父親はこんな時どう思っていたのだろうか?

今もなお、かつての父親に教えを乞うみゆきさんです。

ところで、父親が死んでも泣かず、出棺する時も泣かず、火葬場から煙が上がっていくのを見ても泣かず・・・

この心情、マスターにはよく解ります。

マスターも妻を亡くしたときも、そう、涙は出ませんでした。

周りを気遣ったとか、人前で泣くのは、とかではないのです。

ただ、涙は出ない、それだけです。

人って、心の底から悲しい時は涙は出ない、そんな気がするのはマスターだけでしょうか。
































































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命の別名

2023-02-27 10:29:44 | 中島みゆき
命の別名




知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある

何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えて行く
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい

石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
僕と生きてくれ

繰り返す哀しみを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みもわかるだろう
けれども人には
笑顔のままで泣いてる時もある

石よ樹よ水よ 僕よりも
誰も傷つけぬ者たちよ

繰り返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

石よ樹よ水よ 僕よりも
誰も傷つけぬ者たちよ

くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも

命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも




すべての人間の本質は「心」にある。

「心」があるから人は傷ついたり傷つけたりする不完全な存在である。

それでも「心」を持つ人間の生き方を肯定したい。

歌詞を要約すると、こう言うことのような気がします。
















































































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雪 中島みゆき

2022-05-30 16:18:44 | 中島みゆき
坂本冬美/雪 中島みゆき




※雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました※

あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて

(※くり返し)

△手をさしのべればいつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても消える
まるで 淡すぎる 雪のようです△

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

(△くり返し)

あの人が教えるとおり
歩いてくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら

(※くり返し)



中島みゆきさん、未だ独身のようですが、やっぱりお父さん以上の男性が見つからなかったんでしょうね。







































































































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