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まほろば

2024-07-07 01:45:40 | さだまさし
さだまさし





春日山から飛火野辺り
ゆらゆらと影ばかり泥む夕暮れ
馬酔木の森の馬酔木に
たずねたずねた 帰り道

遠い明日しか見えない僕と
足元のぬかるみを気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに
黙り黙った 別れ道

川の流れは よどむことなく
うたかたの時 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日
再び戻る今日は無い

例えば君は待つと
黒髪に霜のふる迄
待てると云ったがそれは
まるで宛て名のない手紙

寝ぐらを捜して鳴く鹿の
後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
馬酔の枝に引き結ぶ
行方知れずの懸想文

二人を支える蜘蛛の糸
ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
君を捨てるか僕が消えるか
いっそ二人で落ちようか

時の流れは まどうことなく
うたかたの夢 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日
再び戻る今日は無い

例えば此処で死ねると
叫んだ君の言葉は
必ず嘘ではない
けれど必ず本当でもない

日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹よし平城山の空に満月





春日山から飛火野辺り
ゆらゆらと影ばかり 泥む夕暮れ


「飛火野」を「とぶひの」と、あっさり読まれた方は、大和路の旅に慣れた方か、または国文学の記紀歌謡に造詣の深い方か、あるいは、

かなりのさだまさしファンでしょうか。(笑)

ところで、私事ながら、マスターも以前、まぁ、本当言うと、ず~っと昔になりますが(笑)、奈良の学園前に住んだことがあったので、奈良公園や、

春日大社参道の南側に広がるこの「飛火野」地域はよく遊びに行ったものです。

そして、地元では、この「飛火野」を、「とぶひの」と読まず、「とびひの」と読むのが一般的でしたので、この曲を聴いたときは、あれ?って、

どっちが正しいのかなと思ったものです。

「飛火」の字が当てられていますが、ほんとは「烽」の字を当てるらしく、「烽-とぶひ」は、いわゆる「烽火-のろし」のことで、律令制のもとで、

外敵の襲来などの変事を都に急報するための、のろしの設備が置かれたというのが地名の由来らしいです。

ちなみに、「泥む」というのは、もちろん、「どろむ」とは読まないように・・・って、普通は読まないかな。(笑)
 
贈る言葉の「♪暮れなずむ町の~♪」の「なずむ」が「泥む」なんですが、とにもかくにもほんとに、さださんの歌詞について語るには、右に国語辞典、

左に漢和辞典が必要です。

あっ、左右はあまりこだわらないでください。(笑)

右に橘、左に桜を置くかを気にするよりは、国語辞典、漢和辞典とそろえてから、古語辞典をどこに置くかで、悩んでください。(笑)

もっとも、さださんに言わせれば、関白から失脚した亭主は、右に定期券、左に生ごみを持って、毎朝、仕事に出かけるのだそうですが。(笑)

馬酔木の森の馬酔木に
たずねたずねた 帰り道


「馬酔木の森の馬酔木」に、歌を聴かないで、振り仮名無しに、単に漢字だけでこの歌詞を読めば、何とも分かりにくいと思います。

「馬酔木」は、もちろん、「うまよいぎ」でも「ばすいもく」でもなく、通常は、「あせび」、または地域によっては「あしび」と読みます。

だから、「あせびのもりのあせびに」、「あしびのもりのあしびに」と読めますが、なんとも、危険が危ないような読み方になります。(笑)

正解は、これは、読みがなで書けば、「あせびのもりのまよいぎに」となります。

馬酔木の花は万葉時代を代表する古典の花と言われ、花はスズランに似た白色壷状の小花で、花蕾は前年の夏からできて越冬して、

早春から晩春までの長い間、開花しています。

牛馬がこの花を食べれば、その含まれる成分によって酔ったようになるということで、馬酔木の字が当てられたようです。

さださんは、まえの「馬酔木」を「あせび」と読み、うしろの「馬酔木」を、馬が酔う木、「ま・よい・ぎ」と読ませて、まよい・・・迷い、

と掛けているわけです。

さださんの歌詞には、時として、言葉遊びとも思える語彙の使用が見られ、もちろん遊びとは言え、前提として、それだけボキャブラリーが

豊かでなくてはならないし、それ以上に、感性が研ぎ澄まされていなくてはならないのは言うまでも無いことです。

遠い明日しか見えない僕と
足元のぬかるみを気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに
黙り黙った 別れ道


さて、奈良の春日山から飛火野にかけては、小道が通じていて、この道には、「ささやきの小径」としゃれた名前がついてます。

馬酔木の森の中を抜けていく、恋人たちの散歩道といった風情のある道で、春先など、馬酔木の花の香りで、馬でなくても、酔ってしまいそうです。

馬が酔うのなら、奈良公園にいる鹿も酔うんじゃないの、なんて、なんて、ささやかないでくださいね。

それこそ、馬鹿といわれますよ。(笑)

さて、途中、大きな藤の大木などもあって、紫の藤の花越しに見える春日山原生林に見とれていたりして・・・。

ひとたび足元を見ると、ぬかるみはなくても、鹿のフンがコロコロと、いっぱい落ちていたりして、スニーカーの先にちょこんとついていたりします。(笑)

まあ、気に病むほどのことじゃないと思うのですが、フン・フン・フン・鹿のフンなんて思ってたら、(`へ´) 踏んだ!!!ってことになりますかね。(笑)

川の流れは よどむことなく
うたかたの時 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日
再び戻る今日は無い


ここでさださんは、いわゆる本歌取りの手法で、無常を強調しているわけですが、秀逸なのは、後半の、昨日は昨日、明日は明日、という体言止の言い切り、

そしてその論理的な帰結として、再び戻る今日は無いという、結論を導き出しています。

たしかに、明日は明日。

明日しようと思うことが、かならず明日できるとは限らなく、明日言おうと思ったことが、明日かならず言えるか分からないのです。

再び戻る今日はなく、今日しなければならないことは、今日を置いてほかにはなく、今日言わなければならないことは、今日言わなければなりません。

それが厳然たるときの流れであり、そしてその、ときの流れにそって、粛々と歩いていかなければならないのが人生、そして宿命なのです。

例えば君は待つと
黒髪に霜のふる迄
待てると云ったがそれは
まるで宛名の無い手紙

     
さて、この「黒髪に霜・・・」ですが、「黒髪が白髪になるまで待っている」という、つまり、来ない彼氏を、白髪の老婆になっても待っているという

鬼気迫るような解釈が正解なのでしょうか。(笑)

それとも、単に、気象的に、「霜が降りる夜まで夜通し待っている」・・・という解釈なのでしょうか、どちらにしても、結構、恐いものがあります。(笑)

寝ぐらを捜して鳴く鹿の
後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
馬酔の枝に引き結ぶ
行方知れずの懸想文(けそうぶみ)


奈良公園の鹿は、春日大社の神鹿(しんろく)と言われていますが、神社が飼っているわけではなく、国の天然記念物に指定されていますが野生の鹿です。

ですから、寝ぐらも、東大寺や春日大社周辺、若草山や飛火野などで寝ることが多いようです。

マスターは、夏休みに鹿と一緒に寝て、枕投げして遊んだ記憶・・・はもちろん、ありません。(笑)

     びぃと啼く 尻声悲し 夜の鹿
                              松尾芭蕉

鹿が啼くのは、寝ぐらを捜しているからではなく、牡鹿が牝を呼ぶために啼いているのです。

つまりは、発情期の軟派(ナンパ)しているときの鳴き声なんですが、なにか物悲しく聞こえます。

鹿の懸想文(恋文)だからでしょうか。(笑)

ところで、鹿せんべいを食べたことありますか?

おいしそうな色をしていて、もちろん、鹿は、お辞儀してねだるくらい大好物なんですが、米ぬかと飼料を混ぜ合わせて、なんともいえぬ味です。

大阪のやんちゃな子たちは、奈良公園の遠足のときに、多分、みな経験済みでしょうね。(笑)

二人を支える蜘蛛の糸
ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
君を捨てるか僕が消えるか
いっそ二人で落ちようか


奈良には、いわゆる大和三山と呼ばれる山があり、つまりは畝傍山(うねびやま)、香久山(かぐやま)、耳成山(みみなしやま)です。

いずれも標高200mに満たない低い山なので、いわゆる額田王をめぐる天智天皇(中大兄皇子)と、天武天皇(大海人皇子)との三角関係伝説などを

織り交ぜて語りながら、ハイキングとして散策できます。

     香具山は畝傍を愛しと
     耳成と相争ひき
     神代よりかくにあるらし
     いにしえもしかにあれこそ
     うつせみもつまを争うらし
                 中大兄皇子 「万葉集」

しかし、夫婦、恋人と行くときには、あなたもそうだったわよねぇ、なんて、話がうつせみ(現実)の話に展開されないよう、注意が必要です。(笑)

いつのまにか春日山から飛火野を通り過ぎ、はるか山之辺の道に入って、大和三山までご案内しましたので、帰りのついでに、三輪山もご案内しましょうか。
(笑)

三輪山は、山を御神体として、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る三輪神社があります。

全国的には、神社より、三輪そうめんでおなじみかもしれませんが、三輪神社を大神(おおみわ)神社とも呼ぶように、神様の中の大神様が、大物主神であり、

出雲の大国主神の国造りを手伝ったとされる神様です。

ということは、いつぞや、ギリシャ神話の大神ゼウスのお話をしたことがありますが、やはり、偉大な神様というのは、かなりなんですね。(笑)

古事記によると、活玉依媛(イクタマヨリヒメ)という独身女性が妊娠して、名前も知らない男性が夜這いをしていたからということが分かり、

両親が床に赤土を撒いて、娘にその男性の衣に麻糸を通した針をつけさせて素性を調べることにしました。

さて、男性が来た翌日、その赤土にまみれた糸をたどってみると、なんと、三輪山に続いており、男性が大物主神であることが分かったといいます。

そう、ふたりを結んだのは、蜘蛛の白い糸ならぬ、赤土にまみれた、赤い糸だったのです。

赤い糸の伝説は、こうして生まれました。

嘘ではありません、ほんと。(笑)

例えば此処で死ねると
叫んだ君の言葉は
必ず嘘ではない
けれど必ず本当でもない 


まあ、嘘ではないけれど、本当でもない、諸説がある、そういうことって、やはり、神の世でない人の世には多いことかもしれません。

信じるものは・・・救われもしますが・・・、騙されもしますが、かといって、疑えば、またきりがないのなら、騙されていると思いつつも、

信じるほうが幸せなのかもしれません。

つまりは、真実はひとつなのかもしれないし、人の数ほど真実があるのかもしれません。

日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹(あおに)よし 平城山の空に満月


さて、今回は、長々と話し込んでしまいました。

それでは、また、三輪駅から、JR桜井線で、天理を通って、奈良まで戻ることにしましょう。

とうことで、京の終わりから、最後は、やはりかっての奈良の中心部である、平城京、まほろばの話をして終わりましょう。

なんか、強引な終わり方ですが。(笑)

えっ、馬酔木に酔う馬、せんべいを喰らう鹿が出てきて、最後は、魔法を使うろば、まほろばの話なの?なんて、思う人はいませんよね、・・・たぶん、・・・

おそらく、でも、まぁ、ちょっとはいるかも。(笑)

     やまとは 国のまほろば たたなづく
     青垣 山ごもれる やまとしうるはし
          日本武尊(やまとたけるのみこと)-「古事記」

ということで、国のまほろば、平城山(ならやま)の空に、ひときわ大きな満月が~っ・・・て・・・えっ、ところで、平城山って、どこにあるのかって。

そうなんですょ、わたしも、ご幼少の頃から探してるんですが、どこにあるかよく分かりません。(笑)

ということで、平城山検索隊。(笑)

そうしたら、北見志保子作詞、平井康三郎作曲の「平城山」という曲を発見しました。

     人恋ふは 悲しきものと 平城山に
     もとほり来つつ たえ難かりき
     
     古も 夫に恋いつつ 越えしとう
     平城山の路に  涙落としぬ

学校で音楽の時間に習ったような記憶がありますが、結構、意味深な歌詞だったのですね。(^^ゞ

で、結局、平城山なんですが、山というよりも、平城京の丘陵地帯を指すらしいのです。

ちなみに、JR奈良駅から、JR関西本線で京都方面に向かって、一つ目の駅にJR平城山駅というのがあり、次の駅は木津駅で、ここはもう京都になります。

ちなみに、JR平城山駅の南にある古墳が、ヒシアゲ古墳と呼ばれる前方後円墳で、これが、仁徳天皇の皇后磐之姫の御陵とされています。

同じく前方後円墳で、世界最大の墓とされる仁徳天皇陵が大阪府堺市にありますので、こんなに離れていては、平城山の空に満月は、なかなか

かからないかもしれませんね。(笑)

ということで、あっけなく、それでは、さよう奈良!っと。(笑)



































































































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檸檬

2023-09-23 10:34:03 | さだまさし
さだまさし



或の日湯島聖堂の白い
石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ
檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う

喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ

君はスクランブル交差点斜めに
渡り乍ら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の
姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにもかつて
使い棄てられた愛が落ちてる
時の流れという名の鳩が
舞い下りてそれをついばんでいる

喰べかけの夢を聖橋 から放る
各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
二人の波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
消え去る時には こうしてあっけなく
静かに堕ちてゆくものよ





この曲「檸檬(れもん」は、シンガーソングライターさだまさしが1978年3月25日にリリースしたアルバム『私花集』の収録曲であり、8月10日にリリースした

シングル盤でもあります。

梶井基次郎の小説『檸檬』をベースに、舞台を御茶ノ水に置き換えた歌です。

歌詩に「聖橋からレモンを投げる」という描写がありますが、さださんはこの歌が「白線流し」のように、社会現象にならないかという希望と不安を

抱いていたとか。

この歌の舞台は東京・御茶ノ水の聖橋(ひじりばし)。

主人公は愛し合っている男と女。

女が盗んだ檸檬をかじった後で、それを聖橋から投げる、というものですが、そのシーンが実に印象的です。

“喰べかけの檸檬聖橋から放る 快速電車の赤い色がそれとすれ違う”・・・このフレーズはあざやかにワン・シーンを描き出していて、きわめて文学的。


さださんのすごいところは、シーンをあざやかに描き出す表現力に加えて、そこに意味を持たせて歌そのものに“深さ”を持たせることです。
 
「檸檬」でもそれは発揮されていて、“喰べかけの檸檬聖橋から放る 快速電車の赤い色がそれとすれ違う”というフレーズに呼応するように、

“喰べかけの夢を聖橋から放る 各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく”というフレーズがあります。

“喰べかけの檸檬”と“喰べかけの夢”とを対比させて、そこに“青春”というものをあぶりだしているのです。

だからこそ、この歌は今でもさだのコンサートではたくさんの人々の支持を受け、絶対に欠かせないナンバーとなっているのでしょう。

「檸檬」のリリースから既に38年という年月が経とうとしていますが、さださんの文学的センスはさらに磨きがかかり、現在では”小説家“としても

一家を成しているほどです。

「精霊流し」「解夏」、「眉山」はベストセラーになると共に映画化もされて、さだの新しい世界を確立しました。

これによって、歌だけではなく、小説家という新しい地平を切り開いたことにより、さだまさしの世界はさらに大きく深くなったと言っていいでしょう。

いずれにしても、さだの文学的センスが花開くことになるその“原点”は「檸檬」にあることは確かです。



















































































 












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掌 

2023-07-11 06:21:00 | さだまさし
掌 さだまさしグレープ)


うつむきがちに私は
掌を見つめている
自分の人生を見つめている
つかみそこねた愛を
指でそっとたどって
ためらいに疲れてため息つく
今より少しでいいから勇気があれば
あなたのあたたかい指を離さずにすんだのに
ありきたりの別れなどしなくてすんだのにと

流した涙の数を
指折りかぞえみる
ついてるついてないとかぞえてみる
いつの間にか私の
悲しみの数の方が
自分の年よりも増えてしまった
掌を鏡に写しさよならと云ってみる
いつもと同じ笑顔でこうして別れた
 そしていつもこの涙を拭うのも私の手





さだまさしさんの「帰郷」というアルバムに元グレープの吉田さんが参加しています。 

そのアルバムに収録されている「掌」。

さださんの声も細すぎず伸びやかで本当に素敵ですし、吉田さんのアコースティックギターがまたいいですよね。

グレープ時代の彼らには出せなかった味があり、マスターにとっては一番の「掌」かも。 






















































































































































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坂のある町

2023-07-04 07:53:55 | さだまさし
さだまさし 坂のある町




海辺の坂のある町で
二人ある日出会った
あなたは珈琲店の窓辺の陽だまりで
静かに海をみてた

それから高台に登り
船の汽笛を聴いた
あなたがいつかひとりで遠くへ行ってしまう
その時そんな気がした

びいどろ細工の指輪は
壊れ易いと分かっていても
好きなものは好きと思いたかった
今日の喜びと明日の悲しみを比べて
選びなおす程に 利口にだけはなりたくなかった

そうして坂のある町で
あなたを愛し始めた


青空 坂の上の雲
あなたの好きな風景
あなたがこの町を出て行くと決めた日は
季節の雨が降ってた

必ず迎えに来るから
あなたのそんな言葉
嘘ではないけど決して本当でもないと
その時そんな気がした

びいどろ細工の知恵の輪を
はずす時みたいなまなざしで
あなた私をみつめてた
今日の悲しみと明日の希望をすりかえて
笑ってあげられる程 いつか利口になってしまってた

青空 坂の上の雲
 独りで海をみてる



長崎は坂のある街です。

いや、坂のある街というより、坂の中に街がある、といってもいいくらいでしょう。

おなじく港町である神戸なども坂のある街なんですが、やはり長崎の方が断然に坂が多い、それも小さな急な坂が多いような気がします。

ところで、長崎は坂が多いのですが、長崎には、下り坂と上り坂、どちらの方が多いと思いますか?

一瞬たりとも、あれ、どっちなんだろうか?って、考えたあなたには、長崎の坂は似合います。(笑)

これを冗談めかして、「長崎は、よかばってん、坂、墓、ばか、が多かね。」って言うそうです。(笑)

もちろん、これは長崎の人から聞いたことですので、長崎の方々は、くれぐれもマスターに、苦情ば言わんでくれんね。(笑)

しかし、坂は多いけれど、ばかが多いかどうかはともかく、確かに墓が多いような気がするのは、長崎を訪問すれば実感することだと思います。

もちろん、他の地方に比べて、長崎に墓が多い訳でもないんでしょうが、目立つということでしょうか。

街に坂が多いということは、建物の敷地として一定の面積が確保できる場所は、優先的に敷地として利用されますから、建物などが建てにくいような場所が、

墓地などに活用されるわけです。

したがって、段々畑という言葉がありますが、まさに、段々墓地となり、代々墓ならぬ段々墓が、坂道を歩いていると、自然と目に入りますから、

多いような感じを受けるのかなと思います。

もっとも、長崎に限らず、概して土地の狭小な我が国では、大規模な墓苑や公園形式の墓地以外は、山に貼り付くような墓地が多いですから、墓参りは、

急な坂道をのぼってゆくことが多いと思います。

そして、故人の思い出を脳裏に浮かべ、その人の人生を辿るかのようにして、坂道をのぼっていきます。



一歩、また一歩

坂道を登るたびに、そこに近づいていく

一歩ずつ高揚まるこの胸の思い

息を切らせ、坂を上りきった者にだけ許される風景

最後に後ろを振り向くときのあの感動・・・

あぁ、その感動も、そして、この息切れも

みんな、おまえと分かち合えたらいいのにな

                by マスター


    

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防人の詩 ナターシャ・グジー

2019-02-09 00:38:27 | さだまさし
防人の詩 ナターシャ・グジー




おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

私は時折苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
現在の自分と

答えてください
この世のありとあらゆるものの
すべての生命に約束があるのなら
春は死にますか 秋は死にますか
夏が去る様に 冬が来る様に
みんな逝くのですか

わずかな生命の
きらめきを信じていいですか
言葉で見えない望みといったものを
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で

おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な故郷もみんな
逝ってしまいますか

海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な故郷もみんな
逝ってしまいますか




防人は、「さきもり」と読み、664年(天智三年)に中大兄皇子が朝鮮半島での白村江の戦いに負けたために、日本の本土防衛のために創設されて、筑紫・壱岐・対馬などの北九州の防衛にあたった東国から選ばれた兵士達のことです。

北九州の防衛に何故、遠い東国からだったのか・・・

これは東国の勢力を少しでも弱めようとした当時の施策とされていますが、遠い東国からの赴任ですから、目的地に達するまでに行き倒れとなった人達や、任期の途中で病気等により二度と故郷に帰れなかった人達も多かったでしょうね。

そんな防人達が家族と離れる寂しさや、残された家族の無事を祈る気持ちを読んだ悲しい歌が防人の歌で、万葉集に84首が残されています。

我が妻も絵に描き取らむ暇もか旅ゆく吾は見つつ偲はむ

大王の命かしこみ磯に触り海原(うのはら)渡る父母を置きて

水鳥の立ちの急ぎに父母に物言(は)ず来(け)にて今ぞ悔しき・・・などなど。

さて、

「おしえて下さい」

心から吐き出すようなこの言葉から、この曲は始まります・・・

そして、何とも言葉にし難い切なさがこの曲全体を支配していきます。

あらがい様のない大きな流れ、考えても答えが出ない苦悩、・・・・・

人生の永遠のテーマに対し、正面から問いかけぶつかっていくこの曲、さすが、さださんというべきでしょうか。
   
なお、万葉集16巻にこの曲の原型となった詩が、詠み人知らずの歌として出ています。  

「鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ」
  
ちなみに、この曲の原型は「防人の歌」ではなかったのですね。

この曲「防人の詩」は、1980年(昭和55年)製作、公開された、三船敏郎さん、仲代達矢さん、あおい輝彦さん、夏目雅子さんなどの出演で、舛田利雄さん監督の東映映画、「二百三高地」の主題歌です。

地味な映画でしたが、日清戦争に続く、日露戦争のなかでの重要な戦いを描き、明治から昭和へと続く我が国が選択した国際紛争を解決する手段としての戦争の歴史を知るには役立ちました。

そして、一握りの軍人や政治家たちの思惑や権謀術数のために、多くの人のかけがえのない生命を奪うものが戦争だということも知りました。

そして、この曲は、さだまさしさんのレッテルに、「暗い」「軟弱」「女性蔑視」に加えて「右翼」というのが貼られた記念すべき歌でした。(笑)

しかし、この曲、本当は、「右翼」でも「左翼」でもなく、人が好きで、好きだからこそ、その生命を大切にすべきだと、それを強く主張している曲と、マスターは思っています。


































































































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さだまさし  男は大きな河になれ~モルダウより~

2018-10-16 10:43:57 | さだまさし
さだまさし  男は大きな河になれ~モルダウより~


せつないことが あったなら
大きく叫んで 雲を呼べ
それでも雲で覆えぬほどの
男は大きな宇宙(そら)になれ

嬉しい時は腹から笑え
笑えば嬉しい花が咲く
心を花で埋(うず)めて見せろ
女は優しい風になれ

苦しい時こそ意地を張れ
目をそらさずに雨を見ろ
泣かずに雨を集めて そして
男は大きな河になれ

寂しいのは一人だけじゃない
歩けば転ぶ 怪我もする
そこで捨てたなら負けになる
男は大きな夢になれ

喜びは人と分かちあえ
悲しみは人に預けるな
許せる限り受け止めてやれ
女は大きな海になれ

寂しいのは一人だけじゃない
歩けば転ぶ 怪我もする
泣かずに雨を集めて そして
男は大きな河になれ
男は大きな河になれ



モルダウ川(Vltava)は、ボヘミアを南から北に流れ、ラベ川(エルベ川)に合流するチェコの重要な河川の一つです。

約12分間にわたって演奏される交響詩「モルダウ(スメタナ)」では、モルダウ川の源流からプラハ市内へと続く、上流から下流への川の情景が非常に鮮明に描写されています。

上流~チェコの山奥深いモルダウ川の水源~

まずチェコの山奥深いモルダウ川の水源から雪が溶けて水が集まっていく様子が描かれ、森を抜け、勇壮な狩人が横切りる。

そして角笛が響き渡り、村の結婚式の傍を行き過ぎ、月明かりの静寂の中、水辺を妖精が舞い踊る。

下流~突然の急流、プラハ市内へ~

やがて、徐々に水量が増えていき、突然の急流に水しぶきが上がる。

いよいよプラハ市内に入り、勇壮な古城を讃えるかのごとく華やかな演奏が続き、そしてモルダウ川はプラハ市内を抜け悠然と流れ続けていく・・・


この交響詩「モルダウ」に、さださんが歌詞をつけて歌ったのがこの曲「男は大きな河になれ~モルダウより~」です。

この曲は、1987年7月4日公開された、西友・学習研究社・キネマ東京製作、東宝配給の映画「次郎物語(下村湖人原作)」の主題歌として作られました。

出演:

加藤剛  (次郎の父)

高橋恵子 (次郎の母)

泉ピン子 (次郎の育ての親・お浜)

伊勢将人 (次郎)・・・



ちなみに、中学校の合唱祭・合唱コンクールなどで歌われている合唱曲として、「モルダウ」、「モルダウの流れ」があります。


【合唱】モルダウ



なつかしき河よ モルダウの
清き流れは わが心
うつくしき河よ モルダウの
青き水面は 今もなお
流れにやさしく 陽は注ぎ
さざなみはいつも 歌うたい
岩にあたり しぶきあげて 渦をまく

豊かな流れよ モルダウの
広き水面は 今もなお
春には岸辺に 花開き
秋には黄金(こがね)の 実を結ぶ
愛の河よ しぶきあげて 流れゆく

豊かな流れよ モルダウの
広き岸辺に 狩をする

今日も響く 角笛高く
人は駆ける 獲物求めて
銃(つつ)の音は 森にこだまし
岸辺に湧く 喜びの歌
ラララララ ラララララララ

月の出とともに 村人は
今日の恵みを 祝い踊る
なつかしき河よ モルダウの 岸辺には
豊かな幸(さち)が 満ちあふれ
人の心は いつまでも
この河の 流れと共にゆく
わがふるさとの この河モルダウよ
わがふるさとの この河モルダウよ



モルダウの流れ



ボヘミアの川よ モルダウよ
過ぎし日のごと 今もなお
水清く青き モルダウよ
わが故郷を 流れ行く
若人さざめく その岸辺
緑濃き丘に 年ふりし
古城は 立ち
若き群れを 守りたり
ボヘミアの川よ モルダウよ
わが故郷を 流れ行く

ボヘミアの川よ モルダウよ
過ぎし日のごと 今もなお
水清く青き モルダウよ
わが故郷を 流れ行く
若人さざめく その岸辺
緑濃き丘に 年ふりし
古城は 立ち
若き群れを 守りたり
やさしき流れ モルダウよ
光り満ち
わが心にも 常に響き
永久(とわ)の平和を なれは歌(うと)う
たたえよ 故郷の流れ モルダウ




同じ原曲に基づく日本語の合唱曲は主にこの二つで、一つは富山県出身の作曲家、岩河 三郎によるもの。

歌いだしの歌詞は「懐かしき河よ モルダウの 清き流れは わが心」

二つ目は、平井多美子作詞による「モルダウの流れ」。

歌い出しの歌詞は、「ボヘミアの川よ モルダウよ  過ぎし日のごと 今もなお」

どちらの曲を実際の学校の授業や合唱祭・コンクールなどで歌ったかによって、思い入れは全く違ったものになります。

岩河 三郎の歌詞は、水しぶきや渦の描写、季節の事物、人々の営み・喜びを音と視覚・時間的経過を交えて豊かに表現するなど人間味にあふれ、さすがに数々の合唱曲を作詞作曲してきたベテランの風格が感じられますよね。

平井多美子『モルダウの流れ』は比較的堅い表現で歌詞も短めで、繰り返しが多いです。

音楽の授業でも使いやすいように無難な表現が用いられているようにも感じられます。

特に、平井版では学校教育で呪文のように唱えられる「平和」という例のキーワードが唐突に(やや強引に)歌詞にねじ込まれており、当初から教育現場で教材として使われることを強く意識した作品だと思われます。


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縁切寺

2018-06-24 13:43:46 | さだまさし
グレープライブ 縁切寺




今日鎌倉へ行って来ました
二人で初めて歩いた町へ
今日のあの町は人影少なく
想い出に浸るには十分過ぎて
源氏山から北鎌倉へ
あの日とおなじ道程で
たどりついたのは 縁切寺

ちょうどこの寺の山門前で
きみは突然に泣き出して
お願いここだけは 止してあなたとの
糸がもし切れたなら 生きてゆけない
あの日誰かに 頼んで撮った
一枚切りの一緒の写真
納めに来ました 縁切寺

君は今頃 幸せでしょうか
一度だけ町で 見かけたけれど
紫陽花までは まだ間があるから
こっそりと君の名を 呼ばせてください
人の縁とは 不思議なもので
そんな君から 別れの言葉
あれから三年 縁切寺





縁切寺(えんきりでら)とは、女性の側からの離婚が困難であった江戸時代において、夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことです。

寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立するというもの。

江戸幕府公認の縁切寺には鎌倉の東慶寺、群馬(旧、上野国新田郷)の満徳寺があり、3000人以上の駆け込みがあったようです。

































































































































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檸檬

2017-01-30 01:04:59 | さだまさし
ふたりの部屋~さだまさし とともに 第一話 檸檬





或の日湯島聖堂の白い
石の階段に腰かけて
君は陽溜まりの中へ盗んだ
檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う

喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ

君はスクランブル交差点斜めに
渡り乍ら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の
姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにもかつて
使い棄てられた愛が落ちてる
時の流れという名の鳩が
舞い下りてそれをついばんでいる

喰べかけの夢を聖橋 から放る
各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
二人の波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
消え去る時には こうしてあっけなく
静かに堕ちてゆくものよ




梶井基次郎の小説「檸檬」の舞台となった丸善京都店は、書かれた当時は、三条通麩屋町にあり、その後移転して、河原町通蛸薬師上ルにありましたが、2005年(平成17年)10月に、閉店しました。

書籍の流通形態や販売状況が、時代とともに、大きく変わる中では、丸善京都店のような中途半端な規模の店は、消え去る以外に道はなかったのかもしれませんが、なんとも寂しい限りです。

この曲は、1978年(昭和53年)リリースされた「私花集(アンソロジィ)」というアルバムに収録されていますが、このアルバムは、「案山子」「秋桜」「主人公」などさだまさしさんの全盛期を語る上で、欠かせない名曲がそろっているアルバムです。










































































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