青空一人きり

2024-06-02 11:05:05 | フォーク&ニュー・ミュージック
内山田洋とクール・ファイブ



楽しい事なら 何でもやりたい
笑える場所なら どこへでも行く
悲しい人とは 会いたくもない
涙の言葉で ぬれたくはない
青空 あの日の青空 ひとりきり

何かを大切にしていたいけど
体でもないし 心でもない
きらめく様な 想い出でもない
ましてや我身の 明日でもない
浮雲 ぽっかり浮雲 ひとりきり

仲よしこよしは なんだかあやしい
夕焼けこやけは それよりさみしい
ひとりで見るのが はかない夢なら
ふたりで見るのは たいくつテレビ
星屑 夜空は星屑 ひとりきり

楽しい事なら 何でもやりたい
笑える場所なら どこへでも行く
悲しい人とは 会いたくもない
涙の言葉で ぬれたくはない
青空 あの日の青空 ひとりきり





井上陽水さんがフォーライフから出した1枚目のアルバム「招待状のないショー」に収められている曲で、シングルにもなっていたと思います。

この歌が世に出たとき、ただ何となく聞き流していたのですが、今あらためて聴いてみると、何だかすごい歌のような気がしてきたので、少し思うところを

書いてみたいと思います。
 
当時の私たちですが、何はともあれ明るく陽気でなければいけない時代だったような気がします。

口数が少ない人、真面目な人などは、すべて「暗い」という形容詞で括られ、重い問題について真剣に考えるよりも、軽薄であることに価値が置かれるような

風潮がありました。

数年後、「ネクラ」「ネアカ」などという、今考えれば馬鹿馬鹿しい言葉が流行り、音楽といえばアップテンポの洋楽、中島みゆきや山崎ハコが好きなどと

言おうものなら、周りの人が引き潮のようにゆっくりと離れていくような状況でした。
 
この価値観は、当時ほどではないにしろ、「ノリがいい、悪い」などと、言い方を変えて、今もしぶとく残っていますよね。(笑)

実際、いまの若者を見ていると、無理して合わせてるな、と思うことがよくあります。

「周囲の「ノリ」とやらに、本当はあんまりついていきたくないけど、そう思ってしまうのは、きっと自分がおかしいんだろうな」というように。

一人でものを考えたい、静かに本を読みたい、そんなときでも、「イエー」とでも歓声があがれば、いっしょに叫ばなければならず、

「夢」だの「信じる」だのばかりが耳につく歌でなく、人間の奥底を深く見つめた歌に浸りたくても、機械が作ったような曲の電子音に体を合わせなければ

いけないと思ってしまいます。
 
でも、周囲に無理に合わせることが、心から楽しいはずはありません。

かといって、自分の好きなことをしていると、何かおかしなことをしているような罪悪感をともなってしまう。

こうして、何をしても満たされなくなります。
 
世の風潮、周囲に合わせていれば、とりあえずは明るい、そして、いっしょにいる人、もしかしたら恋人のような人でもできれば、とりあえず一人では

なくなります。

でも、やっぱり心は満たされないんです。
 
底抜けに明るい青空を背にして、人といっしょにいて、でも「ひとりきり」なんです。

この曲は、そんな孤独感を歌ったのかも知れません。








































































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すりガラス

2024-06-02 00:48:52 | Jポップス
高木麻早 



使い古したギター音色も錆びて
覚えかけていた歌も今は泣いている
何か大切なこと忘れそうな気がして
窓を開けてみるのに昨日があぁ見える

しまい忘れてた写真眺めることもなく
書き始めてた手紙今は泣いている
すべてやり直そうと心に刻んでみても
何も変わっていない明日があぁ見える

綴り終えていた詩集インクも薄れ
編みかけていたセーター今は泣いている
やがて振り返っても笑っていられる時と
 泣いて鏡に向かう自分があぁ見える



高木麻早の5枚目シングル「すりがらす」です。

1975年リリース。

さて、みなさんは、童謡などの歌詞で意味を、勘違いして覚えていたことってなかったですか。

マスターは、幼い頃に、無邪気に童謡を歌いながらも、歌詞の意味をこんなふうに考えていました。

う~ん、…幼稚にして早熟、しかも感性豊かだったからでしょうか。(笑)

♪うさぎ 美味しい 蚊の山♪       

…蚊が多い山には、美味しいうさぎがいるってことかな。
                  
♪夕焼け小焼けの赤とんぼ 追われて見たのは いつの日か♪

…追いかけっこしている赤とんぼって、よく見るよね。

♪赤い靴 履いてた 女の子 いい爺さんに連れられて行っちゃった♪

…悪い爺さんではなく、いい爺さんで良かったな。
 
♪どんぐりころころ どんぐりこ お池にはまって

…もしかして、グリコキャラメルって、どんぐりから作るのかな。

もちろん今でも、歌詞をこんなふうに考えている、半世紀ほど前の純朴な少年少女たちもおられるでしょうから、敢えて、夢を壊すような正解は出しません。(笑)
 
 …と、思いましたが、このサイトには、今もなお、気持ちだけは少年少女であられる方も多く訪問されているかもしれないので、教育的見地から、

やはり、正しい歌詞と作詞者は掲載しておくことにします。

これでも分からないときは、ご近所の方に聞きましょう。(笑)

♪うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川   「ふるさと」―高野辰之

♪夕焼け小焼け赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か  「赤とんぼ」―三木露風

♪赤い靴履いてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった  「赤い靴」―野口雨情

♪どんぐりころころ どんぶりこお池にはまって   「どんぐりころころ」―青木存義

歌詞の勘違いもそうですが、意外と他にも勘違いってよくあるものです。

例えば、「大阪の八百八橋」…

江戸時代、大阪は、「江戸の八百八町」「京都の八百八寺」と並んで、「浪華の八百八橋」と呼ばれていました。

これらの言葉は、本当に808ヶ所の寺や橋があるではなく、それほどの勢いで寺や橋が立ち並んでいたことの比喩的表現です。

となれば、大阪と江戸との橋の数を比べれば、当然大阪の方が多いはずですが、実際の数は江戸の約350橋に対して、大阪には約200橋ほどしか

架けられていませんでした。

では、なぜ大阪が八百八橋の町と呼ばれていたのでしょうか。

その答えは、誰が橋を架けたのかにあります。

江戸の橋は、約350ある橋の半分が公儀橋と呼ばれる幕府が架けた橋でした。

一方の大阪では、公儀橋は「天神橋」「高麗橋」などのわずかに12橋、残りの橋は、全て町人が生活や商売のために架けた「町橋」でした。

町橋に対する幕府からの援助はなく、町人たちは自腹を切って橋を架けました。

そうです、自腹を切ってでも橋を架けた町人たちのこの勢いを、「浪華の八百八橋」と呼ばしめた所以なのです。

ですから、実際は、橋の数でも、江戸時代から東京の方がずっと多いのです。

やっぱ大阪はどうあがいたって、構想したって、都にはかないません。(笑)

「橋の下」がいくらあっても、橋の数では、やっぱ「都」に負けてるということでしょうか。

えっ、なんかこの話し「府」におちませんて?。(笑)

いや、言っておきますが、当て字にはなんも意味ありません「市」。(笑)

































































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