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さよならをもう一度

2024-07-28 20:38:14 | みなみらんぼう
みなみらんぼう

ちいさな子供を胸に抱いた
君は恥ずかしそうに頬染めた
久しぶりだね
幸せそうな君の笑顔は

噂は聞いたよ結婚したことも
だから恥ずかしそうにしなくていいよ
悪かったのは僕のほうだよ
もう何年にもなるだろう

さよならもお互いに言うこともないまま
僕たちが別れたあのころ

君のこの子は元気そうだね
君と同じエクボが可愛らしくて
僕を誰かと間違いてるよ
僕はきみのパパじゃない

 
あの頃の僕は若かったよ
無茶だけが取り得の苦い日々で
君の愛さえ留められずに
離れ離れさ

不思議なものだね時代は移って
家並みもすっかり変わった街で
昔のままの君に出会った
夢を見ているようさ

さよならをもう一度
微笑みを込めて
過ぎた日の涙に手を振ろう
ほんの僅かな出会いだったよ

冬にしてはほのかな陽だまりのなか
手を振る君の笑顔の目から
あふれる涙こぼれて

ラ、ラ、ラ・・・・・・・




軽快なタッチで、メロディーはスムーに流れていくのですが詩の内容はマスターにはさっぱり理解出来ません。(笑)

とは言っても、好きな曲か、嫌いな曲かと問われれば、大好きな曲と答えてしまいます。(笑)































































































































































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武蔵野情話

2024-07-24 00:34:30 | みなみらんぼう
みなみらんぼう


岸洋子



雨の武蔵野は吉祥寺
二人で一つの蛇目傘
そぞろに歩けばあじさいの
影も冷い井の頭
二人の命はうたかたの
にごりし水の流れ
泣けば涙のしみるほど
渡りきれないむらさき橋

道化芝居の幕が降りて
外は六月雨の夜
ぽつりぽつりと思い出を
語り歩いてむらさき橋
帯の結びのかたさより
二人はきつく結ばれて
死んでゆきました玉川の
暗い水面に身を投げて





「死ぬ気で、本当に死ぬ気で、恋愛をしてみないか」 先生のその言葉が耳朶(じだ)にまとわりついて、 私を愛に殉じる女に変えた― 「愛って痛いものね」

作家・太宰治と、永遠の旅立ちに同行した山崎富栄の二人の姿を描いた小説「武蔵野心中」です。

作家、太宰治と、晩年の太宰の良き理解者として献身的に尽し、永遠の旅立ちに同行した山崎富栄の二人の姿が描かれた、にっかつ1983年の製作映画でした。

長篠康一郎の同名の小説を映画化したもので、脚本は「お嫁にゆきます」の井手俊郎、監督はテレビ界出身でこの作品が映画第一作になる柴田敏行、撮影は「色ざんげ(1983)」の山崎善弘がそれぞれ担当してます。

 昭和二十三年六月十九日、作家・太宰治と愛人・山崎富栄の死体が、折り重なって玉川上水の濁流の中から発見された。

降りしきる雨の中、二体の亡骸は赤い腰紐でしっかりと結ばれていた…。

太宰と、出征軍人の出征軍人の妻・富栄の運命的な出逢いは、三鷹駅前の小さな屋台のうどん屋だった。

美容師仲間の喬子の紹介で太宰と会った富栄は、敬愛する亡兄と太宰が同じ高校の卒業生であることに親近感を覚えた。

太宰が世間での評判とは裏腹に、優しい男であることに少女のように心がときめくのだった。

同時に戦地にいる夫のことが脳裏をかすめ、また妻子ある太宰との不倫の恋の予感に戦慄を覚える。

一方、太宰も上品で育ちの良さを感じさせる都会的な美貌の富栄に波滅的な愛の始まりを感じていた。

翌日、書店で太宰の作品を求めた富栄は、帰路、偶然にも太宰と出会い初めての唇を重ねる。

富栄は喬子から三冊の小説を手渡たされる。

それは、太宰の過去の女をモデルにしていた。

死に対する妄執と破滅的な愛の編歴を描いたものばかりであった…。

この曲はその映画の挿入歌でした。






































































































































































































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空飛ぶ鯨の話

2024-07-21 08:42:58 | みなみらんぼう
みなみなんぼう 


ダ・カーポ



ある朝ある町で 鯨が空を飛んでた
空よりも広い大空
夢を求めて 飛び立った

昔の森の中には 鯨が暮らしていた
幸せの花の咲いてた
森で楽しく遊んでた

いつか時の流れに押し流されて
海に沈んだ かわいそうな鯨

いまでは 海でさえ鯨は暮らせなくて
せっせと 羽根をつくって
狭い波間を飛び出した


話は 五十年たったあとの出来事
宇宙には夢が広がる
だけど地上は荒れ果てる

みんな ある町の窓から鯨をみた
大空が暗くなるほど
鯨で空はうずまった

いつか時の流れに押し流されて
空に飛び立つ かわいそうな鯨

その日の昼過ぎに あわれな鯨のむれは
次々 打ちおとされて
 魂だけがとんでった





昔、ある大海原に1頭のクジラが住んでいました。

クジラは自由に大海原を泳ぎ回り、どこへでも好きな海に行くことができました。

ある日、クジラはいつものように餌となる小魚を求めて、今まで来たことがなかった小さな湾にたどり着きました。

湾の中にはびっくりするほど沢山の小魚がひしめくように群がっています。

その湾には小さな川が流れ込んでいて、小魚たちは川が運んでくる餌を求めて群がっているのでした。

クジラは大喜びで小魚の群をめがけて突き進んで行きました。

「ザブーン!」と音を立てて必死になって小魚を食べました。

しばらくすると、クジラはもうこれ以上食べられない程にお腹が一杯になりました。

こんなに食べることができたのは久しぶりのことでした。

その後、クジラは何日も小魚の群れるその湾に通い続け、そしてお腹が一杯になるとまた大海原に戻っていきました。

ある時クジラはその川をさかのぼってみたいと思うようになりました。

しかしクジラの身体は大きすぎて、とても川を上ることはできません。

クジラが川を上る?

そんな話は聞いたことがありません。

鮭が生まれ故郷の川を上ることはありますが、それは元々鮭が大昔、川に生きていた魚であった証でありました。

いったいクジラの故郷は何処なのでしょう?

そんな事を考えているうちにクジラは何だか急に寂しくなりました。

いったい、ボクの故郷は何処なんだろう?

来る日も来る日もクジラは思うのでした。

この曲は「空飛ぶ鯨」というタイトルで1974年12月20日、、日本フォノグラム(後のマーキュリー・ミュージックエンタテインメント → 

現在のユニバーサルミュージック)からリリースされています。

 歌っているのは「ちゃんちゃこ」、1970年代に活躍していた2人組のフォークグループ。

メンバーは、きたかたよしろう(本名:北方義朗、1955年11月2日 - )、松村忠佳(まつむら ただよし 1955年12月3日- )京都府出身の2人。

 


ちゃんちゃこ 
 

















































































































































































































 

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ウィスキーの小瓶

2024-07-15 13:47:34 | みなみらんぼう
みなみらんぼう


天地 真理




ウィスキーの小瓶を口に運びながら
涙と思い出を肴にして
酔いつぶれてしまいたいなどと
思っているこの僕を
貴女が見たら子供のようだと
きっと僕を笑うでしょうね
わかっていながら飲む男の気持ちなど
貴女は知りもせず

列車の窓に僕の顔が写る
なんてみじめな姿なんだろう
戯れだと思っていた恋に
打ちのめされてしまうなんて
こうして誰もが大人になってゆく
そんな話をどこかで聞いたっけ
人間同士の辛い別れという劇を
僕が演じている

こうして誰もが大人になってゆく
そんな話をどこかで聞いたっけ
アー 人間同士の辛い別れという劇を
 今 僕が演じている





古いアルバムを見たときなど、「あぁ~、あの頃にかえりたい」、・・・人はみなそう思います。(笑)

現代の極めて高度なストレス社会で、なにもかも閉塞状態にある大人の世界の中では、たまに、子供の頃のあの日にかえって、

「夢を信じる心」を回復させることは、メンタルヘルス(精神衛生・心の健康)の観点から、大切なことです。

とは言っても、

私だって、あの日にかえりたいわ。
 
しわひとつなく、若々しく、美しく輝いていたあの頃。
 
あの人たちにも、もういちど会いたい。
 
そして、楽しかった日々をもう一度。
 
でも・・・
 
あの日にかえったら、またあの人たちと、
 
別れたあの日もやってくる。
 
そんな悲しい想いを、また繰り返すのは嫌。

なんてことも。(笑)




























































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少年の夏

2023-07-12 10:14:36 | みなみらんぼう
少年の夏 


ひとしきり雨が降りそそぎ
君と僕は濡れたシャツのまま
夏草を踏んで歩いた
なぜか無口になったまま
14の夏君はまぶしい
胸の線や腰のくびれが
夏草を噛んだ苦さよ
光る影にゆらめきながら
橋の向こうにかかる虹を追えば
離れてゆきそうな哀しみがくる
愛だとか恋と呼べない
胸に痛い少年の夏


眠れずに君の横顔を
書いたノートに破り捨て
いつの間に朝の日差しに
重い心あてもなく
14の夏君はまぶしい
胸の線や腰のくびれが
夏草を噛んだ苦さを
光る影にゆらめきながら
橋の向こうにかかる虹を追えば
離れてゆきそうな哀しみがくる
愛だとか恋と呼べない
 胸に痛い少年の夏




海をみたいと思うことがあります。
 
海をみたくなるときが確かにあります。

でも、それは「海をみたい」というより、もしかすると「海のある風景」に会いに行きたいと思うのかもしれませんん。

なぜでしょう・・・

赤ちゃんが、お母さんのお腹の中にいるとき、赤ちゃんは、地球に初めてできた時の海水の成分に近いといわれる羊水という水の中で育つそうです。

だから・・・
 
海がこころのふるさとだと思う?

ところで、海の関連した言葉に潮時という言葉があります。

つきあって、もう三年、でも、なんにも進展しそうにないしそろそろ潮時かしらね。

五年前に高値で買った株、ずっと低迷していて上がりそうにない、ここが潮時かもしれないな。

サイトを立ち上げて八年、深夜、眠い目こすって更新してきたけど、ふぅ、もう潮時なのかな。

潮時かしらね、そう思ったことがありますか。

潮時かもしれない、そう考えたことがありますか。

まあ、人それぞれに、さまざまに、潮時を意識することがあると思います。

潮時とは、物事を始めたり、終えたりするのに、ちょうど良いとき、適当な時機のことを言います。

もっとも、それに確実性はありません。

だから、よほどの自信家か、虚言家か、無謀家か、宗教家か、・・・そうそう政治家でも無い限り、潮時を断定的には言いません。(笑)

ほとんどの場合、あくまで、もう潮時かな?、まだ潮時でないのか?、という、自問や反問、あるいはそれで煩悶するのです。(笑)

神や仏でないから、その潮時が分かりません。

なんとかして、そんな潮時が分かるような基準がないものかと、インターネットで調べてみると、探してみるもんですね、ありましたよ。

潮時表というものが。

そうか、潮時って表でまとめられるのかな。

なになに、潮時表、満潮と干潮・・・うん?

どこかで見たような。

そういえば、数年前、マスターは、少し釣りにはまったことがあります。

釣りにはまったというより、実は、ほんとうは、海を見たいなと、思うような時期だったわけです。

どんな時期だったって?

まあ、いまとなっては想像にお任せします。(笑)

しかし、大の男、それも中年以上のおっさんが、海を見たいなといって、身じろぎもせずに海を見つめていても、耳を澄まして、海鳴りを聞いていても、

かもめとたわむれていても、海に向かってバカヤローって叫んでも、やはり絵になりません。(笑)

いや、むしろ挙動不審者として海上保安庁に通報されそうな気すらして、それじゃ、釣りでもしてる振りして、海を見ようか…という不順な動機でした。(笑)

 それもひとりだと、なにをしでかすか自信がないから、中学生だった息子を誘って、潮時表を調べて夜中からごそごそと、夜明けの海から、ときには一日中、

海をみつめていました。

釣りは、干潮時から満潮時にかけて潮位が次第に高くなる時が好機であり、それも大潮の時は比較的良く釣れるといいます。

満潮と干潮との潮位の差が大きいのが大潮で、小さいのが小潮、大潮から小潮の間に、中潮、長潮、若潮があると言われるのですが、マスターの場合には、

あまり釣果とは関係なかったように思います。

むしろ、並んで釣りをしているのに、同じ道具、同じエサなのに、釣果が違って、あまり釣れていない方がそろそろ潮時かと思うのに、釣れている方は、

まだまだこれからってことも多いような気がします。

潮の満ち引きは、地球と月と太陽の天体運動に関わっていることが知られていますが、潮の干満の時刻に合わせて、いのちが生まれたり、消えたり、

考えれば、いのちと密接につながっているのですね。

そんなことを、釣り糸を垂れながら考えていました。

まあ、あまり釣れなかったから、そんなことでも考えなきゃしかたなかったともいいますが。(笑)。

マスターは、いちおう都会といわれるところでの生活が長かったので、都会の暮らしが、賑やかで、華やかで、といわれても、あまり実感はありません。

鮮やかな色どりの街並みも、派手なネオンサインも、見慣れてしまえば、四季折々の山々の森や林や田畑、堤防沿いの川面や防波堤のテトラポットと同じく、

ひとつの景色です。

だから、田舎にいくと、寂しいところでしょうって、いわれたりするんですが、とくに田舎だからといって寂しいって感じはあまり受けません。

しかし、都会だからといっても、下町の商店街が、さびれていく様子は、寂しげです。

田舎でも、田んぼや畑が休耕となって雑草が生い茂っていたりするのをみると、寂しげです。

まるで、風景自身が寂しがっているようにみえるときって、確かにあります。

やはり、かっての華やかさを思い浮かべて、無常を感じるからでしょうか。

それとも、やはり、心の中が寂しがっているから、そう見えるのでしょうか。

ともあれ、夢は必ず叶う、と信じていたものが、夢は叶うべくもなく、夢は夢に終わるかもしれない、と思い始めたとき、夢は限りなく嘘に近づいていきます。

でも、嘘と夢の違いは、実現の可能性の高低ではなく、それに向かおうとする意欲と意志の強弱の違いだと思うのです。

夢を嘘にしてしまいますか。

夢は夢として持ち続けますか。

ある朝、幾つかの嫌な夢を見て 目覚めたときに、一匹の毒虫に、自分が変わっていた…というのは、フランツ・カフカの「変身」という小説でした。

哲学的で難解な小説ですが、テーマ、モチーフとしては、自我を確立しようとする青春時代に、誰もが遭遇するようなことです。

カフカの「変身」を出したついでに、「今日、ママンが死んだ。」という書き出して始まる、アルベール・カミュの「異邦人」も例にあげましょうか。

異邦人というのは、その地域、社会の外から来た人という意味ですから、その地域、社会になじめない、あわないと言ったことになるでしょう。

その地域、社会になじもう、あわせよう、とすれば、つまりは、自分が変わらなければなければなりません。

でも、自分が変わってしまえば、もはや自分が自分で無くなるわけですから、なんのためになじませるのか、あわせるのか、目的を失って、

自分というものの存在が不条理なものになるのです。

「変身」や「異邦人」を夏休みの読書感想文用の読書として読んだときのことを思い出した人も多いかもしれませんが、何年たっても、分かったような、

分からないような小説ですね。(笑)

カフカの「変身」よりも、仮面ライダーの変身の方がずっと分かりやすいですし、カミュの「異邦人」よりも、ちょっと振り向いただけの異邦人の方が、

もっと分かりやすいですね。(笑)

いずれにしろ、そんな青春時代も過ぎて、やがて男性の方なら頭髪とか、女性の方ならお肌とか、あきらかに、年を経るごとに変わっていくのを実感するのは…

やはり、寂しいものですかね。(笑)

占い師が、あなたは生きるのが下手ですね、というと、ほとんどの人が、満足げに頷くそうです。

考えてみれば、現状の生活に、なんの不安も不満もなく、つまづきも悩みもないのならば、占い師のもとに行こうなんてあまり思わないでしょうから、

当たり前です。

それに、わたしは処世術に長けていてね、社交的で、生きるのが上手なんですよ、なんていう人には、お目にかかったことがありません。

まあ、こんな人にお目にかかっても、ほとんどの人は、目をそらしたくなりますけどね。(笑)

でも、確かに、生きるのが下手な人っています。

ほら、このサイトにいつも日参しているあなた、あなたも、生きるのが下手な人ですよね。

わかりますよ、いま、とても、おつらいでしょうね…って、ほら、簡単にうなづかないのよ。(笑)

ともあれ、生きるのが下手な人へ。

下手は下手なりに生きていくしかないのです。
 
いまさら、上手に生きていこうなんて、けっして思わないことです。

そして、下手だから生きるのをやめよう、なんてことも考えちゃいけないのです。
 
生きるのも下手だから死ぬのも下手でいいのです。

下手は下手なりでかまわないのです。

それがあなたの生き方なのです。
 
それがあなたなのですから・・・・・・・・。














































































































































































































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川はだれのもの? 

2023-06-27 12:01:56 | みなみらんぼう
川はだれのもの? 



山に 降った 雨の しずく
岩を すべり 落ちて
やがて 細い 川となった
川は 森で 生まれた
川は だれのもの?
住んでる 魚のものかしら?
それとも 雨のものかな?
森の ものだろうか?

村を くだり 町を流れ
川は 海を 目ざす
鳥が あそぶ 虹が かかる
人の 希望 燃えたつ
川は 誰のもの?
岸辺の 緑のものかしら?
それとも 鳥のものかな?
人の ものだろうか?

いいえ どの川も
誰の ものでもありません
生きてる すべてのものです
川は みんなのもの
川は みんなのもの




川はだれのもの?(かわはだれのもの?)は、1995年12月、NHKのみんなのうたで放送された曲です。

作詞・作曲:みなみらんぼう、編曲:石原眞治、歌:東京放送児童合唱団。

「山口さんちのツトム君」で知られるみなみらんぼうさんが、川の生い立ちと大切さを教えるべく製作した歌で、雨が川となり、森や村を抜け、

海へ出る間に魚や人と出会い、川は皆の物であるという内容となっています。



「ポスト岸田」は林芳正氏がトップ

月刊誌「文藝春秋」が、年明け発行の2月号で「次の総理、5年後の総理」と名付けた特集記事。

政治の現場で取材する各メディア所属123人の政治・経済記者へのアンケートの結果をまとめたものです。

それによると、ポスト岸田となる「次の総理候補」ではトップが林氏、2位が河野氏、3位が茂木氏で、4位に岸田首相がランクイン。

高市氏は5位にとどまっていました。

一方、「5年後の総理候補」では大差をつけて1位は福田氏。

2位河野氏、3位林氏、4位には安倍派成長株の萩生田光一経済産業相が食い込んでいます。

「次の総理」ではわずか3票だった福田氏が断然トップで31票、高市氏はわずか3票、3位だった茂木氏は圏外でした。

半年経った今。

2位の河野氏は圏外に去り、林氏、福田氏がダントツかもです。

しかし、両氏に問いたいのです、「総理はだれのもの」?









































































































































































































































































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みなみらんぼう 途上にて

2023-06-27 08:56:06 | みなみらんぼう
みなみらんぼう 途上にて



風が激しく吹いている
愚かな昔 みだらにすぎて
道は途上で夢もやぶれた
そんな昔は まぼろしか
風よ運べ 燃える思いを
火を放て 俺の心に

過ぎ去るものは 過ぎ去ればいい
流れるものは流れていけ
命あるものは生きていればいい
酒があるなら飲み明かせばいい
風よ運べ 燃える思いを
火を放て 俺の心に

風よ運べ 燃える思いを
火を放て 俺の心に





少し私事になりますが、かってマスターは仕事に少しマンネリを覚え、このまま続けていていいのだろうかと思い悩んだことがありました。

また、その頃、頻繁に恋愛をし始めたんですが、皆、うまくいきませんでした。

それはそうです、頻繁に恋愛と書いたように、当時は恋愛の意味さえ分かっていない、つまり恋愛そのものに不誠実だったんですね。

仕事もプライベートもうまくいかず、唐牛健太郎のように土方になってさすらうことに憧れながら、しかし、その決断も出来ず悶々としていた時に、

この唄がラジオから流れてきました。

最初のピアノのイントロ、そしてギターがかぶり、ちょっとたってらんぼうさんの渋い声が聞こえてきて、一遍で鬱の気分が少し晴れたのでした。

その後、今に至るまで、元気がなくなりそうな時に注力剤という感じで聞いています。

歌詞のように棹さし生きるよりて自然に生きるほうがいいんだと、少しアナーキーっぽい乱暴(らんぼう)さにグッとくるのでしょうか。(笑)

























































































































































































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黄色いカラス

2020-12-07 03:53:23 | みなみらんぼう
♪黄色いカラス♪




「黄色いカラス」、・・・懐かしい曲です。

「空飛ぶ鯨」もそうですが、いかにもらんぼうさんらしい曲ですよね。(笑)

ところで、今の日本、どうも強引に黄色いカラスになろうとしているような気がします。

しかし、黒いカラスは黒いカラスのままでいいのではないでしょうか。

多少の不自由・貧乏にも耐える、それでも心にさえ平和を持ち続けられれば・・・。
























































































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みなみなんぼう 酔いどれ女の流れ歌

2018-08-24 08:28:58 | みなみらんぼう
みなみなんぼう 酔いどれ女の流れ歌


1 酔いどれ女が 今夜も一人
  酒場でグラスを 抱いている
  睫を濡らして
  惚れた男に 生命を預けて
  流れ流れた夜の川 男はもういない


2 酔いどれ女が ルージュを噛めば
  さすらい暮らしの 流れ舟
  まぶたをくだるよ
  消えた男にゃ 未練はないが
  冷たいグラスに故里が 切なく揺れるのさ


3 酔いどれ女の 行き着く先は
  知っちゃいないさ 夜鳴鳥
  ねぐらもないのに
  雨に濡れながら 口ずさむ歌は
  酔いどれ女の流れ歌 巷の風の歌

  酔いどれ女の流れ歌 巷の風の歌



命がけで男に尽くしたのに恋にやぶれて 酒に溺れた女

男はもういない

巷を風のように ながれ流されて

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コートにスミレを

2018-03-03 17:15:53 | みなみらんぼう
コートにスミレを 「みなみらんぼう」


http://blog-imgs-68.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20140830172405584.mp3

まだ肌を刺す北風が 君の髪の毛を
胸の想いを 語るように
乱しては過ぎる
なんて辛い恋の終わりか 言葉も少なく
愛のかけらを 重ね合っても 空しく崩れる
コートにスミレの花ひとつ
さり気なく差して
君は小さな肩をすぼめ 坂を降りて行く

まだ春浅い丘の道 枯れた草を踏んで
風の隙間を 歩いて行こう
さよならを言わず
なんて淋しい恋の終わりか
信じていながら
愛を大事にすればするほど
ふたりは離れる
コートにスミレの花ひとつ
さり気なく差せば
燃えて咲くには早すぎた 紫が淡く

なんて淋しい恋の終わりか
信じていながら
愛を大事にすればするほど
ふたりは離れる
コートにスミレの花ひとつ
さり気なく差せば
燃えて咲くには早すぎた 紫が淡く




花の色は移りにけりな いたづらに
    わが身世にふる ながめせし間に
                    (古今和歌集)

百人一首でおなじみのこの歌を詠んだ小野小町は、平安時代初期に活躍した女流歌人で、紀貫之が古今和歌集で選んだ六歌仙のうち、ただひとりの女性です。
しかも、クレオパトラ、楊貴妃とならび、世界三大美女とも言われ、絵師が絵にも描けないほどの絶世の美女であったらしいです。

もっとも、自分自身を、花にたとえれるほどの美貌をもち、しかも後世に残せる和歌を詠みこむ才能があった小野小町だからこそ、この和歌が説得力をもち、惹かれるわけで、普通は、いつ、花が咲いたかも、分からない人も多いわけで…。

※「北の国から」の純くんのナレーション風に読むこと(笑) 

まあ、しかし、「隣の花は赤い」ということわざもあるので、他人の色鮮やかにして、大輪の、華やかな花を羨むことはやめて…。

 七重八重 花は咲けども山吹の
     実の一つだになきぞ悲しき
                  (後拾遺和歌集)

…と、そうよねぇ、綺麗な花よりも、やはり実をつけることの方が大切よねぇ~、と、開き直る事も大切なわけであり…。
…と、はいうものの…。

 花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき 
                   (林芙美子)

…と、いう一節も、また、ぐっ…とくるかもしれません。(笑)
いずれにしろ、花をやるのも、人をやるのも大変です。(笑)

んで、花のさかりを遠くに見つめつつ、ともかく、やはり、ここは、花も嵐も踏み越えて~♪(旅の夜風「愛染かつら」主題歌)…と、いくべきかもしれません。(笑)

いずれにしろ、移ろう季節の中では、花も…人の心も…、やはり色あせて、散りいくのが定めというものです。

祇園精舎の鐘のこゑ 諸行無常のひびきあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらはす

いつまでも咲きつづけていると思っているあいだに、いつのまにか、大事なものをなくしてしまうものですね。

しかし、なくしたものをいつまでも探してもしかたがありません。
It is no use crying over spilt milk.
(こぼしたミルクを嘆いても仕方がない「覆水盆に返らず」)

お腹を空かせたキツネさんが、あるとき、森で、たわわに実った、美味しそうなひと房のブドウを見つけます。
しかし、そのブドウの房は、高いところにあって、キツネさんは、なんどか、ジャンプしてとろうとするが、届きません。

そして、キツネさんは、こう思って、諦めます。
…あのブドウは、きっと、すっぱくて、まずいんだ…。
イソップ寓話にある「すっぱいブドウ」の話です。
この話から、英語で負け惜しみを、「sour grapes 」といいます。

キツネさんのとった行動は、負け惜しみにすぎなくて、なんの前向きの解決にもなりませんが、少なくとも、いつまでも、悔やんでいてはストレスをためこむことになり、それよりは、ともかく、そう思ってみるのも、ひとつの対処療法としては有効かもしれません。

しかし、まあ、失ったときは、たしかに、もういらないや…と、思うのも、またひとつの真実(ほんとう)のことですね。
しかし…。

I'll never fall in love again. 
        (バート・バカラック(Burt Bacharach))
(もう二度とわたしは恋などしないでしょう。)
…といいつつも…、
Dariling,you love me
…と思い焦がれて…、
I’m just a woman Fall in love
          (恋におちて 小林明子)

花なんて大人に似合わないかな…うん?(゜.゜)
せやったら、大人には何が似合うんやろ?

まっ、ここは大人になって、大人しくしく、酒でもあおって、静かにイビキかいて、寝るが勝ちかも。(笑)



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