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振り向けば

2024-10-10 07:11:00 | 鈴木一平
鈴木一平



振り向いた その顔は 誰を見つめてたのか
風が吹き 後れ毛も どこか行こうとしてた
ときには 思い出し そして時には忘れ
君はもう その髪を 短くしているのか
この空のどこかで あなたが暮らしてる
息を潜めてみれば あの日が戻ってくる
心の中に言葉を 並べてみたけれど
それはすべての様で けれどどれもが違うみたい
                 ・・・・・




マスター、元気にしてる?

今でもカブトムシを育てていますか?

なぜか幼虫からメスしか育たない、残念なマスターをなつかしく思います。

お手紙を書いたのは、何か伝えたいことがあるとか用事があるとかじゃないんです。

ただなんとなく学校の前を通ったらなつかしくなって、思いつくままに書いてみようと思い立っただけなんです。

ふふ。

これだけは言っておきたかったのですが、私はマスターが大好きでした。

これからもマスターらしさを大切に、あと当時本気でやっていたギターの練習は続けて(笑)、いつか幸せになってください。

またいつか会いましょう、では。

P.S. 公園以外のデートコースを開拓しましたか? (笑)




























































































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雨の糸

2024-08-22 00:31:33 | 鈴木一平
雨の糸



夕暮れが空に広がる 人通りまばらな街を
何度も振り返りながら 歩いたことがあった
やるせない心がゆれて やるせない心が泣いた
揺れたのはあきらめる事 泣いたのはいつもの事
そんな私 ばかですか
あいそ笑いに から元気
悲しみの三つどもえ
雨よ降れ しずくの糸に
さよならの 結び目つけて
涙が枯れ果てるまで
思い出を紡いでゆく

恋人と呼べないけれど 恋人と呼ばないけれど
今では一人で二人 演じてる事がある
ひと晩泊まりの愛なら 似合いの言葉を選び
身の上話をしたり ささやき合うのもいい
そんな私 ばかですか
格子模様の胸の中
色あせてゆくばかり
雨よ降れ しずくの糸に
さよならの 結び目つけて
涙が枯れ果てるまで
思い出を紡いでゆく





この曲は、1982(昭和57)年 1月21日に発売されたシングルに収録された楽曲で、B面は「フェリーから見えた町 」でした。

鈴木一平さん、言葉の使い方が巧みですよねぇ。

雨のしずくを「糸」に見立て、「糸」だから結び目が出来、それを紡ぐ、そして、それを「涙」と絡め情景を作ってゆくところなど実に凝ってます。






















































































































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東京

2023-06-24 09:12:29 | 鈴木一平
鈴木一平 「東京」 



夢が通り過ぎる度に
街を出てゆく人たち
心開けてみせてごらん
一度だけ
星も見えない夜だけど
愛を囁いているのか
腕組み歩く恋人たちも
心は泣いていたよ
東京いつも哀しい街さ
だけど陽はまた昇る
不思議な色の街
東京琥珀の空に映る
季節に埋もれながら
眠る街

互い小説を読み終え
街に続きを探せば
生きるドラマが渦巻き
夢を誘う
なにがそんなに悲しいの
ただ俯くばかりで
なにもしてあげられない
空しさ漂う街
東京妖しく踊る街さ
乾いた風に揺れる
真昼の蜃気楼
東京さよなら間に合う街
そして出逢いと別れ
繰り返す
東京いつも哀しい街さ
だけど陽はまた昇る
不思議な色の街
東京琥珀の空に映る
季節に埋もれながら
 眠る街




マスターは学生・社会人として6年ほど東京に住んだことがありますが、住みやすい街だと思ったことは一度たりともありませんでした。(笑)

比べて大阪ですが、大阪在住は12年くらい、期間も東京に比べれば永いわけですが住みやすい街だと何回も実感したことがあります。

何故かと考えてみますと、大阪は街に住む人の8割くらいが生粋の大阪人と関西圏出身者なのに対し、東京はその逆、つまり、他県から上京してきた人、

みんながみんなアウェイだからかも知れません。

だから探り探り、距離感をおいての人間関係になりやすいのかもです。

大阪人は初対面でも、図々しいくらいの親しみで接してくれ、迷惑なこともありますが、それでも人間味が感じられます。

最も、ずいぶん前のことで、今はどうかですが。(笑)










































































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 玄鳥  鈴木一平

2023-03-06 01:51:43 | 鈴木一平
玄鳥~ 鈴木一平





失敗する可能性のあるものは、失敗する。
(If anything can go wrong, it will.)

これは、全米でベストセラーとなり、1993年(平成5年)には、日本でも翻訳されて、ベストセラーになった、「マーフィーの法則 」(Murphy's law )という本の冒頭に出てくる有名な法則です。

この法則、自虐的悲観論を具現化したものと捉えることができますが、その一方で「常に最悪の状況を想定すべし」という観念と捉えることもできます。

愛とは 春の日の花のように美しく、香り高きものであろうか

愛とは 夏の日の太陽のように誇り高く、きらめくものであろうか

この語りもマーフィー流に表現すれば

時を越えて変わらないのが愛だよというときには、ほとんどの愛の場合、賞味期限は切れているとか、時を越えて変わらない愛というのがあれば、その多くは偽善であるか、そうでなければ、慈善だ・・・なんて具合になるのかも知れません。(笑)

「そんなぁ~・・・」って思われる方もおられるかも知れませんが、「うんうん、成る程・・・」って、納得された方がおられたのも事実だと思います。

さらに言いますと、生まれ変わっても愛し合いたい、生まれ変わったら、もう巡り会いたくない、一見、全く違ったかたちの愛のすがたのようにも見えますよね。

しかしここで考えて見てください。

生まれ変わっても愛し合いたいというのは、永遠の愛、理想的な愛ともいえますが、不完全燃焼のまま終わったものという捉え方もできます。

また、生まれ変わったら、もう巡り会いたくないというのは、なにか愛の変節だと捉えることもできますが、完全燃焼したからこそとも、考えることもできるのです。

つまり、マーフィーの法則もその捉え方次第では、全く相反するようなことでも別な真理にもなりうるということです。

「苦しき夢」も「楽しき夢」も、捉え方次第で・・・・・・ネ!



















































































































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黄昏の中で

2022-05-27 01:30:40 | 鈴木一平
黄昏の中で




「黄昏れる」は「黄昏」が動詞化したものです。

「黄昏」は、古くは「誰そ彼(たそかれ)」だったそうで、日が暮れて薄暗くなり、人を見分けることが難しくなる時間に「誰だあれは」という意味の「誰そ彼」とたずねることから、「夕方の薄暗い時」「夕暮れ」を表す言葉となったようです。

そして、江戸時代以降に「たそかれ」は「たそがれ」といわれるようになったとされています。

また「黄昏」は一日の中で、日の盛りが過ぎて日が暮れる時を指し示すことから、比喩的に「人生の盛りが過ぎて衰えがみえてきた頃」のことも例えるようになったようです。

尚、「黄昏(たそがれ)」という漢字は当て字で、本来の読みは「黄昏(こうこん)」であり、「夕暮れ」のことだとか。

ところで、動詞化された「黄昏れる」には「日が暮れて薄暗くなる」「夕方になる」という意味と、「人生の盛りを過ぎて衰える」という意味があるようです。

もっとも、マスターみたいに、人生の盛りを過ぎてはいるが、衰えてはいないよ、って方も多いかもしれません。

しかし、それは当人の思いだけで、第三者から見れば、「やっぱり・・・」。(笑)



































































































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旅  鈴木 一平

2020-05-24 03:46:47 | 鈴木一平
旅~ 鈴木一平





失恋、失業、絶望、鬱・・・

旅のきっかけは必ずしも明るいものとは限りません。

なかには、「自分探し」と言って旅に出る人もいますが、それは正しい表現なのでしょうか。

旅に出て、新しいものに触れ合うことは、非常に刺激的で、たくさんのことに気付きます。

しかし、それだけで自分が大きくなれたと思い込むのは少々危険ですよね。

アメリカに行っただけでバスケは上手くならないし、ブラジルに行ったからといってサンバが踊れるようになるわけではありません。

大切なのは、あちこち旅をした後に、その経験を自分の中に落とし込むことです。

それは決して難しいことではなく、心の中に必ずいる小さな自分と喫茶店で雑談するくらいの気持ちで対話してみるだけでいいのです。

旅で「自分探す」のではなく、「自分と会話するきっかけ」を探すのです。

どんなにもがいても自分から逃げることはできません。

嫌いな自分でも逃げるのをやめて、立ち止まって話を聞いてみませんか。

すると意外と、大切な落し物を届けてくれるかもしれませんよ。

有名な童謡「森のくまさん」のように。















































































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鈴木一平 夕張川

2019-06-24 03:36:44 | 鈴木一平
鈴木一平 夕張川




夕張川は穏やかな流れの川です。

そのため、ボートに乗りながらでも、雄大な景色をゆっくり楽しめますよ。

自然豊かな環境のため、水鳥はもちろん、運がよければエゾシカが川を横断する姿などが見られることもあるとか。









































































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羅針盤  鈴木一平

2018-10-02 08:12:32 | 鈴木一平
「羅針盤」鈴木一平



<内閣改造>半数以上が初入閣 総裁選で首相支持派閥に配慮

読売、日テレ系では、「特徴は2つあって、一つは「安定重視」、そしてもう一つは総裁選挙の「論功行賞」だと。

ただ、主語は国民ではなく「官邸」だとマスターは思っています。

安倍政権、「終わりの始まり内閣」かもしれません。

総裁選では石破氏に善戦を許し、沖縄選では惨敗、唯一頼みの外交でも「他力本願」があからさま、・・・官邸にしか求心力は保てない安倍さんにとって仕方のないことかも。

でも、そんな安倍さんにも救いが一つあります。

それは、国民も含め、誰もが将来世代に関心がないことでしょうか。(笑)

今さえよければ、先なんて・・・

羅針盤を狂わせても、今さえよければ・・・

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鈴木一平 水鏡

2018-06-15 05:08:41 | 鈴木一平
水鏡 鈴木一平





一生一度きりの別れならばいいものを 
人は幾度となく悲しみを繰り返す
手探りの中でふと抱かれるような 
甘い想い出は通り過ぎて行く
振り返ることなく明日だけを見つめながら 
いつか来た道と気付かずに歩いた
そこは幸せと不幸の分かれ道 
悲しみおぼえた出会い道
私だけのあなたにはなってくれるはずがない
心のぬくもりも今は
忘れてみるわ 忘れてみよう
揺れる二人の夢もよう

水に浮かぶ枯葉に目を向けると 
ちょうど今の私同じように見えた
風にうたれ雨にうたれたどる道は 
苦しみおぼえた迷い道
はかない恋のほろにがさを知って 
強がりはよせよと口ずさんでみます
あふれる涙はとめどなく流れて 
とまどう私は闇の中
私だけのあなたにはなってくれるはずがない
心のぬくもりも今は
忘れてみるわ 忘れてみよう
揺れる二人の夢もよう




一生一度きりの別れならばいいものを 人は幾度となく悲しみを繰り返す・・・

さて、旧ソビエト連邦の生理学者、イワン・ペトローヴィチ・パブロフが、犬に対して、ベルを鳴らしてからエサを与える事を繰り返すことにより、犬はベルを鳴らしただけで、唾液を出すようになったというのが、「パブロフの犬」の話しで、条件反射の理論として有名です。

この理論をあてはめると、別れを繰り返しているうちに、別れただけで悲しくなり、悲しむだけで、泣くようになるという条件反射が生じることになります。(笑)

もっとも、これを条件反射とするには、かなり異論があるでしょうね。
涙とよだれをいっしょにするわけにもいかないですし、それくらいのデリカシーは持ち合わせたいものかも知れません。(笑)

しかし、泣くということに関しては、100年以上も前に、生理的、身体的な反応、変化が生じて、それが感情を引き起こすとする、つまりは、「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ。」という、心理学者のジェームズ(William James)と、ランゲ(Carl Lange)が提唱した、いわゆるジェームズ=ランゲ説と呼ばれる有名な古典的心理学説があります。

ある種の感情が生じて、ある種の身体的な反応が起こる、つまりは、悲しいから泣くのであり、楽しいから笑い、恐いから震えるのだという、それまでの経験則的な常識を覆すような学説でした。

これに対して、生理学者のキャノン(Walter Cannon)とバード(Philip Bard)は、脳の中枢で生じた感情が脳の大脳皮質に伝達されて感情を経験し、同時に身体的反応が生じると主張して、いわゆるキャノン=バード説というものを提唱しました。

さらに、大学の心理学の教授であったシェクター(Stanley Shachter)は、ジェームズ説を発展させる形で、大学での学生とのさまざまな心理実験により、生理的な反応とともに、そのことを認知することが、感情を生成する重要な要因であるとした、情動二要因論を展開していきます。

しかし、いずれにしろ、人は何故、別れ・悲しみを繰り返すのかは彼等はけっしてわからないでしょうし、そしておそらくは誰もわからないことだと思います。

あふれる涙はとめどなく流れて とまどう私は闇の中・・・

ともあれ、泣くということがストレス解消になり、涙を流すことが、免疫力を高めて、またうつ病の予防にもなるという医学的な研究もすすんでいることですから、みんなで一緒に泣いたらどうでしょうか。(笑)

まあ、すでに加齢により涙腺が緩んだ方々には、お勧めしなくても、すでに本を読んでは泣き、人の話を聞いては泣き、映画やテレビを見ても、よく泣いていらっしゃるかと思いますが。(笑)

私だけのあなたにはなってくれるはずがない・・・

人は孤独のなかに生まれて、孤独のなかに死ぬという、哲学的なことを意識せずとも、ひとりのときの孤独よりも、ふたりのときの孤独の方が、より孤独の深淵に近しいものだということを、人は出会いと別れの繰り返しの中で、経験的に知っていくものなのですよ。


鈴木一平さん、あまりメジャーな方ではありませんが大好きな歌手です。
フォーク・ニューミュージック系にはなるんでしょうが、曲調は演歌っぽいシンガーソングライターかも・・・。
この曲も同様、歌詞もメロディーもほぼ演歌・・・・・それゆえ、演歌歌手によるcoverも多く、彼の曲の中では最も親しまれている曲です。

















































































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