明治一代女

2017-08-31 04:44:36 | 懐かしのメロディー
藤圭子 明治一代女


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160215160330660.mp3

1 浮いた浮いたと 浜町河岸に
  浮かれ柳の はずかしや
  人目しのんで 小舟を出せば
  すねた夜風が 邪魔をする

   (台詞)
   巳之(みの) さん堪忍して下さい。
   騙(だま)すつもりじゃなかったけど、
   どうしてもあの人と別れられない
   このお梅の気持ち、
   騙したんじゃない、騙したんじゃない…。
   ア、巳之さん、お前さん、何をするの、
   危ない! 危ない! 堪忍して、か……
   ア、巳之さん、巳之さん、
   あたしは大変なことをしてしまった。

2 怨みますまい この世の事は
  仕掛け花火に 似た命
  もえて散る間に 舞台が変わる
  まして女は なおさらに

3 意地も人情も 浮世にゃ勝てぬ
  みんなはかない 水の泡沫(あわ)
  泣いちゃならぬと 言いつつ泣いて
  月にくずれる 影法師



柳橋の芸者叶家お梅(波乃久里子)と人気役者の沢村仙枝(市川春猿)は、将来を誓い合う深い仲だった。
門閥外の出身ながら努力が認められた仙枝は、来る正月に三代目仙之助の襲名披露を控える。愛する仙枝のため、披露に必要な費用を手助けしたいお梅だが……。

人気役者を独り占めにされて快く思わない芸者たちの中でも権勢を誇る秀の家秀吉(水谷八重子)は殊更お梅に嫉妬している。芝居見物の日には、鉢合わせたお梅に向かい仙枝の襲名披露のことで皮肉と冷笑を浴びせる。満座での嘲笑、辱められる女の意地。そんなところへ、お梅を慕う箱屋の巳之吉(佐藤B作)が近づき、お梅に金の工面を申し出る。夫婦になるとの条件つきで……。

愛するが故に、仙枝との恋を諦める決心をするお梅。お梅の心変わりを怒る仙枝。故郷の田畑を売り払い、全てを投げ打って慕い寄る巳之吉。愛と義理の葛藤に苦しむお梅。

そして、浜町河岸の雪の夜……

女の意地が燃えあがる 明治時代の実際に起きた事件を題材に川口松太郎が描き出した新派、珠玉の名作。

柳橋の花柳界を舞台に、人間模様の糸が縺れる――。

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さよならの翼  石川さゆり

2017-08-31 00:31:20 | マスターお薦め曲
さよならの翼  石川さゆり


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201603120339516f7.mp3

蒼く光る滑走路
星に向って飛び立つ
窓の外を見下ろせば
街の灯が遠のく
わたしにすれば若い日
あなたにとれば苦い日
わたしの中の宝石
あなたの中で瓦落多
二人でいる淋しさに耐えられなくて
愛の砂漠越えるさよならの翼

眠る積りで閉じれば
ふいに涙が零れる
シートベルトのサインが
消えて暫くしたあと
わたしにすれば若い日
あなたにとれば苦い日
わたしにとって真実
あなたにしたら誤ち
粉々にしたくないの もうこれ以上
硝子細工の日々 さよならの翼

わたしにすれば若い日
あなたにとれば苦い日
わたしの中の宝石
あなたの中で瓦落多
粉々にしたくないの もうこれ以上
硝子細工の日々 さよならの翼


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故郷の廃家

2017-08-30 15:52:56 | イージーリスニング(easy listening)
Nini Rosso - 故郷の廃家


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今朝の各紙、北朝鮮のミサイル問題一辺倒・・・

容認できない暴挙、日米韓の結束強化、安保理制裁の徹底などの文字が並びます。

マスターもその通りと否定はしませんが、どこか日本だけが突出して「騒ぎ」を大きくしているような違和感も感じます。

そもそも日本、真珠湾への奇襲攻撃をやった国、・・・比べれば、襟裳沖へのミサイル飛行なんて、・・・その程度で右往左往するなんて、どうしたんでしょうね。(笑)

Jアラートはただの気休めかも知れませんが、安倍晋三首相は「発射直後から北朝鮮ミサイルの動きは完全に把握していた。国民の生命と安全を守る万全な態勢を取っている」と語っています。

また、河野太郎外相も「北朝鮮、少しひるんだか」と超強気発言、不安な要素など微塵もないのでは、と思うのですが。(笑)


さて、故郷の廃家・・・アメリカのソングライター、ウィリアム・シェークスピア・ヘイズによって1871年に作られました。

彼は、シェークスピアというミドルネームが気恥ずかしかったらしく、ほとんど使わなかったそうです。

ヘイズは1837年、ケンタッキー州のルーイヴィルで生まれ、1907年、70歳のとき、同地で亡くなっています。
 
生涯に約350曲作りましたが、そのうちわが国でもよく知られているのが、この曲と『冬の星座』(原題は"Mollie Darling")です。

原詞は、

My Dear Old Sunny Home

1. Where the mocking bird sang sweetly
Many years ago,
Where the sweet magnolia blossoms
Grew as white as snow,
There I never thought that sorrow,
Grief nor pain could come,
E'er to crush the joys and pleasures
Of my sunny home.
(Chorus:)
Oh! I'm weeping,
Lonely I must roam.
Must I leave thee,
Dear old sunny home?

2. Flowers withered, roses drooping,
'Round the cottage door,
And the birds that sang so sweetly,
Sing, alas, no more.
Ev'ry thing seems chang'd in Nature,
Since I cross'd the foam,
To return, my poor heart breaking,
To my sunny home.
(Chorus:)

3. Other forms and stranger faces,
All that I can see,
Brings to mem'ry thoughts of loved ones
Who were dear to me.
But my poor heart sinks within me
When I turn to roam,
Far from all I lov'd and cherish'd,
Good bye, sunny home.
(Chorus:)

「モノマネドリが歌い、白木蓮の花が咲いていた家に、海原を越えて久しぶりに戻ってきたら、花は枯れ、鳥は歌わなくなっていた。まわりは知らない人ばかりで、私はまたさすらいの旅に出な

ければならない」といった内容。


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スロー・バラード

2017-08-30 02:38:28 | マスターお薦め曲


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熱い視線 投げていたでしょ 
気付かないと想っていたの あんなに遠いから

迷うように 会話(はなし)したけど 
言葉よりも口にしない 想いだけ読みあってた

海辺のテラスで誰かが弾いてた 
ピアノの響きを急に想い出す

遅いバラードのゆるやかな音符のように 
そうよゆっくりと 知りあえばそれでいい



次の約束 しないままでも 
見えない糸切れないでね 多分また逢えるでしょう

二人でいたって孤独は消えない 
孤独を足しても愛にはならない

いつかバラードの やわらかな和音のように
そうね肩寄せて 生きれたらそれでいい




薬師丸ひろ子さんが登場してから、もうかれこれ40年、デビュー作は1978年の『野性の証明』です。
高倉健さんとの共演でした。
そしてそれ以降は「角川映画」と言えば薬師丸さん薬師丸さんと言えば「角川映画」でした。

ここで、歌手としての彼女が世にリリースした曲をデビュー作からざっと振り返ってみましょう・・・

 「セーラー服と機関銃(夢の途中)」   1981.11.21リリース
  作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお 編曲:星勝

 「探偵物語」              1983.05.25リリース
  作詞:松本隆   作曲:大瀧詠一  編曲:井上鑑

 「メイン・テーマ」           1984.05.16リリース
  作詞:松本隆   作曲:南佳孝   編曲:大村雅朗
 
 「WOMAN”Wの悲劇”より」     1984.10.24リリース  
  作詞:松本隆   作曲:呉田軽穂  編曲:松任谷正隆

こうして見ますと、実に偉大なアーティスト達が彼女に曲を提供してきたのがわかります。
それ自体驚くべきことなのですが、彼女の歌にマスター(ふうちゃん)がインパクトを感じた大きな理由は「声」と「歌い方」の素晴らしさのような気がします。
「声」は、現在で言う「癒し系」でしょうか。
軽くよどみの無い透き通った声の性質は、「財産」と言えるでしょう。
また、そのよい素材をうまく活かしたのが「歌い方」です。
歌唱では基本的なことですが、彼女の場合「母音」の発声方法が自然でとてもよいと思います。

デビューから一連の流れでリリースされた上記の曲の中で、マスターがいちばん好きな曲は、1984年に公開された角川映画『メイン・テーマ』の同名の主題歌・・・ではなく、B面の曲です。
その曲が・・・この曲「スロー・バラード」。

この曲は、『メイン・テーマ』の中でも挿入歌としても使われていました。

曲は、「スローなブギにしてくれ」のヒットの直後、南佳孝さんが作曲しました。
作詞は松本隆さん、編曲は大村雅朗さんです。
キーはDm、ベルのような音のアルペジオでイントロが始まると、もう何とも形容のしがたい切なさが広がってきます。



 
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「あざみの歌」 ニニロッソ

2017-08-30 02:10:01 | イージーリスニング(easy listening)
「あざみの歌」 ニニロッソ


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北ミサイル発射 早朝の警報、飛び起き 道民ら緊張、学校休校

鳴り響くサイレンと「ミサイルが通過したもよう」とのアナウンス。「逃げろと言われても、どこに逃げれば…」。北朝鮮が弾道ミサイルを発射した29日早朝、北海道から関東甲信越までの各地で警報が鳴り、住民は不安を募らせた。上空を通過した北海道では緊張が高まり、新幹線や鉄道も一時運行を見合わせたほか、学校も休校するなど影響は国内に広がった。(産経新聞)

いやぁ~、大変な一日でした。(笑)

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【耳をすましてごらん】本田路津子

2017-08-29 17:10:00 | マスターお薦め曲
【耳をすましてごらん】本田路津子


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1 耳をすましてごらん
  あれは遥かな 海のとどろき
  めぐりあい 見つめあい
  誓いあった あの日から
  生きるの強く ひとりではないから

2 旅を続けてはるか
  ひとり振り向く 遠いふるさと
  想い出に 幸せに
  淋しくないわと 微笑んで
  生きるの強く あの海があるから

3 空を見上げてごらん
  あれは南の 風のささやき
  時は過ぎ 人は去り
  冬の世界を 歩むとも
  生きるの強く あの愛があるから





NHK連続テレビ小説の12作目として、昭和47年(1972)4月3日から1年間放映された『藍より青く』の主題歌です。

『藍より青く』は、山田太一の同名の小説を作者自ら脚本化したもので、主題歌の歌詞も彼が書きました。
 
ドラマは、熊本県天草を舞台に、戦争末期から敗戦後に至る苦難の時代を、明るく、たくましく生き抜いた女性の物語。
  
主題歌を歌ったのは本田路津子さんで、レコードは昭和47年(1972)7月に発売され、『秋でもないのに』に続く2発目のヒットとなりました。

本田路津子さんといい、昭和54年(1979)に『異邦人』を大ヒットさせた久保田早紀さんといい、最盛期を過ぎたと思われるころ、宗教に行っちゃったのはなぜでしょう。

無信仰の俗物としては、神様に焼き餅を焼きたくなります。(笑)


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水色のワルツ

2017-08-29 01:42:23 | マスターお薦め曲
「水色のワルツ」


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1 君に逢ううれしさの 胸に深く
  水色のハンカチを
  ひそめる習慣(ならわし)が
  いつの間にか 身にしみたのよ
  涙のあとをそっと 隠したいのよ

2 月影の細道を 歩きながら
  水色のハンカチに
  包んだささやきが
  いつの間にか 夜露にぬれて
  心の窓をとじて 忍び泣くのよ

  (ハミング)

  心の窓をとじて 忍び泣くのよ




この曲『水色のワルツ』(みずいろのワルツ)は、藤浦洸作詞、高木東六作曲の歌謡曲で、1950年(昭和25年)、二葉あき子が歌っています。

高木東六氏、・・・

現在の鳥取県米子市に正教会の神父(司祭)の子として生まれ、現在の茨城県北茨城市磯原町にて育つ。

幼い頃より音楽教育を受け、1924年に東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)ピアノ科に入学。

しかし1928年に学内の事情で中退を余儀なくされフランスに留学し、パリ音楽院教授アルマン・フェルテにピアノを師事した後、スコラ・カントルムでヴァンサン・ダンディに作曲を学び、またガブリエル・ピエルネからも多くの教示を受けた。

1932年に卒業して帰国、フランス滞在中に知り合った山田耕筰の勧めで作曲家に転向した。

さて、クラシック系の作曲家が歌謡曲を作ると、なるほどこういう流麗な曲になるのかと思わせる歌ですよね。

高木東六氏は、歌謡曲が好きではなく、とくに47抜(よなぬ)きで作られた演歌は「乞食節」だといって嫌っていました。47抜きとは、音階のうちの4番目と7番目、すなわちファとシがない曲で、日本的なメロディの特徴の1つとされています。

彼は、歌謡曲はあまり作りませんでしたが、印税収入の多くをもたらしたのは歌謡曲、とくに『水色ワルツ』だったそうです。後年、彼は「こんなことなら、もっと歌謡曲を作っておけばよかった」と漏らしたという話が伝わっています。

平成18年(2006)8月25日、102歳で大往生。

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悲しきタンゴ ザ・ピーナッツ

2017-08-28 18:20:12 | マスターお薦め曲
悲しきタンゴ ザ・ピーナッツ 1969


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あなたにも私も 窓辺のリラも
今では枯れはて 風にふるえる
心に流れる 悲しい唄は
あなたと踊った ラストタンゴ

泣きながら 泣きながら
ひとりゆれて踊る タンゴ

部屋のかたすみの 小さな椅子も
あなたの帰りを 待っているの

抱きしめて 抱きしめて
私ひとり踊る タンゴ

来る日も来る日も 悲しいだけで
心に花咲く 春は遠い



「謝罪」と「賠償」という言葉があります。
もちろん、このふたつの言葉は、類語でも対語でもなく、まして四字熟語でもなく、おのおのに独立した言葉であって、また違った概念を表す言葉であるわけです。
しかし、近年は、「謝罪と賠償」という組み合わせのフレーズで聞くことが多くなりました。

そして、このフレーズについては、政治的、または外交的な問題に絡んでよく使われることが多いのは、多くの方がご承知のとおりかと思います。

しかし、現在のマスター(ふうちゃん)の知識や見識でこれを語るには、あまりに難しく、ここは基本に立ち返って、もっと身近な話題や考え方を例にあげて、語ってみたいと思います。

まず、謝罪いうのは、自己の非を認めて、罪や過ちを詫びて、相手の許しを請うことです。

そして、もちろん問題なのは、まず、この非を認めて、ということにあります。
つまりは、非を認めるということが、自己に責任があると認めることとされるからです。

そして、謝罪は、相手の許しを請う、ということですから、許しを請う相手から、実際に、許しを得るに足ることをしなければ、謝罪にならない、ということになってきます。
お詫びしました、謝りました、という言葉や態度だけでは済まない、とされる所以です。

次に賠償とは、与えた損害を償うということです。

そして、損害を償うということは、損害を与える以前の状態に戻すことを意味します。
すなわち、損害を与える以前の状態、損害が無かった元の状態に戻す、回復させる、いわゆる原状回復という手法が、本来の賠償の基本となります。

もちろん、損害には、金銭では贖(あがな)えないものがたくさんあります。

生命を奪われたり、身体に障害を加えられたり、健康を損なわれたり、あるいは名誉や尊厳などを傷つけられたり、これらの損害は、いちど傷つけられ、失われたならば、以前の状態に回復することは、不可能または困難に近いものがあります。

そういうことから、これらの損害を、ともかく金銭に換算して、賠償の程度を決めざるを得ませんから、いわゆる金銭賠償が法的な賠償の基本とされるところです。

ところで、いわゆる法的な紛争解決を基本とする訴訟社会においては、謝罪をすれば賠償する責任を認めたことになるとして、容易に謝罪をしてはならないとされています。
そして、このことが、安易に謝ってはいけないという、考え方につながっています。

もちろん、この考え方は、相手の勢いに押されて、無責任に、あとさきを考えずに安易に謝ったりするべきではないという意味では正当であるのですが、これをすべての事案事象に対する金科玉条にしてしまうと、さらに事態をこじらせてしまうことになります。

つまりは、謝罪せよとする相手の主張をよく聞いて、相手が何に不満を持って、何を求めているのかを把握することがなによりも大切なのに、相手の勢いに対抗するために、聞く耳を持たずに釈明だけをして、反論をするばかりで、頑なに謝罪することを拒んだりして、より関係を悪化させることがあります。

身近な例として、商品やサービスに対する苦情を考えてみましょう。

現代社会では、生活を営む上で、どうしても、日常的に、他者の作った商品を購買したり、他者からのサービスを受けたりすることが多くなるのですが、その商品に欠陥があったり、粗雑なサービスがあったりすると、それに対して苦情やクレームをつけることになります。

この場合、購入した店やメーカー、あるいはサービス事業者に、苦情やクレームを申し立てることになりますが、最近は、お問い合わせ窓口、お客様窓口、コールセンターなどを、外部委託化して、専門的に受付させる官公庁や企業なども増えてきています。

これについては、責任の所在を曖昧にし、責任逃れにするだけという批判もありますが、多くの顧客や住民といった相手方からの苦情やクレームについては、業務多忙な現場にいる店員や社員、あるいは職員などが個々に対応するよりも、迅速に対応することができて、また第三者的な立場から、より丁寧な対応ができるというメリットはあります。

もちろん、このような場合でも、商品やサービスにおける明白な欠陥や瑕疵によって、被害、損害が発生したことが争う余地がない場合にはともかくとして、商品の欠陥であるのか、もともとの商品の仕様であるのか、あるいは使い方や、使用方法の誤りによるものではないのか、あるいは、期待され提供されるべきサービスの内容や質、程度がどれくらいなのか、基準が曖昧な場合には難しい問題になります。

ともかく、憤慨し、激昂して、苦情、クレームを申し立て、性急に、謝罪と賠償を求める相手側に対して、それを執拗かつ理不尽な苦情、クレームとして受けとる側では、双方が感情的になりがちであることは、経験的にも理解するところです。

しかし、ここは受け取る側としては、落ち着いて対応する必要があります。

そして、商品を製造したり、販売したり、サービスを提供したりした側としては、相手側が有する商品やサービスへの不満や不快感に対して、その不満や不快感を持たせたことについては、申し訳ありません、ご迷惑をおかけしましたと、素直にお詫びして謝罪するのは、何も賠償責任に直結することではないと思います。

この場合の謝罪は、あくまで商品やサービスに対して、不満や不快感を持たせたことについて、そのこと自体は主観的であれ相手が主張している以上は争えない事実であり、たとえ、不満や不快感が、相手の一方的な思い込みや妄想、あるいは場合によっては、不当な、過大な要求に起因するものであっても、その不満や不快感に対して、お詫びする、謝罪するということは、決して、人として嫌うべきものではないはずです。

決して非そのものを認めるわけでなく、相手が非があると主張すること、することに至ったことに対しては、まずはお詫びして謝罪したあとで、明確にして客観的に、非はないと主張していけば良いのです。

もちろん、謝罪したのは非を認めた、責任を認めたからだろう、だから早くきちんと賠償をしろ、と主張されるおそれも十分にありますから、その点は誤解されないように、何に対しての謝罪か、要点をきちんと押さえておく必要があります。

具体的に言えば、苦情やクレームについて、わざわざ来訪していただいて、あるいはお手紙をいただいて、お忙しい中お電話をいただいて、お手数をおかけしたことについては、申し訳ありません、ご迷惑をおかけしました、と、お詫びします。

あるいは苦情やクレームなどの初期対応した者の説明や対応について、無礼な発言を受けた、横柄な態度を感じた、と主張されるような場合もありますが、無礼な発言と受け取られるようなことを申し上げたことについては、また横柄であるというような印象を与えたことについては、申し訳ありません、失礼をいたしました、と謝罪することもあります。

あくまで、なにに対してのお詫びかを明確に示しながら、真摯にお詫びすることは、紛争を早期に集結させることにもつながり、またのちの紛争を防ぐ意味でも、謝罪は大切なことだと思いますし、またその謝罪というものは、賠償の計算とは無関係であるべきと思います。

そして謝罪は、相手の状況を理解したうえで、相手の受け止め方をおもんぱかってすることこそが重要であり、そしてそれは、相手と同じ気持ちになるという意味の「同情」を踏まえたもので、その気持ちをなぐさめる、慰謝するためにしているのだという目的を意識してしなければ、謝罪は単なる上っ面の言葉だけになってしまいます。

もちろん、その場しのぎの、相手の顔色を伺うだけの謝罪であってはならないことは言うまでもなく、また相手からのともかく誠意を見せろという不当な要求に応じるものであってはならないことは言うまでもなく、まして何らかの他の意図や目的を持って謝罪をするというのはもっての外のことです。

その上で、次に賠償を考えると、賠償とは、自己の側に非があって、故意も含めてその過失ある行為によって、相手に損害を与えたことに対して、責任を認めて、真剣かつ真摯な謝罪に加えて、その損害への償いとして、賠償をするということになるのです。

つまりは賠償とは、心からの謝罪を伴った、償いのひとつの具体化であるはずです。

もちろん、過失ある行為と損害との間に、相当の因果関係が必要であり、また損害に対しての賠償の範囲や程度も相当である必要があります。

相当の因果関係とは、原因と結果に相当の関係があることが必要ということであり、無限に連鎖していく因果関係までを含めないということです。
いわゆる「風が吹けば桶屋が儲かる」というような、あることが原因となって、その影響がめぐりめぐって意外なところに
で及ぶような結果にまでは、含めないということです。

だから、仏教上の思想哲学である因果応報と混同したような、永遠に永続する千年不変の因果関係というものは、存在しえないものであり、また因果応報を借意とするならば、それは業と輪廻により、責任はやがて転嫁されて跳ね返っていくものと言わざるを得ません。

また賠償の範囲や程度も、その損害を補うに足りるものであって、過少であってはならないものの、過大である必要はもちろんなく、また賠償金の多寡だけを持って、償いの意思や気持ちの強弱や大小が測られるものではありません。

ただし、哀しいことに、人は謝罪や賠償についても、自分の価値観から判断します。
価値観とは、何を持って、価値あるものとするかです。

しかし、その価値観とは、その人が生まれた時代や、生まれた場所、育った環境や受けた教育、そして生きてきた境遇によっても、人それぞれの持つ個性によっても、大きく異なるものであり、また周囲の人たちの価値観や意向にも大きく影響を受けるものです。

自分が傷ついたことを許せないのに、人を傷つけることは意に止めない人がいます。
人の過ちは徹底的に責めるのに、自己の過ちは認めようとしない人もいます。

それが哀しいかな、人の世の人の所業であり、なりわいです。

もちろん、罪や過ちについても、軽重があって、ときに、人のいのちに関わるようなもの、人の一生の人生に関わるようなものなど、とりかえしのつかない、かけがえのないものに損害を与えるような重大な罪や過ちがあります。

頭を床につけて土下座しても許されない罪というものがあるのは事実です。
どれぐらい償えば償えきれるのか、それはもちろん計算できるものではなく、またどうしても償いきれるはずもない罪というのもあります。

そして踏んだ足は痛まないけど、踏まれた足はその痛みを忘れられない。
それも事実でしょう。
そして、受けた側からはどんな軽微な罪であっても、主観的には重罪というのも事実です。

しかし、だからといって、なんどもなんども土下座の謝罪を強要し、あるいは、多額の賠償金の償いをもっても許さないことが、果たして、ほんとうに、人としての振る舞いとして、人としての生き方としてどうなのかと、考えてみるのも必要ではないでしょうか。

「謝罪と賠償」という言葉は、非常に重い言葉です。
相手の罪を問い、責任を負わせる、非常に重い重い言葉なのです。
軽々しく、安易にかつ頻繁に、使うべき言葉ではないのです。

しかし一方では、関わってはならない、無視して済ませる、言葉ではないのです。
そのままに、放置して、鎮まるべき言葉でもないのです。

人は一生という、わずかな限られた時間の中で、そして生きていく狭い限られた空間の中で、偶然に出逢えた奇跡の中で、人と接して、そして、人を理解して、人と交流し、やがてそれぞれの生死のはざまに、別れていかなければならない宿命を持っています。

ならば、執拗に反省を求めて、「謝罪と賠償」を要求し続けて、憤怒の恨みを持って一生を終わらせるより、償いを受け入れて、許すということを考えなければなりません。
人の言に左右されるのではなく、自分の意思として持たなければなりません。

許すということは辛いことでしょう。
これまでの自己を否定しなければならないこともあります。

だからといってこれからも続く人生です。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生です。

償いとは、互いの一生を大切にするためのものなのですから。
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吾亦紅

2017-08-28 01:23:32 | マスターお薦め曲
「吾亦紅」 LIVE 研ナオコ


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マッチを擦れば おろしが吹いて
線香がやけに つき難(にく)い
さらさら揺れる 吾亦紅  
ふと あなたの 吐息のようで・・・
盆の休みに 帰れなかった
俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか
あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰
あなたに あなたに 謝りたくて
山裾の秋 ひとり会いにきた
ただ あなたに 謝りたくて・・・ 

小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった・・・
それでも母を 生ききった
俺, あなたが 羨ましいよ・・・
今はいとこが 住んでる家に
昔みたいに 灯がともる
あなたは あなたは 家族も遠く
気強く寂しさを 堪(こら)えた
あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
身にしみていく やっと手が届く
ばか野郎と なじってくれよ

親のことなど気遣う暇に
後で恥じない 自分を生きろ
あなたの あなたの 形見の言葉
守れた試しさえ ないけど
あなたに あなたに 威張ってみたい
来月で俺 離婚するんだよ 
そう, はじめて 自分を生きる
あなたに あなたに 見ていて欲しい
髪に白髪が 混じり始めても
俺, 死ぬまで あなたの子供・・・



作曲家・杉本真人氏が母親を亡くして打ちひしがれているとき、友人の作詞家・ちあき哲也氏が彼の気持ちを詞にし、それに杉本氏が曲をつけ、歌手「すぎもとまさと」としてみずから歌ったのが、この曲、「吾亦紅」。

吾亦紅は山野に自生するバラ科の多年草、・・・地味ながら、毎年しっかり花をつけるその姿に母親の生き方を見たのでしょうか。

また、ちあき氏自身もその数年前に母親を亡くしており、この曲には二人の心情が重なって反映されています。

歌詞には杉本の母に対する思いがストレートに吐出されており、小説でいえば私小説のような作品かもしれません。

平成19年(2007)2月、シングルがリリースされましたが、音楽会社が商業性に乏しいと判断したため、初回発売枚数は258枚にすぎませんでした。

しかし、その1ヶ月後、大きな転機が訪れます。

北海道のSTVラジオでミニライブが収録されたとき、観客・スタッフに感情移入して号泣する人が続出、放送後もリスナーから多くの反響があったといいます。

その年の暮れには、オリコン総合チャートでベスト10入り。さらに、すぎもとまさと氏はその年のNHK紅白歌合戦に、58歳にして初出場を果たしました。

後半の歌詞「・・・あなたに威張ってみたい 来月で俺 離婚するんだよ」がわからないという人がよくいます。

離婚することをなぜ威張るんだ、というのです。

詩・詞は省略や飛躍・誇張・比喩をよく使いますから、字義通り受け取ると納得できない場合があります。

誰しも多かれ少なかれ、思い通りにならない人生を送っています。

この詞の主人公も同じで、ままならないことのなかに結婚生活があったのかも、泥沼化した夫婦関係が生活全般に重い影を落としていたかもしれません。

にもかかわらず踏ん切りがつかず、惰性で日々を送っていたと推測されます。

しかし、彼はついに決心しました。

「あなたには後で恥じない自分を生きろ、と常々いわれていたけれど、やっとけじめをつけて、自分本来の人生を取り戻すことにした。胸を張ってそういえるようになったよ」と、亡き母に報告しているのです。

これが「威張ってみたい」という言葉として表現されているわけです。

子どもは白髪やはげ、シワだらけの老人になっても、母親の、そしてもちろん父親の子どもです。

親が亡くなった後でも、苦しいとき、悲しいとき、心のなかで助けを求めるのは、いつも親ではないでしょうか。

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藤田絵美子 さよならさざんか

2017-08-27 09:50:32 | 歌謡曲・J-POP
藤田絵美子 さよならさざんか


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201604170316274a1.mp3

ふりむくなふりむくなと言う人が
何度もふりむくふりかえる
さよならさざんか坂の町
小雪のように花びらが
こぼれて散って泣けました
ああ~~泣けました

忘れなよ忘れなよと言う人の
悲しい心は忘れない
さよならさざんか坂の町
恋しくたって逢わないと
誓った指が痛みます
ああ~~痛みます

もう泣くなもう泣くなと言う人が
夕日に泣いてる影法師
さよならさざんか坂の町
あの町角を曲がったら
あなたの胸にかえれない
ああ~~かえれない



必殺ソングにしては珍しく3コーラス構成。

ちなみに『さよならさざんか』を歌う藤田絵美子は、言わずと知れた藤田まことの実娘、仕事人V当時は中学2年生でした。

若くして、サビの「ああああー」を完璧に歌いこなしてしまった絵美子嬢に脱帽。

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れくいえむ/南こうせつ

2017-08-27 03:32:51 | 南こうせつ
れくいえむ/南こうせつ


http://blog-imgs-75.fc2.com/t/o/s/toshiichi/_sm9538115_-_from_Nico_via_Offliberty.mp3

さくら草の鉢を抱えて
その人がもう来る頃
僕は庭で君の写真を
陽炎で燃やしてた
二十歳の恋
二十歳の君
時間の止まった想い出が
青い空を焦がしてく
生きていたら
君はきっと悲しむだろう
君に捧げるれくいえむ
許してほしいと口ごもる

裏木戸から顔をのぞかせ
その人の弾んだ声
炎の中君の笑顔が
燃え尽きる前に揺れた
二十歳の春
二十歳の君
季節は巡って春風が
今も僕を悩ませる
生きていたら
君は何て笑うだろうか
君に捧げるれくいえむ
忘れることなどないだろう
二十歳の人
二十歳の君
若さの息吹をその人に
託したあと舞い上がる
今、火の粉となって
空に昇ってゆくよ
君に捧げるれくいえむ
これが最後になるだろう



森羅万象、あらゆる物や事象にはピークがあります。

私見になりますが、マスターは時代で言えば「江戸時代中期」、戦後で言えば「高度成長期」、歌で言うと「昭和」が我が国のピークだったと思っています。

人生で言うと、やはり二十歳の頃でしょうか。(笑)

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憧れのハワイ航路

2017-08-26 20:21:52 | 歌のない歌謡曲
歌のない歌謡演歌   憧れのハワイ航路


晴れた空 そよぐ風
港 出船の ドラの音(ね)愉(たの)し
別れテープを 笑顔で切れば
希望はてない 遥(はる)かな潮路
ああ 憧(あこが)れの ハワイ航路

波の背を バラ色に
染めて真赤な 夕陽が沈む
一人デッキで ウクレレ弾けば
歌もなつかし あのアロハオエ
ああ 憧れの ハワイ航路

とこ夏の 黄金月(こがねづき)
夜のキャビンの 小窓を照らす
夢も通うよ あのホノルルの
椰子(やし)の並木路(なみきじ) ホワイトホテル
ああ 憧れの ハワイ航路



戦後の巷に明るさを届けた曲といえば「リンゴの歌」であり「東京ブギウギ」そして「憧れのハワイ航路」です。

♪はーれたそらー、そーよぐかぜー……、敗戦国日本にとって忘れ難い地ハワイをテーマに、苦しみと飢えの中で人々はハワイを憧憬の対象としたのだと思われます。

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桑港のチャイナタウン 木村好夫

2017-08-26 05:30:36 | 歌のない歌謡曲
歌のない歌謡演歌 桑港のチャイナタウン 木村好夫


桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン
夜霧に濡れて
夢紅く誰(たれ)を待つ 柳の小窓
泣いている 泣いている おぼろな瞳
花やさし 霧の街
チャイナタウンの恋の夜

桑港のチャイナタウン
ランタン燃えて
泪顔ほつれ髪 翡翠の篭よ
忘らりょか 忘らりょか 蘭麝(らんじゃ)のかおり
君やさし 夢の街
チャイナタウンの恋の夜

桑港のチャイナタウン
黄金門(きんもん)湾の
君と見る白い船 旅路は遠い
懐しや 懐しや 故郷の夢よ
月やさし 丘の街
チャイナタウンの恋の夜



1950年11月に発売された渡辺はま子さんのシングル「桑港のチャイナタウン」・・・

ちなみに、桑港(サンフランシスコ)は、米国カリフォルニア州中部にある港湾都市で、半島の先端にあり、ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)、ベイブリッジがかかっています。

1848年のゴールドラッシュで急激に発展、米国最大級のチャイナタウンがあります。

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上海の花売り娘 木村好夫

2017-08-26 04:36:28 | 歌のない歌謡曲
歌のない歌謡演歌 上海の花売り娘 木村好夫


紅いランタン 仄かにゆれる
宵の上海 花売り娘
誰のかたみか 可愛いい耳輪
じっと見つめりゃ 優しい瞳
ああ上海の 花売り娘

霧の夕べも 小雨の宵も
港上海 花売り娘
白い花篭 ピンクのリボン
襦子も懐かし 黄色の小靴
ああ上海の 花売り娘

星も胡弓も 琥珀の酒も
夢の上海 花売り娘
パイプくわえた マドロス達の
ふかす煙りの 消えゆく影に
ああ上海の 花売り娘



太平洋戦争終結後、彼のリーゼントスタイルの髪型と明るくビブラートのかかった歌声は、平和の到来や開放感に充ちた時代とマッチしたのでしょうか、「東京の花売娘」「啼くな小鳩よ」「憧れのハワイ航路」など相次いで大ヒットをとばした岡 晴夫さん。

昭和20年代を代表するスター歌手として、近江俊郎・田端義夫さんらとともに「戦後三羽烏」と呼ばれました。

そんな彼が歌った最初のヒット曲がこの曲です。

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雨のオランダ坂 木村好夫

2017-08-26 04:16:39 | 歌のない歌謡曲
歌のない歌謡演歌 雨のオランダ坂 木村好夫


1 こぬか雨ふる 港の町の
  青いガス灯の オランダ坂で
  泣いて別れた マドロスさんは
  しまのジャケツに オイルのコート
  けむにむせてか 泣いていた
  泣いていた

2 雨のふる日の 日ぐれの頃に
  思い出します オランダ坂を
  遠いあの日を わすれもせずに
  ぬれて歩けば 出船の汽笛
  港こいしと 泣いている
  泣いている

3 異人屋敷の 窓の灯りで
  ぬれてさまよう マドロスさんを
  恋しい人かと のぞいて見れば
  遠いお国の 見知らぬお人
  オランダ坂の 雨の日よ
  雨の日よ



昭和22年(1947)の松竹映画『地獄の顔』の主題歌。
もとは菊田一夫作の新国劇『長崎』(初演は昭和21年)の劇中歌として作られたもので、カフェの女たちが歌う場面で使われました。

ちなみに、「マドロス」はオランダ語のmatroosが語源で、水夫とか船員を意味します。昭和30年代半ばごろまでは、『ひばりのマドロスさん』など、歌謡曲によく出てきましたが、その後はさっぱり見かけなくなりました。一般の言葉としても、死語に近いといってよいかもしれません。

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