銀の雨

2024-06-25 07:56:14 | 松山千春
松山千春




貴方と暮らした わずかな時間
通り過ぎれば 楽しかったわ
これ以上私が そばに居たなら
あなたがだめに なってしまうのね
いつの間にか 降りだした雨
窓の外は 銀の雨が降る

貴方のそばで 貴方のために
暮らせただけで 幸せだけど
せめて貴方の さびしさ少し
わかってあげれば 良かったのに
貴方がくれた 思い出だけが
ひとつふたつ 銀の雨の中

ごめんと私に いってくれたのは
貴方の最後の やさしさですね
いいのよ貴方に ついて来たのは
みんな私の わがままだから
貴方の夢が かなう様に
祈る心に 銀の雨が降る

銀の雨が降る
銀の雨が降る




さて、ここに出てくる女性と、おなじく松山千春さんの「恋」に出てくる女性とを対比してみると、結構、興味深いです。

「恋」の女性が、「貴方になんかつまづかないわ」と本音を吐露しているのに比べて、「銀の雨」の女性は、「貴方の夢がかなうように」と本音よりも

建前を優先しているのが分かります。

「恋」の女性は、素直…、そして「銀の雨」の女性は、けな気。

そう言えるかもしれません。

しかし、いずれにしろ、さよならを言われたのは、男性の方だというのは、共通しています。(笑)

通り過ぎれば…楽しかった…。

喉元過ぎれば熱さを忘れる…熱いものでも、飲みこんでしまえばその熱さを忘れてしまうように、苦しい事も、過ぎてしまえば忘れてしまう…という、

この例えと同じように、文字通り、煮え湯を飲まされるような、辛く、苦しいことでさえ、通り過ぎてしまえば、楽しく思えるもの…っ、かなっ?(笑)

恋人たちが、いつでも一緒にいたいと思って、暮らした始めた当座の間はともかくも、しばらくすると、惰性に流されて、側にいることすら煩わしくなることも、

また恋のひとつの方程式です。

そして、苦渋の選択、別れの意を決心して、ふと、振り返ってみれば、楽しいことばかりが走馬灯のように思い出されます。

…ということは、少しも楽しくないと思うときこそが、振り返ってみれば、楽しいときだったと、思えるのものかも…。

かなり、意味深長な言葉です。(笑)

そばにいて、この人のためなら…などと思う反面、ほんとうに、二人このままでいいのかなどと、自問と反問を繰り返しながら、ふと、だめになっていく

相手の姿に気がつく…。

そして、そのだめにしているのが、ひょっとして…。

人は孤独に生まれて、孤独に死ぬという、哲学的なことを意識せずとも、ひとりのときの孤独よりも、ふたりのときの孤独の方が、より孤独の深淵に

近しいものだということを、人は出会いと別れの繰り返しの中で、経験的に知っていくものです。

そして、また、理解しようとすることは大切でも、理解しようとする努力だけで、理解できるとは限らないことも知るのです。

百の言訳よりも、一つの謝罪…、最近の殺伐とした人間関係の中で、もっとも懸念するのは、こういったやさしさを持ち合わせていない人が

増えてきているのでは、と思うことです。

ごめんという、心からの素直な言葉や態度が、その傷つけたものに対する癒しとなり、償いになるという、単純で当たり前の事に、なぜ気がつかないのでしょうか。

別れのシーンに、いつのまにか降りだした雨…。

細く…、細く、そして鈍く輝きながら、降りそそぐ雨…。

その雨に、想い出を重ね、そして、祈りを重ねる「銀の雨」…。






































































































































































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