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江の島悲歌(エレジー)

2025-08-28 04:25:17 | 懐かしのメロディー
菅原都々子  



森昌子  



天童よしみ


 恋の片瀬の 浜千鳥
泣けば未練の ますものを
今宵嘆きの 桟橋の
月にくずれる わが影よ

哀れ夢なき 青春を
海の暗さに 散らす夜
君は遙るけき 相模灘
漁(いさ)り灯よりも 遠き人

さらば情けの 江の島の
みどり哀しき わが恋よ
南風(はえ)の汐路の 流れ藻に
明日は真白き 花と咲け




昭和26年(1951)5月、テイチクから発売されたこの曲、同年6月1日公開の大映映画『江の島悲歌(エレジー)』(小石栄一監督)の主題歌で、

菅原都々子さんのヒット曲の1つです。
 
この映画には、もう1つ主題歌があり、この歌と同じ大高ひさを作詞、倉若晴生作編曲による『片瀬夜曲』で、眞木不二夫が歌いました。
 
「江の島悲歌」が女性の恋情を歌っているのに対して、「片瀬夜曲」は男性の立場から歌った曲で、いわばアンサー・ソング。

歌詞も曲も映画のテーマに合ったいい作品でしたが、「江の島悲歌」ほどにはヒットしませんでした。

ところで、江の島ですが、湘南海岸の最東端三浦半島の北限に位置し、相模湾へと突き出ています。

古くからの景勝地であり、神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地でもあります。

交通機関の駅名などでは江ノ島と表記することも多いですが、町名や公文書等では「江の島」と表記します。

古くは江島神社(日本三大弁天の一つ)に代表されるように「江島」と表記されていたこともあったとか。








































































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ゲイシャ・ワルツ 

2025-08-04 16:48:54 | 懐かしのメロディー
八代亜紀


 大川栄策




あなたのリードで 島田もゆれる
チーク・ダンスの なやましさ
みだれる裾も はずかしうれし
芸者ワルツは 思いでワルツ

空には三日月 お座敷帰り
恋に重たい 舞い扇
逢わなきゃよかった 今夜のあなた
これが苦労の はじめでしょうか

あなたのお顔を 見たうれしさに
呑んだら酔ったわ 踊ったわ
今夜はせめて 介抱してね
どうせ一緒にゃ くらせぬ身体

気強くあきらめ 帰した夜は
更けて涙の 通り雨
遠く泣いてる 新内流し
 恋の辛さが 身にしみるのよ





昭和25年(1950)6月25日、突如朝鮮の38度線に戦火があがりました。

北九州や立川、厚木の米軍基地から連日戦闘機が飛び立ち、文字通りわが国は米軍の前線基地となっていったのです。

一方、朝鮮戦争は、不景気で行き詰まった日本の産業界に特需景気をもたらし、当然のことながらその余波は花柳界をも潤す結果をもたらしました。

「トンコ節」(昭和26年)の大流行に始まり、「ヤットン節」(同年)「こんな私じゃなかったに」(昭和27年)などの、いわゆるお座敷ソングは、

神楽坂はん子さんのこの曲「ゲイシャワルツ」の大ヒットによってますます広がっていったのでした。




神楽坂はん子































































































































































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燃えよドラゴンズ!

2025-08-03 15:58:40 | 懐かしのメロディー
板東英二  


遠い夜空にこだまする
竜の叫びを耳にして
中日球場つめかけた
僕らをじいんとしびれさす
いいぞがんばれドラゴンズ
燃えよドラゴンズ・・・

 (以後は年度バージョンで変わります)




2025年の「夏の高校野球」、いよいよ明後日8月5日から始まります。

甲子園春夏連覇を目指す横浜(神奈川)は、大会第3日・第1試合で敦賀気比(福井)と対戦。

春・準優勝の智弁和歌山(和歌山)は、大会第4日・第1試合で花巻東(岩手)と、ともに強豪校対決が決まりました。 

高校野球と言えば、板東英二さん。

第40回全国高校野球選手権大会準々決勝「徳島商―魚津」戦の延長18回引き分け再試合。

この大会で徳島商の板東英二投手は6試合登板、奪三振83個を記録しました。

ちなみに、一大会での 奪三振記録は

1位 板東英二(徳島商)
第40回大会:83奪三振/63回

2位 斎藤佑樹(早稲田実)
第88回大会:78奪三振/69回

3位 松井裕樹(桐光学園)
第94回大会:68奪三振/36回






















































































































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若い明日

2025-07-30 02:17:47 | 懐かしのメロディー
北原謙二



赤い野の花 あの娘と摘めば
空でつばめが 宙返り 宙返り
幼馴染みの 初恋は
好きと言えない まだつぼみ
若い明日の 若い明日の 風に咲け

たまらないほど いとしいけれど
肩も抱けない もどかしさ もどかしさ
じっとだまって 見つめたら
頬が燃えてる お下げ髪
若い明日の 若い明日の 恋人さ

どんな時でも 悲しみなんか
僕は知らない 持ってない 持ってない
いつも二人で しあわせの
星をこゝろに 呼びながら
若い明日の 若い明日の 夢を見る




幼馴染みの初恋に託した青春讃歌。

「赤い野の花あの娘と摘めば/空でつばめが宙返り」、なんとものどかな牧歌的自然のなかの初恋です。

いかにも清純、「まだつぼみ」なのですね。


北原謙二さん・・・

大阪府出身。

ジャズ喫茶で歌っていた事が縁で、鈴木英治とブルー・カウボーイズのメンバーとして上京、その後日本コロムビアのディレクターにスカウトされ、1961年(昭和36年)

歌手としてデビュー。

NHK紅白歌合戦に2回出場しています。

1991年(平成3年)3月に高血圧症脳内出血で倒れましたが、左半身麻痺と闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰します。

その後は全国各地の福祉施設への慰問活動などを積極的に行っていましたが、2005(平成17)年1月26日午後10時1分、虚血性心疾患のため都内の病院で亡くなられました。
















































































































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おばこマドロス

2025-07-27 00:54:32 | 懐かしのメロディー
藤 圭子




赤いジャケツに 潮かぜうけて
さらば港よ かもめよアバヨ
胸をそらして またくるときにゃ
おばこ船長でよー 逢いにくる

金のモールの 帽子を振って
若い仲間よ 元気でアバヨ
海のみやげを 待ってておくれ
おばこマドロスよー 年の頃

縞のマフラーを 横ちょに結び
歌も追分 さよならアバヨ
月のデッキで ふるさと偲び
 おばこマドロスよー 波まかせ 





1955年(昭和30年)、11月発売の「おばこマドロス」・・・

吉川静夫作詞、吉田正作曲で歌ったのは野村 雪子さん。


野村 雪子

 
ちなみに、「おばこ」とは、東北地方の方言で、少女や娘、あるいは、跡取り以外の娘、未婚の女性や妹を意味するのだそうです。




























































































































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サーカスの唄

2025-07-26 07:18:04 | 懐かしのメロディー
石原裕次郎


大川栄策


森昌子


旅の燕 寂しかないか
おれもさみしい サーカスぐらし
とんぼがえりで 今年もくれて
知らぬ他国の 花を見た

あの娘住む町 恋しい町を
遠くはなれて テントで暮らしゃ
月も冴えます こころも冴える
馬の寝息で ねむられぬ

朝は朝霧 夕べは夜霧
泣いちゃいけない クラリオネット
ながれながれる 浮藻の花は
明日も咲きましょ あの町で





昭和8年(1933)3月28日、東京・芝浦で開かれた「万国婦人子供博覧会」を記念して、ドイツのハーゲンベック・サーカスが来日しました。

団員総勢約150人、動物182頭。日本人が初めて見る本格的なサーカスでした。

東京のあと、名古屋、神戸、福岡など日本の主要都市で公演、どこでも大入り満員の大成功を収めます。

動物を使うサーカスは、それまで曲馬団と呼ばれていましたが、これを機にサーカスという言葉が使われるようになったそうです。

このサーカスの宣伝のために作られたのが、この曲『サーカスの唄』。

この歌は、古賀政男の快調なメロディと西條八十のしゃれたフレーズによって大ヒットし、ハーゲンベック・サーカスが帰ったあとも、ジンタとして

長く使われました。





















































































































































 


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古城

2025-07-11 04:01:52 | 懐かしのメロディー
三橋美智也



島津亜矢



松風騒ぐ 丘の上
古城よ独り 何偲ぶ
栄華の夢を 胸に追い
ああ 仰げば佗し 天守閣

崩れしままの 石垣に
哀れを誘う 病葉(わくらば)や
矢弾(やだま)のあとの ここかしこ
ああ 往古(むかし)を語る 大手門

甍(いらか)は青く 苔むして
古城よ独り 何偲ぶ
たたずみおれば 身にしみて
ああ 空行く雁の 声悲し


三橋美智也、最大のヒット曲「古城」・・・

ところで、「城」と言えば「殿様」、「殿様」と言えば「権力者」。

まぁ、「権力」というのは魔物のようなもの、しがみつく恐れのほうが高いかもしれません。(笑)

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり

この格言は、武田家の戦略・戦術を記した軍学書「甲陽軍鑑」(こうようぐんかん)のなかで、「ある人が信玄公の御歌として言う」として紹介されている一節です。

意味合いとしては、人心こそ強固な城以上の価値があり、城があっても人の心が離れてしまえば何もならないということ。

人に情をもって接することこそ国の守りの要であり、人に恨みや害意をもって接してはならないという教訓です。

石破総理、この「古城」でも聞かれて、先人の思いに耳を傾けてはいかがでしょうか。

最も、それが出来るくらいの人物だったら、もっと、良い政治をやってますかぁ。(笑)































































































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赤いランプの終列車

2025-07-09 01:11:00 | 懐かしのメロディー
春日八郎  



白い夜霧の灯りに濡れて
別れ切ないプラットホーム
ベルが鳴る ベルが鳴る
さらばと告げて手を振る君は
赤いランプの終列車

涙かくして 微笑み合(お)うて
窓に残した心の温(ぬく)み
あの人は あの人は
いつまた逢える旅路の人か
赤いランプの終列車

遠い汽笛に うすれる影に
一人たたずむプラットホーム
さようなら さようなら
瞼の奥に哀しく消える
 赤いランプの終列車




春日八郎さんは大正13年(1924)、福島県会津に生まれ、敗戦後間もないころ、歌手を目指して上京しました。
 
昭和27年(1952)のデビュー作、この曲「赤いランプの終列車」が大ヒット、以後「お富さん」「別れの一本杉」「あん時ゃどしゃ降り」「長崎の女」と

立て続けに大ヒットを放ちました。

暗い照明のプラットフォームで別れを告げる。あの人が乗った列車はゆっくり走り出し、終列車を示す最後尾の赤いランプがしだいに遠ざかっていく。

このイメージは、現代ではほとんど理解されないかもしれません。

ホームは昼間のように明るく、新幹線はあっという間に視界から消えてしまうので、その場にたたずむこともなく帰宅する、というのが現実でしょう。

もう、駅での別れの情趣はなくなってしまいました。

















































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お富さん

2025-07-03 04:26:43 | 懐かしのメロディー
春日八郎



青江三奈



1 粋な黒塀 見越しの松に
  仇な姿の 洗い髪
  死んだ筈だよ お富さん
  生きていたとは お釈迦様でも
  知らぬ仏の お富さん
  エーサオー 玄冶店(げんやだな)

2 過ぎた昔を 恨むじゃないが
  風もしみるよ 傷の跡
  久しぶりだな お富さん
  今じゃよび名も 切られの与三(よさ)よ
  これで一分じゃ お富さん
  エーサオー すまされめえ

3 かけちゃいけない 他人の花に
  情けかけたが 身のさだめ
  愚痴はよそうぜ お富さん
  せめて今夜は さしつさされつ
  飲んで明かそよ お富さん
  エーサオー 茶わん酒

4 逢えばなつかし 語るも夢さ
  だれが弾くやら 明烏(あけがらす)
  ついて来る気か お富さん
  命短く 渡る浮世は
  雨もつらいぜ お富さん
  エーサオー 地獄雨







発売されてから半年あまりは、歌謡曲といえば日本中この歌一色でした。

各地の祭礼は勿論、町場では街頭スピーカーから、ラジオの歌番組では必ずこの歌が。
 
大人は勿論、歌謡曲は歌ってはいけないといわれた小中学生たちも歌い、やっと言葉を覚えたかと思われる幼児さえも、

「ちんだはずだよ、おとみしゃん」などと口ずさむ始末。
 
レコードの売り上げ枚数では、この歌を上回る曲はいくつもありますが、"社会現象”とまでいわれた曲は、少なくとも戦後ではこの歌ぐらいだっように思います。
 
新人だった春日八郎は、この1曲でスターダムにのし上がりました。
 
この大成功の一因は、作曲者がブギを基礎としたリズムを取り入れたことでしょう。

ブギはシャッフルまたはスイングのリズム形式を反復させるのが特徴です。
 
シャッフルまたはスイングは、長めの音符と短めの音符を組み合わせるリズム形式。

この組み合わせを繰り返すと、波のようにうねる感覚や弾む感覚、いわゆるスイング感が感じられるようになります。
 
ところで、この曲の大ヒットの主因は、歌舞伎の大名題(おおなだい)「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし」をテーマにするという

新機軸ではないでしょうか。

よく知られた演目ですが、粗筋を簡単に記しておきましょうか。
 
遊蕩に身を持ち崩した江戸の大店の息子・与三郎は、木更津の親戚に預けられます。

そこでお富と知り合い、深い仲になりますが、お富はやくざの親分・赤間源左衛門の妾でした。
 
2人の関係を知った源左衛門とその子分たちによって与三郎は滅多斬りにされたうえ簀巻にされます。

お富は逃げ出したものの、子分の1人に追い詰められて海に身を投じますが、和泉屋の大番頭・多左衛門に助けられ、その囲い者になります。
 
3年後、かろうじて助かった与三郎は、全身の切り傷を売り物にしてゆすり・たかりをするごろつきになっています。

その与三郎が、仲間の蝙蝠安に連れられてたかりに訪れたのが多左衛門の妾宅で、そこで死んだと思っていたお富と再会するわけです。

これが3幕目の「源氏店(げんやだな)妾宅の場」で、「お富さん」はこの場面を謳っています。
 
その後、何やかやとあって、4幕目では与三郎は捕縛されて島流しに処せられます。

島抜けした与三郎は父親とそれとなく会い、さらに赤間源左衛門とも再会します。

大詰めでは旧知の観音久次の自己犠牲によって傷痕が消えて大団円となります。
 
おもしろいのは、この話が実話に基づいているということです。

与三郎のモデルは木更津の紺屋の次男・中村大吉。

お富のモデルはやくざの親分・山本源太左衛門の妾・きち。

情事がばれると、大吉は滅多斬りにされて海に投げ込まれますが、運よく漁師に助けられ、きちは江戸に売りとばされます。
 
江戸に出た大吉は、自慢の喉を活かして精進を重ね、やがて長唄の名門・芳村伊三郎の名を継いで4代目となります。
 
あるとき、顔から体に至る無数の切り傷のわけを、8代目市川團十郎に尋ねられます。

伊三郎がかくかくしかじかと語った話が講談になり、さらに鶴屋南北門下の3代目瀬川如皐(せがわ・じょこう)によって舞台化されます。
 
その初演は嘉永6年(1853年)5月で、8代目市川團十郎が与三郎、4代目尾上梅幸がお富を演じました。
 
ちなみに、歌詞の1番に出てくる玄冶店は、日本橋界隈を指した江戸時代の通称で、江戸初期にその地区に屋敷を構えていた

幕府のお抱え医師・岡本玄冶の名前に由来するといわれています。
 
玄冶店が歌舞伎では源氏店と表記され、場所も鎌倉に変わっているのは、当時江戸を舞台にした芝居はご法度だったからだとか。

































































































































































 

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夜霧のブルース

2025-06-26 05:15:00 | 懐かしのメロディー
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド



青い夜霧に灯影(ほかげ)が赤い
どうせおいらは独り者
夢の四馬路(スマロ)か ホンキュの街か
ああ 波の音にも血が騒ぐ

可愛いあの子が夜霧の中へ
投げた涙のリラの花
何も言わぬが 笑ってみせる
ああ これが男というものさ

花のホールで踊っちゃいても
春を持たないエトランゼ
男同士の相合傘で
ああ 嵐呼ぶよな夜が更ける





この曲は、1947年に公開された水島道太郎主演映画『地獄の顔』(松竹)の主題歌として制作され、ディック・ミネさんが歌っていました。

映画は大曾根辰夫監督で、水島道太郎、木暮実千代、月丘夢路、月丘千秋などが出演しています。

内容は、簡単にいうと、上海でギャングだった男が、彼を悪の道に引き戻そうとする元の仲間と戦う、といった物語。
 
この映画では、「夜霧のブルース」のほかに、「長崎エレジー」「夜更けの街」「雨のオランダ坂」と計4つの挿入歌が作られ、いずれもヒットしました。
 
ちなみに、四馬路(スマロ)は戦前の上海にあった歓楽街、虹口(ホンキュ)は川を挟んでその対岸にあった日本人街でした。























































































































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旅姿三人男

2025-06-23 02:21:17 | 懐かしのメロディー
藤圭子



清水港の 名物は
お茶の香りと 男伊達
見たか聞いたか あの啖呵
粋な小政の 粋な小政の旅姿

富士の高嶺の 白雪が
解けて流れる 真清水で
男磨いた 勇み肌
なんで大政 なんで大政国を売る

腕と度胸じゃ 負けないが
人情からめば ついほろり
見えぬ片眼に 出る涙
森の石松 森の石松よい男






昭和14年(1939)にテイチクから発売されています。

幕末から明治にかけて、"海道一の大親分"と謳われた清水の次郎長の子分のなかでも、とりわけ人気のあった3人をテーマとした股旅演歌。

ジャズ・ブルースなど洋楽系を得意としたディック・ミネの歯切れのよい、小粋な歌唱が大ヒットにつながりました。


ディック・ミネ

 
清水の次郎長の元の名前は高木長五郎。

子どものなかった母方の叔父・山本次郎八の養子になったため、山本長五郎が本名になりました。

「次郎八のところの長五郎」から次郎長と呼ばれるようになったといわれています。

子どものころ、マスターはいろいろ覚えるのがおもしろくて、真田十勇士、水滸伝の108人の統領たち、清水二十八人衆の名前などを暗記したりしたものです。

しかし、年を経た今ではもう主だったキャラクターの名前しか出てきません。(笑)



































































































































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リンゴ村から

2025-03-01 06:47:24 | 懐かしのメロディー
藤圭子



おぼえているかい 故郷の村を
たよりもとだえて 幾年過ぎた
都へ積み出す まっかなリンゴ
見る度辛いよ 俺らのナ 俺らの胸が

おぼえているかい 別れたあの夜
泣き泣き走った 小雨のホーム
上りの夜汽車の にじんだ汽笛
せつなく揺するよ 俺らのナ 俺らの胸を

おぼえているかい 子供の頃に
二人で遊んだ あの山小川
昔とちっとも 変っちゃいない
帰っておくれよ 俺らのナ 俺らの胸に






オリジナルは昭和31年(1956)5月発売された三橋美智也さんのシングルです。



三橋美智也



 
当時は、故郷に残してきた家族や恋人を偲ぶ歌が続けざまに出ています。

それだけ故郷が遠くて、なかなか帰れない距離感があったからだと思います。

リンゴ、・・・春に花が咲き、秋に実が、季節の移動にも距離感が・・・

ところで、三橋美智也さん。

昭和が生んだ2大スターの1人ですよね。

もう1人は勿論、美空ひばりさん。

しかし、子供のころから人気していたひばりさんに比べて、美智也さんは25歳から。

そういう意味では、美智也さんが東の横綱かも知れません。

確かに、歌手としてのデビュー当時の美智也さんは遥かにひばりさんを圧倒してましたよね。

男性歌手には珍しい高音の魅力、・・・大好きでした。






































































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人生劇場

2025-02-13 08:08:58 | 懐かしのメロディー
村田英雄



石原裕次郎


やると思えば どこまでやるさ
それが男の魂じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨

あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
わかるものかと あきらめた

時世時節は 変わろとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界







早稲田の杜が芽生く頃、花の香りは沈丁花(ちんちょうげ)、人生意気に感じたら、びくともするなと銅像が、ビクともせずに風に立つ。

崩れかかった築山は、江戸の昔の高田富士、町を見下ろす天辺で、意気に感じた若者が、夕日に向かって吼えていた。

春と一緒に青春の、波がドンドン押し寄せて、男子(おのこ)ばかりか女子(おなご)まで、杜の宴に酔いしれる。



この曲は、尾崎士郎の同名の小説を下敷きにして作られた歌で、昭和13年(1938)発表されました。

作詞:佐藤 惣之助、作曲:古賀 政男。

小説は、昭和8年(1933)から足かけ11年間、『都新聞』『東京新聞』に連載されたもので、『青春篇』『愛慾篇』『残侠篇』『風雲篇』『離愁篇』『夢幻篇』

『望郷篇』『蕩子篇』の各編から成り、任侠の世界を描いた『残侠篇』を除いて、作者の自伝的小説とされています。

昭和10年(1935)に『青春篇』が刊行され、川端康成が絶賛してベストセラーになりました。

『青春篇』は、三州(さんしゅう)吉良(愛知県吉良町)に生まれた青成瓢吉(あおなり・ひょうきち)が、青雲の志を抱いて早稲田に学び、

放埒(ほうらつ)な青春を送り、学校騒動で主役を演じ、料亭の娘お袖と恋仲になるが、やがて学校も女も捨てる、という物語です。

歌に出てくる吉良の仁吉は、幕末期の実在の侠客で、慶応2年(1866)4月8日、伊勢国鈴鹿郡(ごおり)の荒神山(こうじんやま)で起こった

穴太(あのう)の徳次郎vs.神戸(かんべ)の長吉(ながきち)+吉良の仁吉+清水次郎長の子分たちの大喧嘩(おおでいり)で命を落としました。

この小説では、仁吉の血筋を引くという吉良常が重要な役割を演じています。

歌は、通常3番までですが、「幻の4番」といわれる歌詞があります。

(セリフ)
   ああ夢の世や 夢の世や
   今は三歳(みとせ)のその昔
   十有余年がその間
   いと懐かしき父母(ちちはは)と
   朝夕眺めし山や川
   春は花咲き夏繁り
   秋は紅葉の錦織
   冬は雪降るふるさとの
   由緒正しき郷士(ごうし)にて
   一人男子(おのこ)と生まれける
   その運命のいたずらか
   はかなき恋の戯れか
   浮き立つ雲に誘われて
   一人旅立つ東京の
   学びの庭は早稲田なり

4 端(はした)役者の 俺ではあるが
  早稲田に学んで 波風受けて
  行くぞ男の この花道
  人生劇場 いざ序幕

これは、マスターが在学してた頃、早稲田大学の第二校歌として、早慶戦の時や、その後の飲み会などでよく歌わされましたが、「幻の4番」は

誰が何時、どう作ったかは知りません。

多分、尾崎士郎が早稲田出身、その自伝的小説の舞台が早稲田、義に篤く、利にはうとく、信ずることのためには損得を考えずに突き進むという

早稲田マンイメージ、などから誰かが作って継承されてきたものとは想像しますが・・・・。
















































































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弁天小僧

2025-02-11 06:56:12 | 懐かしのメロディー
三浦洸一



美空ひばり 


牡丹の様な お嬢さん

シッポ出すぜと 浜松屋
二の腕かけた 彫物の
桜にからむ 緋縮緬(ひじりめん)
しらざァいって 聞かせやしょう
オット俺らァ 弁天小僧菊之助


以前を言いやァ 江の島で

年期づとめの お稚児さん
くすねる銭も だんだんに
とうとう島を おわれ鳥
噂に高い 白波の
オット俺らァ 五人男のきれはしさ


着なれた花の 振袖で

髪も島田に 由比が浜
だまして取った 百両も
男とばれちゃ 仕方がねえ
つき出しなせえ どこへなと
オットどっこい
サラシは一本切ってきた


素肌にもえる 長襦袢
縞の羽織を 南郷に
着せかけられて 帰りしな
にっこり被(かむ)る 豆しぼり
鎌倉無宿 島育ち

オットどっこい 女にしたい菊之助





美しいお嬢さんに変装した弁天小僧。

本当は少年です。

そのお伴の侍のふりをした南郷力丸と、親分の日本駄右衛門の三人が、浜松屋という呉服屋さんからお金をだましとろうとするお話です。

有名な「知らざあ言って聞かせやしょう。」のせりふは、お嬢さんのふりをしていた弁天小僧が、“ニセモノのお嬢さんでしかも男”と見破られ、

開きなおって自分の本当の名前を名乗る場面で語られます。

それまで美しくしとやかな風情をしていたお嬢さんが、いきなりがらりと態度を変えて、男っぽくすごむところは、このお芝居の一番の見どころです。


































































































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旅笠道中

2024-11-21 05:36:34 | 懐かしのメロディー
橋幸夫


天童よしみ


夜が冷たい 心が寒い
渡り鳥かよ 俺らの旅は
風のまにまに 吹きさらし

風が変れば 俺らも変る
仁義双六 丁半かけて
渡るやくざの たよりなさ

亭主もつなら 堅気をおもち
とかくやくざは 苦労の種よ
恋も人情も 旅の空

情ないぞえ 道中時雨
どうせ降るなら あの娘の宿で
 降っておくれよ しんみりと




旅、剣の腕、恋・・・

股旅演歌の3大代名詞かも知れません。

今なら、剣の腕に代わり、金の額かも。(笑)

まぁ、マスターの年代の旅は待ってくれているのは恋ではなく、三途の川の渡し船くらいでしょうか。(更笑)

それでも、旅に出たい。

この曲、元歌は東海林太郎 さんです


東海林太郎 














































































































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