想い出まくら

2024-03-31 07:22:43 | フォーク&ニュー・ミュージック
小坂恭子


八代亜紀


森昌子


こんな日は あの人の 真似をして
けむたそうな 顔をして 煙草をすうわ
そういえば いたずらに煙草をすうと
やめろよと取り上げて くれたっけ

※ねぇ あなた ここに来て
楽しかった事なんか 話してよ 話してよ
こんな日は あの人の 小さな癖も
ひとつずつ ひとつずつ 思い出しそう※

こんな日は 少しだけ お酒を飲んで
あの人が 好きだった 歌をうたうわ
ゆらゆらと酔ったら うでに抱かれて
髪なんか なでられて 眠りたい

(※くり返し)

こんな日は あの人の 想い出まくら
眠りましょ 眠りましょ 今夜も一人

(※くり返し)

こんな日は あの人の 想い出まくら
眠るのが 眠るのが いいでしょう









この曲「想い出まくら」は、ヤマハ・ポプコン出身の女性シンガーソングライター小坂 恭子さんによる1975年のヒット曲(ミリオンセラー)でした。

1973年に、第5回ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)にて「私の好きな組み合わせ」で高木麻早と共に入賞・歌唱賞をダブル受賞。

この年だけ行われた第5回・第6回のポプコン「'73グランプリ大会」に出場しています。

レコードは30万枚(オリコンでは85万枚)を超えるヒットとなり、代表曲となりました。































































































































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片想い

2024-03-30 06:27:41 | Jポップス
沢田知可子


いつも気の合う 悪友達と
五時を過ぎる頃 街に誘われ 

男と女 三人ずつで
抜け駆けはしない ルールがあるの・・・




片想い・・・

この言葉に、なんとなく切なくて、それでも、なにか懐かしい響きだなぁ~と感じようになったら、すでに人生の坂を、かなり登ってきたということに

なるのかもしれません。

たしかに、結婚して家庭を持って、父となり母となり、子供を育て、あるいは、会社に永年、勤めて、そこそこの役職につくような年代になると、

「片想い」どころやなくて、「肩重い」です。(笑)
 
いかんいかん、いきなり、冒頭から、こんな、オヤヂギャグ的おちゃらけをかましていては、この歌のイメージ、ぶち壊しやんかと、

浜田省吾(ハマショー)ファンに、叱られそうですね。(笑)

…いやいや、「片想い」という言葉の「蒼さ」に、ぽっ(*^^*)となった、マスターの照れ隠しですので、許してください。

…なにぶん、マスターは、実はシャイなもんで、_(^^;)ゞ

シャイはシャイでも、冗談はよしなシャイですか?。(笑)

片想い…そう言えば、「シャリ」とか、「アガリ」、「ムラサキ」なんかのお寿司屋さんの隠語は有名ですよね。

それぞれ「寿司飯」、「お茶」、「たまり醤油」を意味する隠語というのは、知っていると思いますが、お寿司屋さんで「片想い」って言う隠語があるの

知ってますか?。

お寿司屋さん…と言っても、我が家と同じく、くるくる回るところしか行かない人も多いから、知らない方も多いと思いますが。(笑)

正解は、あわびです。

ほんとかな~と思う人は、今度、回らないお寿司屋さんに行ったときには、是非、「片想い!」と注文してください。

お愛想(勘定)のとき、肩の重さはとれないかも知れないけど、絶対に、お財布だけは軽くなります。(笑)

あわびは、「磯のあわびの片想い」と言って、あわびには身が片面にしかついていない、つまり、はまぐりのように、二枚貝ではないことから、

片想いと言われるようになったそうです。

ちなみに、はまぐりの方は、二枚の貝が、離れてもぴったしと合うことから、婚礼祝儀の膳の吸い物などに使われます。

もっとも、結婚の祝儀袋などに付いている熨斗(のし)は、古来、あわびを乾燥させて「のした」ものだということで、あわびが必ずしも片想いで

縁起が悪いということではないことを、最近、会ってないあわび君の名誉にかけて、付け加えておきます。(笑)

あれ、なんの話?

グルメと、冠婚葬祭の話でしたっけ(笑)…そうそう、片想いの話でしたよね。(笑)

あの人のことなど もう忘れたいよ
だってどんなに想いを寄せても
遠く叶わぬ恋なら


恋は片想いの方がいい…そういう人がいます。

片想いであるかぎり、どんなに想いを寄せても、恋は成就しない代わりに、また、失うこともないのですから…。

でも、片想い…言葉の響きだけでも、やはり、せつない。

そして、叶わぬ恋と知りつつ、心の中のときめきと、ゆらめきは、両想いになるよりも、いっそう激しいかもしれません。

気がついた時には もう愛していた
もっと早く「さよなら…」言えたなら
こんなに辛くはなかったのに
 
とはいえ、片想いが憧れの範疇にある間は、それだけでも満足できます…人を愛することの喜びということですね。

しかし、悲しいことに、神さまでも仏さまでもない人が、人をただ一途に愛するだけ、ということは、至難の業です。

愛することの喜びが、愛されぬことの悲しみに変わるのは、秋の日の夕暮れのように、一瞬の時間(とき)で足ります。

知っていたのに それだけでいいはずなのに
愛を求めた片想い
愛を求めた片想い


浜田省吾さんの曲の本領は、やはりビートが効いて、しかも流れるようなロック調の曲こそ発揮されるとは思いますが、このようなバラード調の曲も、

なかなか根強いファンがいるようです。

このように、ピアノとギターをメインにした構成で聴いてみると、ほんと、心に染入るようですね。

あの人のことを思い出し、過ぎた日の切なさが蘇りましたか。(笑)

まあ、染入るだけの心の若さだけは保ちましょ。ご同輩!(笑)



























































































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朝はどこから

2024-03-29 05:06:21 | 童謡・唱歌
DA  CAPO


 
朝はどこから 来るかしら 
あの空越えて 雲越えて 
光の国から 来るかしら 
いえいえ そうではありません 
それは希望の家庭から
朝が来る来る 朝が来る 
「お早よう」 「お早よう」   

昼はどこから 来るかしら 
あの山越えて 野を越えて 
ねんねの里から 来るかしら 
いえいえ そうではありません 
それは働く 家庭から 
昼が来る来る 昼が来る 
「今日は」 「今日は」   

夜はどこから 来るかしら 
あの星越えて 月越えて 
おとぎの国から 来るかしら 
いえいえ そうではありません 
それは楽しい 家庭から 
夜が来る来る 夜が来る 
「今晩は」 「今晩は」





朝日新聞社主催のホームソング懸賞公募の当選作品で、昭和21年(1946)5月にNHKラジオ歌謡として放送され、すぐにレコード化された曲です。

歌詞は、ナントカ団体のキャンペーンソングのようですが、その説教臭ささを感じさせない闊達なメロディーになってます。

歌詞にある「家庭」を「国」に置き換えれば、今に相応しいかも。(笑)












































































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北の漁場

2024-03-29 00:22:14 | Jポップス
北島三郎


島津亜矢


いのち温めて 酔いながら
酒をまわし飲む
明日の稼ぎを 夢に見て
腹に晒し巻く
海の男にゃヨ 凍る波しぶき
北の漁場はヨ 男の仕事場サ

沖は魔物だ 吠えながら
牙をむいてくる
風にさらした 右腕の
傷は守り札
海の男にゃヨ 雪が巻いて飛ぶ
北の漁場はヨ 男の遊び場サ

銭のおもさを 数えても
帰るあてはない
二百浬を ぎりぎりに
網をかけてゆく
海の男にゃヨ 怒 が華になる
北の漁場はヨ 男の死に場所サ






この曲「北の漁場」(きたのりょうば)は、1986年6月5日にシングルが発売された北島三郎の歌です。

北島の“芸道25周年”記念曲で、第17回日本歌謡大賞最優秀放送音楽賞・第28回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞されています。

1987年(昭和62年)度の日本音楽著作権協会(JASRAC)発表による楽曲別の著作権使用料分配額(国内作品)では、「命くれない」「雪國」

「男と女のラブゲーム」「時の流れに身をまかせ」に続いて年間5位にランクインしました。


































































































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潮風が吹きぬける町

2024-03-28 07:31:11 | Jポップス
西郷輝彦



さて、この曲「潮風が吹きぬける町」ですが、原曲は森田由美恵さんが歌唱した「潮風の吹く町」です




森田由美恵

 
多分ご存知ない方が多いと思いますが、彼女、1969年フジサンケイ・グループ主催《全国歌謡コンテスト》で最年少優勝、そして1971年、 東芝EMIからこの曲で

ビューされるという実力派演歌歌手でした。

しかし、運が悪かったいうか、デビュー時期が悪かったというか、路線を誤ったというか、当時は天地真理さんはじめ、百恵ちゃん昌子ちゃん淳子ちゃんの

中三トリオの陰に隠れ、期待の新人歌手として、一度だけ「夜のヒットスタジオ」に1972年出演されたものの、そこがピーク、以後は消えてしまったのでは

なかったかと・・・・・。

ところで、曲は「潮風が吹きぬける町」・「潮風の吹く町」ですが国民の80%が不支持の岸田総理、潮風が吹き去ってしまったのでしょうか。(笑)




























































































































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カナダからの手紙

2024-03-28 02:16:50 | Jポップス
平尾昌晃  夏川りみ



ラブレター フロム カナダ
もしもあなたが 一緒にいたら
どんなに楽しい 旅でしょう
ラブレター フロム カナダ
色づく街を 歩いていると
涙がほほに こぼれてきます
あなたの声を 思いだして
カナダの夕陽 みつめています
息がとまるような くちづけを
どうぞ私に 投げてください
ラブレター フロム カナダ
あなたのいない ひとり旅です

ラブレター フロム カナダ
あなたの愛を たしかめたくて
わがままばかり いいました
ラブレター フロム カナダ
ふたりの恋が 真実ならば
はなれていても さみしくないと
ふたりの夜を 思いだして
街の灯りを みつめています
息がとまるような くちづけを
どうぞ私に 投げてください
ラブレター フロム カナダ
あなたのいない ひとり旅です
息がとまるような くちづけを
どうぞ私に 投げてください
ラブレター フロム カナダ
 あなたのいない ひとり旅です





故安倍総理は、新元号「令和」に込めた意味について

「悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に

咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込めた」

と語っていましたが・・・政策は真逆の方向?でした。(笑)

美しい自然を壊して米軍基地に、多額の借金を次の時代に引き継がせ、災害は天まかせ。

「令和」に込めた意味は、

「票と金と運でつながる内閣を、咲き誇る梅や桜で忘れさせる、そんな日本にさせたいとの願いをこめた」のかもしれません。(笑)























































































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修学旅行

2024-03-27 10:13:32 | 青春歌謡
舟木一夫



二度とかえらぬ 思い出乗せて
クラス友達 肩よせあえば
ベルが鳴る鳴る プラットホーム
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
はるばると はるばると
若いぼくらの 修学旅行
 
地図をひろげて 夢見た町よ
僕のカメラで 撮した君を
思い出すだろ いついつまでも
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
ひとすじに ひとすじに
若いぼくらの 修学旅行
 
霧の港に 湖畔の宿に
名残りつきない 手と手を振れば
あとを追うよな 小鳥の群よ
ラララ……
汽車はゆく 汽車はゆく
さようなら さようなら
若いぼくらの 修学旅行




「高校三年生」に続く舟木一夫の二枚目のシングルです。

修学旅行は多くの人にとって学園生活最大の思い出でしょうが、舟木の「学園ソング」のシリーズ化がここに決定したわけです。

「汽車はゆく汽車はゆく」ですから、歌詞の語り手にして主人公である「ぼく」は、たしかに、いま、修学旅行の車中にいます。

でも、「二度と帰らぬ思い出乗せて」と歌い出します。

彼はこの現在を、ひとたび過ぎ去ったら二度と帰らぬ「思い出」になってしまうのだ、という感慨でながめているのです。

彼の身体は修学旅行のさなかにいますが、彼の意識は愉しいこの時の「終り」を先取りして、進行中の現在を「終り」から眺めているのです。

そこに痛切な愛惜の念が生じます。
 
「僕のカメラで撮した君を思い出すだろいついつまでも」と歌う二番の歌詞も同じですね。

「君」は女生徒でしょうか。

もしも「君」が「ぼく」の淡い恋心を抱く女生徒だとしたら、ここでは、いまだ始まらない恋が、始まらないままに終ってしまうであろうことさえ

予感されているのかもしれません。

恋の始まりにおいて終わりを思う、というのは終末意識に浸透された日本浪漫派(保田与重郎)の恋愛美学でした。

青春の現在を哀別の思いで歌うこと、そこに舟木一夫の青春歌謡のかすかな哀愁がにじみます。

これが、橋幸夫とも西郷輝彦とも、さらには三田明や山田太郎とも異なる、舟木一夫の青春歌謡の世界なのかも知れません。
















































































































































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星空のあいつ  

2024-03-27 01:45:33 | 青春歌謡
西郷輝彦




星空のあいつは気のいいあいつ
大きな夢をもっていた
男心のひとすじに
生きてゆこうといいながら
星をみつめて泣いていた
 
星空のあいつはすてきなあいつ
きらめく夢をもっていた
流れる星ならつかまえて
キラリかがやくペンダント
おれは作るといったやつ
 
星空のあいつはやさしいあいつ
いつもギターをひいていた
教えてくれたよこのぼくに
胸がちょっぴり痛むとき
 ひとりギターでうたう歌





西郷輝彦の友情は男同士、一対一の対関係の友情。恋愛も含めたこの一対性が西郷輝彦の歌の基本設定です。

しかも、「あいつ」はもういない。一対の相手を失った「ぼく」は一人。けれども「さびしい」とも「かなしい」とも口には出さず、

詞はただ元気だったころの「あいつ」の面影を生き生きと描き出します。
 
「あいつ」は星をみつめて泣く若者。

感情の高ぶりに涙を流すこの純情、この熱さも60年代青春歌謡ならではのものですね。




































































































































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君だけを

2024-03-26 06:44:08 | 青春歌謡
西郷輝彦




いつでも いつでも 君だけを
夢にみている ぼくなんだ
星の光を うつしてる
黒い瞳に 出合うたび
胸がふるえる ぼくなんだ

いつでも いつでも 君だけが
待っていそうな 街の角
そんな気持に させるのは
君の素敵な 黒い髪
雨に濡れてた 長い髪

いつでも いつでも 君だけと
歩きたいのさ 夜の道
ふたつ並んだ あの星も
いつも仲良く ひかってる
 君と僕との そのように






うさぎはなぜ羽で数える?

ウサギを一羽、二羽と数える理由は、仏教では本来獣肉を食べてはいけないのを、当時の人がどうしてもお肉を食べたかったから、

「ウサギは鳥だからOK!」という理由をつけたためと言われています。

 岸田総理らしく「適切な判断」と言ったかどうかは記憶の限り知りませんが。(笑)






































































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愛は傷つきやすく 

2024-03-26 05:42:26 | Jポップス
ヒデとロザンナ  




(女)自由にあなたを愛して愛して
(女)私はこんなに傷ついた
(男)たとえば二人で命をたてば
(男)微笑みさえも消える
(女)よみがえる日々
(男)よみがえる愛
(男女)やさしい言葉で
(男女)なぐさめつつんで
(男女)そして結ばれた

(女)その時私はあなたの指が
(女)小さくふるえるのを見たの
(男)たとえば涙にくちびるよせて
(男)二人は愛にゆれる

(女)自由にあなたを愛して愛して
(女)私はこんなに傷ついた
(男)たとえば二人で命をたてば
(男)微笑みさえも消える
(女)よみがえる日々
(男)よみがえる愛
(男女)やさしい言葉で
(男女)なぐさめつつんで
(男女)そして結ばれた







水木英二としてのソロ時代~ボサノヴァ・デュオ「ユキとヒデ」を経た出門英さんが、1968年にイタリア出身の少女ロザンナ・ザンボンと「ヒデとロザンナ」を

結成します。

デビュー曲のB面だった『愛の奇跡』に火がつき大ヒット、一躍売れっ子歌手の仲間入りを果たします。

そして、1970年にこの曲『愛は傷つきやすく』を発売。

これが大ヒット、オリコンシングルチャート1位を獲得、売上枚数も『愛の奇跡』を上回り、その年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。

 愛は傷つきやすく、いや、愛は傷つきやすい。(マスター体験)




































































































































































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City of Night

2024-03-23 00:17:52 | Wポップス
Pink Martini - City of Night






日本人の苗字(姓)、種類の多さは世界一

日本人ならだれにしろ苗字があります。

例外は、もともと姓というものを必要としなかった天皇家の人びとだけです。

それでは、日本人の姓の種類はどのくらいあるのか。

日本ユニバックがコンピューターを使って調査した結果、10万3千という数字があげられています。

ただし、これも完全な数字とはいえず、実際の数は12万から13万といわれます。

漢字国であり人口10億を超す中国ですが、姓の種類といえば以外に少なく500程度、

韓国ではもっと少なくて250種といいます。

また、世界に広がる英国系の国民で姓の種類はせいぜい6万といわれます。

人口が1億2千万で姓の種類が12、3万の日本人の姓は、まず種類の多さで世界一といえます。
























































































































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Evening Twist

2024-03-20 00:24:40 | エレキ(guitar/violin )
The Quiets 


とぎれとぎれの話はやめてよ
あんたの心にしがみついた
ままの終わりじゃしょうがない
あたいは恋花 散れば いいのよ
あたいはあんたに夢中だっ た
心からあんたに惚れていた
燃えつきてしまった恋花は静かに
別れ唄歌うの疲れたまんまで
二人で心合わせたけれど
大きな夢を咲かせすぎた
燃えて散るのが花 夢で咲くのが恋
燃えて散るのが花 夢で咲くのが恋
ひとり咲き


 


チャゲ&飛鳥の「ひとり咲き」・・・です。

思い出となってしまった話は、もはや会話も弾みようもなく、あとは、どちらがさきに、いつ腰をあげるかどうかのタイミングを図っているだけのことになります。

ところで、「好き」と「惚れる」という言葉は、同義語のような使い方をし、またそのような感じがしますが、また、微妙に違うように思います。

「好き」という言葉には、「嫌い」という反対語があり、また、「惚れる」という言葉には、「惚れて振られる」という用法はありますが、

「惚れる」という言葉には、明らかな反対語はありません。

「好き」ということは、感情というよりは、知識・意識から派生していくものであり、一方、「惚れる」ということは、情そのものだからでしょうか。

この情というものは、なかなか厄介なしろものであり、かの文豪夏目漱石にして、「草枕」の有名な冒頭に、

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」

として、情に流される人間を描いています。

さて、恋の花、・・・他の誰がなんといおうと、恋人たちの心の中では、大輪の華麗な花を咲かせています。

しかし、大きければ大きいほど、鮮やかであれば鮮やかであるほどに、その姿形を維持していくには、膨大なエネルギーを必要とします。

エネルギーは不滅ながらも、時間という、また厄介な存在の影響を受けると、それこそ、他方にエネルギーは分散流失してしまい、花はもろくも色あせ、

枯れてしまうものです。

夢の中でこそ咲かせ続けることができます。

もっとも、夢の中でもドライフラワーになっている場合もありますが。(笑)





































































































































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花笠音頭

2024-03-18 01:06:13 | Jポップス
三橋美智也



花笠音頭は,山形県を代表する民謡の一つです。

別名,花笠踊り唄ともいわれ、山形市より北へ約40km,雪の三大名所である尾花沢がその発祥地だそうです。

大正8〜10年にかけて,農作物を育てるための水をためておく池を作っていたときこの唄が生まれたのだとか。

昭和になり,伴奏が加わって民謡化された花笠音頭が作られ,だれでも手軽に歌ったり踊れるようになりました。

さて、花笠音頭とは関係ありませんが、いよいよ日本人が愛してやまない「桜」の季節がやってきました。

すがすがしく、晴れやかに。

桜に再び出会える幸せをかみしめて。

花を愛でれば心はふわりと軽くなり、

流した涙は心を浄化・・・

 爽やかな3月を過ごしませんか。


















































































































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黄昏の中で

2024-03-14 06:58:30 | フォーク&ニュー・ミュージック
鈴木一平



この曲、発売されたのは1980年ですから、約、半世紀前ということになりますか。

マスターが聞いたのは長野市街での歩き途中でしたが、よく覚えています。

ところで、黄昏(たそがれ、たそかれ、コウコン、英:twilight)は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯だそうです。

「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でした。

夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味だったので

しょうね。

この風習は広く日本で行われました。

「おはようさんです、これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ

者を排除する意図があったとされるそうですよ。











































































































 

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レクイエム  

2024-03-13 04:13:38 | フォーク&ニュー・ミュージック
岡林信康



麦畑空高く
飛ぶひばり 駆け昇る
はるか雲の上まで
おまえは行くというのか

おまえを育ててくれた
この麦畑を
ふり返る事もなく行くよ
ただ高く高く
飛びつづけてゆく

そこから何が見える
教えておくれひばり
澄み渡る青空か
それともその向うには

暗闇深くひろがり
遠き死の谷が
たとえそれが見えたとしても
おまえは行くだろう
飛びつづけるだろう

果てなく高き青空
私は見上げる
麦畑に吹く風の音
お前は見えない
はるかなひばりよ
愛しのひばりよ





引き出しから奇跡の新曲 美空ひばりからの手紙35年ぶり息吹、引き出しのタイムカプセルは美空ひばりさんの心をよみがえらせた。

ひばりさんの詞が新曲「レクイエム-麦畑のひばり-」として産声をあげたのだ。

新曲は、ひばりさんの代表曲を集めたアルバム「レクイエム~我が心の美空ひばり~」に収められました。

「去年の夏、引き出しの整理をしていたら、ひばりさんから35年ほど前にもらった手紙を見つけ、詞が添えてあった。ひばりさんが感じたことがつづられていて、

『作詞・加藤和枝、作曲・岡林信康』と書かれていた。

高く飛べと書きながら、その先には死が見えるだろう、という内容でね。

当時は(詞の意味が)理解できなかったことと、ひばりさんから催促されなかったこともあって、そのままになっていたんです」

ひばりさんの没後20年の節目の年に、手紙を発見した。

「いま思い返せば、自分の悲劇の結末が分かっていたのかなとも思う。

詞の言葉や行数をそろえ、2週間で完成させました」

人見知りだったひばりさんだが、初対面の日に「自宅で飲もう!」と青葉台のひばり邸に引っ張り込まれた。

1975年3月のことだ。

「私が作った『月の夜汽車』のレコーディングに立ち会った時のことです。

ひばりさんは譜面ではなくて歌詞の紙に矢印を書き込んでいた。

『どうして』って聞いたら、恥ずかしげに『楽譜が読めないから、こうして読んでるの』って。

『ぼくも楽譜を読めないんだ』って言ったら『ウソー! 私と一緒ね』ってパーッと笑顔になって…、かわいかったなぁ」

「レコーディングが終わって原宿でご飯を食べた後、『ウチにきて飲まない?』と誘われました。残った食事をきれいに包んでもらって、

自宅へうかがったんですわ」

きれいに手入れされた芝生でレコード会社の関係者と相撲を取り、ひばりさんから「芝生が傷む」と言われたり、「越後獅子の唄」を目の前で歌い、

「その裏声のところ、間違ってる」と“歌唱指導”もされた。

「ひばりさんとデキておるんか、という質問はやめてくださいね。飲むときは必ず、お母さんがいましたから」

当時、“人と自然の関係”を突き詰めようと京都の山村に移住。

「3反ほどの田んぼに食いきれるだけの米を1反ほど作る」という農作業に励んでいた。

この間、アルバムこそ発売していたが、人前に立つことは避けていた。

「でも、ひばりさんにハッパをかけられてね。75年の12月に中野サンプラザでコンサートをやったんです。

心配で見にきたひばりさんは、“わたしも歌いたいわ”といって私が作った『風の流れに』を歌ったんですよ。

負けるもんかと思って私も歌ったんですが、歌詞を忘れてボロボロに(笑)。それから、ひばりさんの歌を聴き出しました」

5年ほど続けた農村生活からは貴重な教訓を得た。

「自然の法則の前では、何人も平等ということですね。自然の前では、地位も名誉も理屈抜きで何も関係ない。

そして、作物も人も歌も、日本の気候風土の産物なんですよ」

農村からは離れたが、現在も白菜やダイコン、トマト、キュウリ、ピーマンなど季節の野菜を自宅の菜園で育てている。

「種をまく時期って重要ですね。草むしりも、タイミングの良い時期に抜かないと根を張って抜きにくくなる。畑仕事は私にとって修養の場でもあります」

生き方も“自然体”だ。

「必要以上に大きく見せようとしても苦しいだけ。これだけのものです、ってさらけ出して、それを聴いてもらえればうれしい。

うそをついて、いい格好して続けるのは苦しいでしょ」

“フォークソングの神様”は、生き方も神様の境地に近づいていた。

ペン/栗原智恵子 2010.02.16
























































































































































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